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    人を自殺させるだけの簡単なお仕事です

    1: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:29:03.95 ID:4S5e64sI0

    僕の仕事は、主に、部屋の掃除でした

    なぜ他人の部屋をわざわざ掃除するのかと言うと
    自殺には身辺整理がつきものだからです

    きちんと掃除して、遺書を残して死ねば
    その人の自殺を疑う人は、まずいません
    とにかく綺麗にすること、それが大事なのです

    手順は以下の通り定められています

    ①その人の体をのっとる
    ②辛そうに振る舞う
    ③身の回りを綺麗にする(これが一番大変)
    ④遺書を書く
    ⑤死ぬ



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    3: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:31:34.87 ID:4S5e64sI0

    そのとき標的となっていたのは
    神経質そうな目をした女の子でした
    結果的には、これが僕の最後の仕事となりました

    それまで僕が自殺させてきたのは
    いかにも悪いことをしていそうな人たちで
    こんなに若く、無害そうな標的は初めてでした

    華奢で色白で、視線は常に下を向いていて、
    笑い方がとっても控えめな女の子でした


    9: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:38:14.18 ID:4S5e64sI0

    それでも標的とされている以上
    悪い人間であることに間違いはありません

    人の二、三人、平気で殺しているのでしょう

    僕は目を閉じて、遠く離れた場所にいる
    標的の顔を思い浮かべ、体をのっとりました

    八月の、よく晴れた日のことです
    最後の仕事が始まりました


    10: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:43:16.07 ID:4S5e64sI0

    標的は、窓の外を見ていました

    場所は高校の教室で、授業中のようです
    誰しも黒板とノートを交互に見て
    忙しそうに板書を取っています

    その中で、標的の女の子だけは、
    のんびり外を眺めていたのでした

    外は、特に面白いものがあるわけでもありません
    バス停、ローソン、薬王堂、ジョイス、
    やけに目立つボンカレーの看板、
    いかにも田舎っぽい風景が広がっています


    11: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:47:23.12 ID:4S5e64sI0

    試しに、標的の手を動かしてみました
    ペンが妙に大きく感じるのは
    この子の手がそれほど小さいということなのでしょう

    教師の板書を丁寧に写してみます
    すらすら動いて、調子はよさそうです
    標的が抵抗してくる様子もありません

    ふと教師の顔を見ると、こちらを見て
    驚いたような顔をしていました
    その意味はもう少し後になってわかります


    12: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:50:59.04 ID:4S5e64sI0

    標的の女の子の出方をうかがうために
    僕はノートに「はじめまして」と書きました

    そこで一旦、操作を解きます
    標的は自分の手を開いたり閉じたりして
    自由になれたことを確認していました

    自分が操作されている自覚はあるようです
    人によってはそれさえも気づかないのですが

    標的は、自分の書いた「はじめまして」を
    興味深そうにじっと見つめていました
    それ以上の反応はありませんでした


    13: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:55:26.54 ID:4S5e64sI0

    授業が終わり、昼休みが始まります
    再び標的の体を乗っ取ります
    ここからが本番です

    まずは標的の知人に対して、
    標的が辛そうにしている姿を見せる必要があります

    ためいきを増やしたり、口数を減らしたり、
    いつもと違うことを言わせたり

    そうすることで、「自殺の前兆はあった」と
    周りが思い込み、自殺にリアリティが出るのです


    15: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 12:58:04.71 ID:4S5e64sI0

    僕は教室を見回して、標的の友人を探しました

    しかし、話しかけてくる人どころか、
    こちらに視線を向ける者さえいません

    皆、それぞれに固まって、昼食をとりはじめます
    僕は誰かが声をかけてくれるのを待っていました


    16: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 13:03:57.55 ID:4S5e64sI0

    昼休みの半分まで来ても
    標的は取り残されていました

    僕はそこでようやく気付きます、
    この教室で、この子(標的)が孤立しているのは
    とっても自然な状態なのだということに

    どうやら標的は、いわゆる「ひとりぼっち」のようでした


    18: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 13:09:07.84 ID:4S5e64sI0

    困ったことになったと思いましたが、
    良く考えてみると、好都合なことでした

    周りと接点のない人物というのは
    いつ死んでも説得力があるからです

    インタビューされた同級生に
    「無口な人だった」の一言で片づけられるような
    「その他」のカテゴリーに属する人種


    19: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 13:13:39.53 ID:4S5e64sI0

    しばらく放っておくことにしました
    なにせ、することがありません

    標的は、理想的な「自殺しそうな人」を、
    黙っていても演じてくれるようでした

    僕は標的の操作を一時的に解除しました


    20: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 13:19:20.98 ID:4S5e64sI0

    僕はアパートの一室から標的を操っていました
    顔さえ知っていれば、どこからでも操れるのです

    目覚ましを合わせ、僕は昼寝を始めました
    人を操るには体力がいります

    次の仕事は、一番大変な「身辺整理」です
    それまでに体調を万全にしておく必要がありました


    21: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 13:25:06.51 ID:4S5e64sI0

    目を覚まして標的の様子をうかがうと、
    ちょうど最後の授業が終わり、標的が、
    誰よりも早く教室を出るところでした

    部活には入っていないようです
    ウォークマンのイヤホンを耳に差し込むと
    標的の女の子はまっすぐ家に帰しました

    彼女が帰宅し、自室に入ったところで
    僕は再び体をのっとりました
    標的の目を通して部屋を見渡します

    「なんだこれは?」というのが
    僕が最初に抱いた感想です


    22: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 13:31:22.68 ID:4S5e64sI0

    しばらく途方に暮れてしまいました

    だって、身辺整理しようにも、
    最低限の家具と教科書類以外
    その部屋にはなんにもないのです

    雑誌も、本も、テレビも、パソコンも、
    クッションも、ぬいぐるみも、観葉植物も、
    その部屋には、なーんにもないのです


    25: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 21:55:54.06 ID:4S5e64sI0

    慣れた僕でも、人によっては
    五時間くらいかかる身辺整理が、
    この子だと、二分で済んでしまいました

    唯一のゴミは、酒瓶でした
    一番下の引き出しに、いくつか入っていました

    僕は嬉々として瓶を袋に詰めましたが、
    よくよく考えると、酒瓶に関しては、
    置いてあった方が自殺者らしくなるので、
    もとあった場所に戻しておきました


    26: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 22:01:42.56 ID:4S5e64sI0

    唯一、人間性を感じさせるものとして、
    棚に無造作に置かれたCDがありました
    それを聞くためのプレイヤーと、ヘッドホンも

    アレサ・フランクリン、ジャニス・ジョプリン、
    ビリー・ホリデイ、ベッシー・スミス
    いかにも憂鬱な人間のチョイスでした

    これに関しても、部屋に置いてあった方が
    自殺者らしくなるので、放っておきました


    27: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 22:04:02.98 ID:4S5e64sI0

    こんなに楽な仕事は初めてでした
    お膳立てされていたといってもいいくらいです

    今すぐ自殺させても、何の問題もないくらいでした
    下手に僕が手を加えないほうがよさそうです

    拍子抜けと言うか、騙されているような気さえしました
    とは言え、楽であるに越したことはありません


    28: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 22:15:55.96 ID:4S5e64sI0

    仕上げに、標的の手で、遺書を書かせます

    世界史の教科書の端を破り取って、そこに
    「むなしいので死にます」と書きました

    多分、この女の子が遺書を書くとしたら、
    ごくごくシンプルで、誰のせいにもせず、
    それでいて案外切実なことを書くと思ったのです


    29: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 22:43:01.15 ID:4S5e64sI0

    遺書をポケットに入れて、
    家を出ようとしたときでした

    標的の女の子が、初めて反抗しました
    それも、信じられないほど強い力で、です
    危うくコントロール権を奪回されるところでした

    「待って」と標的は口を動かしました
    無理に動かしたので、唇が切れ、
    そこから血が流れだしました

    驚く半面、僕は安心してもいました
    このままだと、上手く行き過ぎて
    逆に気味が悪いと思ったからです


    30: 名も無き被検体774号+ 2012/07/22(日) 22:53:10.22 ID:4S5e64sI0

    標的の女の子は、こんなことを言いました
    「遺書の文面を、少しだけ、弄らせてほしいんです」


    32: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 00:17:38.19 ID:Ngo8f8dj0

    僕は自分で言う代わりに少女に喋らせます
    「どういうことだ?」
    傍から見ると、女の子の独り言です

    少女は答えます
    「『面倒なので死にます』に変えさせてくれませんか?」

    「どうして?」

    「こいつなんか、死んだ方が良かったんだ、
     って思わせたいんです。できることなら」


    33: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 00:23:19.80 ID:Ngo8f8dj0

    僕はしばらく黙っていましたが、
    それくらいはいいか、と思い、
    文面を彼女の言う通りに直しました

    標的の口が、「ありがとうございます」と
    言おうとしたのが分かりました

    結局、命乞いは一度もされずに終わりそうです
    いったいこいつは何を考えているんだろう?

    そこで僕はふと、あることに気付きます


    37: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 00:43:15.07 ID:Ngo8f8dj0

    ひょっとするとこの女の子は、初めから
    自殺する気でいたのではないでしょうか

    身辺整理も済んで、遺書の内容も決めて、
    ただ、踏ん切りがつかずにいたのではないでしょうか

    だとすると、僕のやっていることは
    自分では決心をつけられずにいた自殺志願者を
    望みどおりに殺してやる、というだけのことになります


    38: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 00:54:46.70 ID:Ngo8f8dj0

    そういうのは、僕の望むところではありませんでした
    死にたがっている人を殺すのはつまらないことです

    殺す前に少し、この女の子をいじめてやろう
    そう僕は思ったのでした

    標的の体をのっとり、遺書とは別の書き置きを用意し、
    それを居間のテーブルに置いて、僕は家を出ました

    女の子には、これから一晩中歩いてもらうことにします


    46: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 12:35:35.16 ID:Ngo8f8dj0

    そこは非常に坂の多い街です
    階段や段差がそこら中にあり
    自転車に乗る人はめったにいません

    傾斜が20%をこえるところも多くあり
    また、狭く曲がりくねった道が多いところです

    その中を、転べば折れそうなほど華奢な足で、
    どこまでもどこまでも歩いてもらいます


    47: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 12:49:05.04 ID:Ngo8f8dj0

    キリギリスやコオロギの鳴き声が響いていました
    ひどく蒸し暑い夜でした
    たちまち女の子は汗だくになります

    靴のせいもあり、三時間ほど歩いた辺りからは、
    脚全体がひどく痛むようになります

    特に土踏まずとふくらはぎには激痛が走り
    一歩一歩に苦痛を感じるようになってきます
    顔を上げることもままならない状態です


    48: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 13:19:22.22 ID:Ngo8f8dj0

