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    【バンドリ】短編

    2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 21:59:25.03 ID:p7hexEOn0


    山吹沙綾「ただ君に晴れ」


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    3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:00:13.06 ID:p7hexEOn0


     冷たい風が頬を刺す。木枯らしの風だった。

     自宅から外に出た山吹沙綾は、巻いたマフラーに首をすくめる。そして手にした車のキーを配達用の軽アルミバンに差し込み、それを回す。

     キュルル、とセルが回る。いつもよりも少し長くその音が聞こえ、それからエンジンが始動した。

     冬の朝だった。太陽はまだ東の空にも顔を出さず、街は夜の帳の中で眠っていた。

     エンジンを暖気させながら、沙綾はフロントガラスにかけたカバーを外して、車庫の隅に折りたたんで置いておく。それから助手席に載せた伝票を手に取り、アルミのサイドパネルを開けて、前日に積んでおいたパンの検品をする。

    「……ん、オッケーかな」

     白い息とともに言葉を吐き出して、サイドパネルを閉じる。しっかりと錠が下りているのを確認してから、運転席に乗り込む。

     一年半前に買い替えた軽のアルミバン。比較的新しい作りのメーターの外気温計に目を通すと、0℃という数字が表示されていた。

     もうすっかり冬なんだな。そう呟いて、暖房が弱くかかり始めるくらいにエンジンが温まってから、沙綾はクラッチを踏み込んだ。


    4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:01:00.72 ID:p7hexEOn0




     冬はつとめて……とは高校の頃に授業で習った枕草子の一説だ。

     確かに冬の早朝は空気も澄んでいて気持ちがいいし、霜が降りた地面に朝日が反射しているのを見ると綺麗だとは思う。

    「けどあんまり寒いのはな……」

     ぼやきつつ、沙綾はアルミバンのハンドルを握って、自分も歳をとったんだな、なんてぼんやり思う。

     枕草子の一説を習ったのはもう何年前だろうか。指折り数えて、それが片手で収まらないことに少しだけショックを受ける。

     高校を卒業してからすぐに実家のやまぶきベーカリーを手伝いはじめ、車の免許を取ったのが五年前。なるほど、もうそんなに経つんだ。

     気付けばもうすっかり大人の仲間入りだ。かつての友人や親友たちももう社会人だし、気軽に顔を合わせることも難しくなってきた。

     それでも昔から変わらない元気印の戸山香澄から、「今年も忘年会しようよ!」とメッセージが入っていたことを沙綾は思い出して、胸中には嬉しさと切なさを寂しさで煮込んだような曖昧な感情がやってくる。

     フッと息を吐き出して、沙綾はカーステレオから流れているラジオのボリュームを上げる。

     冬の朝に似つかわしい穏やかな調子で言葉を吐き出すラジオDJ。今日の気温だとか、世間ではこんなことがあっただとか、いま流行りの歌はこんなものだとか……。

     そんな声を聞き流しつつ、車窓を流れる見慣れた街を横目に、車を走らせる。

     早朝午前五時半。ましてや12月も半ばの日曜日。道路を走るのは「やまぶきベーカリー」というデカールをアルミに張り付けた、この車だけだった。それにやっぱり拭い難い寂しさを覚えてしまう。やたらアンニュイでセンチメンタルな気分だ。

    「まぁ、たまにはいいかな」

     沙綾はつとめてそんな強がりを口にしながら、目的地へと車を走らせる。


    5: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:03:17.95 ID:p7hexEOn0




     今日は車で二十分ほどの隣町にて産業祭があるということで、その運営の人たちの朝食となるパンの配達だった。

     注文されたパンを受け渡し、担当の妙齢の女性と頭を下げ合う。それから二言、三言世間話をしてから代金を受け取り、事前に用意していた領収書を渡す。

    「わざわざありがとうございました。またお願いしますね」

    「いえいえ、こちらこそ。ばんじゅうはまた後で回収に伺いますね」

    「すみません、よろしくお願いします」

    「はい」

     もう慣れきった、テンプレート言語とも表現できるだろう言葉の応酬。大人同士のルールやマナーといった言葉たちをなんの感慨もなく喋れることは喜ぶべきことなのか、どうなのか。

     そんなことを考えてしまうほどにはまだ自分は大人になりきれていないんだろうな、と思うと、沙綾は少しだけホッとした気持ちになってしまう。それも喜ばしいことなのか、どうなのか。

     取るに足らない思考を頭の片隅に置いて、沙綾は隣町の公民館を出て駐車場へ向かう。


    6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:03:49.15 ID:p7hexEOn0


    「さむ……」

     陽の上っていない暗い空の下を吹き抜ける風はやっぱり冷たい。足早にまだ先ほどの暖房が薄ぼんやり残っているアルミバンへ乗り込んで、エンジンをかける。温かい風が足元から吹き出し、カーステレオからはまた穏やかな声が流れ始めた。

     それらを感じながら、沙綾は復路を辿る。

    『今日は懐メロ特集です。リスナーのみなさんから頂いた思い出の曲を流していこうと思います』

     公民館の駐車場から出てすぐに、ラジオDJのそんな言葉が耳に付いた。

    「懐メロ……かぁ」

     聞いたことのない曲を聞き流しながら、私ももう懐メロを本当に懐かしむような歳なんだな、なんて思う。ドラムスティックを最後に握ったのはもう何年前だっけかな、とも思う。


    7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:04:33.57 ID:p7hexEOn0


     高校卒業を機に、ポッピンパーティーは解散していた。

     その主な理由はやまぶきベーカリーを本格的に手伝い始める沙綾自身にあったと思うけれど、大切な親友たちはそんなことは一切考えていないようだった。

     一緒に音楽を奏でることはもうないけれど、それでも私たちは特別な絆できっと今も繋がっている。

     大学帰り、そして今となっては仕事帰りにやまぶきベーカリーに足を運んでくれる親友たちの顔を見るのがすごく嬉しい。

     ただ、それでもそれらの温み一緒に、沙綾は一抹の寂寥感をいつも感じていた。

     大学へ進学した四人。実家を継ぐような形を選んだ自分。

     会社に勤め、規律の下で働く四人。実家で自分の裁量で働く自分。

     高校を卒業してからというもの、どこか沙綾と香澄たちの間で埋めがたい距離のようなものが出来てしまったような気がしてならなかった。

     当然それは考えすぎなことだとは分かっている。

     歩いて行ける場所に住むりみと有咲とはいつでも顔を合わせられるし、たえにしろ香澄にしろいつもなんでもないメッセージを送ってきて、そこから今度遊びに行こうだとかお酒を飲みに行こうだとか、そんな誘いをかけることもかけられることも多くある。

     本当に考えすぎなことだ。


    8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:05:16.40 ID:p7hexEOn0


     でも、そうだと分かっていても、整理できない気持ちがどうしても沙綾の胸の中にはあった。

     みんなは高校から大学、そして会社へと、色々な場所に身を置き換え続けていた。

     対して自分はどうだろうか。

     高校を卒業して、それからやまぶきベーカリーに勤める。昔からなんら変わりのない日常の中に身を置き続けていた。

     それを良いこととか悪いこととか定義するのは間違っているだろう。正解も不正解も何もない話だというのは分かっている。

     だけど、そうだとしても、沙綾はふとした時に感じてしまうのだ。

     自分だけが大切な親友たちに置いてけぼりにされているような疎外感というか、自分だけが何も変わらずに大人になったような不甲斐なさというか、そんな漠然とした不安を。

     みんなにこのことを言えば、きっと笑い飛ばしてくれるだろう。あるいはものすごく心配してくれるだろう。もしくは「沙綾は沙綾だよ」という言葉をくれるだろうし、呆れたような顔で私を不器用に励ましてもくれるだろう。

     だから考えすぎなことだと分かっている。

     そう、分かってはいる。

     しかし、分かってはいても、この言葉のあとには再び「でも」が続いてしまう。堂々巡りだ。

     この思考から逃れる方法を、沙綾は1つしか知らなかった。


    9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:06:24.45 ID:p7hexEOn0


    「……香澄、どうしてるかな」

     赤信号に引っかかり、道路にぽつんと停車した車の中で、沙綾は運転席の窓の外へと視線を彷徨わせながら呟く。

     いつでも明るい女の子。その明るさと優しさで、夢を諦めた私をもう一度キラキラドキドキする世界へ引っ張り上げてくれた女の子。

     家族以外で一番に大切な人を上げろと言われれば真っ先に香澄の名前が思い浮かぶくらいに、沙綾は彼女のことが好きだった。……その気持ちも、高校の頃からずっと変わっていない。

     我ながらどうかと思う。

     大切な親友。それに間違いはないけれど、ふとした時に顔が思い浮かぶし、そして堂々巡りの思考から逃れられるのは彼女のことを考える時だけ。

     まるで想い人に淡い恋慕を馳せる少女のようだ、なんて自嘲気味に笑う。

     けれど確かに、ポピパの他のみんなやチスパのみんな、バンドを通じて知り合った友人たちの中で、香澄だけが沙綾の中で特別に燦然と煌めいていた。

     太陽の光を山吹色と表現することはあるだろうけれど、沙綾自身にとっては香澄の方がよっぽど太陽のような明るく温かい人間だと感じている。香澄の傍にいる時ほど、なにか救われたような気持ちになることなんてない。

     ……だけど、きっと香澄の隣はもう埋まっている。


    10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:07:42.65 ID:p7hexEOn0


     そんなどうしようもないことを考えているうちに、気付いたら信号が青になっていた。だけど沙綾はクラッチを踏み込む気になれなかった。

     時刻は午前六時過ぎ。車通りもなく、自分以外には車どころか人影も見えない日曜日の道路。そこでもう一度信号が赤になるまで、沙綾はぼんやりと東の空を見つめていた。

    「はぁ……何やってんのかな、ほんと」

     ラジオから独特なタイヤのCMが流れて、沙綾はふと我に返る。そしてアンニュイな気分に全身を浸していた自分が少し恥ずかしくなる。

    『追いつけないまま大人になって 君のポケットに夜が咲く』

     CMが明けて、懐メロ特集で流れた曲がサビに入ったところで、信号が青になった。沙綾は努めて何も考えないように、その歌に耳を傾けたままクラッチを繋ぐ。


    11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:08:18.70 ID:p7hexEOn0


    『口に出せないなら僕は一人だ それでいいからもう諦めてる』

     聞いたこともない歌だった。ただ、透明感のある歌声が少し耳に心地よかった。

    『だけ』

     車を走らせる。無心でマニュアルのシフト操作が出来るくらいに、運転にもずいぶん慣れた。

    『写真なんて紙切れだ 思い出なんてただの塵だ』

     そうしているうちに、花咲川の街へ続く道路に出た。

    『それがわからないから 口を噤んだまま』

     見慣れた街を、明るみ始めた空の光が照らす。少しだけ「綺麗だな」と思った。

    『俯いたまま大人になった 君が思うまま手を叩け』

     朝日を山吹色と表現することもあるだろうけど、やっぱりあの綺麗な光を山吹と指すのに私は抵抗がある。

    『口に出せなくても僕ら一つだ』

     あの何よりも綺麗に見える光は、やっぱりどうしたって香澄と重なって見えるんだから。絶対に手の届かない、憧れの光なんだから。

    『それでいいだろ、もう』

     ……ずっと、想うだけでなにも言えなかった私じゃ、絶対に触れられない光なんだから。

    『君の想い出を噛みしめてる』

     けど、それでいいのかもしれないな、なんて思った。

    『だけ』

     その強がりは朝日の光に溶けていった。


    12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:09:07.72 ID:p7hexEOn0




     少しだけ遠回りをした。

     花咲川に沿ってゆるゆる車を走らせ、気付けば花咲川女子学園の近くの道だった。

     何も変わっていない校舎へ続く道が見えて、そこを小走りで駆ける、ギターケースを背負った女の子が一人。

     その影を追い抜いて、校門までたどり着く。そこにはキーボードケースを抱えた女の子が一人。

     校門の前を通り過ぎた。バックミラーには、さっきの女の子二人が仲睦まじくじゃれ合う姿が映っていた。

     それに何かを重ねたような気持ちになった。だけど何も言わないように口を噤んだ。

     ふと、いつかの夏の想い出が頭によぎる。

     海に行ったこと。みんなではしゃいだこと。

     海の家で演奏をしたこと。香澄と一緒に歌ったこと。

     夏の忘れ物はどこにあるんだろうか、なんてことを考えて、胸がジクリと痛んだ。

     ……そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ。


     おわり


    14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:10:26.86 ID:p7hexEOn0


    山吹沙綾「愛してると言われたら」


    15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:11:07.98 ID:p7hexEOn0


    「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。

    「うん、いいよ」と私が応える。

     冬の斜陽を受けて、二つの影が長く伸びる。その影を踏みながら、私は香澄と並んで歩き慣れた道を歩いていた。

     話す言葉は他愛のないことばかりだ。数学が難しくなってきたとか、お昼ご飯のお弁当に好きなものが入っていたとか、最近妹や弟がどうだとか、またライブやりたいねだとか。

     香澄は花咲川女子学園まで電車で通っていて、私は歩いて行ける商店街の一角に家がある。だから寄り道をしない日はいつも、高校の最寄り駅で手を振って別れることが多い。

     今日もその例には漏れなかった。駅に辿り着いて、都電荒川線の可愛い風貌をした電車がやってくるまで、私は香澄とまだまだ話し続けていた。

    「花の女子高生……って言うけど、あんまりそんな実感ないよね。恋とかそういうのと遠いからなのかな?」

     そして尽きない話はドラマや映画の話になって、いつしか恋の話に変わっていった。


    16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:12:21.45 ID:p7hexEOn0


    「さーや、好きな人とかいないの?」

    「まぁ……そうだね。あんまり男の人の知り合いもいないし」

    「女子校だもんねぇ~」

    「そういう香澄はどうなの?」

    「私? 私は……うーん……」

    「お? なかなか意味深な反応だねぇ?」

    「……うん、いることはいる……のかなぁ?」

    「へぇ……あの香澄が」

     どちらかというと花より団子で、いっつも元気で誰とでもすぐに仲良くなる香澄が、誰かに密かに想いを寄せている。そのことに出歯亀じみた感情が胸中に起こる。誰なんだろうなぁ。


    17: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:12:48.03 ID:p7hexEOn0


    「も、もーっ、さーやってばなんか変な笑顔になってるよ?」

    「あーごめんごめん。やっぱりさ、友達のそういうコイバナみたいの聞くとついね?」

     滅多なことじゃヘコまない香澄が好きな人を想って悶々と悩む姿を想像してしまい、なんとも言えないいじらしさを感じていた。

     だけどよくよく考えてみれば、香澄のことだからきっと好きな人にもどんどんアタックしていくだろう。私は脳裏に思い浮かべた弱気で恋する女の子をしている香澄を打ち消した。

     そうしているうちに、一両編成の路面電車がトコトコとやってくるのが見えた。

    「あ、もう電車来ちゃった」

    「ほんとだ。それじゃあまた明日だね、香澄」

    「うん! また明日!」

    「気を付けてね」

    「さーやもね!」

     いつも通りの挨拶を交わして、手を振り合う。なんともない、いつもの帰り道。


    18: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:13:31.05 ID:p7hexEOn0


    「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。

    「うん、いいよ」と私が応える。

     翌日も、私は香澄と一緒に家路を辿る。

    「おたえは最近、バイトが忙しそうだね」

    「そうだね。早く帰ることが多いね」

    「りみりんも大変そうだよねぇ」

    「ゆり先輩が遠くの大学に行っちゃうんだもんね。お姉ちゃんっ子だから寂しいだろうな」

    「私もあっちゃんと離れ離れになると思ったら……ううぅ……」

    「……なんだろう、明日香ちゃんが『お姉ちゃん、鬱陶しいからそんな抱き着かないで』って言ってる姿が思い浮かぶ……」

    「えーそんなことないよ! あっちゃんもきっと泣きながら『おねえちゃーん! 離れたくないよー!』って言うよ!」

    「そうかな……?」

     たまに明日香ちゃんを校舎で見かけるたびに抱き着いて、その度に顔を赤くした妹に袖にされている香澄の姿を見ていると、少なくともそんなストレートな物言いはしないだろうなぁ、なんて思う。


    19: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:14:12.39 ID:p7hexEOn0


    「それにね、あっちゃんってたまに有咲みたいな感じになるんだ!」

    「有咲みたいに?」

    「うん! 有咲が嬉しいのに嬉しくなさそうな時と同じ感じ!」

    「……あー」

    『別に、嬉しくなんてねぇし』なんて言いながら、ちょっと赤くなった頬をぷるぷる震わせてそっぽを向く有咲の姿を思い浮かべる。

     なるほど、明日香ちゃんもあんまり素直じゃない性格なんだ。

    「有咲と言えば、最近有咲も忙しそうだねぇ」

    「だね。生徒会の手伝いしてるんだって?」

    「うん。内申点がーとか言ってた」

    「そっかぁ。もうすぐ二年生だもんね。みんな色々変わってくんだ。なんだかちょっと寂しいような感じがするな」

    「でも私はさーやと一緒に帰れるの、好きだよ」

    「ありがと。私も香澄と一緒にいるの、好きだよ」

    「……えへへ」

     その言葉を受けて、夕陽に照らされた香澄の赤い顔がふわりと綻ぶ。私もそれを見て少し温かな気持ちになった。


    20: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:14:47.73 ID:p7hexEOn0


    「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。

    「うん、いいよ」と私が応える。

     師走はあっという間に過ぎていく。ポピパのみんなと一緒に帰る日もあるけど、十二月の放課後のほとんどはそんな香澄の誘い文句と私の相づちで始まるのが定例になっていた。

     話す話題は尽きない。昨日見たテレビのこと、バンドのこと、友達のコイバナ、羽丘の同級生同士が付き合ってるとかそんなうわさ話だとか。

    「羽丘の同級生同士って、女の子同士だよね」

    「だと思うよ、さーや」

    「そういうのもあるんだねぇ。私、ドラマとか漫画の中でしかそういうの聞いたことなかったな」

    「そっか」

    「そういうのが本当にあるんだって思うと、なんだか不思議な感覚がする」

    「不思議な感覚って?」

    「なんだろう……あんまり人に言えることじゃないとは思うんだけど、だからこそ燃え上がるんだろうな、みたいな……背徳感?」

    「背徳感」

    「厳密に言うと違うと思うけどね」


    21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:15:32.59 ID:p7hexEOn0


    「やっぱり許されないことなのかなぁ?」

    「世間一般じゃまだそうだろうね」

    「でもでも、好きな人同士が一緒にいるのってそんなに悪いことなのかな」

    「私は全然悪いことじゃないと思うよ。誰かに迷惑をかけてる訳じゃないし」

    「……だけど、やっぱり世の中から見たら間違ってるんだよね?」

    「うーん、そればっかりはなんとも……」

    「…………」

    「香澄? どうかしたの?」

    「あ、ううん、なんでもないよ」

    「……そう」

     一瞬呆けたように考え事をしていた香澄は首を横に振る。きっと香澄のことだから、『好きな人と一緒にいるのが認められないなんて間違ってるよ』みたいなことを考えてたんだろうな。

    「香澄ってさ、優しいよね」

    「え? どしたの、いきなり?」

    「ううん。なんとなく思っただけ」

    「……そっか」

    「うん」

     そんな話をしながら、今日も背の高い影を二つ並べて、私たちは家路を辿っていく。


    22: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:16:42.54 ID:p7hexEOn0


    「さーや、ちょっといい?」と香澄が言う。

    「うん?」と私が応える。

     茜に染まる放課後の教室だった。おたえはバイトで、りみりんはゆり先輩との時間を過ごすためにもう帰ってて、有咲は生徒会の手伝いで、もう私と香澄以外に生徒の姿はない。

    「どうしたの?」

    「…………」

     尋ねるけれど、香澄は少し俯いたまま何も言わなかった。珍しいこともあるんだな、と思いながら、私は香澄の言葉を待つ。

    「ねぇ、さーや……」

    「うん」

    「…………」

     意を決したような顔をして私を見て、そしてそれからまたすぐに香澄は俯いてしまう。

    「どうしたの? 調子とか悪い?」

    「ううん」

     ふるふると首を振る。肩口までのロングボブの髪の毛がさらりさらりと揺れていた。

    「そっか、それならよかった。ゆっくりでいいよ」

    「うん……ありがと」

     出会った中で数えるくらいしか見たことがない殊勝な態度で香澄は頷く。私はそれを見てなんだか穏やかな気持ちになる。


    23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:17:27.29 ID:p7hexEOn0


    「…………」

    「…………」

     夕焼けの朱が差し込む教室で、ほとんど身長の変わらない香澄と向き合って立ち並ぶ。まるで昨日見たドラマのワンシーンみたいだな、なんて思ってしまう。

     あのドラマの中では、茜射す教室で、ヒロインの女の子が片想いをする先生に告白をしていた。歳の差とか世間体とか、そういうのに悩んで悩んで、それでもやっぱり好きな人の隣にいたい……という言葉を投げていた。

     その答えは来週までのお楽しみ、というような引きでエンディングテーマが流れだして、それに少しドキドキしながら溜め息を吐き出したのをぼんやり思い出す。

    「…………」

     香澄はまだ何も言わない。本当に珍しいな、と私は思う。もしかしたら何か深刻な悩みを打ち明けられるのかもしれない。

     そうだったら嬉しいな、と素直に感じる。

     ポピパのみんなはかけがえのない親友だし、特に香澄は私なんかのために泣きながら怒ってくれて、そして綺麗な世界へと連れ出してくれた。あの日のことがなければ、きっと私の日々はこんなに華やぐこともなく、淡々としたものになっていただろうことは想像に難くない。

     そんな香澄が私を頼りにしてくれるっていうのなら、きっとこれ以上の喜びはないだろう。

     私は昔から人に甘えるのが下手だし、どちらかというと甘やかす方が好きだし、大切な人が自分を頼って甘えてくれるなら、何を差し置いてもそれを叶えたいという思いがあった。

    「…………」

     だから私は香澄の言葉を待ち続ける。


    24: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:18:14.42 ID:p7hexEOn0


     黙ったまま向き合って、どれくらい経ったろうか。教室の机の影が少し長くなったような気がしてきたところで、香澄が口を開く。

    「……あの、ね」

    「うん」

    「私ね、間違ってるのかなって、たまに思うんだ」

    「……なにが?」

     要領を得ない言葉だったから、私は首を傾げて、出来るだけ柔らかい口調で言葉を返す。

    「さーや」

     香澄はそれに応えず、私の名前を呼ぶ。不安げに揺らめいている、ぱっちりとした大きな瞳が私を覗き込む。そして小さく息を吸って、

    「愛してる」

     ポツリと紡がれた言葉が、私の鼓膜を大きく震わせた。


    25: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:18:58.79 ID:p7hexEOn0


    「え……?」

     疑問の声が小さく漏れる。言葉の意味が分かるけど分からなくて、少し呆然としてしまう。

    「…………」

     香澄は顔を赤くさせて、少し俯いて、そして上目遣いで私を窺っていた。その様子を見て、これが冗談でもなんでもないんだということを理解した。

     だから私はその言葉を真摯に受け止めて答えないといけなかった。

     この前の帰り道で話した言葉の数々が脳裏を横切る。羽丘のうわさ話。背徳感がどうとか。間違っているとかいないとか。

     それを再び咀嚼すると、あの時の香澄がまったく別の香澄に見えた。

     愛してる。香澄が私を、そう想っている。

     羽丘のうわさ話を振って、それに私がどう感じるのかを聞いて、許されないことなのかと尋ねて、やっぱり間違っているのかと不安になる。

    『好きな人と一緒にいるのが認められないなんて間違ってるよ』

     頭に思い浮かべた香澄のその語調はどうだっただろうか。

     あの時は義憤にかられ、強い言葉で否定する言葉だった。

     だけど今思い浮かべるのは、不安にかられ、人の顔色を窺い、間違いであって欲しくないと願う頼りない祈りの声だ。そうだとするのなら、私は……。


    26: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:19:34.00 ID:p7hexEOn0


    「……さーや」

     思考の底へ沈んでいた意識が、風に吹かれて消えてしまいそうな声に呼び戻される。香澄が今にも泣きそうな顔をしているのが目に映った。それを見て、ああ、と私は自分の正直な気持ちに観念した。

    「あの、あのねっ」

    「大丈夫だよ」

     焦って何かを言いかけた香澄を制した。そして、その震える身体を優しく抱きしめる。

     ……愛してると突然言われた。なにかを確かめるような言い方だった。まるで、自分は間違えていないと言い聞かせるような。だから、思わずその身体を抱きしめてしまう。もういいよ、なにも言わなくていい。きっと、いつの間にか香澄と同じ気持ちだった私も何も言わないから。

     そう思って、ただ香澄の背をゆっくりさする。しばらくして、恐る恐るという風に香澄の腕が私の背中に回されて、頼りない力で抱き着かれた。小さな嗚咽も聞こえてくる。

     いつもとはまるで正反対だな、なんて思うと少しだけおかしくて、そんな香澄が愛おしくて、私は香澄が泣き止むまでこのままでいようと思った。


    27: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:20:07.80 ID:p7hexEOn0


    「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。

    「うん、いいよ」と私が応える。

     木枯らしが吹き抜ける道を、二人並んで歩く。

     話す言葉は他愛のないことばかりだ。数学がもうまったく理解できない境地になってきたとか、お昼ご飯のお弁当に好きなもの入れてくれてありがとうだとか、最近妹や弟がどうだとか、またライブやりたいねだとか。

     その十二月の頭から変わらない情景の中で、一つ変わったことがあった。

     ……右手があたたかい。

     二つ並んだ背の高い影。その影に橋が架かって、一つの影になっていた。


     おわり


    29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:21:18.63 ID:p7hexEOn0


    市ヶ谷有咲「ふざけんな」


    30: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:22:05.41 ID:p7hexEOn0


    ――有咲の蔵――

    山吹沙綾「香澄ってさ」

    戸山香澄「うん?」

    沙綾「あれだよね、すっごく優しいよね」

    香澄「え、そうかな?」

    沙綾「そうだよ。香澄以上に優しい人って見たことないな」

    香澄「どんなところが優しい?」

    沙綾「困ってる人を絶対に放っておかないよね。道端でもさ、知らない人が迷ってたり困ってそうだったら絶対に声かけるじゃん?」

    香澄「それは当たり前のことをしてるだけだよ~」

    沙綾「その当たり前を当たり前に出来る人がすごいんだって」

    香澄「そうなの?」

    沙綾「そうなの。香澄って優しいなぁ。そういうところ、好きだよ」


    31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:22:45.81 ID:p7hexEOn0


    香澄「えへへ……ありがと、さーや。でもさーやも優しいと思うよ?」

    沙綾「そうかな?」

    香澄「そうだよ。面倒見がすっごくいいし、甘えさせてくれるし」

    沙綾「それはほら、私は昔から純と紗南の面倒を見てるからさ……その延長線上な訳だし、全然そんなことないよ」

    香澄「んーん、そんなことないよっていうのがそんなことないよ?」

    沙綾「いやいや、そんなことないって」

    香澄「そんなことあるのに……」シュン

    沙綾「……あー、なんだか急にそんなことある気がしてきた」

    香澄「でしょー!」

    沙綾「うん。褒めてくれてありがとね、香澄」

    香澄「どういたしまして!」

    沙綾「おっと、あんまり動いちゃダメだよー、耳かきしてるんだから」

    香澄「あ、ごめんね」

    沙綾「ううん」


    32: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:23:27.93 ID:p7hexEOn0


    香澄「……そういえばさ」

    沙綾「うん?」

    香澄「さーやって絶対いいお嫁さんになるよね」

    沙綾「そうかなぁ?」

    香澄「そうだよ。毎日ね、仕事が終わって帰ってきてさ」

    沙綾「うん」

    香澄「こう、ね? 自分の家なんだけど、チャイム押してさ」

    沙綾「うん」

    香澄「そしたら『はーい』って声と、パタパタパタって廊下を駆けてくる足音がドア越しに聞こえてくるの」

    沙綾「うん」

    香澄「それでドアを開けて私のことを見てね、エプロン姿のさーやの顔がふわって綻ぶの。『もー、チャイムなんて押さなくたっていいのに』なんてちょっと叱るように言ってるのに」

    沙綾「うん」

    香澄「もうたまんないよね。結婚してよかったぁー! って心の底から思うよね」


    33: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:24:19.93 ID:p7hexEOn0


    沙綾「やってあげようか?」

    香澄「ほんと!?」

    沙綾「うん。今度香澄がウチに泊まりに来る時にでも」

    香澄「やったー! さーや大好き!」

    沙綾「はいはい、私も大好きだよ。だからあんまり動かないでね?」

    香澄「あ、ごめんね? 膝、痛かった?」

    沙綾「ううん。香澄の頭の重さ、すごく心地いいから痛いワケなんてないよ」

    香澄「えへへ、私もさーやの膝枕、すっごく気持ちいいよ」

    沙綾「ならよかった。さ、反対側も耳かきしてあげるから、こっちに顔向けて?」

    香澄「はーい」

    沙綾「よし、いい子いい子」ナデナデ

    香澄「あー、さーやにこうやって頭撫でられるとダメになりそう……」


    34: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:24:59.78 ID:p7hexEOn0


    沙綾「…………」

    香澄「さーや? どうかした?」

    沙綾「ダメになっても……いいよ?」ポソ

    香澄「ふわぁ……そんなこと耳元で囁かれたら……」

    沙綾「ダメになったっていいじゃん。そしたらさ、ずっと一緒に2人で暮らそ? 香澄ならいつだっていいよ。好きなだけ甘やかしてあげるよ?」

    香澄「ふみゃぁ……」

    沙綾「ふふ……とろけた香澄、可愛くて大好きだよ」ナデナデ

    香澄「うん……私もさーやのこと大好き……だけど、」

    沙綾「……だけど?」

    香澄「だからこそ、私はさーやをしっかり支えてあげられる人間になりたいっ」

    沙綾「香澄……」


    35: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:25:29.24 ID:p7hexEOn0


    香澄「さーやに甘える時間は世界で一番好きだけど、もらってばっかりじゃダメだもんね! やまぶきベーカリーをさーやと2人でしっかり守れるように頑張らなくっちゃ!」

    沙綾「……やっぱり香澄は優しいね」

    香澄「そんなことないよ~」

    沙綾「ううん、とっても優しい。世界で一番優しいよ。私が言うんだから間違いないよ」

    香澄「うーん、でもそれってきっとさーや限定だと思うな」

    沙綾「私限定?」

    香澄「うん。だってさーやが優しくしてくれるから、私ももっともーっとさーやに優しくしたいって思うんだもん」

    沙綾「……そっか」

    香澄「そうだよ」

    沙綾「やっぱり私、香澄のそういうところ……何よりも大好きだなぁ」

    香澄「私も優しいさーやのことが世界で一番大好きっ!」

    沙綾「うん……ありがとう、香澄」

    香澄「ううん! 私の方こそありがと、さーや!」

    沙綾「ふふ……」

    香澄「えへへ……」


    36: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/16(日) 22:26:13.54 ID:p7hexEOn0


    ――有咲の蔵 階段前――

    市ヶ谷有咲「…………」

    有咲「…………」

    有咲「いやな、確かに私がいない時はばーちゃんに言って入ってていいって言ったよ?」

    有咲「だけどイチャイチャしてていいとは一言も言ってねーぞ?」

    有咲「ふざけんなよ。あんな空気出されたら割って入れねーじゃんかよ」

    有咲「私はどこに行けばいいんだよ。そこが一応私の部屋だって分かってんのかあいつらは」

    有咲「…………」

    有咲「ぜってー分かってねーな……」

    有咲「はぁぁ……本当にあの色ボケ2人は……」

    有咲「……マジでどうしよ。あと2時間は入れねーだろうし」

    有咲「ばーちゃん家の方行くか? いやでもあっちに長く居て色々詮索されると嫌だしな……うーん」

    有咲「…………」

    有咲「あーいいや。りみに電話して、りみん家にちょっといさせてもらお……」


    おわり


    40: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:08:46.45 ID:DMTbxYQb0


    青葉モカ「雲と幽霊」


    41: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:09:41.03 ID:DMTbxYQb0


     お盆も過ぎた夏のころ。あたしはベンチに座って空を見上げる。

     青々と広がる大空には入道雲があって、きっとあの中には昔映画で見たみたいなお城があるんじゃないか……って考えるんだろうな、なんてことを薄ぼんやりと考えていた。


    42: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:11:09.41 ID:DMTbxYQb0




    「あっついねぇ~……」

    「……暑い」

     あたしの言葉が聞こえているのかいないのか、少し前を歩く蘭が独り言みたいな呟きを口から漏らした。それからキョロキョロと辺りを窺って、ポケットから出したスマートフォンに目を通す。

    「どこだろ、ここ……」

    「考えなしに歩くからそうなるんだよ~」

    「…………」

     やっぱり蘭は応えずに、小さなため息を吐き出して、無造作にスマホをポケットに再び投げ込む。それを見て、だからしっかり行き先を決めればよかったのにー、と思う。


    43: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:11:58.30 ID:DMTbxYQb0


     事の発端は蘭の思い付き。

     夏の終わりを見に行きたい、とかそんな感じのことを呟いたと思ったら、ロクに準備もしないでお財布とスマホだけ持って家を出るもんだから、友達想いのやさし~モカちゃんはそれを放っておくことなんて出来ず、その突発的な行動に付き添うことにしたのでしたとさ。

     蘭は家を出発すると、とりあえず駅まで行って電車に乗って、ただ西を目指していった。

     お盆も高校野球も終わった晩夏の車内。平日の昼下がりだから人も少なくて、ガラガラの車内で肩を並べてあたしたちは車窓からの風景をただ黙って眺める。

     中央線で八王子を超えると緑の割合がどんどん多くなっていって、高尾駅で電車を乗り換えてからは「本当に新宿から1時間で来れる場所なの?」って具合な山の中を電車は走り続けていた。

     そして山梨のある駅で降りてから、風の吹くまま気の向くまま炎天下の中を30分ほど歩き続けたのがちょうどいま、という感じだった。


    44: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:12:54.73 ID:DMTbxYQb0


    「ほらほら、蘭~。あそこの木陰にベンチがあるから休んでいきなよ」

    「ベンチ……」

     のったりと、まるでゾンビみたいな動きで視線を彷徨わせた蘭は、ベンチの方へ顔を向けて小さく声を出す。そしてのそのそとそこまで歩いていって、大きなため息を吐き出しながら腰を下ろす。

    「そーそー、休憩は大事だよ」

     あたしもそんなことを言いながら、フワリと蘭の隣に腰かけた。

    「…………」

    「…………」

     それからしばらく、言葉もなくただ緑の多い夏の情景を眺める。

     車通りのない田舎の道路。蝉の求愛の声が響き、頭上に茂った木の葉っぱはサワサワささめいていた。吹き抜ける温い風には夏の緑の匂いが混じっていて、どこか懐かしい気持ちが胸をくすぐったような気がする。

     日本のどこにでもある夏の景色。その一角のここだけを切り取ったみたいに、蘭以外の人は誰もいない。

    「モカ……」

     また急にこんなことしだして、なんて思っていると、蘭があたしの名前を呼んだ。「ん?」て応えたけど、蘭は黙り込んでしまう。

     それから再び言葉がなくなる。聞こえるのは夏の音たちと、たまに通りがかる車の排気音。

     ふと見上げた空に大きな入道雲があって、きっとあの中には昔見た映画のお城があるんだろーな、とあたしは考えていた。


    45: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:13:21.05 ID:DMTbxYQb0




     雲が遠い。

     あの雲まで行くにはどれくらい歩けばいいんだろう。そんなことを思って、少しだけ胸が苦しくなった。その気持ちが声になって、身体から零れ落ちたような気がした。

     変な気持ちを誤魔化すために、今日も空が高いな、とわざとらしく思った。


    46: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:13:56.96 ID:DMTbxYQb0




     ベンチで空を眺めたあと、蘭はまた立ち上がって歩きだした。ただただ西の方へ、太陽が沈みゆく方へ向かって足を進める。

    「どこまで行くのさ?」

     晩夏とはいえまだまだ陽の長い太陽。それが傾いて、光に朱が差してきたころに、もう一度あたしは蘭にそう尋ねる。

    「……どこまで行くんだろ」

     蘭はそう呟くだけだった。それから途中に見つけたコンビニで買ったお茶を二口飲んで、はぁ、と息を吐き出す。ずっと歩き詰めだったから疲れているみたいだ。

    「なんだかモカちゃん、眠くなってきたなぁ。もう日も暮れるし、そろそろ帰った方がいいと思うよ~?」

    「でも、行かないと」

    「……そっかぁ」

     蘭は西日を見つめてまっすぐに歩き続ける。眩しくないのかな、なんてちょっと思った。

     そうして蘭と一緒に西へ西へと足を進める。コンビニでアイスを買ったり、小さな公園で休憩したり、日本三奇橋の一つの上で黄昏たりしながら。

     なんだか夏を久しぶりに感じたような気がして、一心不乱な蘭と一緒にこのままどこか遠くへ行けたらいいのにな、なんて思っちゃった。でもまぁ、リアリストのモカちゃんはそんなの出来っこないって分かってるんだけど。


    47: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:14:26.60 ID:DMTbxYQb0




     このままずっと遠くに行ってみたい。そんなことをふと思った。

     太陽はいつしか彼方の稜線に顔を沈めようとしていて、真向かいになった朱い夕陽が目に染みた。

     このままずっと歩いて行ったら何があるんだろうか。何かあるんだろうか。

     少しだけ考えて、きっと何もないんだってすぐに分かって、途方もなくなって、寂しくて、足が止まった。

     カナカナと鳴くひぐらしの声が頭の中で反響する。いつかの記憶も反響する。あれは冬のことだったっけ。考えたくないのに考えてしまって、しばらくその場から動けなくなってしまった。


    48: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:15:45.63 ID:DMTbxYQb0




    「そりゃ疲れるに決まってるよ」

     立ち止まった蘭が歩きだすのを待って、そしてしばらく頼りなく足を前に進めて見つけたバス停のベンチに乱暴に腰を下ろすのを見て、あたしは呆れたように口を動かす。

    「…………」

     蘭は俯いて、自分の靴の先をただジッと見ていた。ここまで歩いてきた自分の足を褒めてあげてるのかな。いや、そんな訳ないか。

    「はぁー……本当、どこだろうね、ここ」

    「……モカ」

    「んー?」

    「…………」

    「ふぅ、やれやれ……困った蘭ちゃんですなぁ」

     蘭と同じようにベンチに座って、あたしは西の空を見上げてみる。もう陽はほとんど沈みかけていた。

     それから東の空へ目を移した。入道雲はもうどこにも見当たらないけど、暗くなった空には雲がいくつか浮かんでいた。


    49: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:16:22.74 ID:DMTbxYQb0


    「雲が高いねぇ」

    「…………」

     返事はない。蘭は俯いたまま何も言わない。

    「でもさ、夜の雲って、地表の光が照らしだしてるんだって。だから目にはっきり見えるのは低い雲なんだよ」

    「…………」

    「これぞ108個あるモカちゃんマメ知識のうちの一つなのだった」

    「モカ」

    「なにー?」

     蘭が呟きを落とす。あたしは空を見上げたまま言葉を返す。

     返したけど、でも返ってこないよね、と思って、ものすごく寂しくなった。じわりと少しだけ雲が滲んだ。


    50: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:17:27.95 ID:DMTbxYQb0




     何をやっているんだろう、という気持ちしかなかった。

     夏の終わり方が知りたかった。それを知ればもしかしたら、って思った。だから西へ西へ、太陽を先回りするようにして進んできた。でも気付けば太陽に追い越されていて、もう空は暗くて、雲だって遠くて、あたしはどこにも行けないって嫌でも思い知らされた。

     スマートフォンのマップの現在地。山梨県の東の方。今日自分が動いた距離をマップで見ると、ちょっとの距離しか動いていない。はるか上空から日本を見下ろすように縮尺を小さくすれば、何時間もかけた辿った旅路だって僅かな点でしかない。

     ……電車を使って、それから自分の足で歩き続けたって、これしか動けないんだ。そう思ってしまうと、涙が零れそうだった。

     自分が情けなくて、いつまでも過去に縋る自分がみっともなくて、でもそれでもどこか遠くへ行けばまたあの姿が見えるような気がして、だけどそんなのただの夢物語でしかないってすぐに理解してしまって悲しくなる。

    「モカ」

     返事になんて返ってきやしないのに、これが何度目かなんて数え切れない呟きを落とす。もう何をしたって、どこに行ったって二度と会えない、遠い遠い大切な人の名前。


    51: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:18:11.04 ID:DMTbxYQb0




    「まあね、蘭の気持ちは分かるよ。あたしだってさ、きっと蘭が……ううん、蘭だけじゃないや。ひーちゃん、つぐ、トモちん……誰がいっちゃったってさ、きっと同じようなことをするよ」

     空が遠いなぁ、なんて他人事みたいに思いながら、あたしは届かない声を発する。

    「でもさ、蘭。そろそろちゃんとね、前を向いて行かなきゃいけないと思うよ、あたしは。そりゃあ嬉しいよ。嬉しい。蘭がずーっとモカちゃんを覚えててくれて、会いたいって思ってくれるの。もうあたしはお化けだけどさ、でも蘭の中でなら生き続けてるんだーって思うと嬉しい。でも、寂しいよ、それは」

     聞こえていないだろうけど、それでも言葉を紡ぎ続ける。

    「やっぱり、蘭にはちゃんと前を見て歩いてもらいたいなって。いつまでもいつまでも後ろ向きに歩いてないでさ、ちゃーんと陽がのぼる方に歩いて行ってほしいなって、そう思うんだ」

     本当はこのまま蘭とずっと一緒にどこまでも行けたらいいのにな。そう思いながら、やっぱりリアリストなあたしの口をつく言葉はこんなものだ。

    「もうさ、モカちゃんはいないんだから」


    52: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:19:08.84 ID:DMTbxYQb0




     大切な人が亡くなった。

     それは人生の中で何度か絶対に経験しなくてはいけないことだろう。

     でもきっとそういう悲しい話は歳をとってからのことだし、その頃にはあたしたちだって大人だし、割り切り方とかそんなものをずる賢くおぼえていて、自分の心をどうにか整理して生きてくことが出来るんだと思う。

     だけど今のあたしたちはまだ子供だった。

     交通事故だとか、そんなものはきっと漫画やドラマやニュース番組の中だけで目にするもので、身近な人間がそういう憂き目に遭うことなんて1ミリだって考えてなんかいなかった。

     だからあたしは、モカがいなくなった半年前からずっと、こうして無駄なことをし続けているんだ。


    53: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:19:56.81 ID:DMTbxYQb0


     何かがあればきっとモカに会える。

     例えば春になれば、夏になれば、秋になれば、冬になれば、日が暮れれば、雪が降れば、桜が舞えば、歳をとれば、大学にいけば、就職すれば、飛行機に乗れば、どこか遠くへ行けば、あの夕陽を眺めれば……。

     一言で言えばそれはくだらない現実逃避だ。今でもあたしはまだ、モカに会えるんじゃないか、なんて絶対に叶わない幻想を引きずっているだけなんだ。

     大人ではないけれど、もう子供でもない。だから知っている。もうモカに会うことも、一緒にギターを弾くことも、寄り道してパンを食べることも、全部出来ないんだって。

     それでも、無駄なことだとしても、こうしてモカの影を探し続けないと、あたしの中のモカがどんどん薄れていってしまうような気がしてならなかった。それが嫌で嫌でたまらなかった。

     だからあたしは、どこにも存在しないであろうモカの幻影をこんな風に追いかけ続けている。

     そうしていればいつかまた会えるような気がして嬉しくなって、でも日が沈むころにはどうしようもない徒労と一緒に痛感させられる。

     もう大切な幼馴染の姿を見ることも、声を聞くことも出来ないんだって。

    「モカ……」

     靴のつま先を眺める視界がぐにゃりと歪んだ。鼻がツンとして、身体の奥底から生じた熱いものが喉につっかえて、上手に息が出来なくなる。


    54: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:21:10.94 ID:DMTbxYQb0




    「泣かないでよー、蘭~」

     俯いた蘭が肩を震わせる。その姿を見るとあたしまで悲しくなって、寂しくなって、涙が出そうになる。

    「モカ……」

     何かに縋るような頼りない声。「らしくないよー」と返した自分の声も震えているような気がした。

    「もうさ、四十九日もとっくに終わって、お盆も終わったんだから。もうすぐあたしは空の高い高ーいところまで戻るんだから。たぶん」

     そう声をかけるけど、やっぱり蘭は俯いてぐすぐすと言うだけ。そんな姿が最期のお別れだと、きっとあたしもおちおち眠ってられなくなるよ。

    「……だからさ、もういいんだよ、蘭」

     聞こえてないんだろうなー、と思いながら、あたしは蘭の震える肩に手を置く。触れないから添えるって方が正しいのかもだけど。


    55: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:22:47.17 ID:DMTbxYQb0


    「空が高いよ。本当に不思議だよねぇ。もうさ、あそこにモカちゃんはいかなくちゃなんだ」

    「モカ……モカっ……」

     ついに蘭からはすすり泣くような声が漏れ始めてしまった。それがとっても嬉しかった。こんなモカちゃんなんかのために親友がまだ泣いてくれることがホントのホントに嬉しい。

     だけど、いない人のために流す涙ってきっともったいないよ。

    「だーかーらー、いいんだって。みんなが死ぬほど泣いてくれて、蘭だってこんなにさ、ずっとあたしのこと考えてくれてさ……だからもういいんだよ。あたしはもう、やまぶきベーカリーのパンが食べられないくらいしか思い残すことはないんだよ」

     届かないだろうけど、この先の言葉だけは絶対に聞こえて欲しいな。そう願いながら、あたしは隣に座る蘭の肩に手を回して、触れないけど、万感の思いを込めて、そっと抱きしめる。

    「もういいんだよ。だからさ……蘭もさ、もういいんだよ」

     もうこの世にいないあたしなんかのために、こんなに頑張らなくたって。

     そう続けたところで、フワリと身体が浮くような感覚がした。

     ああ、もうお別れなのかな。もう少し蘭と話してたかったな。そう思いながら、なんだかものすごく眠たくなった。

     心地のいい夜風があたしを撫ぜていって、それに身を任せて目を瞑った。


    56: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:23:15.18 ID:DMTbxYQb0




    「……っ!」

     ふと、声が聞こえた様な気がした。

     空にはもう一番星が煌めていて、虫たちの静かな鳴き声がこだましている。その中を吹き抜けたゆるい夜風にのって、懐かしい声が聞こえた様な気がした。

     辺りをキョロキョロ見回すけど、当然誰もいない。車も何も通らない田舎の道路だった。

     でも確かに聞こえたような気がして、あたしはベンチを蹴り飛ばす勢いで立ち上がる。

    「モカ……?」

     声に出しつつ、誰かに肩を優しく抱かれているような感覚がした。ふんわりと焼き上げた菓子パンみたいな甘い香りが鼻腔をくすぐった気がした。

    『蘭もさ、もういいんだよ。……あたしなんかのために、こんなに頑張らなくたって』

     と、珍しく真面目で、優し気な調子の声が聞こえた気がした。

     けれどそれらはすぐに夏の夜風にさらわれて、肩を抱かれたような温もりも、甘い香りも、優しい声も、全部が全部、蜃気楼のように消えてしまった。

     それが寂しかった。

     でもどうしてだか、モカに優しく背中を押されたような気がした。


    57: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:24:05.57 ID:DMTbxYQb0




     一周忌、なんて言葉は聞きたくもないし聞き慣れたくもない言葉だったけれど、気が付けばそういう言葉とも向き合わなければいけないような季節になっていたし、あたしもそれをある程度割り切って受け入れられるくらいには、あの夏の頃よりはきっと大人になったんだろう。

     家を出て、肺に冬の空気を吸い込んだあたしは、商店街へ足を向ける。

     足取りは軽いワケがないけれど、さりとて鎖につながれたような重苦しいものでもない。

     午前9時の冬の街を歩き、みんなとの待ち合わせにしている羽沢珈琲店へ向かう前に、あたしはやまぶきベーカリーへ寄り道をした。モカへのパンを買っていくためだ。

     きっとあの日の声は幻聴だと思うけれど、でもきっとモカのことだから、幽霊になったってこう言うだろうことは想像に難くなかった。

    『あたしはもう、やまぶきベーカリーのパンが食べられないくらいしか思い残すことはないんだよ』

     店内にただよう焼き上がったパンの甘い香りからやけにその姿が鮮明に思い浮かべられて、少しだけ笑った。


     おわり


    59: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:25:31.70 ID:DMTbxYQb0


    美竹蘭「は?」

    ※キャラ崩壊してます


    60: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:26:11.63 ID:DMTbxYQb0


    ――青葉家 モカの部屋――

    青葉モカ「…………」

    美竹蘭「…………」

    モカ「……ねぇ、蘭?」

    蘭「なに?」

    モカ「あのさ、流石に冬とはいえ、ちょーっと暑いなぁってモカちゃんは思うんだよね」

    蘭「それが?」

    モカ「いやねぇ? そろそろさ、離れてくれないかなーって」

    蘭「やだ」ギュウ

    モカ「そっかー」

    蘭「うん」


    61: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:26:41.58 ID:DMTbxYQb0


    モカ「…………」

    蘭「…………」

    モカ「ねぇ、蘭?」

    蘭「なに」

    モカ「なんで急にこんなべったり抱き着いてきたの?」

    蘭「別に」

    モカ「別にじゃ分かんないよー」

    蘭「……モカが悪い」

    モカ「えぇ、羽丘女子学園いい子選手権準決勝まで勝ち進んだモカちゃんが悪いのー?」

    蘭「そうやってふざけるモカが100%悪い」

    モカ「そっかー」

    蘭「うん」ギュー


    62: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:27:32.94 ID:DMTbxYQb0


    モカ「…………」

    蘭「…………」

    モカ「ねぇ、蘭」

    蘭「なに」

    モカ「もしかして、怒ってたりする?」

    蘭「なんで」

    モカ「んーん、なんとなく」

    蘭「……まぁ」

    モカ「ほーほー、なるほどねぇ。それもモカちゃんが悪い系?」

    蘭「モカが悪い系」

    モカ「そっかぁー」

    蘭「うん」ギュッ


    63: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:28:51.23 ID:DMTbxYQb0


    モカ「…………」

    蘭「…………」

    モカ「ねぇ、蘭ちゃんさま?」

    蘭「なに」

    モカ「言っちゃあなんだけど、さっきのは作り話だよ?」

    蘭「それが?」

    モカ「いやねぇ、前にさ、みんなで考えたじゃん? 漫画のストーリー」

    蘭「考えたね」

    モカ「モカちゃん、あの時真面目にふざけてたからさー? 今度は普通に考えたんだよ?」

    蘭「それがあの話?」


    64: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:29:17.37 ID:DMTbxYQb0


    モカ「そーそー。セカイ系? っていうのが流行ってるーって聞いたんだ」

    蘭「それでモカがいない世界の話なんて考えたわけ?」

    モカ「そーだよー」

    蘭「一応聞くけど、なんでモカがいない世界なの」

    モカ「それはほら、ドラマチックに人が死ぬストーリーって売れるじゃないですか? だから――」

    蘭「あたしはハッピーエンド以外認めない」

    モカ「ぶー、最後まで聞いてよー蘭~」

    蘭「やだ。最期とか言わないで」

    モカ「たぶんそれ字が違うんじゃないかなぁ、蘭の言ってるのとあたしの言ってるので」

    蘭「同じだから」

    モカ「絶対違うよ~」

    蘭「あたしにとっては同じだから」

    モカ「そっかぁー」

    蘭「うん」ギュゥゥ


    65: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:30:11.85 ID:DMTbxYQb0


    モカ「…………」

    蘭「…………」

    モカ「ねぇ、蘭?」

    蘭「なに」

    モカ「モカちゃんの作り話を聞いて蘭が怒ったっていうのは分かったけどさ」

    蘭「別に怒ってないし」

    モカ「怒ってる時の反応だよー、それ」

    蘭「モカが悪いから。あたしは悪くないから」

    モカ「あーうん、ごめん?」

    蘭「別に」

    モカ「それはそれとしてさ、本当にそろそろ離れてくれない? 流石にモカちゃん苦しいんだ」

    蘭「絶対嫌だけど」

    モカ「よーし、それじゃあ質問を変えちゃおう。甘えんぼ蘭ちゃんはどうすれば離れてくれるかなぁ?」

    蘭「甘えん坊じゃないし」

    モカ「蘭ー、ちょっと自分の行動振り返りなって。もう1時間近くこのままだよー? ずっと抱っこちゃん人形になってるよー?」

    蘭「だからそれはモカが悪いから」

    モカ「……そっかぁ」

    蘭「うん」ギュー


    66: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:31:28.86 ID:DMTbxYQb0


    モカ「…………」

    蘭「…………」

    モカ「よっし、じゃあこーしよー」

    蘭「うん?」

    モカ「今度はちゃーんとハッピーエンドの話を考えるからさ、それで今日のところは離れてくれないかな?」

    蘭「…………」

    モカ「あ、これはもう一押し必要な感じですなぁ。えーっと、じゃあ……今日はウチに泊っていっていいから」

    蘭「……まぁ、そこまで言うなら」スッ

    モカ「ふぃー暑かったぁ……暖房つけないでおけばよかった」

    蘭「まったく、モカはいつもそういうとこ抜けてるよね」

    モカ「蘭? 今さらクール気取っても遅いと思うよ?」

    蘭「別にそういうんじゃないし。……そういえばさっきの話だけどさ」


    67: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:32:12.89 ID:DMTbxYQb0


    モカ「うん?」

    蘭「だから――、って何か言いかけてたよね」

    モカ「ああ、甘えんぼ蘭ちゃんに遮られたあの続きだね」

    蘭「甘えん坊じゃないから」

    モカ「どの口がそー言うのか」

    蘭「……まぁそれは今はいいでしょ。なんでモカがいない世界なんて考えたの?」

    モカ「んーほら、やっぱりさ、友達とかと永遠に会えなくなる話ってとっても悲しいじゃーん?」

    蘭「うん」ジリ...ジリ...

    モカ「……めんごめんご、今のもモカちゃんが悪かったからジリジリ距離つめてこないでほしいなぁ、蘭」

    蘭「詰めてないよ。で? 悲しい話だからどうしたの?」

    モカ「あーうん。悲しい話って、そーいう嫌な目に誰かが遭うことになるでしょ?」

    蘭「まぁ、そうだね。悲しい話だからね」


    68: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:33:18.87 ID:DMTbxYQb0


    モカ「そしたらさ、やっぱり、蘭とかつぐとかひーちゃんとかトモちんにはさ、お話の中でもそんな目に遭ってもらいたくないなーって」

    蘭「…………」

    モカ「だから、それならあたしがそーいう役目になればいいかなぁ……みたいに思ったんだよね」

    蘭「…………」

    モカ「やー、やっぱりみんなにはどこでも幸せに笑ってて欲しいからさー」

    蘭「……モカ……」

    モカ「んー……? あれ、モカちゃんまた何か地雷踏んだ気がするなぁ……」

    蘭「…………」ジリジリジリ...


    69: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/23(日) 12:34:16.25 ID:DMTbxYQb0


    モカ「蘭ちゃんさまー? どうして無言でじりじり近付いてくるんでしょーか?」

    蘭「モカっ」ガバァ

    モカ「うきゃー、やっぱり~……」

    蘭「ほんっっとにモカはそうやって……」ギュー

    モカ「はぁぁ……暖房、消し忘れたぁ……。蘭ー、だから暑いってー」

    蘭「知らない」

    モカ「あーもー、分かりましたよー。モカちゃんが悪かったから、もう好きなだけ抱き着いてていーよ」

    蘭「言われなくたって」

    モカ「……果たして甘えんぼ蘭ちゃんはいつ気が済むのでしょうか」

    蘭「甘えん坊じゃない」

    モカ「ちょっと鏡見てみなよ、蘭」

    蘭「やだ」

    モカ「……あー、これは長期戦になりそうですなぁ……」


    そしてそう思った通り、翌朝まで蘭ちゃんにべったり抱き着かれたりなんだりするモカちゃんでしたとさ


    おわり


    71: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:29:51.23 ID:p6yzGh750


    山吹沙綾「似た者同士のクリスマス」


    72: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:31:18.10 ID:p6yzGh750


    ――商店街――

    山吹沙綾「はぁ……やっぱりクリスマスが近いとお店も忙しいなぁ」

    沙綾「もう外も真っ暗だし……ん?」

    羽沢つぐみ「はぁー……忙しかったなぁ、今日……」

    沙綾「つぐみだ。つぐみもなんだか疲れた顔してるなぁ……おーい!」

    つぐみ「うん? あ、沙綾ちゃん」

    沙綾「こんばんは」

    つぐみ「うん、こんばんは」

    沙綾「どうしたの? ため息吐いてたけど」

    つぐみ「あ、あはは……見られちゃってた? クリスマスが近いとウチが忙しくって……」

    沙綾「あー、やっぱりつぐみのとこもそうなんだね」

    つぐみ「うん。沙綾ちゃんのとこも忙しそうだね」

    沙綾「ケーキとか、クリスマス限定のパンもあるからちょっとね。羽沢珈琲店もお客さんが多いんだ?」

    つぐみ「そうだね。ウチもやっぱりクリスマスケーキとか作ってるから……それと、この時期だとカップルのお客さんが多いかな」


    73: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:31:52.51 ID:p6yzGh750


    沙綾「そっかぁ。恋人と一緒にクリスマスをお洒落な喫茶店で……確かにちょっと憧れるなぁ」

    つぐみ「あ、ありがとう。でもそんなに言うほどお洒落じゃないよ、ウチは」

    沙綾「そうかなぁ?」

    つぐみ「そうだよ。それよりもやまぶきベーカリーの方がクリスマスに似合うと思うな」

    沙綾「そんなことないって」

    つぐみ「そんなことあるよ。沙綾ちゃんのとこのパンって美味しいし、お店の雰囲気がすごくあったかくて好きだなぁ、私。ケーキだってすごく美味しそうだし、家族で一緒に食べたいもん」

    沙綾「そっか、ありがと。でも……うーん、自分の家だからあんまりそういう実感が湧かないな……」

    つぐみ「私も見慣れちゃってるし、ダメな部分も知ってるからあんまり……」

    沙綾「…………」

    つぐみ「…………」

    沙綾「ぷっ、あはは」

    つぐみ「ふふ……なんだかこうやって改めてそういう話すると、ちょっとおかしいね」

    沙綾「だね。はぁー、それにしても、もう明後日はクリスマスかぁ」

    つぐみ「早いね……今年ももう終わりなんだ」

    沙綾「今年は色々あったなぁ、ポピパのみんなでちょっとケンカしたりとか……」

    つぐみ「アフターグロウも少しすれ違ったりしたなぁ……」

    沙綾「……なんか、こうやって一年を振り返るとちょっと老け込んだような気がする」

    つぐみ「うん……やめよっか」


    74: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:32:48.65 ID:p6yzGh750


    沙綾「つぐみは明日も喫茶店の手伝い?」

    つぐみ「そうだよ。ウチはクリスマスイブが一番忙しいんだ。今年は祝日だし、なおさらだよ」

    沙綾「そうなんだ。大変だね」

    つぐみ「ううん、もう慣れちゃったから。沙綾ちゃんは?」

    沙綾「私も手伝いだよ。ウチの方はクリスマスの夕方までほどほどに忙しいかなぁ」

    つぐみ「沙綾ちゃんも大変そうだね」

    沙綾「ううん、私ももう慣れちゃったよ」

    つぐみ「そっか。あ、もうこんな時間……」

    沙綾「ほんとだ。息抜きがてらに散歩してたけど、結構時間経ってたみたい」

    つぐみ「お隣さんだし、一緒に帰ろっか」

    沙綾「そうだね」


    ……………………


    75: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:33:30.76 ID:p6yzGh750


    ――翌日 商店街――

    沙綾「はぁ……今日もやっぱり忙しかったなぁ……」カランカラン

    つぐみ「はぁ……やっと終わった……」カランコロン

    沙綾「ん?」

    つぐみ「あれ?」

    沙綾「こんばんは、つぐみ」

    つぐみ「うん。こんばんは、沙綾ちゃん」

    沙綾「ちょうどお店から出てきたけど……いま手伝い終わったの?」

    つぐみ「そうだよ。お昼ごろからずーっとてんやわんやだったよ……」

    沙綾「お昼ごろからって……もう夜の7時だよ、今」

    つぐみ「うん……ずっとお客さんが途絶えなくて……」

    沙綾「ウチから見えたけど、なんだか外に並んでるお客さんまでいたもんね。お疲れ様」

    つぐみ「ありがとう。沙綾ちゃんもお店から出てきたところみたいだけど……」

    沙綾「あーうん、私もつぐみと同じ感じ」

    つぐみ「そっか。沙綾ちゃんもお疲れさま」

    沙綾「ありがと。でもつぐみの方が大変そうだね」

    つぐみ「そ、そんなことないよ」


    76: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:34:32.01 ID:p6yzGh750


    沙綾「そんなことあるって。それにほら、なんていうか……喫茶店とパン屋だとあんまり共通点ないかもだけどさ、実家のお店の手伝いって部分じゃ一緒だし、つぐみの苦労もきっと他の人よりは分かるよ」

    つぐみ「そう……?」

    沙綾「自分の家だとさ、他でのバイトと違って店長とかには気兼ねしないけど、違うとこ気にしちゃうよね。家族が忙しそうだったりすると放っておけないし」

    つぐみ「うん……そうなんだよね。お父さんとお母さんは『無理して手伝わなくていいよ』って言ってくれるんだけど……アルバイトの人たちも今日明日はお休みの人も多いし……」

    沙綾「分かるよ。休憩してていいよ、って言われてもついつい気になって手伝っちゃったりしてさ」

    つぐみ「そうそうっ、忙しいのに、こっちは大丈夫だからーなんて言って! そんなこと言われたって放っておけないよ」

    沙綾「あはは、やっぱりそうだよね。それじゃあ、もしかしてご飯もろくに食べてないんじゃない?」

    つぐみ「実は……。だから、ちょっと何か買いに行こうかなって」


    77: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:35:15.63 ID:p6yzGh750


    沙綾「よかったらウチのパン、食べる?」

    つぐみ「え、いいの?」

    沙綾「いいよ。少し形が崩れちゃったパンとか、新製品の試作品とかさ、そういうのが結構あるんだ」

    つぐみ「それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな……」

    沙綾「ん、オッケー。それじゃあちょっと待っててね」

    つぐみ「うん」

    沙綾「えーっと、確かキッチンの方に……」カランカラン

    つぐみ「……沙綾ちゃん、優しいなぁ。自分だって疲れてるのに……」

    沙綾「お待たせー」カランカラン

    つぐみ「わっ、バスケットいっぱいに入ってる。本当に結構量があるんだね……」

    沙綾「あはは……忙しいとついね、焦ってパンの形崩しちゃったりするんだ。お恥ずかしい」

    つぐみ「そうなんだ」


    78: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:35:57.36 ID:p6yzGh750


    沙綾「はい、じゃあこれ。バスケットは明日にでも返してくれれば――」

    つぐみ「あ、沙綾ちゃん。良かったらウチでコーヒーとか飲んでいかない?」

    沙綾「え?」

    つぐみ「流石にこんなにいっぱいタダで貰っちゃうのは悪いし、沙綾ちゃんだってずっと手伝いしてて疲れてるでしょ?」

    沙綾「まぁ……いや、でも」

    つぐみ「遠慮しないで平気だよ。もうお店も閉めちゃうし、沙綾ちゃんと私の分の飲み物を入れるくらいなら全然手間じゃないから」

    沙綾「あーそっか……うん。それじゃあ、ちょっとお邪魔しちゃおうかな?」

    つぐみ「決まりだね。じゃあ、こっちにどうぞ」

    沙綾「ありがとね、つぐみ」

    つぐみ「ううん、こちらこそ」

    沙綾「ごちそうになります」


    79: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:36:30.94 ID:p6yzGh750


    つぐみ「はい、一名様ご案内です……なんて。えへへ」カランコロン

    沙綾「わー、内装の飾りつけもクリスマス仕様なんだね。派手すぎなくて、なんだか落ち着くなぁ」

    つぐみ「うん。今年は少しシックな感じにしたんだ」

    沙綾「確かにこれは恋人と来てお茶したくなるよ」

    つぐみ「そう? えへへ、それなら頑張って考えた甲斐があったな」

    沙綾「つぐみが考えたの、この飾りつけ?」

    つぐみ「そうだよ」

    沙綾「へー、すごいなぁ」

    つぐみ「褒めてくれてありがと、沙綾ちゃん。あ、なに飲む? メニューはここにあるけど……」

    沙綾「えーっと、それじゃあ……このハニーティーっていうので」

    つぐみ「うん、分かったよ。すぐに持ってくるから、好きな席に座ってて」

    沙綾「はーい」


    80: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:37:17.76 ID:p6yzGh750


    ―しばらくして―

    沙綾「はぁ……やっぱりつぐみのとこの飲み物って美味しいなぁ。飲んでるとホッとするよ」

    つぐみ「沙綾ちゃんのパンも美味しかったよ。ありがとね」

    沙綾「いえいえ、こちらこそ」

    つぐみ「沙綾ちゃん、明日も手伝い?」

    沙綾「うん。学校が終わってからすぐ手伝いかなぁ。ケーキの予約もそれなりに入ってるし」

    つぐみ「そっか……大変そうだね」

    沙綾「ううん、もう慣れたから。でも……」

    つぐみ「でも? 何か気になることがあるの?」

    沙綾「あ、ううん。ポピパのみんながさ、クリスマスは忙しい私に合わせて明後日にパーティーしようって言ってくれて……嬉しいんだけど、ちょっと申し訳ないなぁって」


    81: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:38:10.02 ID:p6yzGh750


    つぐみ「あー……それ分かるよ、沙綾ちゃん」

    沙綾「ほんと?」

    つぐみ「うん。私もアフターグロウのみんなと毎年クリスマスパーティーするんだけど、今年はイブが祝日で忙しくなるからって、一昨日にしてくれたんだ」

    沙綾「そっか。みんな優しいよね」

    つぐみ「うん。……その優しさがすごく嬉しいんだけど、やっぱりちょっと申し訳ないなぁって」

    沙綾「分かる分かる」

    つぐみ「でもそう言うと、みんな口を揃えて『つぐはいつもツグり過ぎるからそんなこと気にしないでいいの』って言ってきて……」

    沙綾「私もだよ。『さーやはいっつも頑張り過ぎなくらい頑張ってるんだからそんなこと気にしないで!』って」

    つぐみ「嬉しいけど……」

    沙綾「悪いよね……」


    82: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:39:02.55 ID:p6yzGh750


    つぐみ「……ふふ」

    沙綾「……あはは」

    つぐみ「私たち、友達に恵まれてるね」

    沙綾「うん。私たちのことを考えてくれる素敵な友達だよね。それと……」

    つぐみ「それと?」

    沙綾「こうやって、似たような苦労を吐き出して、共感できる素敵な友達」

    つぐみ「……えへへ、そうだね、沙綾ちゃん」

    沙綾「ねぇつぐみ」

    つぐみ「なに、沙綾ちゃん?」

    沙綾「明日もさ、手伝い終わってから来てもいい?」

    つぐみ「うん。いつでも来て平気だよ」

    沙綾「ありがと。それじゃあ、今日はこの辺でお暇するね。ハニーティー、ごちそうさまでした」

    つぐみ「いえいえ、こちらこそ。ごちそうさまでした」

    沙綾「それじゃあ、また明日」

    つぐみ「うん。お隣だからすぐそこだけど、気を付けてね」

    ……………………


    83: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:39:41.34 ID:p6yzGh750


    ――翌日 羽沢珈琲店――

    沙綾「疲れたぁ……」

    つぐみ「お疲れさま、沙綾ちゃん。はい、ハニーティーだよ」

    沙綾「ありがと、つぐみ」

    つぐみ「今日は一段と忙しそうだったね、やまぶきベーカリー」

    沙綾「急に大口の注文が入ってね……ただでさえケーキ用意したりで忙しいのに、そっちも用意しなきゃでてんやわんやだったよ……」

    つぐみ「本当に大変だったんだね」

    沙綾「うん……こっちはどうだった?」

    つぐみ「ウチはそこまでは……やっぱり昨日のイブがピークだったよ。それでもいつもよりは断然忙しかったけど」

    沙綾「そっか。つぐみもお疲れ様」

    つぐみ「ううん。沙綾ちゃんの方がお疲れさまだよ」

    沙綾「それじゃあ2人ともお疲れ様ってことで」

    つぐみ「ふふ、そうだね」


    84: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:41:04.13 ID:p6yzGh750


    沙綾「いやー、なんだかごめんね?」

    つぐみ「え、なにが?」

    沙綾「自分から言っておいてなんだけど……なんていうか、2日連続でお店閉まってからお邪魔しちゃって」

    つぐみ「ああ、それは全然大丈夫だから気にしないで平気だよ」

    沙綾「うん、ありがと。ハニーティー、もらうね?」

    つぐみ「どうぞ。昨日より少し甘くしてあるよ」

    沙綾「あ、ホントだ……はぁ、身体にしみわたる……」

    つぐみ「お口に合ったみたいでよかったよ」

    沙綾「合わないワケがないよ。やっぱり美味しいなぁ、つぐみのとこのお茶……疲れが少し飛んでった気がする」

    つぐみ「それならよかった。明日はポピパのみんなとクリスマスパーティーだもんね。疲れちゃってたら楽しめないし、ゆっくり休んでいってね」


    85: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:41:45.87 ID:p6yzGh750


    沙綾「ありがとう。……それにしても……うーん?」

    つぐみ「あれ? 沙綾ちゃん、どうかした?」

    沙綾「あ、ううん。なんていうか……なんだろう?」

    つぐみ「?」

    沙綾「上手く言葉に出来ないんだけどさ……私って、甘えるの下手だったよなぁって思って」

    つぐみ「甘えるのが下手?」

    沙綾「うん。ほら、家だと純と紗南の面倒みたり、お店の手伝いしたり……昔からそういうことが生活の一部だから、つい人の世話を焼きたくなるっていうか……」

    つぐみ「あー……」

    沙綾「だからさ、こう……ね? よく香澄たちにも『ワガママを言って、甘えてもいいんだよ』みたいなこと言われるんだけどさ、イマイチ上手にそれが出来ないっていうか、どうすればいいのか分からないっていうか、なんというか」