    どうしようもなく喉が渇いたときには
    自販機の前でコントロール権を渡してやります
    小銭だけは持たせてきたのでした

    ポイントは、彼女が自分の意志で
    飲み物を買って飲むということです

    それでも疲労はどんどん溜まり
    痛みはどんどん増してゆき
    お腹はどんどん空いていきます


    49: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 13:27:07.54 ID:Ngo8f8dj0

    八時間ほど歩いたところで
    標的はようやく目的地につきました

    そこは、街を一望できる展望台です
    螺旋階段をのぼりきったところで
    僕は標的の女の子の操作を解除します

    体力の限界を超えて動かされていた彼女は
    途端にその場に崩れ落ちますが
    彼女の体は、あらかじめ準備しておいた
    椅子の上にちょうどおさまります

    テーブルをはさんで、向かい側に僕が座っています


    51: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 13:37:07.69 ID:Ngo8f8dj0

    たかだか数百円のカップラーメンを
    汁も残さず食べきった卑しい標的は、
    自分が死にたがっていたことも忘れて
    手摺に肘を乗せて、街を見下ろして
    「きれいー」とはしゃいでします

    物を考える力がなくなっているらしく
    普段のように表情に抑制がありません

    向きを変えようとして、足を絡ませて、
    おもいっきり笑顔で転んでいます


    52: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 13:48:27.84 ID:Ngo8f8dj0

    「ところで、私のこと、殺さないんですか?」
    標的は振り返って僕にたずねます

    僕は説明しようとしますが、上手く言葉が出てきません
    僕自身も物を考える力がなくなっていました

    標的は八時間歩いて疲弊しきっているわけですが
    こちらとしても、八時間標的を歩かせ続けるのは
    自分で歩くのと同じか、それ以上に疲れるものなのです


    53: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 13:58:30.99 ID:Ngo8f8dj0

    面倒なので、いったん標的を家に帰すことにしました
    今日のところは、飲み食いする喜びを
    身体に叩き込むだけで勘弁してやろう、というわけです

    僕が手招きすると、標的は黙ってついてきました
    よく分かりませんが、従順で扱いやすい子です
    どうせ操られるだろう、という諦めでしょうか

    僕たちはふらつきながら螺旋階段を下りました
    車のドアを開けて、運転席に乗り込むと
    突然、猛烈な眠気に襲われました


    55: 名も無き被検体774号+ 2012/07/23(月) 14:11:23.44 ID:Ngo8f8dj0

    標的が車の前で困ったような顔をしているので
    助手席を開けて「乗れ」と言います
    標的は「失礼します」と言って乗り込んできます

    とても眠気に耐えきれそうもないので
    十分ほど寝てから出発しようと決め
    携帯の目覚ましをセットしている最中に
    僕は眠りに落ちてしまいました


    64: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 00:00:26.11 ID:Ngo8f8dj0

    暑くて目が覚めました
    車内には容赦なく朝の光が差し込んでいます

    左に目をやると、女の子が眠っていました
    僕はドアを開けて外に出て
    展望台の下にある水道で顔を洗いました

    体もずいぶん汗でベタついていたので
    車に戻ってタオルを取りに行くと
    ちょうど標的が目を覚ましたところでした
    眠そうな目でこちらを見ていました


    66: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 00:14:32.34 ID:dXNG+K4x0

    二人で並んで体の汗を濡れタオルで拭きとりながら
    さてどこから説明したものか、と考えました

    乾いた風がひんやりと心地よいです
    標的は靴下まで脱いで足を洗っています

    普通なら標的の方から何か聞いてきそうな物ですが
    この女の子はさっきから、何一つ訊ねてこないのです

    参ったな、と考えているその時でした

    「綺麗になったことだし、どうぞ」

    突然、標的はそう言うと、”気をつけ”の姿勢をとり、
    僕の顔をまっすぐ見据えました


    69: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 00:27:38.04 ID:dXNG+K4x0

    標的は両腕を広げて掌をこちらに向け、言いました
    「落とすなり、吊るすなり、好きにしてください」

    前髪から水滴がぽたぽた落ちて
    濡れた手足がきらきら光っています

    やっぱり気に入らないな、と僕は思います
    「そのうち殺すさ、とてもひどいやり方で」

    「とてもひどいやり方ですか」
    標的は間抜け面で繰り返します

    「ああ。だから、まず車に乗れ」

    標的は靴を履き、車の方へ歩いて行きます


    70: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 00:39:27.04 ID:dXNG+K4x0

    しっかりした朝食をとらせると
    僕は標的を高校まで送り届けました

    少しでも教室への滞在時間を減らしたくて
    遅刻寸前に学校に来る主義の標的としては
    むしろいつもより早く登校したことになります

    車を降りると、標的はこちらを振り返り、
    小さく頭を下げ、歩いて行きました
    呑気なものです


    71: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 00:48:50.28 ID:dXNG+K4x0

    こちらも一限の講義があるのですが
    その前にひとつ、やっておくことがあります

    目を閉じて、標的の顔を思い浮かべます
    彼女はちょうど教室に入るところでした

    標的は、なるべく目立たぬように、
    静かにドアを開けて中に入ります

    それでもドアの近くにいた連中は、
    誰が来たのかを確認しようと目を向けます

    そのとき、標的の表情がぱっと明るくなり、
    口からは「おはよう」と朝の挨拶が出てきます
    もちろん僕の仕業です


    72: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 00:58:30.92 ID:dXNG+K4x0

    周りの連中は誰も挨拶には応えません
    それは勿論、誰も、彼女が挨拶してくるなどとは
    想像さえしていないからです
    聞き間違えだろう、くらいにしか思っていません

    標的の顔が真っ赤に染まります
    恥ずかしくて仕方がないのでしょう
    死ぬのは平気でも、挨拶を無視されるのは嫌なのです


    75: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 01:13:08.03 ID:dXNG+K4x0

    ですがその後も、標的が廊下で
    クラスメイトと擦れ違うたびに
    僕は標的に感じ良く頭を下げさせました

    標的はノートに「かんべんしてください」と
    書いて僕に見せようとしていましたが
    僕は何の反応もしてやりませんでした


    76: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 01:20:59.42 ID:dXNG+K4x0

    昼休みになると、標的はカロリーメイトを口に放り込み
    イヤホンを耳にさして勉強を始めようとしたので
    僕は体をのっとってイヤホンを引っこ抜きました

    イヤホンなんてつけていたら、初めから周りとの
    コミュニケーションを諦めている人みたいに見えるからです

    標的はノートに「よけいなお世話です」と書きました

    僕は標的の手を借りて、その文に取り消し線を引きます
    そしてのその下に、「いやがらせ」と書いておきました

    それを見た標的は、「ひどい」とだけ書き込みます


    77: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 01:33:45.95 ID:dXNG+K4x0

    授業がすべて終わると、標的は誰よりも早く教室を出ます
    いつもはさり気なく一番目に帰宅する標的ですが、
    この日はなりふり構わず急いで出て行きます

    これ以上僕に何かされたら敵わないと思ったのでしょう
    しかし、帰宅後、彼女に更なる悲劇が訪れます
    もちろん実行犯は僕なのですが

    標的の体をのっとった僕は、再び身辺整理を始めました


    78: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 01:41:56.58 ID:dXNG+K4x0

    一番下の引き出しにしまわれた、
    カティサーク、ジョニーウォーカー赤、
    エンシェントクランといったウィスキー

    どこで手に入れたかは知りませんが
    おそらく彼女の一番のお友達であるそれらを
    僕はすべて洗面台に開けて流してしまいます

    標的の口が「やめっ、もったいない」と動こうとします
    今までで一番必死な反応だったかもしれません
    ですが、知ったことではありません


    79: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 01:51:48.67 ID:dXNG+K4x0

    さて、彼女のスケジュールによれば、
    ベッドに横になって音楽を聴きはじめる頃合でしたが、
    僕は酒瓶をビニール袋に入れて引き出しに戻すと、
    そのまま彼女を家の外に出しました

    ただし、今回は八時間ぶっ通しで歩かせたりはしません
    十分ほど歩いたところで、目的地の公園に着きます

    二台あるブランコの片方に、彼女を座らせます
    当然、もう一台のブランコには、僕が座っていました


    80: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 02:01:24.80 ID:dXNG+K4x0

    辺りは薄暗く、日暮が近くで鳴いています
    僕は両手に抱えていた植木鉢を標的に渡します
    標的は「なんですかこれ」と聞いてきます

    「アグラオネマニティドゥムカーティシー」と僕は答えます

    「いえ、品種のことじゃなくて。なんですかこれ」

    「部屋が殺風景すぎるからな。観葉植物だ」

    「……これも、いやがらせなんですか?」

    「プレゼントに見えるか?」


    81: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 02:14:45.36 ID:dXNG+K4x0

    標的は植木鉢を掲げて、眺めます
    「見えなくもないですね、綺麗ですし」

    「そういうところが、気にくわないんだ」
    ブランコから下りて、僕は標的の前に立ちます

    標的は植木鉢を膝の上に抱えたまま
    少し緊張した表情で僕の顔を見ます

    しばらくその状態が続くと
    ふいに標的は植木鉢を足元にやさしく置いて
    「殺しますか?」と言ってブランコをこぎはじめました


    82: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 02:27:02.63 ID:dXNG+K4x0

    僕はあらためて聞いてみます
    「結局お前は、殺されたがってるのか?」

    「んー、殺した方がいいですよ」と標的は答えます
    「初めてでもないんでしょう? 私で何人目ですか?」

    僕はしばらくこう考えてから、こう言います
    「どこまで知ってるんだ?」

    標的はブランコをとめ、植木鉢に目をやり、
    僕と目は合わせずに、こう言いました

    「知ってるも何も、今あなたがしてるのは、
     むかし私がしてたこと、そのままなんですよ」


    90: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 09:58:09.71 ID:dXNG+K4x0

    「八人、自殺させました。標的は十九歳から七十二歳まで。
     男が六人、女が二人。四人は飛び降りで処理しました。
     ロープが三人で、あとの一人はカミソリです」

    「あなたもそうだと思うんですが、ある日突然、
     人の体をのっとれるようになって、同時に、
     自分が何をしなければならないのかが分かりました」

    「最初の一人の他は、上手いことやれたと思います。
     この仕事の良いところは、一人自殺させるたびに、
     自分も死んで、生まれ変わったような気分になれることでした」


    91: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 10:12:55.58 ID:dXNG+K4x0

    「あなたは、どうして自分がその能力を
     持つようになったのか、分かりますか?」

    僕は首をふりました

    「これはあくまで私の予想に過ぎませんが、
     あなたにバトンが受け継がれたのは、
     おそらく、私が人を殺すのをやめたせいです。

     九人目で、私はありがちなミスを犯しました。
     同情してしまったんです、標的に対して」


    92: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 10:27:32.93 ID:dXNG+K4x0