    つぐみ「私もそれ、ちょっと分かる」

    沙綾「あ、ホント?」


    86: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:42:40.31 ID:p6yzGh750


    つぐみ「うん。沙綾ちゃんのとは少し違うかもだけど、私もどっちかというと甘えるのが苦手だし……何かあれば自分で出来ることは全部やろうって思うし」

    沙綾「で、アフターグロウのみんなに『頑張りすぎ、休んで』って言われるんだ?」

    つぐみ「うん……それで一回倒れちゃったこもとあって……。だからみんなに心配をかけさせないためにも休もうって思うんだけど……」

    沙綾「分かるよ。頑張ってるってつもりはあんまりないんだよね」

    つぐみ「そうそう。いつも通りしっかりやろうって思ってるだけなんだけど、みんなにはそう見えてないみたいで……」

    沙綾「私もそうやってポピパのみんなにすごく心配されるからなぁ……」

    つぐみ「そうなんだよねぇ……」


    87: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:43:29.98 ID:p6yzGh750


    沙綾「でも、なんだろうな」

    つぐみ「うん?」

    沙綾「言葉にするのが難しいんだけどさ、なんだかつぐみといると、少し気を抜けるんだよね。それで、ちょっと休んでもいいかなって思えるんだ」

    つぐみ「そうなの?」

    沙綾「うん。なんでだろ?」

    つぐみ「なんでかは分からないけど……でも、沙綾ちゃんの言いたいことはちょっと分かるかも」

    沙綾「というと?」

    つぐみ「私も沙綾ちゃんとこうやって話してるとね、なんだか肩の力が抜ける……っていうのかな? 無理に全部をやろうとしないでもいいかなって思えるんだ」

    沙綾「……確かに私と同じだね。なんでだろ」

    つぐみ「うーん……あれかな、似てるから……とか?」


    88: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:44:06.11 ID:p6yzGh750


    沙綾「似てる……あー、確かに。家の手伝いしてたり」

    つぐみ「友達にしょっちゅう心配されてたり」

    沙綾「甘えるのが下手だったり」

    つぐみ「どうしてか2人でいる時は気が抜けてたり」

    沙綾「…………」

    つぐみ「…………」

    沙綾「なんだか不思議だね」

    つぐみ「そうだね」

    沙綾「でも、こういうのってちょっといいな」

    つぐみ「うん、私もそう思う」

    沙綾「あはは……」

    つぐみ「ふふ……」


    89: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/25(火) 09:44:32.51 ID:p6yzGh750


    沙綾「あ、そうだ」

    つぐみ「どうしたの?」

    沙綾「そういえば言い忘れてたなって。メリークリスマス、つぐみ」

    つぐみ「そういえば……。メリークリスマス、沙綾ちゃん」

    沙綾「甘え下手の似た者同士、これからもよろしくね」

    つぐみ「こちらこそ、よろしくお願いします。たまにはこうやってお話するのもいいね」

    沙綾「ね。辛い時はいつでも甘えに来ていいよ?」

    つぐみ「それは私のセリフだよ。沙綾ちゃんも疲れちゃった時は、いつでもウチに来ていいよ?」

    沙綾「……ふ、ふふ」

    つぐみ「くすくす……変な会話だね」

    沙綾「そうだね」


    おわり


    94: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:31:22.72 ID:1n+w9pkM0


    氷川紗夜「ドブネズミ」


    95: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:32:09.97 ID:1n+w9pkM0


     家族で冬の山へ出かけた。そこは東京の外れにある山で、ロープウェイから山頂に登って、そこにある神社にて高校の合格祈願をした。

    「わー、東京にもこんな山があるんだね!」

    「こらこら、日菜。ちゃんと合格出来るようにお願いをしなさい」

    「ダイジョーブだって! もう羽丘の模試なんて何回やったって満点取れるし!」

    「……まぁ、日菜ならそうか」

     神頼み。そんな迷信じみたものを信じる気にはあまりなれない私の横ではしゃぐ日菜と、それを諫めるお父さんの会話を聞いて、また私の心に何か小さな棘が刺さったような気がした。

     私だって……という口からは出さない妹への対抗心が胸の中に沸き起こる。だけど、花咲川女子学園の入試に合格点は取れるだろうけど、満点を取ることは出来ないだろうな、と思って、それもすぐに暗い気持ちに変わっていった。

    「ねーねーおねーちゃん! 見て見て、鳥が飛んでるよ!」

     そんな私の心の機微など知らず、日菜が無邪気な声で空を指さした。

    「鳥くらいどこにでもいるでしょう」……と思いながらそちらへ視線を送ると、四羽の鳥が冬の青空に翼を広げていた。

     そのうちの一羽は東の方へ逸れ、他の三羽は南の空へと羽ばたいていった。

     それに妙な寂しさを覚えて、わけもなく突然一人ぼっちになったような気がした。


    96: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:32:59.68 ID:1n+w9pkM0




    「……それで、その手に持っている鳥はなに?」

     それは2月の某日のことだった。高校受験もつつがなく合格し、もう自由登校になった中学校へ行こうとしたら、珍しく慌てたような日菜が私の部屋にやってきた。

    「庭でうずくまってたんだ! どうしよう、おねーちゃん!?」

     そして両手を合わせたその上に鳩よりひと回りほど小さな鳥を乗せた妹は、そんなことを言うのだった。

    「…………」

     どうしよう、なんて言われても私にはどうしようもないわよ。喉元までやってきた言葉を飲み込み、代わりにため息を吐き出す。それから中学校の皆勤賞と日菜の掌で小さく震えている鳥を天秤にかけた。

    「おねーちゃん……この子、死んじゃうのかな……?」

     鳥の乗った天秤に、日菜の弱々しい言葉も乗っかった。三年間の皆勤賞がスッと持ちあがる。ああ、私の中学三年間はたったこれだけで放り出されるほど軽いものだったのか……なんて自嘲を噛み殺して、私は手に持ったバッグを机の上に置く。

    「とりあえず、タオルを持ってくるからその上に乗せなさい。野生の子に人間のニオイがつくのはあまりよくないでしょう」

     そしてそれだけ言って、日菜の返事は待たずに洗面所へ向かった。


    97: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:33:48.22 ID:1n+w9pkM0




     日菜が厄介ごとやらを何やらを私の元へと持ち込んでくるのは今に始まったことじゃない。

     私があの子に対して勝手に劣等感を抱いている部分もあるけれど、天衣無縫で破天荒な妹の突拍子もない思いつきに振り回されるのもよくあることだ。

     私の部屋の机の上にバスタオルを置いて、そこへ日菜がゆったりとした優しい動きで鳥を座らせる。あなたは私以外にはそんな風に気を遣うのね、という皮肉が頭の中に浮かんで、そんなことを考える自分をはたきたくなった。

    「どうしよう、おねーちゃん……」

    「……どうしようもこうしようも、こうなったらしばらく面倒を看るしかないでしょう」

     野鳥の飼育は禁止されていると何かの授業で聞いた覚えがあったけれど、かといって飛べないほど弱ったこの鳥をこのまま見過ごすことは出来ない。

     本当に日菜は厄介なことを毎度毎度持ち込んできて……と思って眉間に皺が寄るのを自覚した。私は大げさにため息を吐いて頭を振る。


    98: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:34:43.72 ID:1n+w9pkM0


    「分かったよ! それじゃあ鳥かごとか用意した方がいいかな? ちょっとペットショップに――」

    「待ちなさい。一時的な保護なんだからそこまでは必要ないでしょう」

     そんな私と対照的に、パッと笑顔になった日菜が部屋から出て行こうとするのを引き留める。

    「少し調べてみるから、それまで日菜はこの子の様子を見ていて」

    「あ、そっか。やっぱりおねーちゃんは頼りになるね!」

     足を止め、きっと純度100%の尊敬や信頼が込められた笑顔が私を照らし出す。

     それに自身の後ろ暗い影がより濃くなったような気がして、私は何も答えずにスマートフォンを手に取った。そしてブラウザを開いて、『野鳥 保護』と検索をする。

    「…………」

     検索結果から東京都環境省のサイトにアクセスして、鳥獣保護のページを開く。

    『野生鳥獣の本当の保護とは、人はむやみに野生鳥獣に近づかないことです』という文言が一番に目に入り、もう遅いわよ、と心の中で悪態を吐いた。

     その文言は見なかったことにして、画面の上に指を滑らせる。

    「怪我をした野鳥を見つけた時……」

     今の状況に一番合致しているだろう項目を見つけて、そこの文章に目を通す。

    『体温が低下しているのかもしれません。野鳥をダンボール箱などの中に入れ、底に新聞紙やティッシュペーパー等を敷きます。そしてぬるま湯を入れたペットボトルなどの保温剤を箱の中に入れ、暖めてみてください』

     そして最後に『その上で、東京都の担当窓口までご相談ください』と書いてあった。「何か大事になってしまうんじゃないか」という抵抗が少しだけあったけれど、ルールとしてそう決まっているならそれに従わないわけにはいかない。本当に面倒なことを持ってきてくれたものだ。


    99: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:35:38.01 ID:1n+w9pkM0


    「日菜、ここに書いてあるものを用意できる?」

    「ん、どれどれ……」

     その気持ちを胸の中に押し止めつつ、鳥の様子をジッと見ていた日菜に声をかけて、スマートフォンの画面を見せる。

    「オッケー! 了解だよ、おねーちゃん!」

    「それじゃあお願いするわね」

    「おねーちゃんはどうするの?」

    「野鳥を保護したら、動物保護を担当しているところに連絡をしないといけないみたいなのよ」

    「うん、分かった! えっと、確かお父さんが通販で何か買った時に段ボールが……」

     呟きながら日菜が部屋を出て行く。私はちらりとバスタオルの上に座る鳥へ視線をやる。

     見たことがない鳥だった。鳩より少し小さくて、色合いは雀に似た黒褐色。胸には黒いうろこ状の斑点模様があった。

     その鳥は鳴くことも暴れることもなく、大人しくバスタオルの上に鎮座し続けていて、しばらくその様子をぼうっと眺めていた私は思い出したように鳥獣保護の担当部署へ電話をかけた。


    100: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:36:36.31 ID:1n+w9pkM0




     特に外傷がないようだったら、身体を温めてあげるだけで動けるようになると思います。

     餌などを与えてしまうと却ってストレスになることがあります。なのでサイトに書いてある通りのものを用意したらそっとしておいて、元気が出たら外へ返してあげてください。

     かいつまむと、大体そんな感じのことを鳥獣保護の担当部署の人に言われた。それにお礼を言ってから電話を切るころに、日菜が段ボールとペットボトル、それから新聞紙を持って部屋に戻ってきた。

    「なんだって、おねーちゃん?」

    「怪我をした様子もないのであれば自然に回復するでしょうから、元気になったら外に返してあげて、ということらしいわよ」

    「そっか。血が出たりとか羽がボロボロになったりって感じじゃないもんね、この子。よかったぁ」

     日菜はホッと息を吐き出して、それから段ボールを机の上に置く。そしてその中に新聞紙とティッシュを無造作に詰め込んでいった。

    「…………」

     それを手伝おうか少し迷ってやめておく。日菜が拾ったのだからこの子がやるべきことだろう、と思う。この鳥だって日菜なら平気でも私が近づいたら暴れる可能性だってある。日菜には上手く出来ることでも私には上手く出来ないことが多いのだから。


    101: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:37:25.44 ID:1n+w9pkM0


    「よっし、完成! それじゃあちょっとごめんね、鳥ちゃん」

     そんなことを考えて一人で勝手に傷付いていると、日菜は鳥に柔らかい声をかけて、そっとその身を両手で持ち上げる。バスタオルの上に座っていた鳥はやっぱり大人しく、されるがままその手に身を預けていた。

    「大人しいね~、いい子いい子」

     そして段ボールの簡易的な巣箱に優しく鳥を座らせる。それから私の方へぐるりと視線を巡らせた。やけにキラキラした瞳が胸に刺さって息苦しくなった。

    「……ペットボトルに入れたお湯はどのくらいの温度?」

     それを誤魔化すように、ぶっきらぼうに私は日菜に尋ねる。

    「んーっと、触ったら熱いくらいのお湯?」

    「それだとそのまま段ボールに入れたら熱いかもしれないわね。バスタオル……じゃ嵩張るし……フェイスタオルを巻き付けた方がいいかしら」

    「分かった、そしたらちょっと取ってくるね!」

    「ええ」

     私の言葉に勢いよく相づちを打った日菜が部屋を出て行く。残されたのは段ボールの巣箱に入った鳥と私。


    102: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:38:14.70 ID:1n+w9pkM0


    「…………」

     日菜が持ってきた段ボールは側面に『天然水 バナジウム120』という商品名らしき表記とホームセンターのロゴが書いてあった。500ml×24本という文字もあった。確かにお父さんがつい先日にネットで買ったと言っていた記憶がある。

    「中身、まだ全然減っていなかったわよね」

     それなのにこの段ボールがここにあるということは、きっとキッチンには20本くらいのペットボトルが転がっているのだろう。買い物に出かけたお母さんが帰ってきたらそれになんて言い訳をするべきかと考えると少し頭が痛い。

    「あなたも災難ね。日菜に見つかるなんて」

     それはひとまず後回しにして、段ボールへ静かに近づいて行き、こちらでも大人しく座ったままの鳥に声をかける。鳥は私を見上げて、小さな地鳴きを返してきた。

    「……元気になってくれればいいんだけど」

     この子はなんて言ったのだろうか、と栓のないことを少し考えてから、私は小さな呟きを漏らした。


    103: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:39:16.02 ID:1n+w9pkM0




     日菜が洗面所から取ってきたフェイスタオルでペットボトルをくるんで、それを臨時の巣箱の脇の方に置き、段ボールの蓋を閉めた。

    「えー、閉めちゃうの?」なんて日菜は言ってきたけれど、人間慣れしていない野生動物がずっと私たちの視線に晒されるのはストレスになるだろうことは想像に難くない。その旨を伝えると、あっさりと「それもそっか。分かったよ!」と頷いてくれた。

     それと、物音がしていても落ち着かないだろうから、私は机の上に置いた鞄に勉強道具を詰め込んで日菜と共にリビングへ向かう。

     そうしたら、通りがかったキッチンで、想像以上に乱雑に散らばったペットボトルを前に困惑しているお母さんを見つけた。

    「あ、片付けるの忘れてた」

     なんて言う日菜の隣で、お母さんに事の次第を尋ねられた私は、素直に「弱っていた野鳥を保護した」と伝える。

     怒られるだろうか、と少し身構えたけど、お母さんは「あなたは優しいわね」と言って柔らかく笑った。

    「拾ってきたのは私じゃなくて日菜だから」

     それにそう返すけど、やっぱりお母さんは「そうなのね」と優しい笑顔を浮かべるだけだった。


    104: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:40:09.67 ID:1n+w9pkM0




    「……あなたの部屋で寝るの?」

    「うん! 絶対その方がいいって!」

     そしてその夜。今日の私の部屋はあの鳥が休むためのものだから一緒に寝よう、なんてことを、リビングで勉強をしていた私に日菜が言ってきた。

    「だけど、それだとあなたが寝づらいんじゃないの」

    「あたしは全然ダイジョーブだって! ほらほら、お布団だっておかーさんが用意してくれるし……あ、なんなら一緒のベッドで寝る?」

    「それだけは絶対に断るわよ」

    「えー……」

    「どうしてそんなに残念そうなのよ……」

    「だってだって、最近おねーちゃんってば全然あたしのこと構ってくれないんだもん」

    「…………」

     寂しそうな色の表情を顔に張り付けた日菜は、拗ねたように言葉を吐き出す。

     それになんて返したらいいか少しだけ考えて、「もうあなたも子供じゃないんだから」と、いつまでも妹に劣等感を抱き続けている子供な私は口にする。


    105: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:41:10.37 ID:1n+w9pkM0


    「それじゃあ一緒のベッドは諦めるけど、部屋は一緒でもいいでしょ? ねーねー、おねーちゃーん」

    「はぁ……分かったわよ。あなたの部屋に一晩お邪魔するわ」

    「ほんと!? わーい、おねーちゃんとお泊り会!」

     お泊り会も何も毎日同じ家で暮らしているじゃない。そんな言葉が出そうだったけど、無邪気に喜ぶ日菜に水を差すのも少しだけ可哀想な気がしたから口をつぐんだ。

     それからお母さんに布団を用意してもらって、日菜の部屋に私の臨時の寝床を作る。

    「えっへへ~、おねーちゃんとこうやって寝るの、すっごく久しぶりだなぁ~」

     そして寝る支度を整えてから日菜の部屋に行くと、瞳を爛々と輝かせた妹に出迎えられる。もう夜の十時だというのにまったく眠くなさそうだ。

    「どうしてそんなにはしゃいでるのよ」

    「こういうのって修学旅行とかみたいでワクワクするでしょ?」

    「しないわよ」

    「そっか~」

     日菜の気の入っていない返事を聞きながら、私は部屋の照明に手をかけた。

    「もう夜も遅いし、早く寝るわよ」

    「えーっ、もう寝ちゃうの? もっとお話ししようよ、おねーちゃん」

    「あなたの部屋に遊びに来たわけじゃないんだから」

    「もー、おねーちゃんのいけず」

    「電気、消すわよ」

     拗ねたような言葉には返事をしないで、明かりを落とす。そしていつもとは違う感触の布団に横になる。仰向けになって見つめる天井もいつものものと少し違っていて、先ほどの日菜の修学旅行みたいだ、という言葉に少し共感してしまった。


    106: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:41:42.46 ID:1n+w9pkM0


    「あの鳥ってなんていう鳥なんだろうね」

    「……さぁ」

     それに何とも表現しがたい気持ちになっていると、ベッドの上から言葉を投げられた。私はぶっきらぼうに声を返す。

    「庭に鳥が落ちてるの見つけた時はちょっとびっくりしたなぁ。雀かな、って思ったけどおっきかったし」

    「…………」

    「どうしたんだろうね、あの子。寒くて疲れちゃったのかな」

    「……さぁ」

     暗い部屋の中に日菜の声が響く。その合間合間に、たまに私の短い返事が挟まる。


    107: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:42:28.50 ID:1n+w9pkM0


    「……やっぱりおねーちゃんって優しいよね」

    「…………」

     そんなことを続けているうちに、いつになく大人しい響きの声が発せられる。私は何も答えなかった。

    「ごめんね、おねーちゃん」

    「……何が?」

    「おねーちゃん、そういえば皆勤賞だったなーって」

    「…………」

    『今さら謝られてもどうしようもないじゃない』
    『そんなものにしか縋れない私をバカにしているの?』
    『数少ないあなたが出来なかったことだったのに』

     ……そんな嫌味や皮肉が頭の中に浮かぶ。それらが口から出ていかないよう私はキュッと口をつぐみ、寝返りを打って日菜に背を向けた。

    「…………」

    「…………」

    「……いつもありがと、おねーちゃん」

     それからしばらくお互い無言でいたけど、ぽつりと日菜からお礼の言葉を投げられる。

    「……別に」

     私はやっぱり不愛想な言葉を返すだけだった。


    108: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:44:00.80 ID:1n+w9pkM0


     ありがとう、なんて言われるほど優しくもしていないし、心の中ではいつも日菜に嫉妬や劣等を感じていた。それだけに素直な響きの言葉が胸の奥深くに突き刺さって、いつまでもいつまでも妹と自分とを比べて落ち込み続けるちっぽけな自意識が打ちのめされる。

     日菜はまっすぐな人間だ。天才で、唯我独尊で、他人のことは良くも悪くもあまり深く考えず、自分を信じてただひたむきに己が道を突き進む。

     対する私はひねくれ者だ。何をしたって日菜に負かされて、ずっと妹と自分を比べて、それにウダウダと悩み続けて、素直に『ありがとう』さえ受け取れない。

     私たちは双子。だけど、外見は瓜二つに近いのに、中身はこうも正反対だ。

     言うなれば私はドブネズミで、日菜はハムスターだろう。

     同じネズミでも、外見が似ていても、忌み嫌われる日陰者と皆に愛される人気者。

     写真には写らない美しさがある、誰よりもやさしい、何よりもあたたかい……とは昔の有名なパンクロックバンドの歌で歌われているけれど、私はそんな特別なドブネズミにはなれない。

     自分を信じられず、痛みの雨の中にただずぶ濡れで立ち尽くす、行き場のない雨曝しのドブネズミ。その姿がお似合いだ。


    109: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:44:44.90 ID:1n+w9pkM0


     だから……これ以上私は日菜の近くにいてはいけないのかもしれない。

     日菜の輝きが私の影を深く濃い色に変えてしまうから、というのが大部分を占めているのは確かなこと。

     だけど、わざわざこんな薄汚い私の近くに寄ってきて、あの子の輝きまでもが汚れてしまうのに僅かながらの申し訳なさだってあった。

     これでも、こんななりでも、似ているようで正反対でも……私はあの子の姉なのだ。日菜を無為に傷付けてしまいたくはないんだ。

     だから、高校生になってからは、お互いあまり干渉をしないようにしよう。

     そう心に強く思って、私は目を瞑った。


    110: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:45:41.86 ID:1n+w9pkM0




    「元気になったみたいで良かったね!」

     明くる朝。日菜の部屋で起床した私は、日菜と連れ立って私の部屋に向かう。

     そして昨日の段ボールを覗き込むと、翼を羽ばたかせ、「ピピ」と私たちに向かって鳴きかけてきた。元気になったなら逃げてしまうかと思ったけれど、どうにも日菜には少し懐いた様子だった。

    「ご飯、あげた方がいいのかなぁ?」

    「そう、ね……」

     その言葉になんて返したものか少し迷う。

     昨日ネットで見た通り、人間が干渉しないのが一番野生動物の保護になるのだろう。下手にエサを与えては野生へ帰った時に苦労をするだろうことは想像できる。

    「……少しくらいならいいんじゃないかしら」

     けれど、『ご飯をあげたい!』と大きく顔に書かれている日菜と、胸を張って私たちを見上げる鳥の姿を見て、私の口から吐き出される言葉はそんなものだった。

    「分かった! それじゃあ何かパンでも持ってくる!」

     私の言葉を聞いて、日菜はパッと笑顔になって部屋を出て行く。私はその背中にため息を送ってから、また段ボールの巣箱にいる鳥へ視線を戻す。

    「……良かったわね、あの子に拾われて」

     そして昨日と正反対の言葉を投げかけた。鳥は少し首を傾げて「ピ」と短く鳴いた。


    111: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:46:40.35 ID:1n+w9pkM0


    「たっだいま~! お母さんが食パンくれたから、これあげよ!」

     それから黙って見つめ合っていると、駆け足で日菜が部屋に戻ってきた。その手にはまっさらな食パンが一枚。

    「まるまる一枚もいらないわよ」

    「あ、そっか。それじゃあ残りはおねーちゃんと半分こだね!」

    「……遠慮しておくわ」

    「えー、なんで~?」

    「ほら、今はそれより、この子のことでしょう」

    「はーい」

     日菜はやや不承不承といった風に頷いて、食パンを小さくちぎる。

    「鳥ちゃん、朝ご飯だよ」

     そして人差し指と親指でつまむようにしてそれを差し出すけれど、鳥はフイとそっぽをむいた。


    112: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:47:11.08 ID:1n+w9pkM0


    「あれ、お腹減ってないのかな?」

    「……それじゃあ食べづらいでしょう。掌に置くか、巣箱の中にそのまま入れてあげなさい」

    「それもそっか。じゃあ……」

     と、今度は掌にパンくずを乗せ、鳥の前に差し出す。けれどやっぱりこの子はそっぽを向いてしまう。「それなら」と巣箱の中に静かにパンを置いたけれど、それでも鳥はそのパンをつつこうとしなかった。

    「グルメなのかな?」

    「お腹が減ってないだけよ。無理にあげてもストレスになるし、パンは取り除いておかないと……」

     私はそっと巣箱に手を入れて、日菜が置いたパンをつまむ。

    「……あれ?」

    「え……?」

     するとどうしてだか鳥が私の手に近付いてきて、「ピピ」と鳴いた。


    113: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:47:59.69 ID:1n+w9pkM0


    「……食べるの?」

     そう尋ねながら、つまんだパンを広げた掌に置いて差し出す。鳥は少し辺りをキョロキョロと見回してから、ちょんとそれをクチバシでつついて飲み込んだ。

    「あたしからだと食べなかったのに……おねーちゃんずるい~!」

    「そ、そんなこと私に言われてもどうしようもないわよ」

    「んもー、鳥ちゃんも鳥ちゃんだよ。おねーちゃんから『あーん』してもらうなんて!」

    「……怒るところはそこなの?」

    「そこもだよ! 風邪ひいた時とかだけにしてもらえるレアなことなのに!」

    「いつの話なの、それは」

     最後に日菜が風邪を引いたのはいつだったか。記憶を掘り起こすけれど、二年ほど遡ってみないとそんな思い出はない。ましてや日菜に何かを食べさせた覚えなんてまったくなかった。

    「んーと、幼稚園のころ?」

    「なんでそんな昔のことをまだ覚えているのよ、あなたは」

    「おねーちゃんとのことだもん!」

     そのまっすぐな言葉になんて返すべきか少し迷ってから、私は「そう」と相づちを返した。


    114: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:48:28.00 ID:1n+w9pkM0




     それから身なりを整えて、朝食を日菜と共に摂った。そういえば最近は日菜と肩を並べて朝ご飯を食べることもしていなかったな、とぼんやり思って、それと同じことを日菜から言われてまた微妙な気持ちになった。

     けれど、今日はどうしてかそれに後ろ暗い気持ちを引きずることもなかった。

     朝食を摂り終えてからも本当に他愛のないことを日菜は話しかけてきて、私は不愛想ともとれる言葉でそれに応答する。それからあの鳥の話題になって、「野鳥にも懐かれるなんて、やっぱりおねーちゃんはあたしの自慢の優しいおねーちゃんだよ」と言われた。

    「……がと」

    「え、なに?」

    「別に。なんでもないわよ」

     口の中だけで反響した「ありがとう」の言葉。それをハッキリと声にすることは出来ないから、またぶっきらぼうに私はそう言った。


    115: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:49:10.81 ID:1n+w9pkM0




    「もうお別れだね」

    「……そうね」

     時計の針が十二時近くを指すころ。私は蓋を閉めた段ボールの巣箱を抱えて、日菜と並んで庭に立っていた。

     エサも食べたし、羽ばたけるくらいには元気になった野鳥。これ以上保護する必要もないだろうから、もう空へ返さないといけない。

    「一日だけだったけど、ちょっと寂しいなぁ……」

    「本来は関わることもなかったのよ。あるべき姿に戻るだけなんだから」

     少し目を伏せた日菜にそんな言葉を返すけれど、私も心中には寂しい色の気持ちが多くある。

     この僅かな時間で私にちょっとだけ懐いてくれた野生の鳥。どこか認められたような気持ちになって、それが少し嬉しかった。

     それと、気付けばずっと少なくなっていた日菜と共に何かをするという時間をくれた。

     そのおかげで……時を経ればいずれ消えてしまう気持ちかもしれないけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、あの子に優しく接してみようと思わせてくれた。


    116: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:49:38.77 ID:1n+w9pkM0


     だけどもうお別れだ。

     段ボールの蓋を開く。あの鳥がひらけた空に顔を向けてから、私と日菜へ交互に視線を巡らせた。

    「さぁ、もう行きなさい」

     努めて何でもないように言って、空を見やる。「ピ」と短く鳴いてから、鳥は段ボールの巣箱の縁に飛び乗った。そして大きく翼を羽ばたかせ、勢いをつけて空へと飛んだ。

    「ばいばーい、元気でねー!」

     日菜が大きく手を振る。

    「……どうか元気で」

     私は空の段ボールを持ったまま、小さく声にした。

     翼を広げて、北の空へと鳥が飛んでいく。寂しいけれど、ひとりぼっちだとは思わなかった。


    117: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:50:58.03 ID:1n+w9pkM0




     季節は秋だった。

     高く晴れ渡った蒼穹の下を歩いて、私は商店街へ向かう。

     ふと見上げた上空に鳥が飛んでいるのを見つけて、二年前の冬のこと……中学三年生の時に、日菜と一緒に野鳥を保護したことを思い出した。

     あの時に抱いた気持ちはやっぱりいつの間にかに消えていて、また私を真似てギターを始めた日菜に言いようのない劣等感を抱いてしまった。……けれど、つい最近のことだけど、それはもう秋時雨と一緒に水に流したつもりだ。

     私は今でもドブネズミなのかもしれない。だけど、痛みの雨の中でずぶ濡れでいても、行く場所はちゃんとある。嵐が来る前に帰る場所がある。そう思うだけで随分と心が軽くなったし、同時に今まで日菜にキツく当たり続けたことが申し訳なくて仕方ない。

    「それにしても……」

     呟きながら思う。

     神頼みなんて迷信は未だに信じる気になれないけれど、七夕の夜に星に願う短冊を持っていったのも鳥だし、自分は鳥類と妙な縁があるものだな、なんて。


    118: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2018/12/28(金) 06:51:43.79 ID:1n+w9pkM0


     そうしているうちに商店街に辿り着いて、私は二年前の鳥のことを考えながら目的のお店へと足を進める。

     日菜と共に保護した鳥の生態は、のちに足を運んだ科学館で知った。

     渡り鳥で、十月ごろにシベリアから日本に渡り、冬を越して春になったらまた北へと帰っていく冬鳥。

     それならさっき見かけた鳥たちも、もしかしたらあの子の仲間なのかもしれない。そんな取り留めのないことを考えているうちに、私は目的地である喫茶店に辿り着いた。

    「……そういえば」

     と、喫茶店の名前を目にして、あまり面識のない知り合いのことが頭にもたげた。

     一時的とはいえ日菜と私の間をとりなしてくれて、私に懐き、少し認められたような気持ちにしてくれた野鳥。

     あの鳥の名前も“ツグミ”だったな。

     そんなことを思いながら、私はお菓子教室を開催する羽沢珈琲店のドアを開いた。


     おわり


    120: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:08:05.49 ID:XMsLd2FV0


    湊友希那「ねとられ」

    ※キャラ崩壊してます。
     NTR要素はまったくないです。


    121: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:09:19.64 ID:XMsLd2FV0


    ――CiRCLE スタジオ――

    今井リサ「ねとられ?」

    湊友希那「ええ」

    リサ「何それ?」

    友希那「さっき、まりなさんがスタッフさんと話していたのよ。やけに雄弁に語っているから、ちょっと興味が出て聞いてみたの。それはどんなものなんですか、って」

    リサ「そしたら?」

    友希那「身近な人と離れ離れになることで新しい境地を見出すもの……らしいわ」

    リサ「へぇ~。まりなさんって物知りだねぇ」

    友希那「ええ。伊達に大人じゃないわね」

    リサ「それで、そのねとられ? がどうしたの?」

    友希那「折角だから私もそれを体験してみて、作曲の幅を広げようかと思うの」

    リサ「あーなるほどね」

    友希那「だから、リサ。少し協力してくれないかしら?」

    リサ「友希那の頼みだもん。断る理由がないよ」

    友希那「ありがとう。それじゃあ早速なんだけど、明日からちょっとアフターグロウに出向してもらえるかしら」

    リサ「本当に早速だね……蘭たちはオッケーしてくれるかな?」

    友希那「誠心誠意お願いすればきっと平気よ。美竹さんとはライバルだから」

    リサ「ライバルってこの件に関係あるかなぁ……?」

    友希那「大丈夫。私に任せて」

    リサ「ん、分かったよ。……ちょっと不安だけど」


    ……………………


    122: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:10:30.21 ID:XMsLd2FV0


    ――翌日 CiRCLE・スタジオ――

    美竹蘭「……えぇっと、今日の練習はひまりの代わりにリサさんが来てくれることになったから」

    リサ「やっほー。みんなよろしくね!」

    青葉モカ「おーおー、ついにひーちゃんはクビになっちゃったんだねぇ……」

    羽沢つぐみ「クビではないと思うけど……」

    宇田川巴「どういう風の吹き回しなんだ、蘭?」

    蘭「いや、なんかお昼休みに湊さんに呼び出されて、『今日一日、ロゼリアとアフターグロウでベースを交換しましょう』とかいきなり言ってきて……」

    つぐみ「頷いちゃったんだ……」

    モカ「蘭ってば薄情者だなぁ。幼馴染をあっさり売り渡すなんて」

    蘭「違うってば。あたしも普通に断ったよ。だけど今日の湊さん、すごくしつこくて……」

    巴「はー、だから昼休みになってもなかなか屋上に来なかったんだな」

    リサ「あ、あはは……ごめんね、蘭」

    蘭「いえ……。スタジオ代は持ってくれるって言ってましたし、リサさんは悪くないですから」

    モカ「ひーちゃんの身代金はスタジオ代と同等なんだねぇ」

    つぐみ「そ、それは違うんじゃないかな」

    巴「まーよく分かんないけど分かったよ。そんじゃ、今日はよろしくお願いします、リサさん」

    リサ「うん、よろしくね」


    123: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:11:35.27 ID:XMsLd2FV0


    ―スタジオの外―

    友希那「上手くリサがアフターグロウに入り込めたみたいね」

    上原ひまり「あのー、友希那さーん」

    友希那「どうしたの、上原さん?」

    ひまり「私、まだイマイチ状況がよく分かってないんですけど……どういうことですか、これ?」

    友希那「そういえば説明していなかったわね。これは新しい境地を見出すために必要なことなのよ」

    ひまり「新しい境地……?」

    友希那「ええ。昨日、まりなさんに聞いたの。なんでも身近な人と離れると何か新しい目覚めがあるんだって」

    ひまり「へぇー。遠距離恋愛みたいなものですかね?」

    友希那「……恋愛ではないと思うけど、きっとそういうものよ」

    ひまり「なるほどなるほど。それは分かりましたけど、どうして私もこっち側なんですか?」

    友希那「ベース同士を交換と言ってしまった手前、あそこにあなたがいると約束を違えてしまうでしょう? それはいけないわ。親しき中にも礼儀あり、と言うし」

    ひまり「んー、別に問題ない気がしますけど……まぁいっか、たまには」

    友希那「ええ。一緒にアフターグロウとリサの練習を見学しましょう」

    ひまり「はーい!」


    124: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:12:37.73 ID:XMsLd2FV0


    ―30分後―

    ジャーン...♪

    蘭「……ふぅ」

    巴「やー、リサさんがベースってどうなるかと思ったけど、案外なんとかなるもんだなぁ」

    モカ「だねぇ。リサさん、あたしたちの曲も覚えてくれてたんですか~?」

    リサ「友希那の頼みだからね。昨日ちょっと徹夜して、とりあえず3、4曲は最低限合わせられるようにしてきたよ」

    つぐみ「最低限っていう割にはアレンジも入ってたような……」

    リサ「ああ、ごめんね。ちょっと弾きづらいとこあったから勝手に簡略化してたんだ。気になっちゃった?」

    モカ「いえいえ~、ひーちゃんもよく音外したりビビらせちゃうとこなんで、全然気にならなかったっすよ~」

    巴「ええ。フォローに気をさかなくてよかったんで、むしろスムーズに叩けましたよ」

    リサ「そっか、それならよかったよ」

    蘭「…………」

    リサ「あれ、蘭?」

    蘭「え?」

    リサ「どうかしたの? なんか難しい顔してるけど」

    蘭「いえ……その……」




    125: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:13:48.68 ID:XMsLd2FV0


    モカ「蘭のことだから、ひーちゃんの音と違うな~って違和感バリバリなんでしょ?」

    リサ「そうなんだ?」

    蘭「……まぁ、正直に言えば……いつも通りの音じゃないからちょっと変な感じがするっていうか……あっ、リサさんが悪いとかそういうことじゃないですからね」

    リサ「フォローしてくれてありがと。でもそう思うのは当たり前だよ。みんなは中学生の頃からずっと一緒にバンドやってたんでしょ? それでいきなりベースがアタシになって違和感がないって方がおかしいよ」

    リサ「違和感があるってことは、それだけ蘭がひまりのことを大切に思ってるってことなんだし」

    蘭「べっ、別にそういう訳じゃ……」

    リサ「あっはは、蘭ってば照れてるな~?」

    モカ「そうなんです~、蘭ってばいーっつもみんなのこと大好きオーラ放ってるのに、口では否定するんですよ~」

    蘭「モカっ」

    つぐみ「私も蘭ちゃんに心配されるけど、ありがとうって言うといつも『別に』ってそっけなく返してくるんですよ」

    巴「なー。本当に素直じゃないやつだよなぁ」

    蘭「2人まで何言って……!」

    リサ「やっぱり幼馴染だねぇ。蘭のことバッチリ分かってるんだ」

    モカ「そりゃあもう。ねー、蘭」

    蘭「……しらない」プイッ

    リサ「ありゃりゃ……ごめんごめん、ちょっとからかい過ぎたよ」

    蘭「いえ、別に」

    巴「……まぁ、いつものことなんで気にしないで下さい、リサさん」


    126: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:14:19.97 ID:XMsLd2FV0


    ひまり「もー! 私そんないっつも間違えないってば! 3回に1回はちゃんと弾けるもん!」

    友希那「…………」

    ひまり「……あれ? 友希那さん、どうかしました?」

    友希那「いえ……なんというか、心が少しざわつくというか……」

    ひまり「大丈夫ですか?」

    友希那「ええ、ありがとう。平気よ」

    ひまり「心がざわつくって、どういう感じなんですか?」

    友希那「上手く言葉に出来ないんだけど……ロゼリアの中じゃなくて、アフターグロウの子たちに囲まれて笑っているリサを見ると落ち着かない……ような感じかしらね。上原さんはそういう風に感じないの?」

    ひまり「え? いえ、私は全然ですね」

    友希那「そう……私がおかしいのかしらね……」


    127: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:15:24.82 ID:XMsLd2FV0


    ―さらに30分後―

    つぐみ「……あっ!」ポーン

    蘭「っと……」

    つぐみ「ご、ごめんね? また間違えちゃった……」

    巴「いんや、気にすんなって」

    リサ「あれ、もう1時間も経ってたんだ。そりゃあ疲れて集中も切れてくるよね。ちょっと休憩にしよっか」

    つぐみ「え、いえ、まだ私は……」

    モカ「はーい、リサさんにさんせー」

    蘭「だね」

    つぐみ「うう……ごめんね、みんな」

    巴「謝ることなんかないって。アタシもちょっと小腹が空いてきたし、休憩したかったからさ」

    リサ「あ、それならさ、クッキー持ってきたからみんなで食べない?」

    モカ「もしやリサさんの手作りの?」

    リサ「そうだよ。口に合えばいいんだけど」

    モカ「いやいや、合わないなんてことはないですよ~」

    巴「ああ。音に聞くリサさんの手作りクッキーだもんな」

    リサ「え、音に聞く……?」


    128: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:16:13.56 ID:XMsLd2FV0


    巴「はい、よくあこが言ってるんですよ。リサさんと紗夜さんがクッキーを作って来てくれて、それがすごく美味しいんだーって。それだけでどこまでも頑張れる気になるって」

    蘭「それをあたしたちも巴からよく聞いてるんで……」

    モカ「湊さんも言ってましたねぇ。『無人島に1つだけ食料を持っていけるなら、私は迷いなくリサのクッキーを選ぶわ』って」

    つぐみ「『私はまだまだですが、今井さんのものはお店顔負けの味よ』って紗夜さんも言ってましたよ。ウチのとどっちが美味しいですか、って冗談で聞いたら30分くらいずっと考えこんじゃってましたけど……」

    リサ「そ、そうなんだ。そこまでハードル上げられるとちょっと困るけどなぁ……」

    モカ「さーさーリサさーん、ぎぶみークッキ~」

    リサ「ん、じゃあこれ。はいどーぞ」

    モカ「わーい。早速いただきま~す」サク

    つぐみ「ありがとうございます。頂きますね」サク

    巴「いただきます!」サク

    蘭「あたしも1つ貰います」サク

    リサ「……どう?」

    巴「おー、すっげーうまい!」

    蘭「うん……聞いてた以上に美味しいかも」

    リサ「そっかそっか。期待を裏切らないで済んでよかったよ」

    つぐみ「ウチのお店で出せますよ、これ」

    リサ「いや、それはちょっと褒めすぎだと思うよ?」

    モカ「そんなことないっすよー、さっすがリサさん~」サクサクサクサク


    129: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:16:42.93 ID:XMsLd2FV0


    ひまり「うー、みんないいなぁ~。私もリサ先輩のクッキー食べたいなぁ……」

    友希那「…………」

    ひまり「……友希那さん? なんだか怖い顔になってますよ?」

    友希那「……リサのクッキー……思えばアレだって私だけのものだったのに……」

    ひまり「あの……」

    友希那「ロゼリアのみんなは別に……まったく気にしていないと言ったら嘘になるかもしれないけれどいいわ。けどアフターグロウにまで……」ブツブツ

    ひまり(ひぇぇ……なんだかよく分からないけど友希那さんが怖い顔で色々呟いてるよぉ……)


    130: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:17:29.62 ID:XMsLd2FV0


    ――練習後 ファーストフード店――

    リサ「今日は練習に混ぜてくれてありがとね、みんな」

    モカ「いえいーえ~」

    巴「むしろアタシたちの方がクッキー貰ったりしちゃってましたし、全然気にしないで平気ですよ」

    つぐみ「そうですよ。色々気遣ってくれて、すごく練習に集中できましたから。ね、蘭ちゃん」

    蘭「……まぁ、そうだね。いい刺激になったっていうか、リサさんとならたまにはいいかなって思いました」

    リサ「あはは、蘭にもちゃんと認めてもらえてよかったよ」

    モカ「もうちょっと素直な言葉を選べれば満点なんですけどねぇ、蘭も」

    蘭「うるさい」


    131: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:18:33.93 ID:XMsLd2FV0


    ―少し離れたテーブル―

    ひまり「…………」

    友希那「…………」

    ひまり(き、気まずい……)

    ひまり(友希那さん、もう睨みつけるってくらい目つきが鋭くなってるし、何も喋らないし……)

    ひまり(うぅ……私もあっちに混ざりたい……)

    友希那「……なんなのかしらね」

    ひまり「は、はいっ!?」

    友希那「なんなのかしら、本当に」

    ひまり「え、えと……何が……ですか?」

    友希那「私の胸中を焦がすこの感情の名前よ」

    ひまり「その、どんな感じの気持ちなんですか、それって?」


    132: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:19:31.41 ID:XMsLd2FV0


    友希那「……言葉にするのが難しいわ。何かこう、大切なモノを目の前で奪われそうな焦燥感というか、手を伸ばせば届きそうなのに届かないもどかしさというか、今すぐにでもあの場に割って入りたいような気がするけどしたくないというか……」

    ひまり「…………」

    友希那「なんなのかしらね。無性にイライラしそうでしないような、居ても立っても居られないけど何もしたくないような……」

    ひまり「うーん……?」

    ひまり(確かに分かりそうで微妙に分からないなぁ……。あれ、でも確かそんな感じの気持ち、何かで見た気が……)

    ひまり「……あっ!」

    友希那「どうかしたの?」

    ひまり(そ、そうだ……これってアレだ! 少女漫画で見たやつだ!)

    ひまり(主人公の女の子が恋してる男の子が他の子と仲良くしてて、それですっごくモヤモヤしてて……それと同じやつだ!)

    友希那「あの……」


    133: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:20:01.79 ID:XMsLd2FV0


    ひまり(え、でもそれだと友希那さんはリサ先輩にって……!?)

    ひまり(え!? ええー!? あ、いや、でもでも、確かにあの少女漫画でもそういう女の子同士でって話があったし……)

    ひまり(キリっとしてて凛々しい友希那さんと、優しくて世話好きなリサ先輩が寄り添って……きゃーっ! なんかすっごく絵になるし素敵じゃん!!)

    ひまり(これはもう、恋のキューピッドひまりちゃんの出番だよね!! そうと決まれば……)

    友希那「上原さん? なんだか表情が百面相だけど、大丈夫?」

    ひまり「はい、大丈夫です!!」フンス

    友希那「そ、そう……?」


    134: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:21:15.27 ID:XMsLd2FV0


    ひまり「……友希那さん」

    友希那「な、なにかしら?」

    ひまり「友希那さんが抱える気持ちの正体、分かりましたよ……」

    友希那「え、本当?」

    ひまり「はい。その気持ち、まさしく愛と呼ばれるものです!!」

    友希那「あ、愛……!?」

    ひまり「はい!! 友希那さんがもどかしくて焦るような気持ちを抱くのも、きっとリサ先輩を愛しているからです!!」

    友希那「ちょ、う、上原さん、声が大きいわよ!?」

    ひまり「あ、ごめんなさい。つい興奮して」

    友希那「い、いえ……それで、その」

    ひまり「愛ですよ、愛」

    友希那「愛って……別に私とリサはそんな……」


    135: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:22:14.85 ID:XMsLd2FV0


    ひまり「友希那さん、愛には色んな形があるんです」

    ひまり「友達に接するものだって友愛ですし、誰かに優しくするのだって慈愛です!」

    友希那「えぇと……」

    ひまり「友希那さんが抱いてるものがどんな形なのかは分かりませんけど、でもリサ先輩への愛があるっていうことは間違いないハズ! リサ先輩のこと、好きですよね?」

    友希那「好きか嫌いかで聞かれれば、それは確かに好きだけど……」

    ひまり「なら今はそれだけでいいんです! あとは自分の思うように行動すればそれでいいんです!」

    友希那「……そ、そう……なのかしら……」

    ひまり「恋愛経験が(漫画とかドラマの知識で)豊富な私が言うんだから間違いありません!」

    友希那「…………」

    ひまり「さぁ友希那さん。あとは自分の気持ちに正直になるだけです」

    友希那「正直に……」

    ひまり「はい!」


    136: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:23:15.46 ID:XMsLd2FV0


    友希那「……確かに、私はアフターグロウのみんなと仲良くしているリサを見てずっとモヤモヤしていたわ」

    友希那「昔はずっと一緒だったのに、知り合いも増えて……優しくて頼りがいのあるリサのことだもの。みんなの人気者になるのは仕方がないこと……」

    友希那「だけど、確かにそれは面白くない。私の目の前で……いや、それだけじゃない。私の知らない場所でリサが誰かに私に向ける以上の笑顔を見せているかもしれないなんて、そんなの我慢ならない……!」

    ひまり「それです! その気持ちの赴くままに、身体を動かすんです!!」

    友希那「分かったわ。……経験に基づく的確なアドバイスをありがとう」

    ひまり「いえいえ! 私は愛の伝道師ですから! 全ての恋する乙女の味方ですからっ!!」

    友希那「それでもありがとう。ちょっとリサと共に果てを目指してくるわ」

    ひまり「頑張ってください、友希那さん!」

    ひまり(ついに迷いを振り切ったんですね……! 凛とした後ろ姿からONENESSが聞こえてくるみたい……!!)


    137: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:24:00.47 ID:XMsLd2FV0


    ―アフターグロウ+リサのテーブル―

    つぐみ「なんだかリサ先輩と話してるとすごく落ち着くな……」

    モカ「もういっそアフターグロウに来ちゃいます、リサさん?」

    リサ「いやいや、それは流石に無理だってば」

    友希那「その通りよ」

    蘭「わっ!?」

    巴「うぉ!?」

    リサ「え、友希那? どうしてここに?」

    友希那「今日1日、スタジオで練習しているところからずっとあなたたちを見ていたわ」

    つぐみ「え、そうだったんですか……?」

    蘭「全然気付かなかった……」

    巴「ああ……」

    モカ「ありゃ、ひーちゃんと湊さん、ずっと扉の窓から覗いてたのにみんな気付いてなかったんだ」

    巴「気付いてたなら言ってくれよ」

    モカ「めんごめんご~」


    138: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:24:46.25 ID:XMsLd2FV0


    リサ「それでどうしたの、友希那? なんだかいつも以上に力強い目になってるけど」

    友希那「リサ、あなたをアフターグロウの元へ行かせるわけにはいかないわ」

    蘭「え、でも1日交換って言ってきたの湊さんじゃ……」

    モカ「しー、なんだかいいところみたいだから黙ってた方がいいよー」

    友希那「あなたはロゼリアに……いえ、もうそんな言葉で取り繕うのはやめにするわ」

    友希那「リサ」

    リサ「あ、うん、なに?」

    友希那「あなたは私にとって必要不可欠よ」

    リサ「……え?」

    友希那「ロゼリアだとか、バンドだとか、そういうのを抜きにして……私の人生において、あなたという存在は一生欠かすことができないの。だから私の隣にずっといて頂戴、リサ」

    リサ「え、ええ!?」

    つぐみ「こ、これってプロポーズ……?」

    巴「いや、そう聞こえるけど流石に違うだろ……?」


    139: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:25:27.92 ID:XMsLd2FV0


    友希那「さぁ、共に往きましょう」

    リサ「い、往くってどこに!?」

    友希那「愛が呼ぶほうへ」

    リサ「どこそれ!? ちょ、友希那っ、そんな急に手を取って引っ張んないでって……!」

    友希那「心が呼ぶ方へ 翔けるパルス……」

    リサ「なんでONENESS歌ってるの!? せめて行き先だけでも教え――……」

    蘭「…………」

    モカ「…………」

    つぐみ「…………」

    巴「…………」


    140: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/01(火) 18:27:08.20 ID:XMsLd2FV0


    モカ「……行ってしまいましたなぁ」

    蘭「なんだったの、アレ……?」

    巴「さぁ……?」

    ひまり「ふふ……青春ってやつじゃよ……」

    つぐみ「わっ、ひまりちゃん!?」

    ひまり「はぁー、若いっていいなぁ……これぞ恋する乙女の青春だよねぇ、うふふ♪」

    モカ「まーたひーちゃんがワケ分かんないこと言ってる」

    巴「『若い』って……2人ともアタシらの先輩だぞ?」

    蘭「……とりあえずどうすればいいんだろ、あたしたち」

    モカ「まー、みんなでゆっくりお喋りして帰ればいーんじゃない?」

    つぐみ「いいのかな……先輩たちを放っておいて……」

    ひまり「大丈夫。きっと愛を謳って謳って雲の上だよ」

    蘭「それ別れの歌じゃん……」


    それからのち、友希那さんが色々暴走するようになってリサ姉も満更じゃなさそうにそれに付き合って紗夜さんとりんりんがあこちゃんの教育に悪影響だと頭を悩ませるようになるのは別の話。

    おわり


    143: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 11:54:56.49 ID:yvQ2HiJo0


    羽沢つぐみ「出られない部屋」

    ※キャラ崩壊してます


    144: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 11:55:48.47 ID:yvQ2HiJo0


    ――弦巻邸――

    氷川紗夜「……はい?」

    羽沢つぐみ「……え?」

    弦巻こころ「出られない部屋よ!」

    紗夜「あの、急に連れてこられてそんなことを言われても、理解が及ばないのですが」

    つぐみ「ど、どういうことなの、こころちゃん?」

    こころ「黒服の人たちが作ってくれたのよ! 入った2人がとーっても仲良くなるっていう素敵な部屋を!」

    紗夜「えぇと……」

    つぐみ「つまり、そこに私と紗夜さんで入ってってこと……?」

    こころ「そういうことね!」


    145: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 11:56:46.70 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜「……どうしてそんなものに私と羽沢さんが」

    こころ「ちょうど2人でいたじゃない? それに花音が言っていたのよ。よく紗夜とつぐみが一緒にお茶してるって」

    つぐみ「う、うん、よく一緒にウチでお茶はしてるけど……」

    こころ「2人がもっともーっと仲良くなるなら2人も幸せだし、きっと世界中にも笑顔が増えるわ!」

    紗夜「そんなバカな……私はともかく、羽沢さんをそれに付き合わせるのは申し訳がないですから、遠慮させていただきます」

    つぐみ「そ、そうですね。私は別にいいですけど、紗夜さんに付き合ってもらうのは悪いですし……」

    こころ「あら、そうなの?」

    紗夜「ええ。私は別に構いませんが、羽沢さんが……」

    つぐみ「はい。私は入ってもいいですけど、やっぱり紗夜さんが……」

    こころ「んー、2人とも美咲みたいなことを言ってるし、きっと大丈夫ね! それじゃあ、あたしは出て行くわね!」

    紗夜「はい?」

    つぐみ「え?」

    こころ「そこのモニターにお題が出るらしいわよ! それじゃあ!」ガチャ、パタン


    146: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 11:57:29.32 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜「え、あの、弦巻さん?」

    つぐみ「行っちゃった……」

    紗夜「…………」

    つぐみ「…………」

    紗夜「……何かとても嫌な予感がするわね」

    つぐみ「……紗夜さんもですか?」

    紗夜「ええ。まさかとは思うけれど……」ガッ、ガッ

    つぐみ「そのまさか……ですか」

    紗夜「……ドアが開かない、わね……」

    つぐみ「そう……なんですね……」

    紗夜「…………」

    つぐみ「…………」

    紗夜「つまりこの部屋が」

    つぐみ「何かをしないと出られない部屋……」


    147: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 11:58:43.95 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜「はぁ……すみません、羽沢さん。弦巻さんのお願いを安請負したせいで変なことになってしまって」

    つぐみ「い、いえいえ……私もこころちゃんに普通についてきちゃいましたし、紗夜さんのせいじゃないですよ」

    紗夜「そう言って頂けると助かります」

    つぐみ「はい。それよりも何かをしないとってこころちゃんが言ってましたけど、何をすればいいんですかね?」

    紗夜「そういえばモニターにお題が出ると言ってたわね……」

    つぐみ「モニター……アレかなぁ、なんだかこれ見よがしに目の前にボタンがある……」

    紗夜「十中八九それね」

    つぐみ「押さないといけない……んですよね、コレ」

    紗夜「ええ、恐らく。とりあえずこうしていても仕方がないし、押してみましょうか」

    つぐみ「はい」

    紗夜「……どうしてこんなことになったのかしらね……せっかく2人で……」ポチ

    つぐみ「紗夜さん? 何か言いましたか?」

    紗夜「いえ、何でもありません」


    148: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 11:59:29.94 ID:yvQ2HiJo0


    モニター<ブゥン

    つぐみ「あ、モニターに電源が入ったみたいですね」

    モニター『 … … お題 』

    モニター『相手の太ももに10分間顔を挟まないと出られない部屋』

    紗夜「!?」

    つぐみ「!?」

    紗夜「えっ、まさか……これをやれと……!?」

    つぐみ「え、えぇ!?」


    149: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:00:16.33 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜「つ、弦巻さん、ちょっと説明してください!」ドンドン!

    つぐみ「ふ、太ももに顔をって……えええ……!?」

    紗夜「はぁ、はぁ……どれだけドアを叩いても反応がないわ……」

    つぐみ「ええ……でも……それはまだ早いような……」

    紗夜「ドアノブもビクともしない……弦巻財閥はこんなことにお金をかけていないでもっと社会貢献をすればいいのに……」

    つぐみ「だけど……不可抗力だし……」

    紗夜「……羽沢さん?」

    つぐみ「はっ、はい!?」

    紗夜「呆けていましたけど大丈夫……いや、大丈夫な訳がないわね。変な部屋に取り残されたと思ったらこんなふざけた言葉が出てきて……」

    つぐみ「い、いえ……」

    紗夜「はぁー……どうすればいいのかしら」


    150: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:01:06.94 ID:yvQ2HiJo0


    つぐみ「……あ、あの、紗夜さん」

    紗夜「はい?」

    つぐみ「その……やらないと出られない……んですよね、きっと」

    紗夜「まぁ……ここには弦巻財閥の無駄に高度な技術がふんだんに投入されているでしょうから、恐らくは」

    つぐみ「そ、それなら……するしかないですよね」

    紗夜「え」

    つぐみ「ふっ、不可抗力ですから! これはその、仕方ないことですから! やらないと出られないんじゃ私のせいで紗夜さんにもすっごく迷惑がかかっちゃいますし、仕方ないことですから!」

    紗夜「え、いえ……羽沢さんというより弦巻さんに迷惑をかけられていて、私たちは被害者のような……」

    つぐみ「細かいことはいいんです! だ、だから、その……」

    紗夜「…………」

    つぐみ「だ、だめ、ですか……?」

    紗夜「……い、いえ……私は別に全然まったく構いもしないけれど、羽沢さんに面倒をかけるのは少し間違っているのではないかと」

    つぐみ「大丈夫ですっ、私の方こそ紗夜さんに迷惑をかけてしまってもう申し訳ない気持ちでいっぱいなので気にしないで下さいっ」

    紗夜「え、ええ、分かりました。それでは……」

    つぐみ「えと……」

    紗夜「太ももに顔を挟む……」

    つぐみ「…………」

    紗夜「…………」


    151: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:02:08.16 ID:yvQ2HiJo0


    つぐみ「あっ、あれじゃないですか!? ひ、膝枕みたいな!」

    紗夜「ひ、膝枕……?」

    つぐみ「流石に太ももに顔をっていうのはまだ早いですし、きっとそういうことですよ!!」

    紗夜「そ、そう言われてみればそうねっ」

    つぐみ「…………」

    紗夜「…………」

    つぐみ「あ、あのっ、紗夜さんさえ良かったら……私の膝……使っていいですよ?」

    紗夜「え、えぇと、私は嫌な気は全然しないんですが、その、羽沢さんは嫌な」

    つぐみ「大丈夫です!!」

    紗夜「そっ、そうですか」

    つぐみ「いつでも大丈夫です! 紗夜さんがソファに寝転がれるように端に寄りますね!!」

    紗夜「ありがとうございます……でいいのかしら? それでは少し……失礼します」

    つぐみ「はいっ」


    152: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:02:54.14 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜(どれくらいの力加減で頭を乗せればいいのかしら……分からないけれど、ゆっくり乗せればいいかしらね)

    つぐみ(さ、紗夜さんの綺麗な髪が私の膝をくすぐってる……わわわ、なんだかすごくいけないことしてるみたい……)

    紗夜(ソファに身体を横にして……そっと、そっと)コテン

    つぐみ「ふわぁ……」

    紗夜「あ、ご、ごめんなさい、重かったかしら?」

    つぐみ「いえっ、全然そんなことないです!」

    紗夜「そ、それならよかった」

    つぐみ(紗夜さんの程よい重さと温かさが私の膝に……)

    紗夜(羽沢さんの服から微かに珈琲のいい香りが……)

    つぐみ「…………」

    紗夜「…………」

    つぐみ&紗夜(どうしよう、想像以上に心地いい)


    153: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:03:34.03 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜(何か言うべきかしら……僅かであるけど私の方が先輩ではあるし、ここは気の利いた言葉の1つでも……いや、でもなんて言えば? 羽沢さんの膝、気持ちいいですね……いえ、これだとヘソタイみたいな響きになってしまうわ……)

    つぐみ(わー、わーっ、膝の上に紗夜さんの頭があるだけなのになんでこんなに幸せな気持ちになるんだろ!? すごくドキドキしてるし、なんだかクセになりそう……。紗夜さんはどう思ってるのかなぁ、あっちじゃなくてこっちに顔向けてくれないかなぁ)


    154: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:04:03.34 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜(そもそも、そもそもの話、後輩に膝枕をしてもらうということが色々と間違っている気がしてならない。だけどなんだか懐かしい気持ちというか、母の胸に抱かれた気持ちというか父の背におぶさった気持ちというか、まるで春に吹く風のようにどこかノスタルジックで心地のいい爽やかな懐かしさが胸に去来しているから、少しくらい間違えてもいいのではないかという思いがないでもないわ)

    つぐみ(紗夜さんは何を考えてるのかな。あれかなぁ、髪の毛撫でたりしたらやっぱり怒られるっていうか嫌な気分になっちゃうかな? でも撫でたいなぁ、紗夜さんに無防備に横顔を晒されて何もしないでいなさいなんて言われても無理だし、今ここにめん棒と耳かきがあれば絶対に私は耳かきしてただろうなぁ。こころちゃんに言えば用意してくれたりしないかなぁ)


    155: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:04:51.64 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜(だけどやっぱり、こう、先輩として、風紀委員として、やっていいことと悪いことの判断はまだしっかり出来るわ。もしもこの状態で何か優しい響きの言葉を囁かれたり髪を梳かれたりなんかしたらもう理性がどこかへ旅立ってしまうだろうことは痛いほど分かるけれど、まだ大丈夫。流石に羽沢さんだってそんなことをしようだなんて微塵も考えてはいないだろうし、きっと私の理性はこの部屋を出るための10分の間で崩壊することはないはず。だからこのまま黙っていればいいんだ。この、心を解きほぐすような緩やかな温もりと珈琲の微かな優しい香りに身を委ねていていいんだ。不可抗力だから仕方のないことよね)

    つぐみ(撫でたい。すごく撫でたい。緩いウェーブのかかった髪に指を通したい。柔らかくて気持ちいいだろうなぁ。膝にちょっと触れただけであんなにくすぐったくて気持ちよかったんだから、手でそれに触れられたら絶対にもっと気持ちいいだろうなぁ。でも流石に私が気持ちよくなるためだけに紗夜さんに触れるだなんてよくないことだし、そんなことを言って幻滅されたりなんかしたら今年一杯は立ち直れないだろうからちょっとなぁ。……でもこの情況がもう既に色々とよくないことだし、今ならちょっとくらいよくないことを重ねても神様は見逃してくれるんじゃないかな)


    156: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:05:21.05 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜(ああ……一度仕方がないと受け入れてしまうとダメだ……なんだか瞼が重くなってきてしまった……マズイ、このままでは眠ってしまうわ。羽沢さんに膝枕されて眠るだなんて威厳や体面的な部分からしてあまり好ましくないことは間違いないけれど、それ以上にこの心地よさを与えてくれる時間を眠って過ごすことがものすごくもったいない。機会損失だ。仕方のないことなのだからいっそもうこの時間を楽しんでしまえという気持ちがあるから眠りたくない。それにあっさりと眠りに落ちる私を羽沢さんが見たらどう思うだろうか。きっと『部屋から出るために仕方なくやっていることなのに一人で眠るなんて、勝手な人だ』と思われてしまうに違いない。ここは耐え忍ばなければならない)

    つぐみ(いっそ紗夜さん、寝てくれないかなぁ。もしも紗夜さんが瞳を閉じて穏やかな寝息を漏らしたなら……あー、やっぱりダメかも。うん、ダメだよ。私に身を預けて眠る紗夜さんが目の前にいたら、絶対髪の毛を撫でるだけじゃ終わらないもん。余すことなく髪の毛先までその感触を堪能したあと、そーっと紗夜さんの顔を動かして、私の方に向けちゃうもん。紗夜さんの無防備で可愛い寝顔を独り占めしちゃうよ、絶対。それは流石にマズイと思う。そんな顔を見せられたら私は何をしちゃうのか……想像できない。とりあえず写真撮っちゃうし、それで済めばいいけど、もしかしたらもしかしちゃう可能性がすごく大きい。高校生にそれはまだ早い……あ、でもひまりちゃんが「今時の女の子はそーいうものなの!」みたいなこと言ってたなぁ。じゃあいいのかな? いいんじゃないかな?)