    「とたんに私の能力は失われました。
     その後で、私が逃した標的は、自殺しました
     たぶん、私の代わりに、後任が現れたんでしょうね。
     私はもう使えないって判断されたんでしょう」

    標的が顔を上げて聞いてきます
    「あなたが初めて殺したのって、二十代の女性でしょう?
     茶髪でセミロング、背は高め、指が綺麗な女の人」

    僕が黙っているのを、標的は肯定と受け取ったようでした


    93: 名も無き被検体774号+ 2012/07/24(火) 10:43:22.27 ID:dXNG+K4x0

    「あの人のこと、私、殺せなかったんですよ。
     だって、あの人、笑っちゃいますよね、ああ見えて、
     写真とお喋りするのが一番の娯楽なんですよ。

     理由はわからないけど、そういうのって、
     すごくげんなりさせられるじゃないですか」

    「あの人を見逃してからしばらくして、
     私は人の体をのっとる力を失いました。
     更にしばらくして、今度は、体をのっとられたんです」

    標的は僕を指差して言います、「あなたに」


    140: 名も無き被検体774号+ 2012/07/25(水) 22:32:16.29 ID:5B7gcMQa0

    「いわゆる”用済み”ってやつなんでしょうね。
     前任者は後任者に消されるシステムなんでしょう」

    「私が自殺させた人の中にも、ひょっとすると、
     以前は私と同じようなことをしていた人がいたのかもしれません」

    「だから」、標的は笑って言います
    「殺しちゃった方が、話は早いでしょう?
     そうしないと、次はあなたも狙われますしね」


    146: 名も無き被検体774号+ 2012/07/25(水) 22:54:35.86 ID:5B7gcMQa0

    答える代わりに、僕はまたこの質問を口にしました
    「結局お前は、殺されたがってるのか?」

    「そうするのが、一番なんだと思います」

    「”お前”が、殺されたがってるのか?」

    「私、ですか。……そうですね、死ぬのは怖いです、
     でもそれ以上に、死んだ方が楽だろうなあと思ってます。
     うん、そうですね。たぶん私は殺されたいんです」


    148: 名も無き被検体774号+ 2012/07/25(水) 23:09:57.92 ID:5B7gcMQa0

    「なら話は早い」と僕は言います、
    「楽になる手伝いなんてごめんだね。
     俺は、お前には、『今死ぬわけにはいかない』
     って悔しがりながら死んで欲しいんだ」

    標的は無表情に僕を見つめます
    「その前にあなたが死ぬと思いますよ」

    「いいさ。死んだ方が楽だろうと思うしな」

    「……まねしないでください」

    「アグラオネマは直射日光に弱い」

    「はい?」首を傾げつつ、標的は植木鉢に目をやります


    150: 名も無き被検体774号+ 2012/07/25(水) 23:19:11.23 ID:5B7gcMQa0

    「しかし、明るい場所で育てる必要はある。
     変な表現だが、『明るい日陰』におくといい」

    「……あの、私、もうすぐ死ぬんですよ?
     あなたが殺さなくても、別の誰かが殺しますし」

    「高温多湿を好むから、暖かい場所に置いて、
     一日一回は霧吹きで葉に水をかけてやれ。
     水も、やりすぎない程度にたっぷりな」

    「育てませんってば」

    「ついでに言うと、高価な植物だ。
     あの手のウイスキーが十本くらい買える」

    「ええっ」標的の体がこわばります
    頭の中は酒瓶でいっぱいなのでしょう


    152: 名も無き被検体774号+ 2012/07/25(水) 23:29:49.73 ID:5B7gcMQa0

    「枯らしてしまったときは、お前の体を乗っ取って、
     クラスメイトに『友達になってください』って言って回る」

    「そういうのはほんとにやめてください。
     アグラ……ムドゥ……なんでしたっけ?」

    「カーティシーでいい。覚えろ」

    「かーてぃしー」

    「そうだ」

    「あおぞらです」

    「……ん?」僕は星空を見上げます

    「私の名前です。覚えてください」

    「ああ、名前か。知ってるよ」

    「くもりぞらではないです」

    「青空だろ。確かに似合わない名前だよ」


    153: 名も無き被検体774号+ 2012/07/25(水) 23:46:05.16 ID:5B7gcMQa0

    「それで、あなたの名前は?」

    「くもりぞらだ」と僕は言います

    「まねしないでくださいってば」

    「本当だよ。すばらしい偶然だな」

    「ふうん。似合う名前で良かったですね」
    青空は拗ねたような顔をして言います
    「……それで、私はこれ、カーティシーを、
     このまま持って帰るんですか?」

    「そりゃあそうだ」

    「恥ずかしいなあ」

    「恥ずかしい思いは、これから沢山してもらう」

    「今日のだけで死にそうなんですけどね」

    「人はそう簡単には死なない」

    「あなたが言うと説得力がありますね」


    185: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 00:07:31.37 ID:H0TWczxL0

    「さて、そろそろ解散といくか」
    青空の顔を見つめながら、僕は言います
    「なんだかお前、いきいきしてきたからな」

    青空は痛いところをつかれて
    慌てて緩んでいた表情を引き締め
    「別に、そんな」と言いながら顔を赤くします

    ”実は人と話すのが好き”などと思われるのは
    青空のような者にとっては最も苦痛なことなのです


    189: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 00:29:14.69 ID:H0TWczxL0

    「さようなら、くもりぞらさん」
    青空は公園を出て行きました
    逃げるように早足で出て行ったので
    公園の前にいた人に気づきませんでした

    青空のクラスメイトの男は
    公園から出てきた青空を見たあと
    その手に抱えられた植木鉢を見て
    見てはいけないものを見たように目を逸らしました

    すかさず僕は青空の体をのっとります
    感じの良い笑顔で「こんばんは」と言います
    相手の男は、とても困った顔をしましたが
    「ちわっす」と頭を軽く下げました


    190: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 00:43:27.62 ID:H0TWczxL0

    クラスメイトの男が去って行くと
    青空は僕のところまで戻ってきて言います
    「いったい、なにがしたいんですか?」
    よほど恥ずかしかったのか、涙目になっています

    「お前がしたくないことをお前にをさせたい。
     お前がしたいことはお前にさせたくない」

    「変な人と思われたじゃないですか、
     公園から植物盗んだ人みたいじゃないですか」

    「いいじゃないか、どうせ死ぬんだろ?」

    「確かにそうですけど、それでも、死ぬ直前まで、
     死んだ後の自分を想像する自分はいるんですよ」

    「いいことを言う、その通りだ。だからやりがいがある」

    呆れたような顔で青空が僕に言います
    「女子高生に嫌がらせして楽しいですか?」

    「楽しいぜ。今度やってみな


    204: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 13:05:48.39 ID:H0TWczxL0

    それからも毎日、僕は青空が知人と出会うたびに
    礼儀正しく挨拶させ、時には会話までさせました

    周りが少しずつ、青空が口を開いても
    違和感を覚えなくなってきたところで、
    惜しくも課外授業が終わってしまいます

    最期の授業が終わった後、
    青空はまっさきに教室を出ると思いきや、
    ノートの隅に、おそらく僕に向けた
    メッセージを書きはじめました


    205: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 13:14:34.69 ID:H0TWczxL0

    青空は、以前僕がそうしていたように、
    ブランコに腰掛けて待っていました

    「こんにちは、くもりぞらさん」

    真夏日の昼間で、ブランコの椅子は
    ひどく熱を持っていました

    カーティシーの育て方について、
    今のやり方で合っているのか確認したい、
    というのが青空の要望でした

    話を聞く限り、青空の育て方に
    特に間違った点はなさそうでした


    208: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 13:21:41.16 ID:H0TWczxL0

    「糞暑いな」と僕は汗を拭います

    「落としてあげましょうか、川とかに。涼しげですし」

    僕は無視してシーブリーズを体に塗ります

    「いつか落としてやりますからね」
    青空は僕に小石を定期的に投げてきます

    僕は青空の体をのっとり、水飲み場で
    おでこで水を飲ませてやります

    制服までびしょ濡れになった青空は、
    「涼しげでいいです」とブランコに座って言います


    209: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 13:34:42.99 ID:H0TWczxL0

    「お前はもう夏休みか。残念だな」と僕は言います
    「もっと色々やらせようと思ってたんだが」

    「夏休み大好きです」と青空はばんざいします
    「人と会わなくて済むし、家にいられるし。
     お酒は誰かが捨てたから飲めませんが」

    「人と会うのも、外に出るのも嫌なのか」
    僕がそう聞くと、青空は「しまった」という顔をして、
    「ええと……どちらかと言えば」と濁します

    青空の体をのっとり、僕はポケットをまさぐります

    ところが目当てのものは見つかりません
    しかたなく、操作をいったん解除します


    210: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 13:43:03.33 ID:H0TWczxL0

    「お前」僕は聞きます、「携帯はどうした?」

    「携帯? 持ってませんよ、そんなもの」

    「携帯電話を持ってない? 今時の女子高生が?」

    「必要ないことくらい見ればわかるでしょう。
     いままで気付かなかったんですか?」
    前髪をしぼりながら青空は言います

    確かに、青空が携帯電話を持っても、
    目覚し時計と化すのが目に見えています


    211: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 13:49:30.24 ID:H0TWczxL0

    「なにをするつもりだったんですか?」

    「知人に連絡して、遊びに誘ったりするつもりだった」

    「断られますよ、そんなの」

    「そうなれば尚良かった。お前傷つくだろうし」

    「……そうですね。効果覿面でしょう」

    「お前が人に会いたくなくて外に出たくないなら、
     俺はお前を人に会わせて外に出そうと思ったんだ」

    「間に合ってます。もう外に出てますし、
     現にこうしてくもりぞらさんと会ってるんです」

    「じゃあそれを継続しよう」と僕は提案します
    提案と言うか、もう決定なのですが


    217: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 18:51:20.89 ID:H0TWczxL0

    青空はお酒が飲みたいそうなので
    僕は青空を喫茶店に連れて行きました
    エスプレッソをふたつ注文します

    「私コーヒー苦手なんですよ。にがいから」

    「知ってる。ウィスキーは飲めるのに、変な話だ」

    「コーヒー、毒みたいな味するじゃないですか」

    「毒を飲んだことがあるような口ぶりだな」

    「ええ、他人の体を使って、ですが」

    僕が何も言わずにいると、青空は
    「冗談でしたー」と言って微笑みます
    冗談にしても分かりにくいし、何より面白くありません


    218: 名も無き被検体774号+ 2012/07/27(金) 19:01:00.18 ID:H0TWczxL0

    僕が机の上に広げた参考書をのぞきこみ、
    青空は不思議そうな顔をします

    「勉強するんですか?」

    「ああ。試験が近いんだ」

    「そっか……そうなのか。私も勉強しよう」
    青空は鞄から速読英単語を取りだします
    それを見た僕は、なんだか懐かしい気分になります

    運ばれてきたコーヒーに、砂糖をたっぷり入れ、
    おそるおそる口をつけた青空は、「にがいー」と顔を歪めます


    247: 名も無き被検体774号+ 2012/07/28(土) 23:58:31.32 ID:8I4+VxX50

    「ちなみに私は、標的を見逃してから、
     一週間くらいで能力を失いましたよ」

    勉強を始めて二時間ほど経ったところで
    青空が伸びをしながらそう言いました

    「関係ないな。別に見逃したつもりはないから」

    「傍から見ても、そう見えますかね?」

    「ああ。どう見ても標的を狙う殺し屋だ」

    「ふうん」青空はつまらなそうに言います
    「それはそうと、勉強、はかどりますね。
     なるほど、ここは勉強するのに良さそうです」

    「なんてこった」と僕は言います、「勉強はやめにしよう」


    249: 名も無き被検体774号+ 2012/07/29(日) 00:06:13.23 ID:5WSHyzFN0

    映画館に入った僕たちは、階段を下りていきます

    「たしかに勉強には向かない場所ですね」
    青空はきょろきょろしながらそう言います

    連日の試験勉強で睡眠不足だった僕は
    映画が始まって数分で眠ってしまいます

    目を覚ますとほとんど映画は終わっています
    登場人物たちは何かに感動して泣いている様子です
    勝手に盛り上がってるんじゃねえよ、と僕は思います

    「どんな映画だった?」と僕が聞くと
    「殺人犯が酷い目にあう映画」と青空は答えます
    映画の製作者もがっかりしていることでしょう


    251: 名も無き被検体774号+ 2012/07/29(日) 00:18:14.57 ID:5WSHyzFN0

    「映画もドラマもそうですけど、人を殺した罪人って、
     大抵、なにがあろうと、最終的には死にますよね」

    「『人を殺すような奴は死んでしまえ』ってことだろう」
    僕はくしゃみをしてから言います
    「そういった意味での公正さを、人は求めてる」

    「たとえ改心したとしても?」

    「やっぱり、一度でも人を殺したような奴は、
     たとえその後で聖人みたいになったところで、
     どこか安心できないところがあるんだろう」

    「私たちは死んだ方がいいってことですね?」

    「つまりはそういうことなんだろうな」


    252: 名も無き被検体774号+ 2012/07/29(日) 00:34:06.70 ID:5WSHyzFN0

    「なんだかそういうのはわくわくしますね」
    前を歩く青空は、映画館出た後、振り返ってそう言います
    「ここに生きているべきでない若者がふたり」

    「なにがどう、わくわくするんだ?」

    「あおぞらとくもりぞらですしね」
    そう言って青空は僕の顔をのぞき込みます
    何か言いたげな笑みを浮かべています


    312: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 19:11:17.00 ID:e6Xcvivh0

    僕はなにか意地悪なことを言ってやろうとして
    そのとき、不意に、「のぞかれた感じ」がしました

    のぞかれた感じ。

    「青空」僕は早口で聞きます
    「一度、俺に遺書を直させようとして、
     ものすごい力で抵抗したことがあったよな。
     どうすればあれほどの力で抵抗できる?」

    青空は「それはですね」と言いかけた後、すぐに勘付き、
    「もしかして、のっとられてます?」と聞いてきます


    314: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 19:24:58.55 ID:e6Xcvivh0

    「いや、まだ大丈夫だけど、一瞬、覗かれたような感じがした」

    「ああー。あれ、確かに覗かれてる感じしますよね」
    青空はなぜか、はにかむように笑います
    「ついにあなたも標的になっちゃったわけですね。なかまー」

    「まだ決まったわけじゃない。俺の気のせいかもしれない」

    「でも、仮に狙われ始めているんだとしてですよ、
     なんで私より先にあなたを狙うんでしょう?
     前回の経験から言うと、先に私を殺すはずなのに」

    「俺もそう思ってたんだが、考えてみれば、今この場には、
     『死ぬべき人間』が二人そろってるわけだ。つまり――」


    316: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 19:31:28.47 ID:e6Xcvivh0

    「つまり、『お前を殺して俺も死ぬ』の形式が、
     いちばん手っ取り早いということですね」

    納得したように青空がうなずきます

    「相手の人、良い判断なんじゃないですかね。
     私と違ってくもりぞらさんは操られるの初めてだから、
     うまく抵抗することができないでしょうし。
     そっかー、私はくもりぞらさんに直接殺されるのか」

    「さっさと言え、どうすれば操作に抵抗できる?」

    青空はそっぽを向いて、つんとした態度で言います
    「教えてあげません。教えて欲しそうだから」


    317: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 19:40:57.75 ID:e6Xcvivh0

    僕たちはちょうど、街の広場に着いたところでした
    木陰に入ったところで、僕は青空の後ろに回り
    青空の細くてひんやりした首に、右腕を巻き付けます

    青空は力を抜き、黙ってそれを受け入れます
    ”気をつけ”の姿勢のまま、後ろの僕に体重を預けます
    僕の腕は少しずつ青空の首を絞めていきます

    体を乗っ取られるのは初めての経験でした
    あまりにも違和感がなくて、最初は自分の意思で
    自分を動かしているかのような錯覚を受けました

    おそらく今僕の脳は、「腕が動いたということは、自分から
    腕を動かそうとしたということだ」と解釈しているのでしょう


    318: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 19:49:51.79 ID:e6Xcvivh0

    青空の首に絡み付いた僕の腕に、徐々に力が入ります
    やむを得ないと思い、僕は青空の体を乗っ取り、
    自分(曇り空)の体を突き飛ばそうとします

    しかし、僕と違い、青空には抵抗ができます
    僕の操作に逆らって、一歩も動こうとしません
    なるほど、青空は本当に僕に殺されたいようです

    ですが、その抵抗から、僕はなんとなくヒントを得ます

    青空の体がぐったりしてきたあたりで
    僕の腕は徐々に青空の首から離れていきます
    青空は僕の腕をすり抜け、地面に倒れます


    319: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:03:19.17 ID:e6Xcvivh0

    無理に操作に逆らった僕の腕は
    いったん全体の皮膚をひっくり返されて
    硬いもので万遍なく殴打されたように痛みます

    両手が自由に動くことを確認すると、僕は
    眠そうな目で僕を見上げている青空に話しかけます

    「つまり、『操作に抵抗しよう』とするんじゃなくて、
     『操作の上書きをしよう』とすればいいってことか」

    青空は不機嫌そうな顔で、小さな咳をします
    「惜しかったなあ。気付くの早すぎですよ」


    321: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:11:50.77 ID:e6Xcvivh0

    「もしかすると、もとから知ってたんですか?」

    「いや。俺の操作に、お前が抵抗する感じを参考にした。
     操りながら操られることで、とても効率良く学習できたらしい」

    「なるほど……とは言え、体、めちゃくちゃ痛むでしょう?」

    「ああ。自分が何しゃべってるかわからないくらい痛む」

    「私もです。おまけに頭はくらくらするし。暑いし。
     くもりぞらさん、私、首の汗ひどかったでしょう?」

    「べつに」

    「ひどかったんです。ああ恥ずかしかった」
    どうでもいいことばかり気にする女の子です


    322: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:18:05.83 ID:e6Xcvivh0

    「さてと」、僕はしゃがみこんで青空の顔をのぞきこみ、
    目をそらした青空の頬を強めに引っぱります
    「いたいいたいー」と青空は気の抜けた声で言います

    「なあ、なにが『教えてあげません』だよ?」

    「あなたのまねです。ざまーみろ」

    「しかも俺の操作に抵抗しやがった」

    「おかげでコツを掴めたんでしょう、良かったですね」

    僕は立ち上がろうとして、後方にバランスを崩し、
    手をついてその場にへたりこみます
    その拍子に、地面にあった枝で手を切ってしまいます
    まあいい、と僕は気にせず放っておきます


    325: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:28:22.95 ID:e6Xcvivh0

    僕たちはびっくりするほど体が動かなくなっていて
    立ち上がるだけで汗だくになりました

    石畳からの照り返しが暑さに拍車をかけます
    芋虫みたいな速度で涼を求めて歩きます

    広場の噴水のふちに腰掛けようとしたとき
    僕は勢いあまって水の中に落ちました
    腹筋に力が入らないとこういうことが起こるのです


    327: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:37:02.97 ID:e6Xcvivh0

    水面に顔を出して、僕は顔を両手でこすります
    広場にいた人たちの視線が僕に集まっています
    青空は体の痛むところをおさえながら笑っています

    僕は諦めて、両手をついて水中に座り、空を見上げます
    飛行機雲がふんわりまっすぐのびています

    近くの木にとまった二羽のカラスがこちらを見ています
    もうすぐ餌になる対象を見るような面構えです


    328: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:44:02.76 ID:e6Xcvivh0

    「なにやってんですか」と青空が言います
    「また誰かに操られてるんですか?」

    「涼しげでいいだろう」と僕は答えます

    「体中痛いんだから、笑わせないでください」

    「笑い死ね」

    「びっしょびしょじゃないですか」

    青空はそう言うと、噴水のふちに立ち
    ひょいと飛んで僕の横に着水します

    水飛沫があがり、僕は目をつむります
    広場中の視線が再び僕らに集まります


    329: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:53:21.95 ID:e6Xcvivh0

    十秒以上たっても青空が顔を上げないので
    僕は青空が体を起こすのを手伝います

    「溺死するところでした」と青空は言います
    「こんな子供用プールより浅い場所で」

    「『噴水で女子高生死亡』なんて、
     ニュースを見た人が首を傾げるぞ」

    「気持ちいいですね」青空は目を閉じて言います
    「今もう一回操作されそうになったら、抵抗できます?