    157: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:05:57.25 ID:yvQ2HiJo0


    ドア<カチャ

    紗夜「おや……?」

    つぐみ「うん……?」

    紗夜「ドアから音がした……わね」

    つぐみ「しました……ね」

    紗夜「……気付かないうちに10分が経っていたのかしら」

    つぐみ「……たぶん?」

    紗夜「開いた……のかしらね」

    つぐみ「もしかしたら……」

    紗夜「…………」

    つぐみ「…………」


    158: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:06:37.57 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜「……一応、様子を見てきま」

    つぐみ「いえ私が行きます」

    紗夜「え、ですが」

    つぐみ「大丈夫です。ちょっと紗夜さん、頭持ち上げてもらってもいいですか」

    紗夜「あ、はい」

    つぐみ「ありがとうございます。それでは……」スッ、スタスタ、ガチャパタン

    紗夜「え」

    つぐみ「…………」ガッ、ガッ

    紗夜「あの」

    つぐみ「ごめんなさい紗夜さん。開いてたんですけど、うっかりまた閉めちゃいました。開けて閉めちゃったんで、また鍵がかかっちゃいました」

    紗夜「…………」

    つぐみ「……だから、その……」


    159: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:07:24.48 ID:yvQ2HiJo0


    紗夜「……し、」

    つぐみ「し……?」

    紗夜「し、仕方がないですね。弦巻さんのお宅はドアもいい素材を使っていますからどれも重たいでしょうし、そういう時もあるわよね」

    つぐみ「そ、そうなんです。ついうっかり」

    紗夜「間違いというものは誰にでも存在しますからそれを責めるだなんてことは私には出来ません。これも不可抗力というものね」

    つぐみ「そうです不可抗力ですこれは仕方のないことだったんです本当にごめんなさい紗夜さん」

    紗夜「羽沢さんが謝る必要なんて微塵もありませんよこれは不可抗力であって致し方のないことですしそもそもの原因は弦巻さんにありますから私と羽沢さんがこの部屋で膝枕をするのも何も悪いことではありません」

    つぐみ「ですよね!」

    紗夜「ええ」

    つぐみ「それじゃあ、紗夜さん」

    紗夜「はい。また少し失礼します」


    160: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/07(月) 12:08:13.73 ID:yvQ2HiJo0


    つぐみ「……あの、他意はないんですけど……今度はこっち側に顔を向けませんか?」

    紗夜「……そうね。同じ体勢だと正式にカウントされないという可能性が非常に大きいからこれも不可抗力というものですから」

    つぐみ「ですよね!」

    紗夜「ええ」

    つぐみ「それと、紗夜さんの髪を撫でてもいいですか?」

    紗夜「私は羽沢さんに身を預けている立場ですから、羽沢さんの好きなようにしていただいて結構ですよ」

    つぐみ「分かりました!」

    紗夜「だけど……」

    つぐみ「だけど?」

    紗夜「……出来ればでいいので……優しくしてください」

    つぐみ「任せてください!!」


    その後、紗夜さんとつぐみさんがその部屋から出てきたのはもう陽が沈もうかという時間だったとさ

    おわり


    163: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:16:03.18 ID:us+s0Eec0


    山吹沙綾「出られない部屋」

    ※キャラ崩壊してます。


    164: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:16:44.91 ID:us+s0Eec0


    ――弦巻邸――

    弦巻こころ「ということなのよ!」

    山吹沙綾「……え?」

    市ヶ谷有咲「……は?」

    こころ「紗夜とつぐみ、とーっても幸せそうだったの! だからあなたたちにも入って欲しの」

    沙綾「えぇっと……?」

    有咲「話は分かったけど、なんでそれに私と沙綾が……」

    こころ「香澄が言っていたわよ? 沙綾と有咲はどう見ても好き同士なのに、全然素直じゃないんだー、って」

    沙綾「ええ……?」

    有咲「弦巻さんに何言ってんだあのアンポンタンは……」

    こころ「じゃあそういうことだから! 楽しんでいって頂戴!」ガチャ、パタン


    165: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:17:47.06 ID:us+s0Eec0


    沙綾「……行っちゃった」

    有咲「ていうか楽しんでいって頂戴って……まさか?」

    沙綾「…………」ガッ、ガッ

    沙綾「……ドア開かないし、そのまさかっぽいね」

    有咲「マジかよ……この部屋がそうなのかよ……」

    沙綾「うん……」

    有咲「はぁ……」

    沙綾「…………」

    有咲「…………」


    166: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:18:53.02 ID:us+s0Eec0


    沙綾「えぇと、どうしよっか、有咲」

    有咲「どうしようもこうしようも……出るためにはやるしかねーじゃん」

    沙綾「まぁそうだよね。なんだっけ、モニターの前のボタンを押すんだっけ」

    有咲「みたいなこと言ってたなぁ」

    沙綾「モニターの前のボタン……アレかな。これ見よがしに置いてある」

    有咲「それだな。どんなお題が出てくるか知らないけど……まぁあの真面目な紗夜先輩と羽沢さんがすんなり出来るようなもんが出てくるんだし、無理難題が出る訳じゃないだろ」

    沙綾「……でもつぐみ、紗夜先輩が絡むとたまにおかしくなるんだよね」

    有咲「え、マジで?」

    沙綾「マジで。紗夜先輩と出かける時はすごい気合入ったおめかししてるし、羽沢珈琲店に紗夜先輩がいると笑顔が5割増しで輝くし」

    有咲「マジかよ。次から羽沢さんを見る目が変わりそうだよ……って、今はそれはどうでもいいか」

    沙綾「そうだね、とりあえずぱっぱと押して部屋から出ないと。香澄たちを待たせる訳にはいかないし」

    有咲「まぁまだ蔵練(蔵で練習の略)まで3時間くらいあるけどな」

    沙綾「それでも一応ね? それじゃあ押すよー」ポチ

    有咲「ん」


    167: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:19:30.53 ID:us+s0Eec0


    モニター<ブゥン

    モニター『 … … お題 』

    モニター『虫歯があることを白状しないと出られない部屋』

    沙綾「虫歯?」

    有咲「え」

    沙綾「虫歯があることを白状って、なんだかびっくりするくらい拍子抜けだったね」

    有咲「そ、そ、そう……だな」


    168: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:20:03.66 ID:us+s0Eec0


    沙綾「……有咲?」

    有咲「な、なに?」

    沙綾「まさかとは思うけど……」

    有咲「な、なんだよその目は?」

    沙綾「私は虫歯はないよ。有咲は?」

    有咲「あ、ああある訳ねーだろ、そんなガキじゃねーんだから……は、はは……」

    沙綾「でも、部屋の扉開かないみたいだよ?」

    有咲「……なんでだろーなー? 不思議だなー」

    沙綾「…………」

    有咲「…………」


    169: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:20:46.30 ID:us+s0Eec0


    沙綾「ちょっとあーんしてみて、有咲」

    有咲「な、なんでだよ!?」

    沙綾「いやほら、確認しないと」

    有咲「い、いやいや! だったらまず沙綾の方から……」

    沙綾「いいよ。口開けるから見てみて」アーン

    有咲「…………」

    沙綾「ありふぁ?」

    有咲「あ、ああうん、すごく健康的な歯だな」

    沙綾「ん、ありがと。じゃあ次は有咲だね?」

    有咲「…………」フイ

    沙綾「有咲ぁ? どうして顔を背けるのかなぁ?」


    170: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:21:20.56 ID:us+s0Eec0


    有咲「い、いや……ほら、なんてーか……な? 口の中って自分でもあんま見るもんじゃねーし、そういうとこ見られるのちょっと恥ずかしいっていうか……」

    沙綾「私は見せたのに?」

    有咲「そ、それは……ていうかまずそこだよ! 沙綾は恥ずかしくなかったのかよ!?」

    沙綾「別に有咲にならいいかなって私は思うよ」

    有咲「なっ、なんだよそれっ!」

    沙綾「そのままの意味だけど」

    有咲「意味深だよ! ちゃんと想像してみろよっ、無防備に口を開けて、口の中を全部見られるって!」

    沙綾「うーん……確かにそう考えるとちょっと恥ずかしい……かも?」

    有咲「だろ!?」


    171: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:22:27.60 ID:us+s0Eec0


    沙綾「でも有咲、それを私にやらせたよね?」

    有咲「うぐ……」

    沙綾「有咲、恥ずかしいことは私にやらせるのに自分はやらないんだ。酷いなぁ」

    有咲「べ、別に私は強要してねーし! 沙綾が自分から開いたんだろ!?」

    沙綾「有咲が開けっていうから開いたのに……恥ずかしかったなぁ、有咲に口の中全部見られたの……」

    有咲「ちょ、そ、そんな風に言うなよ」

    沙綾「だから今度は私の番だよね?」

    有咲「……え?」

    沙綾「今度は私が有咲の口を開いていい番だよね?」ズイ

    有咲「いや、ちょ、ち、近くねーか沙綾?」

    沙綾「近くない近くない。これも仕方のないことだから。ほらほら、早くしないと練習に遅刻しちゃうよ?」

    有咲「いや、だからってこんな……!」


    172: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:23:09.27 ID:us+s0Eec0


    沙綾「往生際が悪いなぁ。それなら……えい」ギュム

    有咲「なんで私の顔を両手でホールドすんだよ!?」

    沙綾「だって有咲、逃げるし」

    有咲「に、逃げてねーって!」

    沙綾「じゃあちゃんとこっちに顔向けて、お口あーん出来る?」

    有咲「…………」

    沙綾「有咲?」

    有咲「……そ、それは……恥ずかしいから……やっぱ無理……」

    沙綾「…………」ゾクゾク


    173: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:23:47.60 ID:us+s0Eec0


    沙綾「ふ、ふふ……」

    有咲「……さ、沙綾? なんか、笑顔が怖くなってない?」

    沙綾「気のせいだと思うよ?」

    有咲「気のせいか……? なんかすげー嫌な予感がするけど……」

    沙綾「気のせい気のせい。別に、有咲の恥ずかしがってる顔が素敵だなぁとかもっと意地悪したいなぁとかそのあとすごく優しくしたいなぁとか全然思ってないよ」

    有咲「ぜってー気のせいじゃねーだろ!?」

    沙綾「さ、有咲。お口あーんしよ?」

    有咲「だ、だからそれは恥ずかしいんだって!」

    沙綾「ダメだよー、ちゃんと見せてくれないと。虫歯があるって白状しないと出られない部屋なんだから」

    有咲「だ、だから……はっ、そうか!」

    沙綾「ん?」


    174: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:24:51.47 ID:us+s0Eec0


    有咲「私、実は虫歯があるんだ! ちょっと昔に出来たやつだけど!」

    ドア<カチャ

    有咲「開いた! ほら、今ドアから音した! だから沙綾、ちょっと離れ――」

    沙綾「気のせいじゃない?」

    有咲「気のせいじゃねーよ!」

    沙綾「私には聞こえなかったなぁ」

    有咲「嘘つけ!」

    沙綾「まぁ確かに有咲の言う通りドアは開いたかもしれないね。でもさ、有咲の口の中に虫歯があることは確実だよね?」

    有咲「い、いや、まぁそうだけど……」

    沙綾「よくないなー、それはよくない。ちゃんとどこにあるか確認しないと」

    有咲「ど、どうして沙綾がそんなこと確認するんだよ!?」

    沙綾「有咲のこともっと知りたいから、かな?」

    有咲「んなっ……」


    175: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:25:39.14 ID:us+s0Eec0


    沙綾「ねぇ有咲。有咲のこと……恥ずかしいところも隠したい場所も、全部見せて欲しいな」

    有咲「ちょ、そんな……」

    沙綾「私に見せるの、嫌?」

    有咲「や、やめろって……そんなの……」

    沙綾「嫌なら振りほどいて欲しいな」

    有咲「……ぅぅ」

    沙綾「振りほどかないんだ? 有咲、本当は見せたいんだ?」

    有咲「耳元でそんなこと囁かないでくれ……違うんだよ……」

    沙綾「何が違うの? 恥ずかしいんだよね? 恥ずかしいのに、でも嫌じゃないんだよね?」

    有咲「それは……」


    176: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:26:38.35 ID:us+s0Eec0


    沙綾「ふふっ。やっぱり有咲、すっごく可愛いなぁ」

    有咲「…………」フイ

    沙綾「こーら。ちゃんとこっちに向いてないとダメだよ? ほら、怖くないよ。大丈夫だよ。ね? 痛いことはしないから、有咲の顔を見せて欲しいな」

    有咲「……わ、分かったよ……」

    沙綾「ちゃんとこっち向けたね。えらいえらい。それじゃあほら、あーんして?」

    有咲「……そ、それは」

    沙綾「やっぱり恥ずかしい? それなら……私が開けてあげよっか?」

    有咲「いや、それはもっと恥ずかしい……や、やめろって……頼むから、私の口元に指を這わせないで……」

    沙綾「やめてほしい? やめてほしいなら、ちゃんと態度で示して欲しいなぁ」

    有咲「……どうすりゃいいんだよ」

    沙綾「私の顔を見て、嫌だって言ってくれたらいいよ。有咲が本当に嫌がることはしたくないから」

    有咲「…………」


    177: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:27:16.48 ID:us+s0Eec0


    沙綾「言えない? そっかぁ、言えないんだ。有咲も本当は嫌じゃないんだ? 恥ずかしいだけで、本当は嬉しいんだ?」

    有咲「う、うるせー……沙綾なんてキライだ……」

    沙綾「ふふ、ごめんね。イジワルしすぎちゃったね」

    有咲「……知るかっ」

    沙綾「本当に可愛いなぁ、有咲は。さ、それじゃああーん、しよっか?」

    有咲「…………」

    沙綾「大丈夫だよ。有咲がちゃんとあーん出来るまで待ってるから。もう急かさないよ。ゆっくりでもいいんだよ」

    有咲「…………」

    沙綾「頑張れるかな? 頑張れるよね? 有咲はやれば出来る女の子だもんね。しっかり出来るまでちゃんと見守ってるからね」

    有咲「……あ、あーん……」

    沙綾「えらいえらい。ちゃんとあーん出来たね。それじゃあ、ちょっと確かめさせてもらうね?」ナデナデ

    有咲「ふあ……」


    178: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:27:55.83 ID:us+s0Eec0


    沙綾「虫歯さんはどこかなぁ。可愛い有咲を苦しめる悪い子はどこかなぁ」

    有咲「…………」

    沙綾「あ、見つけた。右の奥歯だね。磨きづらいところに出来ちゃったんだ」

    有咲「……うぅ」

    沙綾「大丈夫だよ。恥ずかしくないよ。歯を磨いてたって、大人だって虫歯は出来るんだから。ちゃんと治しに行こうね?」

    有咲「…………」

    沙綾「あ、もしかして……歯医者さんが怖いのかな? 大丈夫だよ。そうしたら私が一緒に行ってあげるから。怖いことなんてないよ。大丈夫。私がちゃんと見守ってるからね?」

    有咲「……うん」

    沙綾「有咲はいい子だね。えらいえらい。恥ずかしいのに頑張って見せてくれてありがとね。もうお口閉じて平気だよ」ナデナデ

    有咲「ん……」


    179: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/09(水) 05:28:56.53 ID:us+s0Eec0


    沙綾「さ、それじゃあ……」

    有咲「あ……」

    沙綾「次はこころから歯ブラシ借りてきて、有咲の歯磨きしてあげるよ」

    沙綾「もう二度と有咲を苦しめる虫歯が出来ないように、歯も舌も、口の中の隅々まで、全部綺麗にしてあげるからね?」

    有咲「…………」

    有咲「……うん」

    沙綾「素直な可愛い有咲も大好きだよ」

    有咲「私も……沙綾のことだいすき……」


    このあとめちゃくちゃ歯磨きした。練習には遅刻した。

    おわり


    182: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:40:45.57 ID:4bsrTqkA0


    湊友希那「雑談」


    183: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:41:25.32 ID:4bsrTqkA0


    ――ファミレス――

    湊友希那「…………」

    氷川紗夜「…………」


    184: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:42:34.62 ID:4bsrTqkA0


    友希那「この前」

    紗夜「はい」

    友希那「本を読んだの」

    紗夜「どんな本ですか?」

    友希那「猫を乗せたタクシーの物語よ」

    紗夜「ああ、小さな頃にドラマを少し見た覚えがあります。三毛猫を助手席に乗せて営業するタクシーの話ですね」

    友希那「ええ、それね。それで思ったんだけど……猫って可愛いわよね」

    紗夜「そうですね。動物というのは基本的にみんな愛くるしいですから、癒されますね」

    友希那「紗夜は犬の方が好きなのよね」

    紗夜「ええ。ですが、可愛いものを嫌いな人はそうそういないですから、猫も好きですよ」

    友希那「そう。私も、猫の方が好きだけど犬だってそれなりに好きよ」

    紗夜「はい」


    185: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:43:01.77 ID:4bsrTqkA0


    友希那「…………」

    紗夜「…………」


    186: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:43:38.54 ID:4bsrTqkA0


    友希那「動物と言えば」

    紗夜「はい」

    友希那「アニマルセラピーってあるわよね」

    紗夜「ありますね」

    友希那「医療の場にも可愛い動物が活躍しているということは、私たちもそれを取り組むべきなのではないかしら」

    紗夜「と言うと?」

    友希那「いつぞやかに、スタジオに戸山さんを連れてきたじゃない?」

    紗夜「ああ……猫のあとに連れてきた時の」

    友希那「ええ。だから私たちも、猫と一緒に音楽――」

    紗夜「湊さん」

    友希那「……ごめんなさい。私のミスだわ」

    紗夜「いいえ」

    友希那「お詫びにポテトでも頼むわね」ピンポーン

    紗夜「お詫びであればそれを断るのも湊さんに失礼ですしお言葉に甘えさせて頂きます」


    187: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:44:27.37 ID:4bsrTqkA0


    ウェイトレス「ご注文をお伺いします」

    友希那「大盛りフライドポテトを1つと、ドリンクバーを2つお願いします」

    ウェイトレス「かしこまりました」

    友希那「飲み物をとってくるわ。紗夜は何がいいかしら」

    紗夜「……ウーロン茶をお願いします」

    友希那「コーラとかじゃなくていいの?」

    紗夜「何故、そのようなことを聞くんですか?」

    友希那「いつもポテトを食べている時は炭酸を飲んでいるような気がしたからよ」

    紗夜「そうですかそれでは湊さんの親切心を裏切る訳にもいきませんからコーラをお願いします」

    友希那「いえ、別にウーロン茶でも」

    紗夜「コーラでお願いします」

    友希那「分かった。それじゃあ行ってくるわ」

    紗夜「…………」

    紗夜「湊さん、よく見ているわね……」


    188: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:45:31.16 ID:4bsrTqkA0


    友希那「お待たせ」

    紗夜「いえ。ありがとうございます」

    友希那「…………」

    紗夜「…………」

    友希那「話を戻すけど」

    紗夜「はい」

    友希那「可愛いものっていいわよね」

    紗夜「ええ、そうですね」

    友希那「紗夜は何か飼ってみたい動物はいない?」

    紗夜「一番は犬……ですが、鳥もいいんじゃないかと思います」

    友希那「へぇ、鳥」

    紗夜「はい。場所も取りませんし、インコは歌を覚えたりしますから」

    友希那「…………」

    紗夜「これくらいはセーフでは?」

    友希那「……そうね。セーフにしましょう」

    紗夜「よかった」


    189: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:46:07.40 ID:4bsrTqkA0


    友希那「小鳥も確かに可愛いわね」

    紗夜「ええ。この前、ネットでこんな動画を見つけました」スッ

    友希那「なになに……音に合わせて歩くオカメインコの動画……」

    紗夜「はい。飼い主さんがおもちゃの太鼓を叩く音が好きらしくて、ご機嫌で机の上を歩き回る動画です」

    友希那「見てみても?」

    紗夜「是非」

    友希那「ちょっとスマホ借りるわね」

    紗夜「どうぞ」

    友希那「…………」

    紗夜「…………」

    紗夜のスマホ<トコトコトコトコ...


    190: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:46:41.08 ID:4bsrTqkA0


    友希那「……ふふ」

    紗夜「可愛いですよね」

    友希那「ええ。叩くのをやめると足を止めて『やめるの?』という風に飼い主さんを見つめるところなんか、とても愛らしいわ」

    紗夜「そうですよね。私も飼うならこんな小鳥がいいですね」

    友希那「あまり気にしていなかったけれど、確かに小鳥という選択肢もいいわね」

    紗夜「でしょう?」

    友希那「……あら、この紗夜のお気に入りリスト……」

    紗夜「なにか?」

    友希那「……いえ、なんでもないわ。ありがとう、スマホ返すわね」

    紗夜「どういたしまして」

    友希那(お気に入り動画にやたらと『ツグミの鳴き声』とか『ツグミの生態』とかあったけれど……鳥が好きなだけよね)

    紗夜(そういえばこのお気に入りリスト、思わず登録したツグミの動画がたくさんあったわね……まぁお気に入りなのに間違いはないし、湊さんも変な邪推はしないでしょう)


    191: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:47:07.59 ID:4bsrTqkA0


    友希那「…………」

    紗夜「…………」


    192: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:47:58.32 ID:4bsrTqkA0


    ウェイトレス「お待たせしました。大盛りフライドポテトでございます」コトッ

    友希那「どうも」

    ウェイトレス「ごゆっくりどうぞ」

    友希那「どうぞ、紗夜」

    紗夜「ええ、頂きます」

    友希那「まぁ私も食べるんだけど」

    紗夜「…………」モグモグ

    友希那「……そういえば」モグモグ

    紗夜「湊さん、食べながら喋るのはお行儀がよくありません」

    友希那「そうね」

    紗夜「…………」モグモグモグモグ

    友希那(流石紗夜……ポテトを食べるペースが異様に早いわね。なんだか取りづらいわ)モグ、モグ

    紗夜(湊さんはあまり食べないのかしら。なら全部頂いてしまいましょう)モグモグモグモグ


    193: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:49:03.20 ID:4bsrTqkA0


    紗夜「……ごちそうさまでした」

    友希那「…………」

    紗夜「湊さん? どうかしましたか?」

    友希那「いえ……ポテトってこうやって食べるものだったか少し考えていて……」

    紗夜「ポテトは冷める前に食べるのが礼儀だと思いますが」

    友希那「そういうことじゃなくて、例えば……リサとあこが私たちのようにポテトを食べているとするじゃない?」

    紗夜「はい」

    友希那「そうしたら、こう……お互いにポテトをつまみながら、色々なことを話すと思うの」

    紗夜「そうですね。宇田川さんと今井さんならそうするでしょうね」

    友希那「私の印象では、そういう方がファミレスのポテトの正しい食べ方のような気がするのよ」

    紗夜「なるほど。確かにそれも一理あるかもしれません」

    友希那「でしょう?」


    194: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:50:20.27 ID:4bsrTqkA0


    紗夜「ですが、湊さん」

    友希那「何かしら」

    紗夜「食事の作法というのは国や文化、宗教によって千差万別です。それでもそれらの根幹にあるのは食材への感謝に違いありません」

    友希那「そうね」

    紗夜「であれば、宇田川さんや今井さんは話のつまみとして食べることが一番の感謝だとしていて、私と湊さんは美味しいうちに食べることを一番の感謝だとしている。ただそれだけの違いです」

    友希那「……そうなのかしら」

    紗夜「はい。誰が正しくて誰が間違っている、なんて定義すること自体が間違いなのです。全員がポテトに対してそれぞれの信念と正解を持っているんです」

    友希那(そんなに高尚な話だったかしら)

    紗夜「これはきっと音楽にも――」

    友希那「紗夜」

    紗夜「……すみません。少し興が乗り過ぎました」

    友希那「いいのよ。気持ちは分からないでもないから」

    紗夜「お詫びと言っては何ですが、ドリンクバーのおかわりを持ってきます」

    友希那「じゃあ……温かいココアを」

    紗夜「分かりました」

    友希那「…………」

    友希那「……紗夜って時々、とても饒舌になるわよね」

    紗夜「お待たせしました」

    友希那「ありがとう」

    紗夜「いえ」


    195: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:50:50.03 ID:4bsrTqkA0


    友希那「…………」

    紗夜「…………」


    196: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:51:39.46 ID:4bsrTqkA0


    友希那「そういえば」

    紗夜「はい。先ほど言いかけた言葉ですか?」

    友希那「いいえ。……あれ、さっきはどんな話をしようとしていたんだっけ……」

    紗夜「たまにありますよね、そういうことも」

    友希那「ええ。モヤモヤするんだけど、思い出してみれば本当に下らないことだったりするのよね」

    紗夜「分かります。私はあまりないけれど、日菜がよくそんなことを言ってきますから」

    友希那「へぇ、日菜が。確かに簡単に想像できるわね」

    紗夜「はい。よく私の部屋に来ては『なに話そうとしたか忘れちゃった』と言って、そのまま部屋にずっと居座ったりしますから」

    友希那「それは最初から紗夜に構ってもらいたいだけなんじゃないのかしら?」

    紗夜「そうでしょうか? 日菜のことだからパッと思い付いたことをスッと忘れているだけのような気がしますけど」

    友希那「それもあるとは思うけれど、やっぱり一番は紗夜と一緒にいたいってことだと思うわよ」

    紗夜「……言われてみるとそんな気もしてきますね」


    197: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:52:27.85 ID:4bsrTqkA0


    友希那「ええ。日菜だって気が済めばすぐに自分の部屋に戻るでしょうし」

    紗夜「いえ、あの子の気が済むまで、と言っていると夜が明けていたりしますから」

    友希那「そうなの?」

    紗夜「はい。この前の休日は日菜も私の部屋で寝ていました」

    友希那「仲が良いわね。いいことだと思うわよ」

    紗夜「ええ。ただ、別に同じ部屋で寝るのは構わないのですが……」

    友希那「何かあるの?」

    紗夜「たまに寝ぼけて私のベッドに潜り込んでくるのはどうかと思います」

    友希那「別に姉妹ならいいんじゃないかしら?」

    紗夜「大人しくしているならいいんですけど、大抵強く抱き着いてきて寝苦しい思いをするので……」

    友希那「ああ、紗夜がたまに眠そうにしている日があるのはそのせいなのね」

    紗夜「そこだけ直してくれれば特に文句はないのですが……寝相は言っても直すのが難しいでしょうから、半ば諦めていますね」

    友希那「そうね。姉として受け入れるしかないわね」

    紗夜「はい」


    198: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:53:17.58 ID:4bsrTqkA0


    友希那のスマホ<ピッ

    友希那「あら?」

    紗夜「おや?」

    友希那「もう動画撮影のタイマーが作動したわね」

    紗夜「ええ。案外早かったですね」

    友希那「ふふ、音楽の話題を禁止してもしっかり雑談が出来ていたわね」

    紗夜「はい。もうそれなりに付き合いも長いですから、これくらい簡単ですね。あとはこれを今井さんに見せれば……」

    友希那「リベンジ達成ね。あの子ってば、音楽の話題を禁止したら私たちが何も話せないと思ってる節がまだあるものね」

    紗夜「まぁ、お互い少しルール違反をしそうでしたけど」

    友希那「それくらいは目を瞑ってくれるわよ」

    紗夜「そうですね。一応もう少し動画を撮っておきますか?」

    友希那「そうね。ぐうの音も出ないほど完璧な雑談をリサに見せてあげましょう」

    紗夜「はい」


    ……………………


    199: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:54:11.91 ID:4bsrTqkA0


    ――後日 CiRCLE・スタジオ――

    スマホ<ソウネ、アネトシテウケイレルシカナイワネ

    友希那「どうかしら、リサ?」

    紗夜「私と湊さんだって、音楽の話題を禁止されてもこうして雑談が出来るんですよ」

    今井リサ「……ふ、ふふ、そうだね」

    友希那「……? どうしてそんな笑っているのかしら?」

    リサ「いや、なんていうか、ちょっとね?」

    紗夜「私と湊さんの想像ではもう少し驚いたり褒めたりするものだと思っていましたが」

    リサ「褒められると思ってたんだ……ふふ……」

    友希那「何がそんなにおかしいのかしらね?」

    紗夜「さぁ……?」

    リサ(いきなりドヤ顔でスマホ渡されて、こんな動画見せられたらこうなるよ)

    リサ(2人とも生真面目すぎて微笑ましいっていうか……)

    リサ(黙々とポテト食べ続ける紗夜とそれを見てちょっと呆然としてる友希那とかすごく小動物っぽくて可愛いし……思い出すだけで口がにやけそうだよ)


    200: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:55:10.59 ID:4bsrTqkA0


    リサ「うんうん、2人ともやれば出来るんだね。すごいすごい」

    友希那「これくらい当然よ」フンス

    紗夜「ええ、湊さんの言う通りです」フンス

    リサ「すごい得意気……ふふ、かわいい……」

    友希那「リサ?」

    リサ「あ、ううん何でもないよ。……あれ、続きの動画もあるんだ?」

    紗夜「あっ、それは」

    リサ「どれどれ、こっちは……」

    友希那「ちょっとリサ、そっちは……」

    スマホ<ソウイエバ、サヨトコンナニチカイコトッテナカッタワネ...

    リサ「え」

    スマホ<ソウ...デスネ...デモ、ワルイキハシマセン

    リサ(ファミレスの席に隣同士で座って、なんか肩と顔を寄せ合ってる……?)


    201: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:55:46.47 ID:4bsrTqkA0


    友希那「そ、そっちはまた別件になったから、違うやつだから」

    紗夜「そ、その通りです。それはNGというかお蔵入りというか、そういうのですから」

    リサ(しかもなんか2人とも慌ててる……)

    スマホ<ソウネ。タマニハ...イイワネ

    友希那「リ、リサ? そろそろスマホを返してくれないかしら?」

    紗夜「え、ええ。その先は特に面白いこともなにもないですから、見ても何もないですよ?」

    リサ「……もうちょっと見てみたいなぁ」

    友希那「それはダメよ、断固拒否するわ」

    リサ「そこをなんとか――って、紗夜? どしたの、アタシの後ろに立って?」

    紗夜「……それを見せる訳にはいきません」ガシッ

    リサ「えっ」

    紗夜「湊さん、私が今井さんを捕まえているうちに早くスマホを」

    友希那「ナイスプレ―よ、紗夜」スッ

    リサ「ああ、取られちゃった」

    友希那「まったく……人が嫌がることをしてはいけないのよ、リサ」

    紗夜「ええ、その通りです。それにあれは一時の気の迷いですから」


    202: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:56:24.18 ID:4bsrTqkA0


    リサ「……一時の気の迷いって、2人で何してたの?」

    友希那「…………」

    紗夜「…………」

    リサ「友希那? 紗夜?」

    友希那「……それは」

    紗夜「……私と湊さんの秘密です」

    リサ「……そうなんだ」

    リサ(めっちゃ気になる。今度友希那の部屋に泊まりに行ってこっそり見てみよ)

    友希那(あのリサの顔……何かよからぬことを企てているわね)

    紗夜(湊さんの手、意外と柔らかいのよね……って、私は何を考えているのかしら……)


    そんな三者三様の思惑が入り乱れる練習に、りんりんとあこちゃんが首を傾げることになるのでしたとさ。

    おわり


    203: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:57:32.54 ID:4bsrTqkA0


    おまけ


    ――ファミレス――

    友希那「さて、もう一度動画撮影を開始したけど……何か話題ってあるかしら?」

    紗夜「……そういえば」

    友希那「何かあるのね?」

    紗夜「はい。最近、白金さんから電子書籍を勧められました」

    友希那「電子書籍って、あの、スマホで本が読めるっていう?」

    紗夜「それですね。今は月額で読み放題のサービスもあって、なかなか種類も豊富みたいです」

    友希那「へぇ……ネットってすごいのね」

    紗夜「パソコンで世界中の人と一緒にゲームが出来るくらいですから」

    友希那「それで、何か面白い本があったのかしら?」

    紗夜「面白いかどうかは別ですけど、ネット通販の最大手が提供している月額読み放題サービスで、よく実用書などを読みます」

    友希那「実用書……」

    紗夜「それで、今回の目的に合った『会話が15分以上続けられるようになる漫画』というのを昨日読んできました」

    友希那「そんな本まであるのね」

    紗夜「湊さんも読んでみませんか?」

    友希那「そうね。作曲――ええと、これからの人生において何かの糧になるかもしれないから」

    紗夜「では折角なので一緒に読みましょうか」

    友希那「そうしたら……私が紗夜の隣に行けばいいかしらね」

    紗夜「ええ、お願いします」

    友希那「それじゃあ、ちょっと隣に失礼するわね」スッ

    紗夜「はい、どうぞ」


    204: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:58:12.42 ID:4bsrTqkA0


    友希那「それで、これが電子書籍というものなのね」

    紗夜「指先一つでページが捲れますし、場所も取らないのでなかなか便利ですよ」

    友希那「へぇ……」

    紗夜「ただ、白金さんは『小説なんかはやっぱり本という媒体で読みたい』と言っていましたね。私もそれには共感が出来ます」

    友希那「確かに、紙の匂いや感触っていうのもいいものね」

    紗夜「はい。ああ、話が逸れましたね。それで、これがその会話が続くという本です」

    友希那「ふむふむ……会話は気持ちのキャッチボール……」

    紗夜「ええ。難しくああだこうだと考えるより、相手を見て、相手と自分の気持ちを合わせることが大事のようです」

    友希那「なるほどね……それにしても」

    紗夜「はい?」

    友希那「やっぱり2人で1つのスマホを覗き込むのは少し窮屈ね」

    紗夜「そうですね。タブレット端末なんかがあればもっと読みやすいのでしょう……けど」

    友希那「……けど?」


    205: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:58:41.71 ID:4bsrTqkA0


    紗夜「いえ……なんというか……言葉にするのが難しいのですが……湊さんが近いな、と」

    友希那「そういえば、紗夜とこんなに近いことってなかったわね……」

    紗夜「そう……ですね……でも、悪い気はしません」

    友希那「そうね。たまには……いいわね」

    紗夜「……ええ」

    友希那「…………」

    紗夜「…………」

    友希那「つ、次のページに行きましょうか」スッ

    紗夜「え、ええ」スッ

    友希那「あ」

    紗夜「あ」

    友希那(紗夜と手が……)

    紗夜(湊さんと手が……)


    206: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/01/31(木) 23:59:11.10 ID:4bsrTqkA0


    友希那(普段ギターを弾いているところを見ているけど……やっぱり紗夜の指って綺麗よね……)

    紗夜(いつも力強くマイクを握って歌っているけれど……湊さんの手、柔らかいわね……)

    友希那「ご、ごめんなさい、紗夜」

    紗夜「い、いえ、こちらこそ……」

    友希那「…………」

    紗夜「…………」

    友希那(……マズいわね)

    紗夜(何を話したらいいか分からなくなってしまったわ……)

    友希那(……でも)

    紗夜(……けど)

    友希那&紗夜(何故だか沈黙が妙に心地いい……)


    おわり


    208: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:49:48.20 ID:0a3ejGEJ0


    白金燐子「おとぎ話」


    209: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:50:27.21 ID:0a3ejGEJ0


     とある世界にとても大きな大陸がありました。その大陸では昔に戦争が起こり、多くの人が剣を手に取って戦い、死んでいきました。

     その大陸の中央都市からやや北西に外れた街のさらに外れに、一人の物書きがいました。

     彼女は物心ついたころから天涯孤独の身で、必要な時以外には他人と関わらないようにして、息をひそめるように静かに暮らしていました。

     街に住む人々は物書きを「さびしい人間だ」と言って、哀れんだり蔑んだりして、奇異の目を向けていました。

     物書きはそれらの言葉や視線にただただ嫌悪感を抱いていました。

    『人には人それぞれの生き方や考え方があるし、誰にどう思われていようとわたしの人生には関係ない』

     生活に必要なものを買いに街へ出るたび彼女はそう思って、人々の言葉や目から逃れるように、いつも早足で用件を済ませては自分の家に帰りました。

     そしてひとりの家で本を読み、ペンを手に取っては自分の空想を紙上につづって、それを売り物にして生きていました。

     裕福な暮らしではありませんでしたが、物書きはほどほどに幸せでした。

     人間は最低限の関りだけで生きていけるから、この先もずっとこうして生きて、そしていつか誰にも知られずに死んでいくんだろう。

     そう思っていました。


    210: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:51:03.38 ID:0a3ejGEJ0



     ある秋の日でした。

     家の窓から穏やかな風に揺れる木の葉を眺め、ぼんやりと物思いに耽っていると、ドンドン、とドアをノックする音が聞こえました。

     太陽は西へ陰るころで、こんな時間に誰だろうか、と思いながら、物書きは玄関の扉に向かいます。

     閉めていたカギを開けてドアノブを下ろし、少しだけ扉を開いて、その隙間から外をうかがいます。そこには自分のあごほどまでの背丈をした少女が立っていました。

    「すいません、旅をしているんですけど……街の宿がいっぱいで、今晩泊めていただけませんか?」

     ぐるっと一周つばのある帽子を被り、背中に大きなカバンを背負った少女は明るい声でそう言いました。

     物書きは一番に、『どうしてわたしの家を訪ねるのだろうか』と思いました。

     彼女の家は街の外れも外れで、ともすれば人々からは同じ街に住んでいるとは思われていない場所にありました。うっそうと茂る林も近くにあって、滅多なことでは人も寄りつかない場所です。

     街の宿がいっぱいであっても、ここに来るまでにいくらでも民家があっただろうに。

    「実は、どこの家も、私みたいに宿からあぶれた人でいっぱいだって言われちゃって……」

     物書きの考えていることが分かったのか、旅人だと自称した少女はバツが悪そうに頬を掻いていました。


    211: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:51:30.54 ID:0a3ejGEJ0


     それ見て、物書きは少し考えました。

     このまま少女を見過ごせば、きっと野宿をすることだろう。彼女は旅人だと言っているし、出で立ちからしてそれは嘘ではないはずだから、そういうことには慣れていそうだ。きっと断っても問題がない。

     しかし少女を見過ごせば少し寝覚めの悪い思いをするだろう。街の人々とは全く違った少女の無垢な瞳がよりそういう思いを募らせる。

     そのふたつのことを天秤にかけてから、ため息を吐き出して、物書きはこう言いました。

    「ひと晩だけなら……どうぞ」

    「ほんとですか!? ありがとうございます!」

     物書きの言葉を聞いて、旅人の少女はパッと笑顔になりました。

     それに少しだけ落ち着かない気持ちになりながら、彼女は少女を家に招き入れました。


    212: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:52:18.07 ID:0a3ejGEJ0



    「泊めてもらうので、なにか私の荷物で欲しいものがあればどうぞ。本当はお金がいいんですけど、あんまり持ち合わせがなくて……」

     少女が物書きの家に入り、荷物を置いて、一番に口にした言葉がそれでした。

    「別に……」

     物書きは少女の荷物を一瞥もせずにそう答えます。

    「いえいえ! 旅は道連れ世は情け、持ちつ持たれつが長生きの秘訣だって師匠が言っていましたから、遠慮せずに!」

    「…………」

     遠慮ではないんだけど、と言おうとしましたが、それも面倒になったので、物書きはさっさと少女の荷物から何かを貰ってしまおうと思いました。

     しかし彼女の荷物は、おそらく旅で使うのであろう携帯用の日用雑貨や飲み水、日持ちのする食料といったものばかりでした。それを貰うのは少しだけ心苦しいし、そもそも自分にとっては必要がないものだと物書きは思いました。