    331: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 20:58:39.66 ID:e6Xcvivh0

    「そこなんだよ。どうして向こうは追撃してこない?
     今なんか、頭を下げるだけで溺死させられるのに」

    「抵抗されて、びっくりしてるんじゃないですか?
     経験のあるくもりぞらさんに聞きますけど、
     操作に逆らわれたとき、どんなことを思いました?」

    僕は少し考えてから、答えます
    「お前の場合、それ以前に色々とイレギュラーだったから、
     抵抗されても不自然に感じなかったんだよな」


    332: 名も無き被検体774号+ 2012/07/30(月) 21:07:36.54 ID:e6Xcvivh0

    青空は褒められたわけでもないのに
    ちょっと嬉しそうな表情になります

    「でも相手が仮にお前じゃなかったとしたら、
     確かに、驚いて、様子見に入るかもしれない」

    「なるほど……。あ、そうだ。くらえくもりぞらさん」
    青空はそう言いつつ、僕の顔に水を掛けます
    僕も無言で二倍の量を掛け返します

    しばらくそれを繰り返した後、噴水を出て服を絞り、
    水をぽたぽた滴らせながらベンチに行き、
    並んで座って服が乾くのを待ちました

    時刻を知らせる鐘が広場に鳴り響きます

    服が乾くと、青空はくしゃみとあくびを交互にして、
    「それじゃあ、また」と言って帰って行きました


    369: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 22:34:33.50 ID:rIGoNaRq0

    ひょっとすると、僕はもう、二度と青空に
    会うことはないのかもしれないな、と思います

    向こうがなりふり構わずに来れば、
    僕たちがちょっとやそっと抵抗したところで、
    速いか遅いか程度の差にしかならないでしょう

    どうせなら部屋を思いっきり汚しておこう、
    そう僕は思います
    片付ける人の苦労を少しでも増やすために

    それから二週間が過ぎます


    397: 1 2012/08/01(水) 10:50:19.65 ID:o8xWRF6G0


    その日、喫茶店で本を読んでいると、
    自分の名前が呼ばれたような気がしました
    もちろん、”くもりぞら”ではない方の

    顔を上げると、店員が僕の顔を覗き込んで、
    「やっほー」と手を振っていました

    同学部の先輩、顔を合わせれば
    挨拶はする程度の仲の人です

    しばらく、スクリプトに従ったような
    様式に忠実な会話を僕らは交わしました


    371: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 22:42:27.33 ID:rIGoNaRq0

    不自然でない程度の時間が経つと、
    先輩に気付かれないよう、そっと店を出ます

    この店にくるのはもうやめにしよう、と僕は決めます
    結構お気に入りの場所だったのですが、
    知人がいるとなると、どうしようもありません

    次の店を探さなきゃな、と溜息をついたとき
    ふいに僕は体をのっとられました

    遅かったじゃないか、と僕は思います

    どうくるのかと自身の体の様子を見ていると、
    まっすぐどこかへ向かって歩きはじめます


    372: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 22:48:32.83 ID:rIGoNaRq0

    これから味わうであろう痛みを想像しながら、
    僕は操作に抵抗して、口を動かします

    自分を殺そうとしている相手との
    コミュニケーションを試みます

    「二分でいいから、話を聞いてくれ」

    しかし僕の体は構わず動きつづけます

    「あんたにも関係のある話なんだよ」

    舌は思い切り攣ったような痛みが走り
    唇の端が切れて血が垂れてきます


    376: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:06:14.80 ID:rIGoNaRq0

    「なあ、そもそも、どうして自殺させるべき対象が、
     頭にぱっと浮かんでくるんだと思う?」

    慎重に言葉を選びながら、僕は言います

    「俺はこれまで、六人の標的を自殺させてきた。
     たぶん、お前と同じようなやり方で。
     だが七人目を殺すことが出来なかった」

    「そうして今、お前に命を狙われてる。
     以前自分が他人にしていたことを、
     今度は他人に自分がされているわけだ」


    378: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:13:54.91 ID:rIGoNaRq0

    「操られる側になって分かったことだが、
     『人の体をのっとって操れる人がいる』
     ということを前提として知らない限り、
     自分が操作されている事実には、
     なかなか気付けるものじゃないらしい。

    「それくらい自然に感じられるんだ、
     体をのっとられて動かされるってことは。
     あるいは、起こっていることが不自然すぎて、
     事実を受容できないのかもしれない」

    「そこまではいい。しかし、ここから俺が言うのは、
     証拠はないし、論理が飛躍しているし、
     何より自分にとって都合がよすぎる考えだ」


    379: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:20:40.79 ID:rIGoNaRq0

    「でもな、仮にだ。人の体をのっとる俺たちもまた、
     実に自然に、体をのっとられているんだとしたら?
     俺たちは自分で考えて人を殺しているように感じているが、
     実際のところ、操られているだけだったとしたら?」

    そこまで言って、僕は限界を悟ります
    これ以上喋ることは出来なさそうです

    足が止まる様子はありませんでした


    380: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:26:37.42 ID:rIGoNaRq0

    辺りは薄暗くなってきていました
    道路には、浴衣を着た小さな子供や
    自転車を漕ぐ小学生の男の子たちや
    ちょっとお洒落をした中学生のカップルなど
    街の祭に向かう人がちらほら見られます

    八歳と六歳くらいの兄妹が
    互いに虫よけスプレーをかけあって
    その匂いが僕のところに流れてきます

    少し遠くから笛の音が聞こえてきます
    焦げたソースの香りもしてきました

    名前を呼ばれた気がしました


    381: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:36:58.46 ID:rIGoNaRq0

    僕の目は動きませんでしたが
    視界の隅にブルーのスカートが見えました

    「あの後、すぐ仕事が終わったんだよ。
     それで、歩いてたら、君の姿を見つけて」
    その声で、僕は相手が誰だか知ります

    「ねえ」と先輩は言います、
    「さっきのって、やっぱり独り言だよね?」

    僕は無言で先輩の顔を見つめます
    先輩は僕の口元を見て、目を丸くして、
    「血、出てる」と口を指差して言います


    383: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:42:50.71 ID:rIGoNaRq0

    僕が何も言おうとしないのを
    動揺の証と受け取ったらしい先輩は
    なぜか「大丈夫だよ!」と励ましてきます

    「私の友達にも、君みたいな子、いたよ。
     でもそれはただの一時的な病気で、
     別に特別気に病むことじゃないんだよ」

    よく分かりませんが、ひとまず、
    ある点において手間が省けました

    僕は先輩の体をのっとり、言うことを聞かない
    自分の体を地面に叩きつけます

    柔道で言うところの大内刈を、
    先輩の体を使って僕にかけたわけです


    384: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:50:15.48 ID:rIGoNaRq0

    単純な脇固めを極め、僕の動きを奪います
    そのまま先輩に喋ってもらうことにします
    僕の体は先輩を振り払おうとしますが
    その動きは僕自身が抵抗して軽減します

    「あんただって、いつかは俺たちみたいに、
     どうしても殺したくない相手に出会う。
     そして次の瞬間にはあんたが命を狙われるんだ。
     そういう繰り返しは、もうやめにしないか?」

    そう言った後、続ける言葉を考えて、
    しばらくその体勢のままでいると、
    いつのまにか僕の体の操作は解けていました

    ここまですることはなかったのかもしれません
    地面に転んだ時にぶつけた肩が痛み出します


    385: 名も無き被検体774号+ 2012/07/31(火) 23:57:02.42 ID:rIGoNaRq0

    僕は先輩の操作を解除しますが
    先輩はじっと目を瞑ったまま、動こうとしません

    何かいって離れてもらおうとしましたが
    口がまったく言うことをききません
    この分だと食事にまで支障をきたしそうです

    もう一度先輩の体をのっとり、僕を解放します

    「こんなことするつもりはなかったんだよ」
    先輩は青ざめた顔で言います、
    「それに、自分でも意味の分からないこと
     口走っちゃったり、私、どうしたのかなあ……」


    473: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 21:07:42.00 ID:Axa50L7/0

    「ねえ、怪我してない? 大丈夫?」
    先輩がそう聞いてきます

    口をきくことのできない僕は、頷いて
    「大丈夫」という意志を示そうとしましたが、
    先輩は僕が声を出せないのを
    ショックのせいだと思い込んだようです
    泣きそうな顔で謝り続けて来ます

    少し気の毒に感じましたが
    説明の仕様がないし面倒なので
    僕は先輩の体を硬直させると
    その場を逃げ出しました


    476: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 21:16:15.55 ID:Axa50L7/0

    祭に向かう人の流れに逆らって
    重たい体を引きずって僕は家に帰りました

    アパートに着き、自室の鍵を開け中に入ると、
    服も脱がずにベッドに体を投げ出します

    部屋は蒸し暑く、体は痛みます
    扇風機をつける元気さえありません
    ひどく喉が渇いていましたが
    体を起こして水を汲みに行くのさえ億劫でした

    いろいろと面倒だなあ、と僕は思います
    「ここがくもりぞらさんの家ですか」と青空が言います


    477: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 21:27:37.30 ID:Axa50L7/0

    僕は起き上がって声のした台所の方を見ました
    冷蔵庫の照明に照らされた青空の顔が目に入ります
    青空はハイボールの缶を勝手に取りだして
    プルタブを引いてごくごく飲んでいます

    缶から口を離すと、青空は「おいしいー」と笑います
    僕は安心して再びベッドに横になります


    478: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 21:36:06.45 ID:Axa50L7/0

    「お久しぶりです、くもりぞらさん――っていう台詞は、
     本来もう少し前に言うべきだったんですが、
     なんだか私に気付いてないみたいだったんで、
     ここぞとばかりに尾行させてもらいました」

    僕は何か言おうとしますが、上手く喋れません
    青空はロング缶をひとつ空にすると、
    「反撃開始ー!」と言って部屋に入ってきます
    顔はうっすら赤く、酔っ払っている様子です


    479: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 21:43:10.38 ID:Axa50L7/0

    僕に動く気力がないのを知ってのことか
    あるいは単に酔っ払っているからか
    青空は人の部屋を漁りはじめます

    煙草のカートンを見つけると、青空は
    「お酒を捨てられた仕返しです」と言って
    ゴミ袋に放り込みます

    CDや本も、ほとんど捨てられます
    青空なりの基準が存在しているらしく
    青空はときどき「これはよし」と言って
    一部のものは、棚に戻されます


    481: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 21:50:16.00 ID:Axa50L7/0

    僕は青空に手招きして、身振り手振りで
    コップに水を汲んでくるよう頼みました

    青空は台所でコップに冷たい水を注ぐと
    「ほーら水ですよー」と言いながらやってきて
    ベッドに寝る僕の顔に1mくらい上から垂らします

    僕は口を開けてどうにか水を飲みます
    顔もベッドもびしょ濡れになりますが
    少しでも水を飲めたことを僕は喜びます


    482: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 22:00:45.39 ID:Axa50L7/0

    「くもりぞらさん、今日は一段と元気ないですね」
    ベッドに腰掛けた青空は、空き缶で僕の頭を
    こつこつ叩きながら言います、「でも私は元気です」

    僕は「後で見てろよ」という目線を送ります

    「出て行ってもらいたそうな顔してますね」
    青空は楽しそうに言います
    「だから出て行ってあげません。あはは。
     ――それにしても、くもりぞらさん、
     さっきから喋りませんね。動きませんし。
     疲れてるんですか? なんかありました?」

    僕が何も答えないのを見て、
    「ん、まあいいや」と青空は言います
    「とにかく、千載一遇のチャンスですね」


    484: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 22:11:02.28 ID:Axa50L7/0

    青空は僕の体を無理やり起こすと、
    後ろに回って僕の首に右腕を巻き付けました

    「前のやつの仕返しです」と青空は言います

    以前触れたときの青空の首は冷たかったのですが
    今日の青空の腕はあったかいです
    あるいは僕の体が冷えているのかもしれません

    「私、酔っ払いですから」、青空は僕の耳元で言います
    「酔っ払いですから、これから変なこと言いますけど、
     それは酔っ払いだからです。気にしないでください」


    485: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 22:20:13.30 ID:Axa50L7/0

    「なんで最近、いやがらせしてくれないんですか?」

    青空は腕の力を緩めると、そのまま
    腕を下げて、僕の胸の辺りで交差させます

    「どうして体のっとってくれないんですか?
     どうしてひとりになりたがってる私を
     くもりぞらさんは野放しにしておくんですか?」

    青空の人差し指が僕の胸をとんとん叩きます


    486: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 22:27:27.47 ID:Axa50L7/0

    「ちょっとさみしいじゃないですか。
     さみしいのが、私は好きなんですよ。
     だからそれを阻止してくださいよ。
     そういうのがくもりぞらさんの役目でしょう?

    青空の人差し指の動きが止まります

    「それに私は、死期が近いからって慌てずに、
     いつも通り過ごして死にたいと思ってるんです。
     だから、それさえも邪魔してくださいよ。
     なんで言わないとわからないんですか?」


    487: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 22:37:17.89 ID:Axa50L7/0

    青空の両手首を僕が両手でつかむと
    「あ、動いた」と青空は嬉しそうに言います

    酔っ払いの言うことは、話半分に聞くのが正解です
    ですが、青空は「気にしないで」いてほしいらしく
    そうなると僕としては、気にせざるを得ないのです
    そういうのが、僕の役目らしいですから


    488: 名も無き被検体774号+ 2012/08/04(土) 22:44:24.19 ID:Axa50L7/0

    僕は青空の手を離して、振り返って青空と向かい合い、
    まず、いま喋れないのだということを説明しようと思い、
    自身の口を指差した後、両人差し指で「×」を作りました

    すると、青空は何を勘違いしたのか
    「だめって言われるとしたくなります」と言って
    僕が指差したところに自分の唇を重ねてきました

    その後、僕は苦労して携帯に文章を打ち込んで
    さきほどあったことを説明したのですが
    青空は「はい」「はい」と半目で頷き続けた挙句
    人のベッドですうすう寝息を立てて寝てしまいました


    503: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:02:03.22 ID:P3gLkbO30

    青空の寝息を聞いているとこちらも眠くなってきたので、
    寝ている青空の頭をくしゃくしゃやった後、ソファで眠りました

    目を覚ますと、体が大分楽になっていました
    僕は早口言葉をためします

    「とてちてた、とてちて、とてちて、とてちてた 」

    どうやらきちんと喋れるまで回復したようです
    冷蔵庫からきんきんに冷えたビール缶を取り出し
    へそをだして寝ている青空の頬に当てます
    「つめたい」と言って青空は目を覚まします


    504: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:11:17.27 ID:P3gLkbO30

    僕は言います、「いつまで人のベッドで寝てる?」

    「くもりぞらさんが喋ったー」と青空は喜びます

    ビールを飲みながら「そろそろ帰れ」と言うと、
    青空は眠たげな目で「いやです」と言い、
    その後時計を見て「うわあ」と驚いていました

    青空はベッドの上に三角座りして、
    それからしばらく黙り込みました
    現状について思いを巡らしているようでした


    505: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:19:07.49 ID:P3gLkbO30

    青空はベッドの上に正座して言います
    「あの……さっきはべたべたしてすみません」

    「おお、ちゃんと覚えてるんだな」

    「あ、そっか。忘れてることにしとけばよかった」
    青空は正座したまま横に倒れます
    「くもりぞらさん、私もお酒欲しいです」

    「そろそろ帰れ。時間が時間だ」

    「時間が時間で時間ですね」
    青空はそう言って一人で笑います


    506: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:30:13.53 ID:P3gLkbO30

    「しかし参ったな」と僕は言います

    「お前が嫌がらせされるのが好きとなると、
     嫌がらせをしないことによる嫌がらせさえも
     結果的に嫌がらせになってしまって、
     最終的には喜ばせてしまうことになる」

    「難しいことは考えずに、普通に
     いやがらせしてくれればいいんです」

    「なるほど」と僕は言い、ベッドの青空の
    膝の下と首の後ろに手を差し入れ
    ひょいと持ち上げて玄関まで運びました
    その軽さに、僕はちょっと驚きます


    507: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:35:22.74 ID:P3gLkbO30

    そのままドアを開けて外に出ると
    「もういいですよ」と青空が言います
    だからどうしたという感じです
    僕はそのまま歩きつづけます

    青空は僕を見上げて言います
    「はいはい、そういう嫌がらせですか」

    「屈辱的な仕打ちというやつだ」

    「私の足の状態に気づいてたんですか?」

    「さあな」

    「くもりぞらさんは発声器官ですけど、
     私は足の方をやられたんですよね」


    508: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:41:13.22 ID:P3gLkbO30

    「というわけは、抵抗したんだな?」

    「ええ。だって私、殺されるなら、
     くもりぞらさんにって決めてますし」

    「次に俺が何を言うか分かるだろう?」

    「『じゃあ殺してやらない』、ですよね。
     だったらせめて、私はくもりぞらさんより先に、
     ここからいなくなりたいなあ」

    「そうか。じゃあ俺は、俺より先にお前を死なせない」

    「じゃあ私は、私より先にくもりぞらさんを死なせない」

    そういうやり取りを交わした後で、
    僕はちょっと恥ずかしくなってきます
    これじゃあまるで永遠を誓い合ってるみたいじゃないか


    509: 名も無き被検体774号+ 2012/08/05(日) 10:43:59.50 ID:P3gLkbO30

    もちろん、物事はそんなに
    思い通りにいくものではありません

    それが気休めに過ぎないことは
    お互いにわかっているし、経験上、
    死ぬということがそんなに優しくて
    綺麗なものではないことを知っています


    541: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 22:46:44.39 ID:49/DQkd80

    翌日、青空をいつもの公園に呼び出そうとした僕は
    人の体をのっとる力を失ったことに気付きました

    ですが、結局青空は公園に来ました

    「どうせ呼ばれるだろうと思ったから、
     こっちから来てやったんです」
    青空はしたり顔でそう言います

    僕は「やるじゃないか」と言って
    青空の頭を撫でてやりました

    青空は頭を両手で押さえて
    「子供扱いしないでください」とむくれます


    545: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 22:54:30.79 ID:49/DQkd80

    「お前はいつも通り過ごして死にたいらしいな」

    「だって、せっかく死ぬ覚悟が固まってても、
     ふとした拍子に幸せな思いをしちゃったら、
     苦労して固めた覚悟が崩れちゃいますからね。

     ただでさえ、命が薄らいできたせいか、
     異様に感動しやすくなっちゃってるんです。
     気をつけないとすぐ幸せになっちゃいますよ。
     感傷的になるなのは避けたいんです」

    そこで僕は、センチメンタル・ジャーニーを提案します
    どうにかして青空を感傷的にしてやろうというわけです


    547: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 23:07:33.15 ID:49/DQkd80

    青空は窓からの風を心地よさそうに浴びて
    小さな声で何かを歌っていました
    こっちには聞こえていないと思っているのでしょう

    「ままー じゃすきーらめーん」

    それは僕もよく知っている曲でした
    運転席でハンドルを握る僕は
    一緒に唄おうとしたのですが
    やっぱりやめておくことにしました

    青空の声をきいていたいと思ったのです
    趣味が酒と音楽だけというだけあって
    さすがに歌い方というのを心得ていました
    選曲も中々状況にマッチしています


    548: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 23:14:31.53 ID:49/DQkd80

    屋台でホットドッグとクレープを注文し
    ベンチに並んで座ってそれらを食べます

    ひどく古いコカコーラの赤いベンチで
    塗装は半分以上剥げてしまっています

    青空はサンダルを脱いで横向きに座り
    素足を僕の膝の上に乗っけてきます

    「ずっと思ってたんですけど、
     私、くもりぞらさんについて、
     ほとんど何も知らないんですよね」


    553: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 23:28:34.41 ID:49/DQkd80

    「たとえば、私は音楽が好きです。
     それはくもりぞらさんも知ってるでしょう?」

    「ああ。見た。悪くない趣味だと思う」

    「くもりぞらさんに褒められた!」

    「こういう問題に関してはフェアなんだ、俺は」

    「……ええと、それで、くもりぞらさんは、
     何か好きなこととかあるんですか?」

    「それは、うんと好きなもののことか?
     それとも、ただ好きなもののことか?」

    「うんと好きなもの」青空は僕の発言の
    意図が分かったらしく、にんまり笑います


    554: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 23:32:46.11 ID:49/DQkd80

    「俺は、ゆっくり回転する物が好きだ」

    「……うーん、説明を求めます」

    「メリーゴーランドとか、観覧車とか、
     オルゴールとか、時計とか、ひまわりとか」

    「地球とか、月とか、太陽とか?」

    「ああ。そうだな。天体も好きだ」

    「私と、どっちが好きですか?」

    「……ん?」

    「ゆっくり回転する物と私」

    「前者だな」

    「……じゃあ、ゆっくり回転する私」
    青空は立ち上がり、ゆっくり回りはじめます


    558: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 23:46:23.49 ID:49/DQkd80

    僕はゆっくり回転する物が好きなので
    ベンチから身を乗り出して青空を捕まえ、
    再びベンチに座り、膝の上に青空をおいて
    後ろから両手をまわして確保します