    「さぁさぁ!」

     そんな物書きの胸中を知らず、少女は楽しそうな表情で急かしてきます。彼女はまた小さくため息を吐いてから、頭に思い浮かんだ案を口に出しました。


    213: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:52:44.96 ID:0a3ejGEJ0


    「……では、話を」

    「はなし?」

    「はい。わたしは物書きなので……あなたの旅の話を聞けば、それを元にした話を思いつくかもしれませんから」

    「そんなものでいいんですか?」

    「あなたにとっては“そんなもの”でも、私にとっては財産になるものかもしれません。あなたの持つ水や食料が私にとって“そんなもの”であるように」

    「分かりました!」

     少しだけ皮肉を込めた物言いをしましたが、少女はまったくそれに気づいていない様子で、「うーんと……」と考えるような仕草をしました。

     それを見て、街の人間に対するような物言いはこの子にしないようにしよう、と物書きは思いました。


    214: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:53:58.94 ID:0a3ejGEJ0



     それから少女は、自分の生い立ちと旅をしようと思ったいきさつを物書きに話し始めました。

     少女は元々、大陸の北の方の国で生まれたこと。

     十年前に起こった戦争で両親が亡くなったこと。

     そこから孤児院で過ごして、そこの院長……少女いわく「師匠」に生きる術を教えてもらったこと。

     そして、幼い頃に母親が読み聞かせてくれた絵本のように、世界を旅してみようと思ったこと。

    「絵本……ですか?」

    「うん! もうずっと昔のことだから、絵本の名前も思い出せないんだけどね。えっと……」

     気づいたら見た目相応の幼い口調になっていた少女は、あごに手を当てて言葉を続けます。

    「青い鳩が病気のお姫様のために、魔法の木の実を採りに行く話なんだ。それでね、そこで他の鳥とか虫とかに会って話をするの。その中の、鳥……だったかな?」

     少女はコホンと咳ばらいをして、

    『自分たちは見えている世界の中だけを生きてるんだ。だから、出来るだけ広い世界を知っていた方がいいに決まってる』

     と、澄ましたような声を作って言いました。

    「その鳥がそういう風なことを言ってて、私も『確かにそうだなぁ』って思っててね? 世界中を見て回ろうって決心したの」

    「……そう……ですか」

    「だからね、師匠に旅の心得とか技術とかを教えてもらって、二年前に孤児院を旅立ったんだ」

    「…………」

     少女はニコリと笑って、何の迷いも後悔もなさそうにそう言いました。

     物書きはそれになんて言葉を返せばいいのか分かりませんでした。

     自分とは似ているようで正反対な少女がただまぶしく見えました。


    215: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:54:28.46 ID:0a3ejGEJ0


     それからも少女は話を続けていきます。

     北の国の孤児院を出て、まずは中央都市に向かったこと。

     そのまま中央都市を通り過ぎて、東の国へ行こうとしたら、正反対の西の国に向かっていたこと。

     自分と同じような旅人と、少しの間だけ一緒に旅をしたこと。

     その時に、悪い人間に騙されてお金を盗まれたこと。

     それでも旅人と協力して、悪い人間をこらしめてお金を取り戻したら、近くの村の人々に感謝されたこと。

     その旅人が村の人間と恋に落ちて、そこでずっと暮らしていくと決めたこと。

     身振りや手振りを交えて、嬉しかったことも悲しかったことも、楽しかったことも大変だったことも、少女は全部を明るい声で話しました。いつしか物書きはその話に没頭していました。

     自分が知らない世界のことを、この幼げな少女はずっとよく知っているんだ。

     自分が空想の中で知った風にしていることを、肌で感じて知っているんだ。

     そう思うと、少女の話はこの世界のどんな書物よりも輝いている素敵なものに感じました。


    216: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:54:55.60 ID:0a3ejGEJ0


    「ふわぁ……」

     旅の話を続けていた少女があくびをして、物書きはすっかり夜が更けていることに気づきました。

    「ごめんなさい、長々と話をさせてしまって」

    「ううん、私も楽しかったから大丈夫だよ」

    「ご飯を食べてもう寝ましょうか」

    「あ、それなら私の食料を……」

    「いえ、それには及びません」

     荷物に手を伸ばした少女を物書きは制しました。

    「え、でも」

    「こんなに素晴らしい話を聞かせてもらったんです。これ以上あなたから何かを頂いても、わたしから返せるものがありません」

    「そうなの?」

    「はい。だから気にしないでください」

    「分かった! えへへ、ありがとうございます!」

     少女は無垢に笑顔を浮かべてお礼を言いました。物書きは、むしろこちらこそ、と思いながら、晩ご飯の支度を始めました。

     そしてご飯を食べ終えると、空き部屋を少女にあてがい、物書きも自分の部屋で眠りにつきました。


    217: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:55:25.22 ID:0a3ejGEJ0



     翌朝、物書きがキッチンで朝ご飯の準備をしていると、眠たそうな目を擦りながら少女がやってきました。

    「おはよーございまーす……」

    「おはようございます。よく眠れましたか?」

    「久しぶりのお布団だったからぐっすりだったよー……」

     まだ半分夢の世界にいるようなやわやわとした口調で言われて、物書きは少し笑ってしまいました。

     こうして朝に誰かと挨拶を交わすのはいつ振りだろうか。そんなことを考えながら、彼女は言葉をかけます。

    「旅人なのに朝が弱いんですね」

    「んー……師匠にも他の旅人にもよく言われる……」

    「外に井戸の水を汲んでありますから、ご飯の前に顔を洗ってきてくださいね」

    「はーい」

     間延びした返事を残して、少女は玄関の方に向かっていきました。

     強心臓というか能天気というか……どちらにせよ、ああいう性格の方が旅人に向いているんだろうな。

     そんなことを考えながら、物書きは朝食の支度をすすめました。


    218: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:55:54.32 ID:0a3ejGEJ0



     朝食もとり終わり、少女は大きなバッグを簡単に整理すると、それを背負いました。

    「寝床だけじゃなくてご飯までお世話になっちゃって……本当にありがとうございました!」

    「いいえ、気にしないでください。わたしがやりたくてやったことなので」

     もう出発の時間でした。それにさびしさを感じて、物書きは少し驚きました。ほんのわずかな時間で、あれだけ人を嫌っていた自分が心を許すなんて……と思いました。

    「これからどこへ向かうんですか?」

     物書きは、さびしさをごまかそうとする気持ちと、別れの時間を長引かせたい気持ちが半々にまざった言葉を少女へ投げかけました。

    「西の国には行ったから……今度は南の方の国に行こうかなって思うんだ」

     少女は昨日から変わらない、迷いのない明るい声でそう言いました。

     その姿に少しだけ迷ってから、

    「もし……もしもまたこちらの方に戻ってくるのなら、いつでもわたしのところを訪ねてください」

     と、少女に告げました。

    「いいの?」

    「はい。あなたの旅の話の続きが……聞いてみたいので」

    「それくらいだったらお安いご用だよ! えへへ、それじゃあ頼りにさせてもらっちゃうね!」

     本心を半分隠した言葉にやっぱり少女は明るい声と笑顔を返してくるのでした。

    「それじゃあまたね!」

    「ええ。道中、気をつけて」

    「ありがとっ!」

     ぶんぶんと大きく手を振って、少女は出発しました。

     物書きはその後ろ姿が見えなくなるまで、それを見送りました。


    219: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:56:38.19 ID:0a3ejGEJ0



     それからというもの、少女は旅の途中に物書きの家に寄って、それまでの旅路を話すようになりました。

     物書きは、少女がいつでも自分の家に入れるようにと、合いカギを作って少女に渡しました。

     中央都市に近いため交通の便もいい物書きの家は、どこへ行くのにも寄りやすい場所にあったことも、旅人の少女には幸いでした。

     物書きもたまにフラリと訪れる少女の話を聞くのが好きで、彼女が訪れている間だけはペンを置き、物語をつづる側ではなく楽しむ側になりました。

     少女の話はいつも不思議な魅力に満ちていました。

     どんなものでも明るい声で語られる話は物書きの心を強く打って、いろいろな感動を与えてくれました。


    220: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:57:07.60 ID:0a3ejGEJ0


     そうして過ごしていると、まるで鳥が空を翔るように季節は早足に巡っていきました。

     気がつけば初めて出会ったときのように秋になっていて、その季節ももう過ぎようかという頃に、少女は物書きの家にやってきました。

     そしていつものように物書きに旅の話をして、もうほとんど少女のものになってしまっている部屋でひと晩を過ごしました。

    「次はどこへ行くんですか?」

    「今度は東の国かな。そこに行けば、この大陸で行ってない場所もほとんどなくなるし」

    「そうですか。気をつけてくださいね」

    「うん! いつもありがと!」

     翌朝、いつものように言葉を交わして、物書きは少女を見送りました。


    221: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:57:42.45 ID:0a3ejGEJ0



     少女を送り出してからひと月後のことでした。

     物書きは街へ買い物に出かけました。

     そして日用品や食料を買った帰りに、のんびりと書店を覗いていると、ある絵本が目につきました。

     どこかで聞いたことがあるような題名だな、と思い、その場で少し考えていると、ハッと気づきました。

    『そうだ、あの子が話していた絵本だ』

     ちょうど一年ほど前に少女が話していた絵本の内容とタイトルが重なりました。

     あの子はタイトルを忘れてしまったと言っていたけれど、きっとこの絵本が彼女のきっかけになった話なんだろう。

     そう思った物書きは、その絵本も買って帰ることにしました。

     次にあの子が来てくれたら、一緒にこの絵本を読もう。それまでわたしが読むのは我慢しよう。

     まるで幼い子供のようにワクワクしながら、物書きは家路をたどります。


    222: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:58:13.68 ID:0a3ejGEJ0


     その途中、顔見知りの行商人に声をかけられました。

    「どうも、物書きさん」

    「こんにちは」

     物書きは足を止めて、軽く会釈しました。それからニ、三言、他愛のない会話を交わします。

     旅人の少女と接しているうちに、いつの間にか彼女も街の人々に対する嫌悪感をなくしていて、普通に話が出来るようになっていました。

     あの子のおかげでずっと世界が広くなったな。こんな風に自分に色々なものを与えてくれたあの子が、買った絵本を見て喜んでくれたらいいな。

     そう思うと、物書きの顔には小さな笑みが浮かびました。

    「そういえば、聞いたかい?」

    「何をですか?」

     と、行商人が改まったように声を潜めました。その様子に不穏なものを感じて、物書きもささやくように小さな声で返事をしました。


    223: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:58:42.64 ID:0a3ejGEJ0


    「どうにもな、東の国できなくさい動きがあるみたいなんだ」

    「え……」

     東の国。そこは旅人の少女が今向かっている場所だ。

     心臓がキュッとするような感覚をおぼえながら、物書きは先をうながします。

    「……何かあったんですか?」

    「行商仲間に聞いたんだが、ここ一週間くらい、東の国の関が閉じられているんだ。うわさじゃあ、なんでもクーデターが起こって内戦状態なんだって」

    「…………」

     行商人の言葉が耳の深くまで突き刺さり、物書きは何も言葉を出せませんでした。

     まるで自分が自分じゃないみたいな感覚がして、話もそこそこに、彼女はフラフラとした足取りで家に帰り着きました。

     それから絵本以外の荷物をキッチンのテーブルに放り出して、家の窓から、東の空を見つめました。

     たそがれた空は、東の方からだんだんと暗い色が迫ってきていました。行商人から聞いたうわさ話が頭の中で何度も繰り返されました。

    『どうかあの子が無事でいてくれますように』

     絵本をギュッと抱きしめながら、物書きはただそう祈りました。


    224: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:59:14.86 ID:0a3ejGEJ0



     そうしているうちに春になりました。

     旅人の少女はまだ戻ってきません。

     物書きは絵本を大事に抱えて、毎朝東の空へ祈りをささげました。


    225: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 21:59:45.32 ID:0a3ejGEJ0



     つぎに夏になりました。

     旅人の少女はまだ戻ってきません。

     雨の日も風の日も、物書きは東の空へ祈りつづけました。


    226: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:00:12.14 ID:0a3ejGEJ0



     やがて秋になりました。

     旅人の少女はまだ戻ってきません。

     風のうわさで、東の国のクーデターが失敗に終わり、内戦がおさまったと聞きました。


    227: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:01:13.03 ID:0a3ejGEJ0



     そして冬になりました。

     一年経っても、旅人の少女はまだ戻ってきませんでした。どれだけ祈っても、姿を見せてくれませんでした。

     物書きは、ひとりの家でぼんやりと考えごとをしていました。

     こうしてひとりぼっちで一年を過ごしたことが、何十年ぶりにも思えました。

     ずっと暮らしてきた自分の家がやけにがらんと広く感じられて、それがさびしくて、旅人の少女のことを考えると胸が張り裂けそうでした。

     一年前の冬の日からずっと少女の無事を祈り続けましたが、まだまだ彼女は帰ってきません。

     もしものことを考えてしまい、物書きの瞳には冷たいしずくがたまっていきます。


    228: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:01:42.54 ID:0a3ejGEJ0


     どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう。

     底冷えのする部屋で、いつしか物書きはそんな自問自答を繰り返していました。

     あの子と出会ってしまったから、ひとりがこんなにさびしいと知ってしまった。

     あの子と出会ってしまったから、誰かと一緒にいることがあんなに温かいと知ってしまった。

     いっそ出会わなければよかった。

     そうすれば、わたしはひとりをさびしいと思うこともなく、誰かのぬくもりを知ることもなく、狭い世界の中で、さびしい幸福を感じて生きていけたのに。

     そう思ったとたん、物書きの瞳にたまったしずくはとうとうこぼれ落ちてしまいました。

     旅人の少女と出会わなかった自分が、今こうしてひとりでいる自分よりもずっとさびしく思えてしまって、涙が止まりませんでした。

     物書きは机につっぷし、声をころしてすすり泣き、いつしか泣き疲れて眠ってしまいました。


    229: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:02:20.79 ID:0a3ejGEJ0



     ふと目を覚ますと、物書きの肩には毛布がかけられていました。

     寝起きのぼんやりとした頭で、泣きはらした瞳を指で軽くこすりながら、物書きは考えます。

     こんなもの羽織っていたっけ。

     眠りに落ちる前のことを思い返すと、机につっぷしたままいつの間にか眠っていた、という記憶しかありませんでした。

     そこで物書きは一気に目が覚めました。

     彼女はいつも、家にはカギをかけていました。そのカギを持っているのは、この世界にふたりしかいませんでした。

     物書きは椅子を蹴飛ばすように立ち上がって、慌ただしい足取りでキッチンへ向かいました。


    230: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:02:56.95 ID:0a3ejGEJ0


     すると、

    「あ、おはよー! あんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ?」

     と、椅子に座って荷物を整理していた旅人の少女が、何でもないように言ってきました。

     その姿を見て、声を聞いて、物書きの瞳からはまたボロボロと涙がこぼれました。そのまま少女に近寄って、無垢な姿をギュッと抱きしめました。

    「ど、どうしたの? 怖い夢でも見たの?」

     少女はちょっと困ったように言いました。それに物書きは首を振って、嗚咽まじりに声を出します。

    「ううん……東の国で内戦があったって聞いて……あなたが心配で……」

    「あ……そっか。心配させちゃってごめんね?」

    「大丈夫……こうして無事に帰ってきてくれたから……」

     鼻をすすりながら、震える声で物書きは言いました。

     そんな彼女の頭に、旅人の少女は手を伸ばして、優しく髪をなでました。


    231: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:03:44.91 ID:0a3ejGEJ0


    「えっとね、戦争が終わるまで、物も人も通れなかったんだ」

     少女はいつもよりもずっと柔らかい声で、今回の旅のことを物書きに話しました。

     ちょうど少女が東の国に入ってすぐのころに、クーデターが起こったこと。

     いつまでも続きそうな内戦に嫌になった凄腕の旅人たちみんなと協力して、王国軍をかげながら助けたこと。

     内戦はおさまったけど、たくさんの人が死んでしまったこと。

     それでも自分たちは生き延びて、またいろんな人たちと関りを持てたこと。

     その話が終わるころには物書きの涙も止まり、少女から離れ、テーブルをはさんだ席に座って言葉を交わし合います。

    「そうだったんだ……。怪我はしなかった?」

    「大丈夫! えへへ、こう見えて私、けっこう強いんだよ!」

    「そっか……そうだよね。ずっと旅をしてるんだもんね」

     ニコッと笑って力こぶを作って見せる少女に、物書きは穏やかな笑みを浮かべました。

     自分の世界にこもり、ただ祈ることしか出来なかったわたしと違って、この子はいつでも自分から世界を広げて、変えることが出来るんだ。

     その姿がまぶしくて、自分よりもずっと強い少女に、物書きは少しだけさびしい気持ちになりました。

     けれどそのさびしさは、ひとりの家で感じたものとはまったく違うさびしさで、こうしてまた出会えた嬉しさに近い種類のものでした。


    232: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:04:11.49 ID:0a3ejGEJ0


    「あ、そういえば……」

     ふと少女が物書きを見て、首をかしげました。

    「どうかしたの?」

    「ううん、そんなに大したことじゃないんだけど……丁寧な言葉づかいじゃなくなったなーって」

    「あ……」

     少女が無事だった嬉しさに任せて、物書きは自然とくだけた言葉で話していたことに気づきました。

    「ごめんなさい、嫌だった……?」

    「ううん! むしろもっと仲良くなれたんだって感じがして、嬉しいよ!」

    「そっか……よかった」

     いつものような明るい声に、物書きも明るい声を返しました。


    233: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:04:52.62 ID:0a3ejGEJ0



    「そうだ」

     一年ぶりのふたりでの晩御飯を食べ終えた物書きは、絵本のことを思い出しました。

     食器の片づけを終えると、いそいそと自分の部屋に行き、去年の冬に買った絵本を手にしてキッチンに戻ります。

    「どうしたの?」

    「これ……多分、あなたが言ってた絵本だと思うんだ」

    「絵本……お母さんが読んでくれた?」

    「うん」

     物書きがうなずくのを見て、少女は「わぁっ」と笑顔をはじけさせました。

    「もしかしたら違うかもしれないけど……」

    「ううん! ちょっとだけだけど、表紙に見覚えがあるもん! ねぇねぇ、一緒に読んでみようよ!」

    「うん、分かった」

     物書きは少女の隣に椅子を持ってきて座り、買ってから初めてその絵本を開きました。

    「あ、そうだ……」

     と、どうしてか少女はしょんぼりとした風に口を開きました。


    234: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:05:32.33 ID:0a3ejGEJ0


    「どうしたの?」

    「あの、あのね……? 恥ずかしいからずっと言ってなかったんだけど……」

     珍しく言いよどみながら、少女は物書きをチラリと上目づかいで見やりました。

    「実は私……あんまり文字が読めないんだ」

    「そうだったの?」

    「うん……簡単なのなら読めるんだけどね?」

     バツが悪そうに弁明する姿が、まだまだ幼さを残している顔立ちにしっくりと似合って、物書きは思わず頬をほころばせました。

    「そっか。それじゃあ、わたしが読んであげるね」

    「ありがと! えへへ、楽しみだなぁ」

     一転して笑顔になった少女に微笑ましい気持ちになりながら、物書きは絵本を読みあげはじめました。


    235: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:06:00.25 ID:0a3ejGEJ0



     絵本は、お姫様に飼われていた青い鳩が病気になったお姫様のために、飛んだことがない空を飛んで魔法の木の実を採りに行く……という内容の話でした。

     最初に出会った時に少女が話したように、ひばり、イモムシ、亀、老木に出会って、彼らの話を聞き、鳩は魔法の木の実を探していました。

    「俺たちはその見えている世界の中だけで生きてるんだ。だから、できるだけ広い世界を知っているほうがいいに決まってるのさ」

     自由を大切にするひばりはそう言いました。

    「いま飛べるのと明日飛べるのと変わりはないんだよ。君だって卵のときは飛べなかっただろう?」

     さなぎになっていつかは蝶になるイモムシはそう言いました。

    「それがどんなことであれ、信じることだ。おれは木の実より、こうらの固さを信じるぜ」

     危険や災難はジッとこらえて、平和がやってくるまで耐えしのぶ亀はそう言いました。

    「こいつは薬にもなるし、毒にもなる。それどころか、なんでもない木の実かもしれんし、ただの石ころかもしれん。それは、これを持つものが信じる“よう”になるからじゃ」

     魔法の木の実をつけた老木はそう言って、木の実を鳩に渡しました。


    236: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:06:32.33 ID:0a3ejGEJ0


     木の実をくわえた鳩は、急いでお姫様の元へ戻ります。

     その時の空は、老木が話した死を降り注ぐ悪魔と英雄の言い伝えのように、ひょう交じりの嵐でした。

     その中を鳩は懸命に飛んでいきました。木の実を――“どんな病気もたちどころに治す万能の薬”を、しっかりとくわえて。

     やがて鳩はお城に帰り着きますが、その時にはもうお姫様はこと切れていました。

     鳩は悲しみましたが、それでもお姫様の最期の顔がとても安らかだったことに不思議と落ち着いた気持ちで、そのまま眠りにつきました。

     翌朝、お姫様のとなりに青い鳩の亡骸があるのを召使いが見つけました。

     その鳩がお姫様の飼っていた鳩だと気づいた召使いは、こと切れてもなお大事そうにくわえていたオリオンポプラの木の実を、庭の、ちょうどお姫様の部屋の窓の下に埋めることにしました。

     やがてそれは芽を出し、大きな木となりました。そのこずえからは、お姫様の部屋と窓辺の鳥かごがよく見えるのだそうです。

     これは、オリオンポプラのこずえの中、枝から枝へ、親鳥から小鳥たちへとつたえられる、ちいさな奇跡のお話です……という風に、絵本の物語は終わりを告げました。


    237: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:07:01.45 ID:0a3ejGEJ0


     絵本の中にあった言葉の数々が、物書きの胸にしんと染み入りました。

    「そうだ、こんなお話だったなぁ。懐かしいなぁ」

     物書きの静かな声で物語を聞き終えた少女は、どこか遠くへ思いをはせるように、しみじみと呟きました。

     その姿を見て、物書きはひとつの決心をしました。


    238: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:07:27.69 ID:0a3ejGEJ0



     翌日の朝でした。

     いつものように朝ご飯の準備をして、眠たい目をこする少女と一緒に朝食をとり終わると、物書きは改まったように少女に声をかけました。

    「お願いがあります」

    「うん?」

     荷物の整理をしていた少女は、きょとんと首をかしげながら物書きに向き直りました。

    「わたしも……一緒に旅をさせてくれませんか?」

     その姿に向かって、物書きはそう口にしました。


    239: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:07:55.67 ID:0a3ejGEJ0


     物書きが少女に絵本を読み聞かせた後にした決心は、自分から自分を変えてみようというものでした。

     今までの生活は流されるままで、旅人の少女と出会って少しだけ変われたけれど、それでもただ彼女がやってくるのを待つだけでした。

     そこから一歩でも前に、自分の足で進みたい。

     この広い世界のことを、少女の言葉で知るのではなくて、自分の目で見て触れてみたい。

     生まれてこの方ずっと自分の世界に閉じこもっていたわたしでは、この子の足手まといになるかもしれないし、彼女は嫌がるかもしれない。

     だけど、絵本に書いてあったように、わたしもわたしの信じる“よう”になりたい。

     この少女のように、自分から前へ進んで、誰かを変えられる人間になりたい。

     その決意の言葉に、

    「うん、いいよ!」

     やっぱり旅人の少女は、いつものように明るい言葉でうなずいてくれるのでした。

    「……ありがとう」

     不安と期待が入り混じった、今まで感じたことのない熱い気持ちに浮かされながら、物書きはお礼を言いました。


    240: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/05(火) 22:08:30.25 ID:0a3ejGEJ0



     それからふたりは、いろいろな場所へ旅をしました。

     少女の生まれ故郷である北の国や、船を使って別の大陸に渡ったりして、世界中を見てまわりました。

     彼女たちはひとつの旅が終わると、決まって物書きの家に帰って、その旅のことを語り合って、本に記しました。

     物書きと旅人の少女は、そうやって身を寄せ合いながら、いつまでも仲睦まじく生きていきました。

     そして彼女たちの記した本は、やがて大陸中に出回って、多くの人たちの間で楽しまれました。

     その物語はずっと先の未来まで人々の胸の中に生き続けて、時には誰かを奮い立たせ、時には誰かを優しくさせ、時には誰かを幸せにしていくことになるのでした。


     おしまい


    243: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:33:33.29 ID:leGUsSlh0


    氷川紗夜「風邪」

    ※キャラ崩壊してます


    244: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:34:22.28 ID:leGUsSlh0


     氷川紗夜は風邪をひいていた。

     普段から風紀を大事にし、自分を律して規則正しい生活をしていたが、どうしたって風邪をひく時はひいてしまうらしい。

     彼女は自室のベッドで眠り、夢を見ていた。

     気が付くと、紗夜は制服を着て、涼し気な風の吹き抜ける森の中にいた。そして木々の間から見える綺麗に晴れた空の下をしとしと歩いていた。

     風紀委員の仕事に生徒会の手伝い、加えてバンド活動にも精を出し、慌ただしい日々を過ごしている彼女にとって、そのたおやかで静かな空気が心地よかった。


    245: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:35:08.65 ID:leGUsSlh0


     しばらく歩いていると、綺麗な泉に辿り着いた。

     紗夜はそのほとりでぼんやりと水面を眺めていた。そして思ったことをぽつり呟いた。

    「羽沢さんに会いたい」

     この静かな空気をあの天使と一緒に共有出来たらどれだけの幸福と癒しを得られるのか。きっと死んでもいいほどのものが身体中に迸り、風邪なんて三秒で治るだろう。

     静かな水面に彼女の笑顔を思い浮かべてみた。それだけで幸せになったのだから、きっと羽沢つぐみというものは万病に効く特効薬だ。


    246: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:35:56.33 ID:leGUsSlh0


    「紗夜……私の声が聞こえますか……」

     ふと声が聞こえた。満たされた幸福に水を差された気持ちになり、軽く舌打ちをしながら声のした方へ顔を向ける。そこには天使のコスプレをした丸山彩っぽい人間が立っていた。

    「紗夜……」

    「何をやっているんですか、丸山さん」

     普段ならそこは見て見ぬ振りや他人の空似で済ますところだが、今の紗夜は機嫌が悪かった。どうみてもふわふわピンク担当な人物にまっすぐ尋ねる。

    「私は決して丸山彩ではありません。この地上に舞い降りたアイドルという名前の天使な部分では確かにあっているかもしれませんが」

    「そんなことは一言も言っていません。物思いに耽りたいので一人にしてください」

     それだけ言って、紗夜は水面に視線を戻した。

    「あれあれ? そういう反応をしてしまっていいのですか?」

    「……はい?」

     しかしやたらと挑発的な言葉を投げ返されたので、片眉をひそめつつ、『私が見たいのはマロン色のショートカットだ』と思いながら、もう一度ピンク色に向き直る。


    247: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:36:44.46 ID:leGUsSlh0


    「何度も言いますが、私は丸山彩ではありません。天使なことは共通していますが」

    「それはもう聞きました。そして私にとっての天使は羽沢さんであってあなたではありません」

    「つれない人ですね。まぁいいでしょう……あちらを見てください」

     スッとピンクが右手の方を指さした。そちらへ渋々視線を巡らすと、木組みの小屋が二つ建っていた。

    「あれがどうかしたのかしら」

    「何を隠そう、あれはあなたが心の奥底に抱える欲望を叶えるための小屋なのです。それはもう、あんな願いやこんな願いまで、何だって叶えちゃう素敵ルームなのです」

     ピンクの天使は瞼を閉じ、フフン、と得意気な笑みを浮かべて言葉を続ける。

    「けれどまぁ、あなたの対応次第ではあれを消してしまうことだってできるんですよ? ふふ、困りますよね? 困っちゃいますよね? そうしたら、朝に目が覚めてから、あなたの妹にこう言うのです。『天使のような丸山彩をもっと労わるように』と。さぁ、それだけであんなことやこんなこともし放題ですよ? さぁさぁ? どうしますか、紗夜?」

     そこまで捲し立ててからぱっちりと目を開くと、目前に紗夜の姿はなく、彼女は既に小屋の扉に手をかけているところだった。


    248: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:37:29.69 ID:leGUsSlh0


    「心の奥底に抱える欲望が叶う? なるほどそれは大変に結構なことではあるけれど果たしてその真偽のほどはどうなのかしらね。これはつまり何でも願いが叶うということであってそんなことは夢の世界にでもいなければ起こりうるはずもないのは確定的に明らかであって、となると今私がいる世界は夢なのかもしれないけれど確か明晰夢というものは自分の好きなように夢をいじれると何かの本で読んだからここに来て一番に出会ったのが大天使ツグミエルではなくあのピンク色だったことを鑑みればこれもまた現実であるという可能性を完全には否定できないわよね。それにこう言ってはなんだけれど私自身が心の奥底に抱える欲望が一体どんな形をしているかというのにも非常に興味があるしその興味というのもただ純然たる知的好奇心に他ならなくて敵を知り己を知れば百戦危うからずと昔の軍略家も言っていたし温故知新という言葉もあるのだからこれはまた私が一つ高みへ近づくために避けては通れない向き合うべき事柄なのは説明するまでもないから仕方のないことよね。せっかく丸山さんが用意してくれたんだから入ってみましょう」


    249: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:38:08.89 ID:leGUsSlh0


     紗夜はそんなことを呟きながら、小屋の前に立つ。すると両方の小屋の扉に小さな札がかかっているのに気付いた。それに目を通す。

     右手の小屋には『本能の小屋』、左手の小屋には『理性の小屋』と書かれていた。

     なので、紗夜は迷わずに右手の小屋の扉に手をかけた。理由は彼女の本能がこちらに羽沢つぐみがいると直感したからである。それ以上もそれ以下もない。

     ドアノブを回して小屋の中へ足を踏み入れる。すると、そこは自分の部屋だった。

     キョロキョロと室内を見回す。誰もいなかった。よくも騙したわね、と紗夜はピンクに対する報復方法を頭の中で模索する。

    「だーれだ♪」

    「きゃっ」

     とりあえず日菜をけしかけようと思っていたら、不意に後ろから目隠しをされて紗夜は情けない声を上げてしまった。


    250: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:38:57.04 ID:leGUsSlh0


    「あはは、変な声が出ましたね」

     自分の目を覆う柔らかな手。ほのかに香る珈琲の匂い。まるで鈴がコロコロと鳴るような可愛らしい声が、楽しそうに鼓膜をくすぐる。それらは間違いなく羽沢つぐみのものだった。

    「羽沢さん、急にそんなことをされるとびっくりしてしまいますから……」

     だから紗夜はたしなめるようにそう言いつつ、本心ではもっと遠慮なんかせずにドーンときてガシャーンとやってほしいと思いながら、自分の目を覆う手をそっと退ける。

    「バレちゃってました?」

    「ええ、バレバレです」

    「ふふ、紗夜さんはすごいですね」

    「羽沢さんのことですから」

     楽しそうに笑うやたらテンション高めなつぐみに対し、得意げな顔でそう言った。


    251: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:40:00.49 ID:leGUsSlh0


    「さぁさぁ紗夜さん、扉の前で立ち話もなんですから、部屋に入りましょう」

    「ええ」

     ここは私の部屋だけど、と言おうとしたけれど、つぐみに自分の部屋を我が物顔にされるのは決して悪くないどころかむしろ良かったので、紗夜は大人しく頷いて部屋の中に入る。するとつぐみが後ろ手に扉を閉めて、その手元から『カチャリ』と錠をおろす音が聞こえた。

     私の部屋に鍵なんて付いていたかしら。そう言おうとした紗夜の元へ、ずい、とつぐみが迫ってきた。

    「紗夜さんてば、こっちの部屋に来ちゃったんですね」

     いつもの優しい癒し系の天使な笑顔が鳴りを潜め、つぐみの顔には小悪魔の耳と尻尾の似合いそうな蠱惑的な笑みが浮かんでいた。口元は嘲りにも少し似た風に歪められ、瞳には爛々と妖しい色が灯っている。


    252: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:40:52.97 ID:leGUsSlh0


    「え、あの、羽沢さん……?」

     その姿とあまりにも近いつぐみにたじろぐ紗夜。しかしつぐみはそんな紗夜の言葉に聞く耳を持たず口を開く。

    「本能と理性の小屋がありましたよね?」

    「え、ええ……」

    「てっきり真面目な紗夜さんのことだから、理性の小屋を選ぶんだろうなって思ってました。そしたら……ふふ、ノータイムで本能を選んじゃってましたね?」

     つぐみが顔を寄せる。今にも首元に噛みつかれそうな気配がして、紗夜は一歩後ずさる。しかしつぐみはすぐに距離を詰めてくる。

    「どうしてですか? どうして、こっちの小屋を選んだんですか?」

    「それは、その……」

     一歩引く。一歩詰められる。

    「言えないんですか? ふふっ、言えないようなこと……期待しちゃったんですか?」

    「…………」

     もう一歩引く。また一歩詰められる。

    「ねぇ、どうしてなんですか? どうして?」

    「えぇと……その、こちらなら……羽沢さんがいるかな、と」

     さらに一歩引く。トン、と背中に衝撃があった。肩越しに振り返ると壁があって、もうこれ以上後ろには下がれない。だけど、つぐみはさらにもう二歩、紗夜に詰め寄った。


    253: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:42:09.17 ID:leGUsSlh0


    「へぇ、そうなんですね。ふふ、嬉しいなぁ。紗夜さん、私がこっちにいるって思ってこの小屋を選んでくれたんだぁ」

     もう顔と顔とがくっつきそうな位置から、鈴の音がからかうように転がる。それが耳から入ってきて直接脳みそをくすぐるような感覚を覚え、紗夜は小さく唇を噛んだ。

    「ダメですよー、紗夜さん?」

    「ふぁ――」

     しかしつぐみの手がスッと伸びてきて、紗夜の唇を柔い力で開いてしまった。変な声が出たことに羞恥と決して悪くないという気持ちが入り混じる。紗夜は身体がカァっと熱くなった。