    ゆっくり回転する物が好きなわけであって
    青空と密着していると異様なほど安心することに
    最近気づいたというわけではありません

    「こんなに効果あると思いませんでした……」
    青空はちょっと動揺した様子です


    559: 名も無き被検体774号+ 2012/08/06(月) 23:56:47.82 ID:49/DQkd80

    自販機で買ったポカリスエットを
    保冷剤代わりにして体を冷やしながら
    僕と青空は駐車場に戻りました

    晴れ渡った空の向こうには、積乱雲が見えました
    街路樹に蝉がとまって鳴いています
    この蝉も僕たちも、余命は同じくらいでしょう

    どこかの家から線香の匂いが漂ってきます
    よく日焼けした子供たちが、釣竿を持って
    駆け抜けていき、それに合わせて風鈴が揺れます


    560: 名も無き被検体774号+ 2012/08/07(火) 00:10:28.18 ID:sZcwAnKT0

    「このまま逃げちゃいましょうか」

    「どこに行けば、あの得体のしれない
     超能力から逃れられるっていうんだ?」

    「わかんないけど、地球の反対側とかなら、
     ちょっと難しそうじゃないですか?」

    「それで、その後、どうするんだ?」

    「小川が流れてたりするとこなんかに住むんです。
     ……そうでなきゃ、銀行強盗でもして歩きます?」

    「で、八十七発の弾丸を受けて死ぬのか?」

    「そうです。ボニー&クライドするんです」

    「どっちも、あんまり現実的じゃあないな」

    「知ってますよ。冗談です」


    625: 名も無き被検体774号+ 2012/08/08(水) 22:42:59.20 ID:p/vEXlSh0

    当てもなく車を走らせました
    途中で寄ったCDショップで青空が買った
    「ラバーソウル」がカーステレオから流れています

    山道に入ると、急カーブが多くなり、
    貧弱な青空は左カーブに入るたびに
    「わー」と運転席に倒れ込んできます
    いつの間にかベルトを外しているのです

    一度は間違えて、右カーブなのに
    運転席方向に倒れてきました

    「さて」と青空が切り出します
    「いまから、身勝手な話をします」


    626: 名も無き被検体774号+ 2012/08/08(水) 22:47:08.41 ID:p/vEXlSh0

    「私、これまでに、八人殺したじゃないですか。
     そのことを後悔してはいるんです。

     今思うと、あの人たちが具体的に
     どんな悪さをしたのか私は知らないし、
     仮に悪い人たちだったとしても、
     私個人は全く恨みもなかったんです。

     なんであんなことしちゃったんでしょう?
     あの中にくもりぞらさんがいたとしても、
     当時の私だったら殺しちゃったと思います。
     そう考えると、やっぱりとんでもないことを
     やらかしちゃったんでしょうね、私は。

     ……でもですね、九人目でやめて以降、
     私の身に起きた一連の出来事については、
     ひそかに、気に入ってさえいるんです。
     それと引き換えにこれから起こる、
     さみしい事態も考慮した上で、ですよ」


    627: 名も無き被検体774号+ 2012/08/08(水) 22:54:26.33 ID:p/vEXlSh0

    「そのことについてなんだが――」
    僕は以前思いついた仮説を青空に話します

    「なるほど」と青空は言います
    「確かに私も、疑問には思ってたんですよ。
     そもそもどうして、標的に関する情報が
     自動的に頭に浮かんでくるのか」

    「他にどうとでも利用できそうなその能力を、
     標的の殺害だけに注ぎ込もうとしてしまうのか」

    「そうそう。今考えると、妙ですよね」


    630: 名も無き被検体774号+ 2012/08/08(水) 23:02:12.45 ID:p/vEXlSh0

    「でも」青空はきっぱり言います、
    「証拠はどこにもないんでしょう?
     私たちを操ってる人がいるっていう」

    「そうだけどな、そんなこと言い出たら、
     極端な話、俺たちの他殺にも証拠なんてない。
     俺たちは自殺させたと思い込んでるだけで、
     実際は、彼らがきちんと彼らの意志で
     そうしていたのかもしれないんだ」

    「そして何より」と僕は言います、
    「どんな理由であれ、青空が自分の意志で
     人を殺したりするとは思えないんだ」

    「八人殺しました」と青空は言います

    「ナイフは人を殺さない。ナイフで人を殺すんだ。
     どっかの誰かが、青空で人を殺したのさ」


    631: 名も無き被検体774号+ 2012/08/08(水) 23:08:23.06 ID:p/vEXlSh0

    「都合よく考えようぜ」と僕は続けます、
    「俺たちはおそらく、人を殺したっていうことから
     気を逸らそうとするあまり、逆に必要以上に
     責任を負おうとしてしまっていた部分がある。

     だが、特にならない殺人をする理由がどこにあった?
     いくらでも自分に利益をもたらせられるはずの
     この能力を、どうして活用しようとしなかった?

     おそらくこの能力には制限がかかっていたんだ。
     俺たちが向こうの意にそぐわない行動をしないように」


    632: 名も無き被検体774号+ 2012/08/08(水) 23:13:36.55 ID:p/vEXlSh0

    「うーん、もしそうだとしたら、嬉しいんですけど」
    青空はうつむいて、少し間を置きます
    「でも、なんにせよ私は、だめですよ。
     八人殺したおかげでくもりぞらさんに会えた、
     あーよかったって考えてるようなやつですから」

    「違う、八人で止めたから俺と会えたんだ」

    青空は困ったような笑顔を浮かべます
    「確かに、決してないとは言い切れない話です。
     ですが、それでも犯人が確定するまでは、
     ひとまず私がその責任を負うべきだと思うんですよ」

    「素晴らしい心がけだな。犯人が分かるまでは
     ひとまず殺されておこうってわけか?」

    「だって、しかたないじゃないですか」


    653: 名も無き被検体774号+ 2012/08/09(木) 10:27:56.04 ID:GGIh9Ptr0

    「ひだり」と青空が突然言います
    言われなくても僕だって気付いています

    車を停めて、外に出ます
    視界の上半分が青い空と白い雲なのに対し、
    下半分は黄色と緑で埋め尽くされています
    大きな白い風車が、いくつか回っています

    「ひまわりもあるし、風車も回ってるし、
     とってもくもりぞらさん的空間ですね」
    青空が僕の隣で言います


    654: 名も無き被検体774号+ 2012/08/09(木) 10:32:56.91 ID:GGIh9Ptr0

    こんな光景を、昔見たことがあるような気がしました

    制服の女の子とスーツの男
    妙にちぐはぐな印象を与える二人が
    並んでひまわり畑を見下ろしているのです

    もちろん実際はそんなものを見たことはなく
    たぶん単純に、その光景があまりにも
    僕の好みに適合していただけなのでしょう


    655: 名も無き被検体774号+ 2012/08/09(木) 10:42:06.52 ID:GGIh9Ptr0

    青空は指折り数えます
    「んーと、メリーゴーランド、観覧車、
     オルゴール、時計、ひまわり、天体」

    そして、「ですよね?」という目をこちらに向けます

    「そうだ」と僕はうなずきます

    「それと、ゆっくり回転する私」

    「ああ。別に回転しなくてもいいけどな」

    青空は僕の目を見たまま固まります
    「おー……不意打ちですね」

    「こういうのは逆に困るだろう?」

    「困ってます。照れてます」
    まわんなくてよかったのかー、と青空はひとりごちます


    656: 名も無き被検体774号+ 2012/08/09(木) 10:51:44.02 ID:GGIh9Ptr0

    「ひまわりは達成したので、次にいきましょう」

    「全部回る気なのか?」と僕は訊きます

    「そうです。ゆっくり回るものを、
     ひとつずつ、ゆっくり回りましょう」

    それは確かに、理想的な過ごし方でした
    「お前はそれでいいのか?」と僕はたずねます

    「それがいいんですよ。好きなものばかり見て、
     くもりぞらさんは生に執着しちゃえばいいんです。
     死ぬのいやだーって私に泣き付けばいいんです」

    「なるほどな」


    658: 名も無き被検体774号+ 2012/08/09(木) 11:00:23.60 ID:GGIh9Ptr0

    からかうように、青空が軽く体当たりしてきます
    「何だか、くもりぞらさんらしくないですね。
     決定権は、いつでもあなたにあるんですよ?
     したいと思ったことをすればいいじゃないですか」

    「いや。もう俺も、あのうさんくさい力は失ったんだ。
     もう青空を操ることはできない。良かったな」

    「そんなこと問題になりませんよ、私、
     あなたの言いなりになるの、癖になっちゃってますから」

    「そうか」僕は納得します、「まわれ」

    青空はその場でくるくる回りはじめます


    701: 1 2012/08/10(金) 20:03:21.21 ID:Z/us+aeL0

    二時間ほどで、青空の言うデパートに到着します
    屋上遊園地などという時代錯誤的なものが
    未だ存在していたことに驚きました
    外装も城みたいで、大時代的です

    「未だっていうか、新しく出来たんですけどね。
     時代錯誤がむしろ格好良いみたいな
     最近の風潮に合わせて作られたらしいです」

    ここにはくもりぞらさんの好きなものが
    いっぱいあるんです、と青空は言います

    地下駐車場に車を停めると、店内に入ります
    天井は呆れるほど高く、冷房ががんがんきいています
    自分が縮んだような気になる場所でした
    まだ夢が売っていた時代のデパートみたいです


    702: 1 2012/08/10(金) 20:09:58.31 ID:Z/us+aeL0

    良い雰囲気の雑貨屋を見かけると
    青空は僕を置いて中に入っていきました
    ついていこうとすると、追い払われます

    「くもりぞらさんはメロンでも見ててください」

    青空なりにやりたいことがあるようです
    仕方がないのであたりをうろつきます

    デパートに来るのは久しぶりでした
    おかげで、子供の頃の記憶が
    そこにそのまま残っている気がしました
    もちろんこの場所を訪れたことが
    あるわけではないのですが


    703: 1 2012/08/10(金) 20:14:37.07 ID:Z/us+aeL0

    エントランス付近のベンチに座って青空を待ちます
    行き交う人々は、みんな幸せそうに見えます
    実際、ここを訪れるような人は、ある程度裕福で、
    「余計なこと」に金を割く余裕のある人たちです

    子連れの客が多く、どこの子供も、
    絵本の中から出てきたような感じです
    立派な服、整った顔立ち、綺麗な体つき

    彼らの将来を考えて、自分の現状と比較し、
    僕は勝手に落胆して溜息をつきます


    704: 1 2012/08/10(金) 20:19:48.10 ID:Z/us+aeL0

    いつの間にか青空が脇に立っています
    「さ、いきましょう」と青空は言います
    何をしていたのかは聞かずにおきます

    エレベーターが混んでいる様子だったので
    いつも見るものより数段長いエスカレーターに乗ると
    青空は壁に貼られた注意書きを指差しました

    「黄色い線の内側では手を繋いでください、ですって」

    「お子様と手を繋いで黄色い線の内側に、な」

    「似たようなものです。私、年下ですから。
     ほら、黄色い線の内側ですよ」青空は手を差し出します

    僕はその白くて細い指をそっと握ります
    すかさず青空がぎゅっと握り返してきます


    706: 1 2012/08/10(金) 20:28:38.01 ID:Z/us+aeL0

    「あれみたいですね、恋人みたいです」
    僕の顔を見上げて青空が笑みを浮かべます

    「これだけじゃあ兄妹と似たようなもんだ」

    「傍から見ても、そう見えますかね?」

    「ああ。どう見ても仲の良い兄妹だ」

    「これでも?」青空は自分の指を
    僕の指の間に入れて、握り直します

    「おいおい」と言いつつも、
    僕はその手をしっかり握り返します


    707: 1 2012/08/10(金) 20:35:51.94 ID:Z/us+aeL0

    僕らが屋上遊園地に到着した途端
    場内に大きな音楽が流れ始めます

    真上にある時計台からの音のようです

    「からくり時計ですね」と青空が言います
    「10万人目の来場者になったかと思いました」

    「雨だ」と僕は手を差し出して言います
    今はまだ弱いですが、徐々に強くなる類の降り方です

    「雨ですね。じゃ、さっさと乗っちゃいましょう」
    メリーゴーランドと観覧車を指差して青空は言います

    濡れた石畳が遊具のカラフルな光を反射して
    屋上はクリスマスみたいなことになっています


    708: 1 2012/08/10(金) 20:40:58.97 ID:Z/us+aeL0

    メリーゴーランドは、よくある子供騙しの
    チープなものではなく、凝った造形のものでした

    念のために僕は言っておきます
    「俺は見るのが好きなわけで、
     別に乗りたいわけじゃないんだよ」

    しかし青空は二人分のチケットを購入し、
    結局僕たちは馬車に向かい合って座ります

    合図が鳴り、馬車が動き出します
    青空は身を乗り出して、僕に言います

    「『とても酷いやり方』でいつか殺す、
     くもりぞらさんはそう言ったわけですけど」

    「言ったなあ、そういえば」

    「どんなやり方なんです?」


    709: 1 2012/08/10(金) 20:46:01.84 ID:Z/us+aeL0

    少し考えてから、僕は答えます
    「そうだな。まず……簡単に殺しはしない。
     時間をたっぷりかけて、じわじわ殺すんだ。
     死ぬときに未練や後悔が残るように、
     できるだけ生に対する執着が増すような、
     そういう暮らしを、長期に渡って送らせる」

    「時間をたっぷりって、いつごろ殺すんです?」

    「幸福慣れするのに時間がかかりそうな
     相手だからな、慎重にいく必要がある。
     十年、二十年、場合によっては、百年でも」

    「私は時間かかりますよー」、青空が得意気に言います


    710: 1 2012/08/10(金) 20:55:30.22 ID:Z/us+aeL0

    想像通り、雨は次第に強くなっていきます
    屋上の客はどんどん減っていきます

    観覧車に乗り込み、半分くらいの高さまで
    昇ったところで、青空はぽつりと言いました
    「百年かけて、殺されたかったなあ」

    「俺もそうするつもりでいたさ」

    「でも、難しそうですね」

    「今となっては、明日も知れぬ身だからな」

    「なんとかして、逃げられないものですかね?」

    「俺もそれをずっと考えてる。でも向こうは、
     その気になりさえすれば、何でも出来てしまう」

    「うーん……」と青空は俯いて考えます


    712: 1 2012/08/10(金) 21:00:13.21 ID:Z/us+aeL0

    「こんなのはどうでしょう?」
    観覧車が三分の二くらいの高さまで
    来たところで、青空は言います

    「くもりぞらさん、標的を自殺させる上で、
     定められた手順を言ってみてください」

    僕は頭の中の文章を読み上げます、

    ①その人の体をのっとる
    ②辛そうに振る舞う
    ③身の回りを綺麗にする
    ④遺書を書く
    ⑤死ぬ

    「そう。そして、一つ目を阻止することは困難です。
     でも、二つ目、三つ目、四つ目を、
     全身全霊で邪魔したらどうなるんでしょう?」


    714: 1 2012/08/10(金) 21:49:07.12 ID:Z/us+aeL0

    「たとえばですね、②を妨害するとして、
     自殺する理由が見当たらないどころか、
     絶対に自殺するわけがないって思われるくらい、
     幸せになっちゃえばいいんじゃないでしょうか」

    「まあ確かに、向こうには、周りに自然な自殺だと
     思わせなければらない義務があるからな」

    「そうです。くもりぞらさんの幸せはなんですか?」

    「今まさにってところだな。青空といること」

    青空は頬をかいて目を逸らします
    「えーと……いや、すごく嬉しいんですけど、
     こんなことで満足しないでください。
     まだまだこれからじゃないですか。
     こんな陳腐なことは言いたくないんですが、
     生きてればもっと楽しいことが沢山ありますよ」


    716: 1 2012/08/10(金) 22:07:12.93 ID:Z/us+aeL0

    僕らの観覧車が一番高くなる瞬間が訪れます
    その高さからは、雨に濡れた街が一望できます

    窓にはりつくように下を見ながら、青空は言います
    「そう。私はくもりぞらさんと同じ大学へ行くんですよ。
     がんばって勉強して、くもりぞらさんの後輩になるんです」

    「だいぶ頑張らないといけないな」僕は苦笑いします

    「大丈夫ですよ。くもりぞらさんが教えてくれますから。
     そうしてまた、一緒にカフェに行って勉強したり、
     映画を観に行ったり、お酒を飲んだりするんです。

     毎年、私たちに殺された人たちのお墓参りにいって、
     あんまり派手な生き方はしないようにして、けれども、
     必要以上に卑屈にはならず、強かに生きていくんです。
     そう、明るい日陰で生きていくんですよ。

     そのときは、今までみたいな話し方をやめて、
     お互いとっても素直に、昔のことを話すんです。たとえば――」


    726: 1 2012/08/10(金) 22:51:02.70 ID:Z/us+aeL0

    「たとえば、実は俺が、青空のことを
     好きにならないように必死に努力したが、
     結局は無駄に終わったこととか」

    青空は目を丸くして僕の顔を見ます

    「そういうことだろ?」と僕は念を押します

    「……そうです。そういうことを話すんです。
     課外が終わって会いに行ったとき、
     私がわざわざ髪を切って、お洒落をして、
     実はとってもはしゃいでいたこととか」

    「アパートに青空があらわれたとき、
     どうしてか、妙にほっとしてしまったこととか」

    「足の心配をしてくれて抱っこしてもらったとき、
     本当は皆に見せて回りたいくらいだったこととか」

    「酔っ払った青空がとんでもなく可愛かったこととか」

    「キスの件は、わざと勘違いしたふりをしたこととか」


    727: 1 2012/08/10(金) 23:05:07.70 ID:Z/us+aeL0

    びしょ濡れで店内に戻った僕らは
    無闇にお互いを叩いて笑います

    思えば、この夏は、僕も青空も
    しょっちゅうずぶ濡れになりました
    それでも、雨に濡れるのは初めてでした

    あたたかいコーヒーを飲み終える頃
    デパートに閉店を知らせる音楽が流れ始めます

    外に出た僕らは、夜の雨の街を、
    傘も差さずに歩きつづけます
    青空は「雨にぬれても」を口ずさみます

    見込みのない二人は、いつまでも
    手遅れの幸せについて語ります


    728: 1 2012/08/10(金) 23:12:45.41 ID:Z/us+aeL0

    雨はかなり弱まってきていました
    青空に言われて空を見上げると
    ぼんやりした月が浮かんでいました

    「残念ながら、星は見えませんけど」

    青空は鞄から何かを取りだします
    僕には、梱包を剥がす前から
    それが何なのか分かります

    「もちろん、オルゴールです」
    青空はそれを僕に手渡します
    グランドピアノの形を模した
    シリンダーオルゴールです

    「これで、くもりぞらさんの好きなものは、
     ひとまず全部そろいましたね」

    曲を流してみてください、と青空は言います


    729: 1 2012/08/10(金) 23:22:11.92 ID:Z/us+aeL0

    それは本当に突然のことでした

    ぜんまいを巻いている最中
    不意にふわりと、僕の心の曇りが晴れます

    僕を直接殺そうとしていた意思とは別の
    もっと上の存在からの操作から逃れ、
    自由になることができたのでしょう

    途端、押さえつけられ、弱められていた
    僕の人間的感覚が開放されます

    目の前の少女が、突然、
    かみさまみたいに見えてきます

    ああ、そうだったのか、と僕は思い、
    何も言わず、僕は青空を抱き締めます
    青空は「うわっ」と驚きつつも
    すぐに抱きしめ返してくれます

    そうだよな、と僕は思います
    これくらいの気持ちが溢れていて当然だったんだ


    730: 1 2012/08/10(金) 23:30:33.32 ID:Z/us+aeL0

    どうにかして青空を、この糞みたいな
    くだらない繰り返しから抜け出させてあげよう、

    こんな卑屈で先のない幸せにすがらなくとも
    もっと心の底から笑えるようにしてあげよう、

    オルゴールが終わるころには、
    僕はそう決意していました


    でも結局、その日が僕らにとって
    最後の日となりました


    731: 1 2012/08/10(金) 23:34:20.50 ID:Z/us+aeL0

    さて、


    732: 1 2012/08/10(金) 23:35:07.29 ID:Z/us+aeL0

    急に感じるかもしれませんが、
    これでお話は大体お終いです


    734: 1 2012/08/10(金) 23:35:47.64 ID:Z/us+aeL0

    八月のよく晴れた日に出会ったのは、
    神経質そうな目をした女の子でした


    735: 1 2012/08/10(金) 23:36:24.99 ID:Z/us+aeL0

    華奢で色白で、視線は常に下を向いていて、
    笑い方がとっても控えめな女の子でした


    736: 1 2012/08/10(金) 23:37:33.83 ID:Z/us+aeL0

    最後に交わした会話は、僕と青空だけの秘密です。


    737: 1 2012/08/10(金) 23:38:10.95 ID:Z/us+aeL0

    おしまい。


    741: 名も無き被検体774号+ 2012/08/10(金) 23:42:39.41 ID:CxNq8CeT0

    面白かった
    久方ぶりにいい話読めたよ
    GJ


    745: 名も無き被検体774号+ 2012/08/10(金) 23:50:05.73 ID:uJT79wvX0

    かなり面白かった!
    幸せな時間をありがとうございました


    751: 名も無き被検体774号+ 2012/08/11(土) 00:04:54.12 ID:3UK/TLoi0

    とっても面白かったです!
    素敵な時間をありがとう


    764: 名も無き被検体774号+ 2012/08/11(土) 00:40:58.41 ID:sojoBUce0

    乙でした!
    すごく引き込まれて、いっきに読めました。


    774: 名も無き被検体774号+ 2012/08/11(土) 02:00:26.25 ID:y/d5fi5JO

    面白かったけど最後気になるー!乙です


    780: 名も無き被検体774号+ 2012/08/11(土) 04:30:08.48 ID:x27m4v2R0

    乙!
    面白かったwスレタイからとのギャップがぐっときたぜ


    引用元: 人を自殺させるだけの簡単なお仕事です

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