    「我慢したら……ダメですよ? いいんですよ? ここは本能の部屋ですから」

     くすくすと笑い声を織り交ぜながら、つぐみは言葉を続ける。

    「いつも大変ですよね。風紀委員の仕事、生徒会の手伝い、ロゼリアの練習……すっごく大変ですよね。分かりますよ。いつもいつも、みんなの規範にならなくちゃいけないからって、すっごく頑張ってますよね? だからいいんですよ。ここでは素直になったって」

    「す、素直にって……」

    「ここは本能の小屋ですから、理性なんていらないですよね? だから私が、紗夜さんが望んでることぜーんぶ叶えちゃいます」

     つぐみの顔が紗夜にさらに近づいて、フワリと揺れた髪から淡い花の香りが広がる。その後すぐに、つぐみの口から「ふーっ」と優しく熱い息が吐き出された。それが紗夜の耳に直にかかって、ゾクゾクと背筋が震えた。


    254: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:43:31.12 ID:leGUsSlh0


    「ふふ、それに……紗夜さん、本当はこういう風にされたかったんでしょう?」

    「――っ」

     その言葉がなけなしの理性を焼き払いにきた。責めるでも蔑むでもなく、ただ純粋に愛を込めてからかうような調子の囁きだった。紗夜はキュッと目を瞑ってしまう。

    「彩さんから聞きましたよね? ここは心の奥底に抱える欲望を叶えるための小屋だって。そしてこちらは本能の小屋なんですよ。なら……もう分かりますよね?」

     楽しそうな響きの囁き。紗夜は恥ずかしくて何も答えることが出来なかった。

    「ふぅ、仕方のない紗夜さんですね……」

     つぐみは少しだけ呆れたように呟いてから、

    「紗夜さん、私にこうしてイジワルされたかったんですよね?」

     とうとう紗夜が思っても絶対に口にしないでおこうと考えていたことを言葉にした。

    「うぅぅ……」

     顔が熱い。身体中が熱い。そういえば私は風邪をひいていたのだった、と現実逃避的な思考がやってくるけれど、それを見透かしたようなタイミングで――いや、きっと見透かしているんだろう――つぐみがフッと紗夜の耳に息を吹きかける。

     それに頭がさらに茹だって、けれど全然嫌じゃないというかむしろもっとして欲しいという気持ちが胸中に止めどなく沸き起こる訳で、いっそつぐみに自分の願望を見透かされてスッキリしたというかそういう感じの結構アウトなことを考えた。


    255: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:45:08.20 ID:leGUsSlh0


    「ヒドいなぁ、紗夜さん。私にこんなこと言わせて、自分だけ気持ちよくなって……」

    「えっ……と、その、ごめんなさい、羽沢さん……」

    「ふふ、冗談ですよ。そんなカワイイ紗夜さんも……私は好きですよ?」

    「そ、そんなことを耳元で囁くのは……」

    「やめてほしい? やめてほしいんですか? ねぇ紗夜さん。本当にやめてほしいんですかね?」

    「そ、それは……」

    「くすくす……知ってますよ。紗夜さんの『やめてください』は『もっとしてください、やめないでください、お願いします』ですもんね?」

    「っぅ……」

     そこまでのものではない。

     しかしそうは思っていても、つぐみから囁かれた言葉を自分が発したと考えるだけで、色々と本当にどうしようもない気持ちが複雑に絡み合った単純な快感に頭の中が支配されてしまう紗夜だった。


    256: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:46:21.07 ID:leGUsSlh0


    「本当にどうしようもない紗夜さんですね? そんな紗夜さんにはオシオキが必要ですね?」

    「お、オシオキ……?」

    「ああ、違いましたね。紗夜さんにとっては“ご褒美”でしたね?」

     こしょりと耳元でつま弾かれた言葉が心をさらに波立たせる。可愛い天使のお面を被った小悪魔の声色に脳をこねくり回される。

     ツツ、とつぐみの手が紗夜の首を撫でた。少しひんやりとしたその感触にゾクリと背筋が震える。


    257: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:47:58.53 ID:leGUsSlh0


    「こんな雑学を知ってますか、紗夜さん」

    「な、なにを?」

    「諸説ありますけど、他人に触れられて血の気が引いたり、ゾクゾクって寒気がする場所は、前世で致命傷を負った部分なんですって」

    「それが――」

    「紗夜さんの前世はどこをどうされちゃったんでしょうね? ふふっ、確かめてみましょうか。どこかなぁ、紗夜さんはどこを痛い痛いってされちゃったのかなぁ?」

     楽しそうに嗜虐的な笑みを浮かべたつぐみは、紗夜の首を撫でていた手を、彼女の前鋸筋に持っていった。そしてそこを擦るような強さで撫ぜる。

    「っ、うっ」

     ぴくんと紗夜の身体が揺れる。あまり人に触れられない部分に少し強い刺激を与えられて、こそばゆさと言葉にし難い快感が押し寄せてくる。


    258: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:49:07.51 ID:leGUsSlh0


    「くすぐったいですか?」

    「え、ええ」

    「……くすぐったいだけですか?」

    「…………」

     それには何も答えることが出来ず、紗夜は熱くなった顔をプイと背けた。そんな紗夜を見て、つぐみはやっぱり楽しそうに笑う。

    「紗夜さん、強情だなぁ。でも、うふふ……そっちの方が私も楽しいですよ?」

     悪魔めいた囁きが紗夜の耳に突き刺さる。それにも何も答えずにいると、つぐみは前鋸筋から手を離し、次の獲物を定めるように、紗夜の身体に触れるか触れないかくらいの距離を置いて、ゆらゆらと手を動かす。

    「っ……」

     触れられていないのにつぐみに全身を撫でまわされているような気持ちになって、紗夜はキュッと奥歯を噛みしめた。


    259: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:50:35.64 ID:leGUsSlh0


    「次は……ここなんてどうでしょうか」

     コロコロと鈴のような声を転がして、つぐみが次に手を置いたのは大腿四頭筋だった。制服のスカートの裾を少し上げられた。それがまるで自分の心を外気に曝された気持ちにさせてきて、羞恥心と情けない劣情が煽られる。

    「この辺りには太い血管が流れていますからね。例え内蔵がなくても、心臓からは遠くても、血をいっぱい出しすぎちゃって死んじゃうこともあるらしいですよ?」

     変わらない囁き声を出しながら、つぐみの手がスルリと内側広筋を撫でる。口から出かけた短い悲鳴じみたものを紗夜はなんとか噛み殺した。

    「ふふ……ここは反応が大きいですね?」

    「っ、っ……」

     それに何も答えず、ただ彼女は唇を噛み締めつづける。そんな必死な姿をとてもいとおしそうにつぐみは見つめていた。


    260: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:52:10.76 ID:leGUsSlh0


    「お楽しみは最後にとっておきましょうか。今はオシオキ中ですからね」

     そして紗夜の内側広筋から手を離す。スカートがふわりと揺れた。今までつぐみに撫でられていた場所をより実感してしまい、触られている時よりも強い震えが背中を駆け抜けていった。

    「次は……ここですね」

     次に紗夜が触れられたのは広背筋だった。つぐみの右手が心臓の後ろ辺りに回されて、二人の身体が密着する。

    「あ、紗夜さん……ドキドキが早くなってますよ?」

     ほぼ抱き着くような形になったつぐみがからかうように紗夜を見上げた。愉悦を浮かべた捕食者の顔だった。心臓を背中側から掴まれているようなものだから、きっと概ね間違っていないだろう。

    「また鼓動が早くなりましたね? どうしたんですか? 怖いんですか、紗夜さん?」

     耳にかかる甘い猫撫で声。猫とは元来狩りを行う捕食者だ、と湊友希那が雄弁に語っていたことを紗夜は思い出す。


    261: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:53:46.26 ID:leGUsSlh0


     柔らかな肉球は足音を殺すためのもの。可愛らしい猫パンチも本来はしとめた獲物を弄ぶためのもの。それが今のつぐみと紗夜の関係に片っぽだけ一致した。

     嗜虐的な笑みを浮かべ、可愛い笑い声をあげながら、獲物を弄ぶつぐみ。

     では捕らえられた紗夜はどうだろうか。生き延びるために必死に抵抗をした? それともせめて苦痛がないようにと力を抜いて逃れることを諦めた?

    「……いえ」

     紗夜は弱く首を振った。

     そうだった。ここは本能の小屋。だから本能が直感していたのだ。

     こちらに来れば羽沢つぐみに会えると。こちらに来れば、羽沢つぐみにこうして弄んでもらえるんだと。

     抵抗も諦観もしていない。他でもない紗夜自身がこうされることを夢に見ていたのだから、むしろもっともっとと心と身体が求めているのだった。彼女はここに至ってとうとうそれを自覚してしまった。


    262: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:55:30.63 ID:leGUsSlh0


    「じゃあどうしたんですか、紗夜さん?」

     答えが分かっているのだろう。つぐみはイジワルな笑みを浮かべて、紗夜にそう尋ねる。

    「その……」

     自覚をしてしまったのだから、もう『それ』を言葉にするのを止めるのは、残り僅かな羞恥心だけだった。

    「言わないとやめちゃいますよ?」

    「……っ!」しかしそんな羞恥心もつぐみのその言葉であっという間に瓦解した。「やっ、やめないで、ください……」

    「どうしてですか? オシオキなのにやめないで、っておかしいですよね?」

    「それは、羽沢さんに……こうされたかったから……」

    「へぇ? 年下の女の子にオシオキされたかたったんですか?」

    「年下……というか、羽沢さんに」

    「私にこうやって身体中をまさぐられて、恥ずかしい言葉をかけられたかったんですか?」

    「……はい」

     つぐみの言葉に頷いたとたんに、全部のタガが外れたような錯覚をおぼえた。度し難いことを自分自身で認めて受け入れたことに、ある種の快楽が紗夜の胸の内に芽生えた。


    263: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:56:29.41 ID:leGUsSlh0


    「じゃあ紗夜さん、言ってみてください」

     あえて『何を』とは言わないつぐみ。だけど今の紗夜にはそれ以上嬉しく感じる言葉はなかった。

    「最後まで……してください」

    「何を?」

    「私の前世の死因を、余すところなく探って下さい」

    「……ふふっ」その言葉につぐみは今日一番の嬉しそうな笑みを浮かべた。「いいですよ。紗夜さんの気が済むまで、ずーっと探ってあげますね?」

    「はい……」


    264: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 09:57:56.71 ID:leGUsSlh0


     鈴を転がしたような声が頭の中で何度も反響する。そしてこれから自分がされるだろうことを想像すると、これ以上ないほどの幸福に満たされてしまう。

    「心臓が一番の急所ですけど……ここもそうですよね」

     右手は広背筋に回したまま、つぐみの左手がスルリと紗夜の唇を撫でる。紗夜はもう何も言わずにただ頷いた。

     唇から手が離れる。つぐみの小悪魔的笑顔がゆっくりと近付いてきた。

     もうこのまま流れに身を任せよう。それが一番だ。

     紗夜はそう思って目を瞑った。きっともうすぐ唇に柔らかい感触が来るはずだ。その先のことは……


     ――ピピピピピ……


     ……と、そこまで考えたところで無機質な音が耳元で聞こえた。パチリと瞳を開けば、目の前には自分の枕があった。


    265: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 10:00:30.31 ID:leGUsSlh0


    「…………」

     どうやら自室のベッドに横になっていたようだ。

     上半身を起こして辺りを見回す。見慣れた自分の部屋だった。つぐみの姿はない。代わりに枕元でまだ機械的にアラームを奏で続けるスマートフォンが目についた。

    「…………」

     とりあえずそれに手を伸ばして音を止める。それからぼんやりとした頭で今がどういう状況なのか考える。


    266: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 10:02:12.05 ID:leGUsSlh0


    「……私の部屋ね」

     やたら乾燥した喉から発せられる掠れた呟き。そうだ、そういえば風邪をひいていたんだと思い出す。

     次にスマートフォンの画面に映った時計に目を移す。二月十一日の午前十時二分だった。

     もう一度部屋の中を見回す。やっぱりここにはつぐみはいなかった。

    「……夢?」

     そして最終的に辿り着いた答えがそれだった。


    267: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 10:02:59.48 ID:leGUsSlh0


     せめてあと十分、いや、三分でいいから眠らせていてくれれば……という気持ちになっていたら咳き込んだ。咳をしても一人、という有名な自由律俳句が頭に浮かんで非常にやるせなくなった。

    「夢……夢、だったのね……」

     もう一度眠ればあの夢の続きが見れるだろうか。少し考えてみたけど、未だ消えぬ鮮明な小悪魔つぐみの残滓がそれを許してくれなかった。きっと今の紗夜は遠足前日の小学生よりも眠るのに時間を擁すことだろう。

     その間にあの夢はどんどん薄れていってしまうし、それはそれで焦らされているようでなかなかいいのではないか、と夢の中ならまだしも現実であれば相当ヤバいことを考えつつ、とりあえず紗夜は日菜にメッセージを送ることにした。

    『最近、丸山さんが愚痴を吐いていたわよ。『日菜ちゃんが相手にしてくれなくて寂しいなぁ、もっとからかいに来てほしいなぁ』って』

     一昨日の記憶を思い起こすと、確かこの二月の三連休はパステルパレットで泊まり込みのロケがあると日菜は言っていた。

     あまり思い出せないが、何か彩に対して報復をしようと心に誓ったような気がした。それならこれであとは日菜が上手くやってくれるだろう。


    268: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/11(月) 10:03:47.18 ID:leGUsSlh0


     送って二秒でついた『既読』の文字を確認してから、今度はつぐみにメッセージを送ろうと紗夜は思った。

     文面は……「たすけてくださいはざわさん」にしよう。それから「家にだれもいなくて、風邪をひいていて」と送りましょう。

     これならきっと彼女は来てくれる。そして夢の中とは180°違う優しい天使のような姿で看病してくれる。

     何から何まで甲斐甲斐しくお世話してくれるつぐみの姿を思い浮かべてみたら意識が朦朧としてきた。きっと体温が1℃くらい上がったのだろう。

     重症なほど羽沢さんは優しくなってくれそうね、流石私の身体だわ……そう思いながら、紗夜はつぐみに送るメッセージを打ち込みはじめるのだった。


     おわり


    271: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:13:58.32 ID:PDSSJdDN0


    山吹沙綾「動物嫌われ」


    272: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:14:41.35 ID:PDSSJdDN0


    ――有咲の蔵――

    山吹沙綾「……えぇと、なに?」

    戸山香澄「だからね、巴ちゃんに聞いたんだ! さーや、動物に好かれたいって!」

    沙綾「ああうん、この前そんなこと言ったね。で……その耳は?」

    香澄「猫耳だよ!」ネコミミカスミーン

    沙綾(いつもの髪型プラス猫耳……耳がいっぱいあるみたいに見えるなぁ)

    香澄「さぁ、さーや!」

    沙綾「いや、さぁ、って言われても……どうしたら?」

    香澄「えっ、動物に好かれたいんだよね?」

    沙綾「うん」

    香澄「じゃあ、どうぞ!」

    沙綾「……いや、なにが?」


    273: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:15:14.65 ID:PDSSJdDN0


    香澄「えっ?」

    沙綾「それ私のセリフなんだけど」

    香澄「動物に好かれたいんだよね?」

    沙綾「うん」

    香澄「じゃあ、はい!」

    沙綾「いや、えぇと……」

    香澄「さーや、猫嫌いだっけ?」

    沙綾「ううん、好きだけど」

    香澄「なら問題ないよね?」

    沙綾「…………」

    沙綾(えーっと、これはアレかな……動物嫌われだから、猫耳付けた香澄で慣れるとかそういう感じの……)

    香澄「にゃーん♪」

    沙綾(ああやっぱりそれっぽいなぁ。いやでも……えぇ? 動物の耳付けた友達を可愛がるってどうなのそれ、絵的に?)

    香澄「にゃーん?」

    沙綾(うーん、でも純粋な厚意だし、無下に出来ない)


    274: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:16:00.01 ID:PDSSJdDN0


    香澄「にゃーにゃー?」

    沙綾「ああうん、分かったよ。ありがとね、香澄」

    香澄「にゃ!」

    沙綾「えーっと、じゃあ……おいで?」

    香澄「にゃー♪」タッ

    沙綾「うわーすぐ来た」

    香澄「にゃん♪」スリスリ

    沙綾「あーはいはい、いいこいいこ」ナデナデ

    香澄「にゃ~……」ゴロゴロ


    275: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:16:32.14 ID:PDSSJdDN0


    沙綾(……いや、懐いてくれるのは嬉しいけど、どう見ても香澄だしなぁ)

    沙綾(猫じゃないし……そりゃ可愛いけど……これは猫じゃない)

    香澄「にゃおん♪」

    沙綾(膝に頭乗っけてるけど、香澄を膝枕ってよくやるし……)

    香澄「にゃーにゃー?」

    沙綾「はいはい、頭撫でればいいのかな?」ナデナデ

    香澄「にゃーっ♪」ゴロゴロ

    沙綾(……まぁいっか。可愛いし)


    このあと滅茶苦茶にゃーにゃーした。


    276: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:17:15.34 ID:PDSSJdDN0


    ――後日 有咲の蔵――

    沙綾「……え?」

    花園たえ「香澄から聞いたよ」

    沙綾「何を……って、聞くまでもないかぁ」

    たえ「?」ウサミミオタエー

    沙綾(首を傾げた拍子にうさ耳が揺れてる……)

    たえ「さぁどうぞ、沙綾」

    沙綾(……おたえも100%優しさだもんなぁ。断りづらい)

    沙綾「えぇと、それじゃあ……おいで?」

    たえ「ぴょんぴょん」ピョンピョン

    沙綾(本当にうさぎっぽくジャンプしてる……)


    277: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:18:11.56 ID:PDSSJdDN0


    たえ「あ、間違えた。ぷーぷー」

    沙綾「え、うさぎってそういう風に鳴くの?」

    たえ「ぷー」

    沙綾「……まぁ、うさぎのことだし、おたえがそう鳴くならそうなんだろうなぁ」

    たえ「ぷー?」

    沙綾「おたえはうさぎに詳しいなーって」ナデナデ

    たえ「ぷぅぷぅ♪」スリスリ

    沙綾(……なんか、おたえがこうやって甘えてくるのって珍しいから……ちょっと変な気持ちになりそう)

    たえ「?」キョトン

    沙綾「ううん、なんでもないよ」

    たえ「ぷー」


    278: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:19:09.51 ID:PDSSJdDN0


    沙綾「……おやつ食べる?」

    たえ「ぷー!」ピョンピョン

    沙綾「うわーすっごい嬉しそう。えぇと……じゃあこれ、巴がくれたジャーキー。はい、あーん」

    たえ「ぷー♪」モグモグ

    沙綾(友達が床に跪いて、自分の手から差し出されたジャーキーを頬張ってる……)

    沙綾「これアウトな絵面じゃないかな?」

    たえ「ぷー?」

    沙綾「……なんでもない」

    沙綾(まぁ……可愛いからいいのかな)


    このあと滅茶苦茶ぴょんぴょんした。


    279: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:19:41.94 ID:PDSSJdDN0


    ――後日 有咲の蔵――

    沙綾「…………」

    牛込りみ「え、えっとね? 香澄ちゃんとおたえちゃんに聞いて……」

    沙綾「いや、なんていうかもう慣れたよ……」

    りみ「そ、そう?」

    沙綾「りみりんは……牛、かなぁ?」

    りみ「うん。牛さんの耳とツノ、ひまりちゃんが貸してくれたんだ。あと、この鈴付きの首輪も」ウシミミリミリンクビワツキ

    沙綾「なんでひまりはそんなものを持ってるんだろうなー」

    沙綾(それに牛込だから牛って……安直過ぎないかなぁ)

    りみ「えへへ、牛込だから牛がいいよって、素敵なアイデアだよね」

    沙綾「……そう言われちゃったら何も言えないよ」


    280: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:20:33.61 ID:PDSSJdDN0


    りみ「それじゃあどうぞ、沙綾ちゃん」

    沙綾「どうぞって言われてもね」

    りみ「牛、嫌い?」

    沙綾「なんだろう、動物がどうこうじゃなくて食べ物の話されてる気分だよ」

    りみ「え、私、沙綾ちゃんに食べられちゃうの……?」

    沙綾「食べないよ」

    りみ「よかったぁ。沙綾ちゃんが満足できるように頑張るね?」

    沙綾「あーうん、ありがと?」

    りみ「それじゃあ……あ、そっか。動物が人間の言葉喋ったらダメだよね」

    沙綾「別にそこまで拘らなくても」

    りみ「も、もーもー?」チラ

    沙綾「…………」

    沙綾(マズイ、上目遣いで少し照れながらもーもー言うりみりんが思った以上にかわいい)


    281: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:21:20.28 ID:PDSSJdDN0


    りみ「もーもー」

    沙綾「えぇっと、その厚意をフイには出来ないし……こっちおいで?」

    りみ「もーっ」トテトテ

    沙綾「…………」

    沙綾(うわー嬉しそうにこっち来た。かわいいなぁ)

    りみ「もー?」キョトン

    沙綾「あ、ううん。牛ってどうやって撫でるんだろって思って」

    りみ「もー……もー!」グイ

    沙綾「え、私の肩に頭を押し付けて……頭でいいのかな」

    りみ「もー」

    沙綾「それじゃあ……いいこいいこ?」ナデナデ

    りみ「もー♪」

    沙綾「……かわいい」

    沙綾(あーなんだろうこれ。牛とか動物とか関係なくすごく癒される……)


    このあと滅茶苦茶もーもーした。


    282: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:22:30.37 ID:PDSSJdDN0


    ――後日 有咲の蔵――

    沙綾「いや……まぁ次は有咲なんじゃないかなーとは思ってたよ」

    市ヶ谷有咲「……なんだよ。私じゃ不満かよ」

    沙綾「あ、ううん、不満とかそういうのじゃなくて……」チラ

    有咲「なんだよさっきから意味深にチラチラ見てきて」ワンダフルイヤーアリサー

    沙綾(まさか去年の戌年の衣装着てくるとは思わなかったなー……)

    沙綾「えーっと、気合入ってるね?」

    有咲「べっ、別に気合とか入れてねーし。ただ、どうせ去年着たやつだしこれなら恥ずかしくないかって思っただけで……」

    沙綾「そっかそっか」

    有咲「ったく、別に沙綾に撫でてほしいとか遊んでほしいとかこれっぽっちも思ってねーからな」

    沙綾(そんなこと聞いてないんだけどなぁ。でも、なんか犬の格好した有咲見てると……なんだろう、この……)


    283: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:23:24.45 ID:PDSSJdDN0


    有咲「それじゃあ、ほら」

    沙綾「ほらって?」

    有咲「そりゃ、アレだよアレ……」

    沙綾「ハッキリ言わないと分かんないよ?」

    有咲「うー……」

    沙綾(唸ってる……本当に犬みたい。あーマズイ、なんかもう……)

    沙綾「イジワルしたくなるなー」ボソ

    有咲「……は?」

    沙綾「あ、聞こえてた?」

    有咲「え、いや」


    284: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:24:48.81 ID:PDSSJdDN0


    沙綾「なんだろうねー、なんでだろうねー。有咲がワンちゃんのカッコしてると……ねぇ?」ジリジリ

    有咲「な、なんでそんなジリジリ近付いてくんだよ!?」

    沙綾「こら。ワンちゃんは人の言葉をしゃべらないよ?」

    有咲「う……」

    沙綾「香澄もおたえもりみりんもみんな動物になりきってたよ?」

    有咲「わ、分かったよ……わん」

    沙綾「よーしよーし、いい子だね。それじゃあこっちに……」

    有咲「わ、わんわん!」ジリジリ

    沙綾「どうして後ずさるのかな?」

    有咲「うー……わん!」

    沙綾「でも……なんだかその反応、本当に動物を相手にしてるみたいで……ふふ」

    有咲「わぅ!?」


    285: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:25:58.30 ID:PDSSJdDN0


    沙綾「大丈夫だよー、怖くないよー……ふふふ」

    有咲「わうわう……」フルフル

    沙綾「どうしたのかな、そんなに首を横に振って?」

    有咲「わぅー……」チラ

    沙綾「今日は香澄たち、商店街に用があって遅くなるって言ってたよ? だから蔵の入り口を見ても仕方ないと思うな」

    有咲「……!」ダッ

    沙綾「逃がさないよ?」ガシ

    有咲「きゃうん!?」

    沙綾「ふふ、どうして逃げるのかな? 大丈夫だよ、怖くないよ? ちょっと可愛がるだけだからねー?」ナデクリナデクリ

    有咲「わぅっ」ビクン

    沙綾「アリサちゃんはどこをどうされるのがいいのかなー? ここかなぁ、それともこっちかなぁー?」ワシャワシャ

    有咲「!? わんわんわん!?」ジタバタ

    沙綾「こらこら、暴れないの。でもこれくらいやんちゃな方が可愛いなぁ……ふふ、ふふふふ……」

    有咲「きゃう――んっ!!」


    286: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:26:51.70 ID:PDSSJdDN0


    ―2時間後―

    香澄「遅くなってごめーん!」

    りみ「思ったより商店街の人と話が長くなっちゃって……」

    たえ「ごめんね」

    沙綾「ううん、大丈夫だよ」

    たえ「そっか、よかった」

    香澄「あれ、有咲?」

    有咲「うぅ……」グッタリ

    りみ「ど、どうしたの、隅っこの方で……?」

    たえ「あ、去年着た犬の衣装だ」

    有咲「もう……お嫁にいけない……」


    287: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:27:39.18 ID:PDSSJdDN0


    沙綾「いやー、ちょっと可愛がりすぎちゃったかな?」

    有咲「ちょっとじゃねーよ!! 2時間撫でくり回され続けてちょっとってどんな判断だよ!!」

    沙綾「あーごめんごめん」

    有咲「ごめんで済めば警察はいらねーんだよ! つーか沙綾、お前が動物に嫌われる理由はぜってーそれだからな!!」

    沙綾「え、それって?」

    有咲「無自覚かよ!? お前、動物目線から見たら相当怖いからな!? そういうの絶対動物は分かってるからな!?」

    沙綾「そうかなぁ……」

    香澄「え、でもさーや、私の時は膝枕とかしてくれてすっごく優しくしてくれたよ」

    たえ「私もジャーキー食べさせてくれた。沙綾、優しい」

    りみ「わ、私も膝の上で甘えさせてくれたよ?」

    有咲「はぁ? じゃあなんで私だけ……あんな……」


    288: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:28:36.12 ID:PDSSJdDN0


    沙綾「いや、なんていうか……可愛くてつい」

    有咲「かっ、可愛いって……!?」

    沙綾「どうしてかな。やんちゃというかわんぱくというか……そっけないほど可愛がりたくなっちゃうんだよね」

    たえ「有咲にどんな風にしたの?」

    沙綾「えーっとね、こうやって抱き寄せて」グイッ

    有咲「ちょっ」

    沙綾「こう、色んなところをわしゃわしゃーって」ナデクリナデクリ

    有咲「も、もうやめてくれ!」

    沙綾「こーら。ワンちゃんが喋る時はどうするんだっけ?」

    有咲「わ、わんわん!!」

    沙綾「よしよし、いいこだねー」ワシャワシャワシャ


    289: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/15(金) 22:29:33.65 ID:PDSSJdDN0


    りみ「か、過激すぎないかな……?」

    香澄「有咲ってすごいなぁ。さーやにあんなに撫でくり回されてる」

    たえ「もうすっかり調教済みだね」

    有咲「お前ら見てないで助け……!」

    沙綾「アリサちゃーん?」

    有咲「わ、わお――んっ!!」


    このあと滅茶苦茶わんわんさせられた。


    おわり


    291: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:22:23.92 ID:FljbctzU0


    北沢はぐみ「オペレーション・コロッケ」


    292: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:23:18.92 ID:FljbctzU0


     北沢はぐみは頭を悩ませていた。

     彼女は勉強が苦手であり、考えることも苦手だ。それだというのに、ふと気が付けば同じバンドに所属している奥沢美咲のことを考えてしまっている。

     これはどうしたことだろうか。

     どうして登下校の時と授業中とソフトボールしてる時と部活してる時とご飯食べている時とお風呂入ってる時とお布団でおさるを抱っこしてる時にみーくんのことを考えちゃうんだろう。

     彼女はここ三日間そのことに頭を悩ませ続けていた。それでも答えが出そうにもなかった。繰り返すが、はぐみは考えることが苦手だったからだ。

     なので、彼女はこう思った。呟いた。

    「そうだ、みーくんに聞いてみよう」

     言葉にしてみれば簡単なことだった。美咲のことを考えて悩むのだから美咲に話を聞いてみればいい。実に単純なことだ。


    293: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:24:14.28 ID:FljbctzU0


     こんなことで悩むなんて、やっぱりはぐみは考えるの苦手だなぁ。

    そんなことを思いながら、彼女は授業の合間の休み時間に二つ隣のクラスまで足を運び、扉から元気よく声をかけた。

    「おーい、みーくーん!!」

     その声に教室中から視線が集まるけれど、はぐみはまったく意に介さなかった。どちらかというと呼ばれた美咲の方が意に介した。

     羊毛フェルトをなんとなく弄っていた彼女は、「はぁー」とはぐみの耳まで届きそうなくらい大きなため息を吐き出して、面倒そうに扉の方へ顔を動かす。

    「どしたのーはぐみ」

     それからこれまた面倒そうにはぐみを手招き、面倒そうに言葉を口を開く。その姿がはぐみの中のよく分からない琴線に触れて少し嬉しくなった。

    「えっとね……あれ、なんだっけ?」

    「あたしにそう言われても分かんないってば」

     呆れたような言葉。それにまたなんだか嬉しくなるはぐみ。しかし嬉しがってる場合じゃないのは流石に彼女にも分かっていた。首を傾げて「うーん」と考えを巡らせて、ここに来た用件を思い出した。

    「そうだ! あのねあのね、みーくん!」

    「はいはい、どうしたのさ」


    294: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:24:52.22 ID:FljbctzU0


     元気いっぱいに尋ねるはぐみを手でたしなめつつ、美咲は彼女の声に耳を傾ける。

     身振り手振りで修飾したはぐみの話はあっちへこっちへ寄り道をした。しかしそれでも急かすこともなく美咲はただ話に耳を傾けてくれる。はぐみはますます嬉しくなって、どんどん話が脱線していった。

     そんなことをやっているうちに休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

    「あれ、もうこんな時間?」

    「あーうん、そうみたいだね」

    「そっかー。楽しいと時間ってあっという間に過ぎるね。話聞いてくれてありがと、みーくん! それじゃあね!」

    「え、あの、はぐみさーん……?」

     美咲の何か言いたげな顔が目に映ったけれど、はぐみは手をぶんぶん振って1-Cの教室を後にする。残された美咲は「……結局、何の話だったんだろ」と呟いたが、当のはぐみも元々するはずだった話の内容をすっかり忘れていた。

    (やっぱりみーくんとお話するの、楽しいなぁ~)

     めんどくさそうにしつつも絶対に自分の相手をしてくれる美咲の姿が嬉しくて、はぐみは花マル笑顔で自分の教室へスキップしていくのだった。


    295: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:25:36.35 ID:FljbctzU0




    「あ、そうだ!」とはぐみが美咲にするはずだった話の内容を思い出したのは、家に帰って店番を終えて晩御飯を食べ終えて自室でベースを弾いている時だった。

     どうしてすっかり忘れていたのだろうか。

     そうだ、はぐみはみーくんと楽しくお喋りするためじゃなくて、はぐみの悩みを聞いてもらうためにお喋りをしにいったんだった。

     今さらそう思うけれど、それでも彼女は「まぁいっか」と呟いた。美咲とはいつでも会えるし、次に会った時に話を聞いてもらえばいい……そう決めた。

    「……あれ?」

     しかしそう決めたものの、よくよく考えてみると、はぐみはいつも美咲にいろんなものを貰ってばかりのような気がしてしまった。

     ベッドに腰かけてベースを膝に抱えたまま、美咲にしてもらったことを数えてみる。

     まずハロハピでこころんたちと曲を作ってくれること、それからいつもライブの段取りをしてくれること、ミッシェルに伝えたいことをいつも聞いてくれること、運動会で一番にはぐみのことを励ましに来てくれたこと、普段もそうだしスキーの時とかも話を聞いてくれるし一緒に遊んでくれること……

     記憶を思い起こしては指を折っていると、気付いたら両手両足の指では足りなくなってしまった。


    296: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:26:19.48 ID:FljbctzU0


     はぐみは戦慄した。気付かないうちにみーくんからこんなにいっぱい貰っていたなんて、と。

     父がよく口にしている言葉が脳裏に思い浮かぶ。人生は持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様。優しく在れ、義理堅く、恩は返せ、借りは作るな……などなど。

    「このままじゃダメだよ!」

     はぐみはギュっと握りこぶしを作って立ち上がった。

     気付かないうちに貰ってばかりだったのに今日ここで気付けた、それなら今度は自分が美咲にいろんなものをあげる番だ。そう意気込んだ。

     でも何をあげればみーくんは喜んでくれるかな。

     しばらくそう考えていたらだんだん眠くなってきた。チラリと時計を見やると午後十時過ぎで、良い子はもう眠る時間だった。

    「よし、とりあえず寝よー!」

     ベースを片付けてから部屋の明かりをおとし、おさるを抱っこしてベッドに潜り込む。すぐに心地の良い睡魔がやってきた。

     最近はすっごく頭を使ってるから、なんだかよく眠れるなぁ。

     そう思いながら、意識はすぐに夢の世界に飛び込む。今晩の夢は美咲がなんだか楽しそうに笑っている夢で、はぐみも嬉しくなって笑った。


    297: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:26:53.76 ID:FljbctzU0




     翌日の放課後。

     昨晩自室で決心してから美咲に何をあげればいいかをずっと考えていたけれど、その答えは一向に出なかった。

    (はぐみ、考えるの苦手だからなぁ……)

     にわかに騒がしくなる教室でなおもうんうん唸っていたけれど、やっぱり答えは出そうにない。少しだけ心がモヤモヤしてきた。

     だからとりあえず身体を動かそうと決めた。考えても分からないのはしょうがないからとりあえず運動しよう、という精神だった。

     そうと決めたら一直線、早速はぐみは教室を飛び出し、勢いに任せて校門も駆け抜ける。その時ふと名案が頭に思い浮かんだ。

    (そうだ、こういう時は物知りな薫くんに相談してみよう)

     羽丘女子学園まで走れば、身体も動かせて、もしかしたら自分の悩みも解決できるかもしれない。まさに一石二鳥だ。

     ものすごく効率のいい名案にはぐみは嬉しくなって、軽い足取りで見慣れた街を駆けていく。するとすぐに目的の羽丘女子学園に到着して、今日は校門にある雲梯で遊ぶのは我慢して、勝手知ったる他校の演劇部の部室を目指した。


    298: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:27:43.91 ID:FljbctzU0


    「ああはぐみ……その小さな胸の中に儚い悩みを抱えていたんだね……」

     そして部室に到着してすぐに目に付いた瀬田薫に悩み事を打ち明けると、彼女はいつもの芝居がかった身振りを交えながらはぐみの手を取った。

    「そうなんだ。みーくんには……ううん、みーくんだけじゃなくて、薫くんにもこころんにもかのちゃん先輩にもたくさん貰ってばっかりだから、何かお返しがしたいんだ。でも何を返せばいいのかなって考えちゃうと全然分かんなくて……」

    「そうか……」

     健気なはぐみの言葉から発せられる儚さに全身を強く射抜かれてどうにかなってしまいそうな薫だが、今は自分を頼る子猫ちゃんを案ずるのが先だった。

     儚さに震える手をそっとはぐみから離し、自分の顎に当てて、彼女は考える。

     私もハローハッピーワールドのみんなには貰ってばかりで、はぐみにだって特別なものをあげた覚えはないが……いや、そうか。私の罪な美しさが、ただそこに存在するというだけでみんなに光を与えてしまっているのだ。ああ、なんということだ……つまりそういうことだね……。

    「分かったよ、はぐみ。君が何をお返しすべきかが」

     考えた末に辿り着いた答えを迷子の子猫ちゃんに伝えるべく、薫はいつもよりも柔らかい口調で言葉を紡ぎだす。


    299: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:29:26.48 ID:FljbctzU0


    「ほんと!?」

    「ああ。考えてみれば実に簡単な話さ」

     ふふ、とキザな笑みを浮かべた薫の姿を見て、はぐみは『簡単に分かるなんてやっぱり薫くんはすごいなー!』とウキウキしながら言葉の続きを待つ。

    「いいかい、はぐみ。特別なものなんて何もいらないんだ」

    「いらない?」

    「そう。例えば、私は自分から何か特別なものをみんなにあげようと思ったことはあまりないんだ。けれど、はぐみは私からもたくさん貰ってばかりだと言ったろう?」

    「うん! 困った時も楽しい時も、薫くんからはいろんなものを貰ってるよ!」

    「ふふ、つまりそういうことだよ。私は何も特別なことをしていない。そう思っていても、はぐみは私からいろんなものを貰ったと言ってくれる。なら、それでいいのさ」

    「うーん……?」

    「少し分かりづらかったかい? では……そうだね。はぐみは今、美咲だけじゃなく私にもお返しをしたいと言ってくれたね?」

    「うん」


    300: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:30:05.34 ID:FljbctzU0


    「私からすれば、はぐみのその気持ちこそが特別なお返しなんだ。君が私のことを想って、何かをしたいと考えていてくれる。その儚い気持ちこそが私にとっての特別なんだ」

    「な、なるほど……!」

    「分かったかい?」

    「うん、なんとなく!」

    「それならよかった。ニーチェもこう言っているからね。『樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ』と。つまり……そういうことさ」

    「そういうことだね!」

    「ああ、そういうことさ」

     うんうんと頷き合うはぐみと薫。

     遠巻きに見ていた演劇部員から「流石薫様……」「儚なすぎます……」という感嘆の声があがる。それに紛れて舞台衣装の整理をしていた大和麻弥は『本当に分かったのだろうか……』と一人悶々と心配を抱えることになるのだった。


    301: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:30:51.45 ID:FljbctzU0




     はぐみの悩みも薫の助言によって解決された。

     斜陽の影が伸びる商店街。その一角で、今朝に比べたらずっとすっきりした頭で、彼女は北沢精肉店の店番を行っていた。

     お客さんの注文通りにお肉を売り、はたまた常連さんと世間話をしたりなんかしつつ、頭の片隅で美咲のことを思う。

     薫から助言してもらった『特別なものは何もいらない』という言葉。それはつまりいつものように美咲に接していればいいということで、それでいいならそうするけれど、それでももう少し何か出来ないだろうか。

     自分が美咲に与えられるものを挙げていくと、一番最初に揚げたてのコロッケが脳裏に思い浮かんだ。

     コロッケ。

     そうだ、これだ! と、はぐみは両手をポンと打った。

     はぐみ=北沢精肉店=コロッケ。つまりはぐみはコロッケで、コロッケははぐみ。これをみーくんにあげればもっともっと喜んでもらえるハズだ。

     そう思うとはぐみはワクワクしてきた。いつも通り+はぐみの化身であるコロッケをあげて、美咲が喜ぶ顔を思い浮かべると、とてもテンションが上がった。

    「はぐみにはコロッケしかない!」

    「……何を店先で叫んでいるんですか、北沢さん」

     その情動の赴くままに声をあげたはぐみに、ちょうど店の前を通りかかった氷川紗夜がどこか微妙な表情を浮かべて声をかけた。


    302: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:31:36.10 ID:FljbctzU0


    「あ、紗夜先輩! こんにちは!」

    「ええ、こんにちは」

     元気よく挨拶をしたはぐみに、紗夜も丁寧に頭を下げる。その顔にはやっぱりなんとも言い難い表情が浮かんでいて、はぐみは少し心配になった。

    「なんだか変な顔になってるけど、もしかしてお腹とか痛い?」

    「いえ、なんというか……少し昔を思い出しただけよ」

    「昔?」

    「こちらの話だから気にしないでください。それよりも、いい匂いがするわね」

    「あ、ちょうどさっきコロッケが揚がったんだよ! 紗夜先輩もどう? 美味しいよ!」

     はぐみはニカッと明るい笑顔を浮かべて、ショーケースに並ぶコロッケを指さす。紗夜は少し悩むような仕草を見せて、

    「いえ、これから羽沢珈琲店に行くので……」

    「つぐちんもうちのコロッケ大好きだよ!」

    「……二つ、貰っていきましょうか」

     結局その言葉に流された。


    303: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:32:26.54 ID:FljbctzU0


    「まいどあり!」

     はぐみは手際よくコロッケを包み、袋に入れて紗夜に手渡す。

    「……意外と商売上手なのね、北沢さんは」

     紗夜は何かに負けたような気持ちになりながら代金をはぐみに渡した。

    「そうかな?」

    「ええ。いつも元気で、見ていて気持ちがいいわ。だから私も思わずコロッケを買ったのよ。それ以外の理由は何もないわ」

    「えへへ、ありがと!」

    「ただ、学校の廊下を走るのは感心しませんね」

    「うっ……ごめんなさい、つい……」

    「これから気をつけてくれればそれでいいのよ。私も少し口うるさくなってしまったわね。ごめんなさい」

    「ううん! はぐみ、これから気をつけるね!」

    「はい。それでは」

     しゅんとした表情から一転、明るい表情になるはぐみ。それを見て、紗夜は少し優しげな顔をして手を振る。

     はぐみの胸中には『やっぱり紗夜先輩って優しいしすっごく大人だなぁ』という思いがあった。

     紗夜の胸中には『将来子供が出来たら、北沢さんや宇田川さんのように純粋な人間になって欲しいわね』という思いと、無邪気な笑顔を浮かべた小さな子供を囲む自分と羽沢つぐみという情景が浮かんでいた。


    304: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:33:22.73 ID:FljbctzU0




     薫に助言を貰った翌日から、はぐみによる対美咲用作戦『オペレーション・コロッケ』が始まった。作戦の発案者はちょうどロボットアニメの再放送を見ていたはぐみの兄である。

     作戦概要はこれから毎日三食、北沢精肉店の絶品コロッケを美咲に食べさせるというものだった。

     はぐみはそれを絶賛した。兄はエレガントな作戦だと自画自賛した。蛙の子は蛙である。血は争えないのだ。

     という訳で、

    「おはよーみーくん!」

    「おはようはぐみ。朝から元気だね」

    「うん! はぐみはいつでも元気だよ! それと、はいこれ!」

    「……コロッケ?」

    「みーくんのために作ってきたんだ!」

    「あーうん、ありがと?」

     はぐみは登校してからすぐに美咲のクラスに足を運び、お手製のコロッケを彼女に手渡した。

    「それじゃあね!」

    「はーい……って、コロッケ渡しに来ただけ?」

     そして手を振って教室を後にした。


    305: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:33:50.65 ID:FljbctzU0


     お昼休みも、

    「はいみーくん、コロッケ!」

    「あーうん、どうも」


    306: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:34:16.79 ID:FljbctzU0


     放課後も、

    「はいみーくん、一回家に帰って作ってきたコロッケ!」

    「まさかの出来立て!? あー、ありがとね」


    307: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:34:43.73 ID:FljbctzU0


     ハロハピの練習中も、

    「コロッケ持ってきたよ~! はい、これみーくんとミッシェルの分!」

    「あ、ああうん、ミッシェルにも渡しとくね」


    308: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:35:14.48 ID:FljbctzU0


     翌日も、

    「今日はさといもコロッケだよ!」

    「へぇー、そんなコロッケがあるんだ」


    309: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:35:59.94 ID:FljbctzU0


     その翌日も、

    「今日はジャガイモの代わりに挽肉と玉ねぎを使ってみたよ!」

    「それってメンチカツだよね?」

    「あっ!!」


    310: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:36:52.17 ID:FljbctzU0


     そのまた翌日も、

    「やっぱり普通のコロッケが一番だよね!」

    「……まぁ、うん、そうだね」


    311: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:37:49.27 ID:FljbctzU0


     そんなことが一週間続いた。

     はぐみは美咲が毎日コロッケを食べてくれるのが嬉しかった。

     美咲は三日連続でコロッケの海に溺れる夢を見てうなされた。

     だというのにも関わらず、またはぐみがコロッケを自分の元へ持ってくるものだから、流石に美咲も辛抱堪らなくなってしまった。

    「ねぇ、はぐみさん?」

    「どしたの、みーくん?」

     茜に染まる放課後の教室にコロッケの香りがふわりと広がる。はぐみの手にある包みからただようものだった。最近のこのクラスの流行りはコロッケの買い食いである、という噂が立つ程度に1-Cでおなじみになった匂いだった。

    「最近毎日コロッケくれるけど……どうかしたの?」

    「あれ、もしかしてみーくん、コロッケ嫌いだった?」

    「嫌いじゃないけど……限度があるなってあたしは思うよ」

     美咲は胃の辺りに手を置きながら困ったように言う。

     美味しいは美味しいけれど、うら若き乙女の胃腸に毎日の油ものは正直キツかったのだ。星のカリスマ戸山香澄とて毎日三食フライドポテトはキツイ。おかずに白米を用意してくれれば話は別だけど。


    312: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:38:25.03 ID:FljbctzU0


     それはともかくとして。

    「そっか……ごめんね、みーくん」

     みーくんの為にって思ってたけど、やり過ぎちゃったかな……。そう思いながらしゅんと落ち込んだ顔を見せるはぐみ。

    「あーいや、責めてる訳じゃないんだよ? 怒ってもいないからね?」

     ああもう、そういう顔をされると弱いんだよなぁ……。そう思いながら努めて柔らかい口調になる美咲。

    「毎日コロッケくれるのは嬉しいけど流石に毎食は飽きるっていうか……いや、あたしが言いたいのはそうじゃなくて、どうしたの? はぐみがコロッケを差し入れに持ってきてくれることはよくあるけど、毎日毎食なんてことはなかったからさ」

    「…………」

     その言葉にはぐみは頭をフル回転させる。考えるのが苦手だけどいつも以上に頑張って考える。

     はぐみの頭には薫からの言葉があった。曰く、相手に気を遣わせるお礼はかえって迷惑になる。だからここで「みーくんにお返しがしたかったんだ」と言ってしまっては、優しい美咲は気を遣ってしまうだろう。

    (だけどみーくんには隠し事なんてしたくないし……でも……うーん……)

     どうすればいいのだろうか。一向に出ない答えを考えすぎて頭から煙が出そうだった。


    313: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:39:15.77 ID:FljbctzU0


    「あーはぐみ? 言い辛いことならいいんだけどさ……」

     そんなはぐみを見兼ねて、美咲は少し困ったように口を開いた。それを見て、『やっぱり隠し事はダメだ』とはぐみはとうとう観念した。

    「ううん、言うよ。あのね?」

    「うん」

    「みーくんはいつもね、はぐみにいろんなものをくれるから……だから、はぐみからもみーくんにお返しがしたかったんだ」

    「お返し?」

    「うん」

    「……そんな言うほど、あたし、はぐみに何かしたっけ?」

    「いっぱいしてくれたよ! まずね……」

     思案顔になる美咲に、はぐみは指を折りながら彼女にもらったものを挙げていく。

     正々堂々真剣勝負が大事だって言ってくれたこと、はぐみの伝言をいつもミッシェルに伝えてくれること、マリーとしてミッシェルと対決することになってもはぐみを応援してくれたこと、普段からいっぱい遊んでくれるし麻弥さんのソフトボールの挑戦にもずっと付き合ってくれたこと……

    「それとね、それとね!」

    「あ、いや、もう分かったから……」

     両手の指を折りきって、二週目に入ろうかというところで流石に美咲は止めに入った。いくら相手がはぐみといえども、目の前でこんなことを言われるのは非常に照れくさかった。


    314: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:39:47.84 ID:FljbctzU0


    「まだたくさんあるのに……」

    「もう十分だって……えぇと、それではぐみは、あたしにコロッケをくれたんだ?」

    「うん。はぐみ、貰ってばっかりで全然みーくんにお返しできてないし、それがなんだかすっごくモヤモヤしちゃって、だからお返ししようって思って……」

    「なるほどね」

     はぐみの言葉を聞いて、美咲はやれやれといつものため息を吐き出す。それからなんと言おうか少し迷ってから口を開く。

    「えっとさ、はぐみはあたしに何も返せてないって言うけどさ、そんなことないからね?」

    「え?」

    「まぁ、ほら……流石に事細かに何を貰ったーっていうのはちょっと照れくさいからアレだけど……はぐみがあたしからたくさん貰ったって言うように、あたしもはぐみから、もうホント、数えきれないくらいいろんなものを貰ってるんだよ。きっとハロハピのみんなだってそう思ってるよ」

    「うん……薫くんも同じこと言ってた」

    「でしょ?」


    315: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:40:44.27 ID:FljbctzU0


    「でも、でもね? 薫くんもそう言ってくれて、はぐみが薫くんに何かお返ししたいって思ってくれてるだけで十分だって言ってくれたんだけど、それでもやっぱり特別にお返ししたいって思っちゃうんだ」

    「……そっかぁ」

     はぐみは少しだけ顔を伏せて、チラリと美咲を窺う。彼女の顔には困ったような嬉しいような、曖昧な表情が浮かんでいた。それを見て『自分勝手にコロッケを押し付けちゃダメだったな』と思った。

    「ごめんね、みーくん」

    「え、なにが?」

    「みーくんに喜んでもらいたくてお返ししようって思ってたんだけど、それでみーくんが困ってるんじゃダメだよね。だから、ごめんね?」

    「あー……」

     その謝罪の言葉を受けて、美咲はなんて返したものかと思案する。

     正直な話、はぐみが自分からの些細な言葉や行動なんかを大切に思っていてくれたのが嬉しい。コロッケだって――流石に毎日は勘弁してほしいけど――美味しいし、なによりはぐみの感謝の気持ちが詰まってると思うととても嬉しい。いやほんと毎日毎食だと胸やけするんだけど。

     対するはぐみは美咲の微妙な反応を見て、先走った自分の行動を悔いていた。

     きっとみーくんは喜んでくれるって自分勝手に考えて、みーくんのことをちゃんと考えてなかったな……。みーくんは優しいからきっと許してくれるだろうけど、でもそうしたらまたたくさんお返ししたくなっちゃうし……どうすればいいんだろう。


    316: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:41:48.16 ID:FljbctzU0


     しばらく無言のまま向かい合っていた。

     このままじゃ埒が明かないな、と美咲は思い、フッと息を吐き出してから、はぐみの肩にポンと手を置いた。そして少しだけビクリと震えたはぐみを怖がらせないよう、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。

    「はぐみ。別にあたしは全然、これっぽっちも困ってないからね」

    「でも……」

    「でももヘチマもないよ。あたしはどうしてはぐみがコロッケをくれるのかが気になってただけで、はぐみのそういう気持ちは嬉しいからさ」

    「…………」

     はにかむような照れ笑いを浮かべる美咲。その顔を見て、やっぱり気を遣わせちゃったかな、とはぐみは思う。

    「気を遣って言ってるワケじゃないからね?」

    「え!? どうしてはぐみの考えてることが分かったの!?」

     それを見透かした言葉にはぐみは驚愕した。『まさかみーくんってエスパー!?』とさえ思った。

     対する美咲は『やっぱり……』と少しだけ呆れたように胸中で呟いた。


    317: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:42:33.38 ID:FljbctzU0


    「そりゃ、もうそこそこ長い付き合いだし……はぐみは分かりやすいからね」

    「そっか……」

    「あ、これも別にはぐみのことを責めてるとかそういうのじゃないよ? なんていうか……言葉にするのはちょっと照れるけど、はぐみのそういうまっすぐなところって、あたしはすごく好きだからさ」

    「好き?」

     オウム返しの言葉に美咲は照れた。好き……いや、好きか嫌いかで言えばそりゃ好きだけど、ちょっとストレート過ぎたなぁ……。

     指で軽く頬を掻きながら、言葉を続ける。

    「あー……うん。あたしは捻くれ者だし、そういうとこはホント見習いたいって思うし、実はちょっと憧れてるんだよね」

    「みーくんは捻くれてなんかないよ!」

    「うん、ありがと。あのね……そういうところだと思うよ」


    318: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:43:34.77 ID:FljbctzU0


    「え?」

    「はぐみの良いところ。いつも一生懸命で、相手のことを考えて、まっすぐに言葉をくれるじゃん? そういうところに、あたしもいろんなものを貰ってるんだ」

    「…………」

     はぐみからすれば何でもないものだったけれど、美咲がくれた言葉がしんとはぐみの胸の中に染み入る。薫に言われた『特別なものは何もいらない』という言葉が本当の意味で理解できたような気がして嬉しくなった。

    「だからさ、おあいこだよ。あたしもはぐみからいつも貰ってるのに、更に毎日コロッケまで貰ってたら……ね? あたしも何かしなきゃって思っちゃうからさ」

    「うん……うん! 分かったよ、みーくん!」

    「分かってくれて良かったよ」

     いつものやや遠慮がちな笑みを浮かべて肩をすくめる美咲。その姿がやっぱり大好きで、いろんなものを自分から貰ってるという美咲の言葉を実感できたのが嬉しくて、はぐみは「わーい!」と喜びながら美咲に抱き着く。

     対する美咲はそれを苦笑しながら受け止めつつ、これで今日からコロッケに溺れる夢を見ないで済みそうだなぁ、なんてしらばっくれたように考えるのだった。


    319: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:44:47.30 ID:FljbctzU0




     後日の話である。

    「商店街を盛り上げるためのダンスをやろうって思うんだ! それでね、ミッシェルとマリーで一緒に踊ろうって思うから、今度一緒に練習しようってミッシェルに伝えてくれないかな?」

     というはぐみからの言葉に「あーうん。分かった。練習するのは今度の日曜日でいい?」と美咲が返して、ミッシェルとマリーがダンスの練習をすることになった。

     練習場所は弦巻邸の一室を借りることとなった。

    「マリーとミッシェルがダンス? それはとっても素敵ね! お父様にお願いしてダンスの練習が出来る部屋を作ってもらうわね!」

     という弦巻こころの言葉は話半分に美咲は聞くことにした。物陰に隠れていた黒服たちが誰かに連絡をしていたのも見ない振りをした。

     そしてくだんの日曜日、明らかに新築しました、という風な弦巻邸の一室には姿鏡が一面に取り付けられていて、まるでアイドルのレッスン場みたいだなぁとミッシェルに入った美咲は他人事みたいに思った。マリーに入ったはぐみは「やっぱりこころんってすごいなぁ」と素直に感心していた。


    320: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:45:35.33 ID:FljbctzU0


    「で、ダンスってどんなことをやるの?」

    「んっとね、ぴょんってしてぐわ~ってなる感じ!」

    「あーうん。分からないけど分かったよ」

     鏡の中に並ぶふわキャラ二人を見つめながら、ミッシェルは「いつも通りかぁ」とため息交じりに呟いた。

     そんなミッシェルにお手本を示そうと、マリーは早速考えてきたダンスを披露する。

     左右にステップを踏んで、上半身をやたらコミカルに動かして、それで最後にバク転……バク転!?

    「っと、こんな感じ! さぁミッシェル、やってみて!」

    「む、無理無理! バク転は流石に無理だって!」

    「やってみれば意外と出来るよ?」

    「それはこころとかはぐ――マリーだけでしょ!?」

    「大丈夫! さぁ、手を繋いでてあげるから、一緒にがんばろー!」

    「いや、ちょ……」

     尻込みするミッシェルの手を取って、マリーは踊りだす。ミッシェルはそれに引きずられるように身体を動かし続ける。


    321: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:46:31.08 ID:FljbctzU0


     そんなこんなで三十分が過ぎた。踊っているうちにミッシェルは息も絶え絶えになって、流石に休憩を要請した。

     それにマリーが頷いて、鏡に背をもたれさせながら二人は並んで座る。

    「ちょっと飛ばしすぎちゃったかな?」

    「はぁ……はぁ……いや、まぁ少しだけ……ね?」

    「そっか……ごめんね、ミッシェル」

     着ぐるみだから顔が窺えないけど、少しだけ落ち込んだような調子の言葉を聞いて、ミッシェルは疲れとは違うため息を吐き出す。そしてマリーの肩にポンと手を置いた。

    「謝らないで平気だよ。むしろ、いつも助けてくれてありがとね、マリー」

    「マリー、そんなにミッシェルのこと助けてるかな?」

    「助けてるよ。ほら、マラソンの時だってマリーが励ましてくれたから、ミッシェルはちゃんとゴール出来たんだから」

    「それはミッシェルが頑張ったからだよ」

    「そんなことないよ。マリーが応援してくれたから、ミッシェルも頑張ろうって思えたんだ。だから、いつもありがとね、マリー」

     くりくりとした丸い瞳がマリーをまっすぐに見つめる。そうして紡がれた言葉がはぐみの琴線を大いにかき鳴らした。


    322: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:47:43.47 ID:FljbctzU0


    「ううん! こっちこそ、いつもありがとうミッシェル! はぐみね、ミッシェルのこと大好きだよ!」

    「はは……またはぐみって言っちゃってる……」

     小さな呟き声ははぐみの耳にはしっかり届かなかったけれど、それでも彼女は嬉しくなった。まるでみーくんがいつも呟くみたいな声だなぁ、と思った。

     そこでハタと気付く。そういえばミッシェルとみーくんって少し似てるな、なんて。

     どこがどう似てるのか、と言われてしまうとハッキリと答えられないけれど、空気というか雰囲気というか匂いというか、とにかくどこか二人が似ているような気がした。

     そう考えるとはぐみはますます嬉しくなった。いつかマリーとミッシェルみたいに、みーくんともこうやって一緒にダンスがしたいな、と思う。

     自分と美咲が一緒にダンスする姿を脳裏に描いてみる。はぐみはそれだけでものすごく楽しくなって、居ても立っても居られなくなってしまった。


    323: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/02/21(木) 00:48:43.57 ID:FljbctzU0


    「よーし! 続きしよっか、ミッシェル!」

     だから、マリーの肩に置かれた手を取って立ち上がる。

    「え、えっ、もう!?」

     まだ五分も休憩してないのに、と思いながら、されるがままに立ち上がらざるを得ないミッシェル。

    「あはははは!」

     マリーの下で満面の笑みを浮かべて、朗らかな笑い声をあげて、鋭くステップを踏むはぐみ。事の発端の『ついみーくんのことを考えてしまうのはどうしてなのか』という悩みはとっくのとうに忘れていた。

    「ああもうっ……もう少し手加減してってば……!」

     ミッシェルはそんな言葉を恨めし気に呟く。けれどその下の素顔は、はぐみと同じく楽しそうに笑っているのだった。


     おわり


    325: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:46:55.07 ID:LuPDnfxT0


    有咲と沙綾の勘違い


    326: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:47:27.11 ID:LuPDnfxT0


     恋とは勘違いの積み重ねである……みたいな言葉が世の中には往々にして存在している。

     恋。いわゆるラヴ。

     甘酸っぱかったり、時にはほろ苦かったりして、もどかしい緩急で人の心を掴んで離さない感情の類。

     思春期の少年少女も、いい年こいた青年淑女も、あるいは現代社会に揉まれたおじさん、子育てや家事に疲れたマダムも、時には創作物の中で、もしくは実体験として、そういうものに突き動かされることがある。

     それはここ花咲川女子学園でも例外ではなくて、特に花盛りの乙女たちにとって、恋とご飯は生活から切っても切り離せない重大事項なのである。


    327: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:48:12.48 ID:LuPDnfxT0


     彼女たちの出会いは些細な偶然だった。

     星のカリスマ、あるいはヘソタイである戸山香澄に、ランダムスターを目に付けられた少女・市ヶ谷有咲。

     彼女は根っからのインドア気質で、人と関わるより自分の世界に閉じこもっている方が楽しいし楽だしいいや、というタイプの人間だった。

     けれど香澄のせいで強引に外へ連れ出されて人と関わっているうちに、世の中そんな捨てたもんじゃない、いやむしろいいんじゃね? とまで思うようになっていた。

     ただ、彼女はいわゆるツンデレだった。素直じゃない年頃の女の子なのである。見た目より複雑な子(自称)なのである。本当に本当は大大好きでも「ちげー!」とか「うるせー!」とか言ってしまう困ったちゃんなのである。

     そんな有咲と同じように、星のカリスマ、もしくはヤベーやつである戸山香澄に導かれた少女がもう一人いた。名前を山吹沙綾という。

     歳の離れた弟と妹が一人ずつ、実家はパン屋を経営している、母親は病弱で倒れがち……そんな家の環境がそうさせるのか、彼女の優しさや面倒見の良さは一般的な思春期の女の子に比べて通常の三倍の早さで成長していった。

     そのせいで、いつの間にか誰かを優先させては自分のワガママは飲み込み、人の面倒をみることが習慣として身についてしまっていた。

     そんな彼女の手を取って強引に走り始めたのもまた香澄だった。けれどそのおかげで、沙綾は諦めかけた夢をまた見ることが出来るようになった。


    328: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:49:03.36 ID:LuPDnfxT0


     有咲と沙綾にとって、香澄は言わば青春の恩人である。

     このまま何もなく淡々と日々を塗りつぶしていくところを無理矢理連れ出して、そしてキラキラドキドキする青春を与えてくれた人物である。

     例えばの話だが、これがよくあるボーイ・ミーツ・ガールと呼ばれるものであれば恋の一つや二つも芽生えていただろうし、恩人である香澄を奪い合う血で血を洗う女の争いが起こっていたかもしれない。

     けれどこれはガール・ミーツ・ガール。そこに花が芽吹くとするなら、それはローズでもチューリップでもなく恐らくリリーだ。

     有咲と沙綾は香澄が好きには好きだけど、それは親友としての好き、つまりライクである。もちろん他のバンドメンバーに対しても同じだ。

     ただ、有咲は沙綾をその例外だと感じていた。

     そして沙綾も有咲はその例外だと感じていた。


    329: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:49:46.82 ID:LuPDnfxT0


     何でもない、けれどとても特別で大切で素敵な日常を送る中で、いつしか二人はこんなことを互いに思っていた。

     有咲は「いっつも優しく笑いかけてくるしたまに楽しそうにイジワルしてくるしいい匂いするし、沙綾って私のこと好きなのかな」と。

     沙綾は「いつもつっけんどんな態度してるけど優しくされたらすごく嬉しそうだしちょっとからかうだけですごい照れるし、有咲って私のこと好きなのかな」と。

     とある夢を打ち抜くガールズバンドの物語の中で、『この世でもっとも愚かな生き物』と称されていた男子中学生のような思考である。優しくされたら胸が震えた、それだけのために死んでもいいやとかそういうのに似た思考である。

     頭の片隅ではバカな考えだと思っていても少し意識しだすと止まらなくなるのが男子中学生という愚かな生き物の特徴だ。彼女たちは女子高生であったけれど、こと恋愛においてはその愚かな生き物によく似ていた。

     だからといって同性に対してそんな意識を抱くものかと聞かれれば、この世界の女子高生の半数は「ノー」と答えるだろう。


    330: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:50:26.97 ID:LuPDnfxT0


     しかし彼女たちはちょっと特殊だった。

     有咲は引きこもりで、世捨て人のように、あるいは定年退職した老人のように、部屋に籠っては好きなことをして、人と関わることが少なかった。

     沙綾は世話焼きで、何よりもまず優先するのが家族とやまぶきベーカリーのことで、愛だ恋だなんて話はテレビや本の中でしか知らなかった。

     青い実を成したばかりの彼女たちの純情な心は、恋やラヴという言葉に非常に敏感だったのだ。

     変わらぬ日々を重ねるうちに、いつしか有咲は「絶対沙綾私のこと好きだよ」と思うようになった。

     沙綾も同じように「絶対有咲私のこと好きだよなぁ」と思うようになった。

     それは端から見れば自意識過剰とか勘違いとかそういう風に呼ばれる現象である。しかも同性愛に分類されるこれは世間の半分くらいからしか認められないだろう。

     けれど当人たちにとっては一世一代の気持ちだった。

    『でもなぁ、沙綾に好意寄せられたって……同性だし……いやでも確かに沙綾は綺麗だしいい匂いするし優しいし、そりゃあ私だって悪い気はしないけど』

    『有咲に好きだって思われててもなぁ……同性だし……いやでも確かに有咲は可愛いしツンツンしてるとつい優しくしてあげたくなるし、私も悪い気はしないけど』

     と、だんだん友愛と恋慕の境界が曖昧になっていくのだった。

     これは、そんな思春期を抱えた二人の勘違いの話である。


    331: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:50:59.08 ID:LuPDnfxT0




     ある日のお昼休み。

     ポッピンパーティーの五人は、花咲川女子学園の中庭でいつものようにお弁当を広げて、紗夜先輩とポテト談義しただとかオッちゃんモッフモフだとかチョココロ寝袋の寝心地がいいだとか、話に花を咲かせていた。

     そんな中、有咲はふと沙綾をチラリと見やる。するとバッチリ目が合った。そしてニコリと笑いかけられた。

    『どういう意味の表情だよそれ』と思いながら、有咲は慌てて視線を逸らす。

    『わー、顔赤いなぁ有咲』と思いながら、沙綾はくすくすと笑った。

     端から見れば別になんともない、仲の良い友達同士の些細な一幕である。

     だがやっぱり彼女たちは普通とはちょっと違った。

    (チラッて見ただけで目が合うってことはずっと私のこと見てたってことだよな……やっぱり沙綾って……)

    (偶然ちょっと目が合っただけなのにあんなに照れくさそうに顔を背けるなんて……やっぱり有咲って……)

     と各々が思い、有咲と沙綾は互い互いをけん制するように、チラチラと視線を交わし合った。


    332: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:51:27.91 ID:LuPDnfxT0


     そんな付き合いたての恋人同士みたいなやり取りをしていたら、普通であれば周囲の人間に訝しい目で見られるだろう。だが他の三人も他の三人でやっぱり普通とはちょっと違っていた。

    『お肉美味しそう』と友達のお弁当箱に入っている肉類に目を光らせる花園たえ。

    『有咲ちゃんと沙綾ちゃんって仲良しだなぁ』と思ってなんだか嬉しくなる牛込りみ。

    『フライドポテトとおにぎりだけで人は生きていける……確かにそうだなぁ』と氷川紗夜と交わしたポテト談義を脳裏に思い起こしている戸山香澄。

     類は友を呼ぶ。大なり小なりあれど、どこか普通とはズレているポッピンパーティーなのであった。

     ともあれ、有咲と沙綾の邪魔をする人間がこの空間には誰もいないということである。


    333: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:51:58.87 ID:LuPDnfxT0


     なので、

    (わっ、また目が合ったよ……これで十三回目だ……)

    (有咲ってば私の方ばっかり見てるのかな?)

    (やっぱコレそうだよ)

    (もうほぼほぼ間違いないよ)

    (沙綾、絶対私のこと好きだよな)

    (有咲、絶対私のこと好きだよね)

     という風に、なんの変哲もない日常の中で勘違いがどんどん進んでいくのであった。


    334: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:52:51.65 ID:LuPDnfxT0


     そんなある日のこと。

     その日は香澄は妹と用事があって、りみも姉と予定があって、たえはバイトでスタコラサッサとライブハウスに向かい、有咲と沙綾だけが何も予定のない放課後だった。

     二人とも学園には歩いて登校しているし、色々な意味で仲が良いし予定もないのだから、彼女たちが肩を並べて一緒に下校するのはなんの不自然もないことである。

     という訳で、有咲と沙綾は何でもない会話を交わしながら、歩き慣れた道を歩いていた。

     そこでふと有咲は思った。

    (そういえばこうして二人っきりになることなんて久しぶりだな)

     ポピパの五人は仲良しこよし、誰かしら予定があっても大体三人以上で肩を並べることが非常に多く、誰かと……ましてや自分に確実に憎からぬ想いを寄せているだろう沙綾と二人っきりになることなんてひと月振りくらいのことだった。

     そう思うと途端に沙綾のことを意識してしまってソワソワしだす有咲。

     そんな姿を見て、隣を歩く沙綾は頭に疑問符が浮かぶ。

    (有咲、なんで急にソワソワしだしたんだろ? んー……あっ、そっか)

     思い返してみれば、私と有咲が二人っきりになるのなんて三十七日振りだったっけ。そっかそっか、それでちょっと変な意識しちゃってるのかな。

     そう思うと途端に有咲が可愛く見えてしまって、沙綾の顔には優し気な笑みが浮かんだ。


    335: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:53:21.34 ID:LuPDnfxT0


    (だからなんなんだよ、いつものその優しい笑顔は……そんなに私と一緒に帰るのが嬉しいのかよ。ったく、しょうがねーなー沙綾も)

    (ふふ、こっちのことチラチラ窺ってる。私と一緒に帰れるのが嬉しくて、でもそれを悟って欲しくないんだろうなぁ。しょうがないなぁ有咲も)

     そしてまたそれぞれにすれ違ってるんだか噛み合ってるんだか判断に迷う思考が浮かぶ。

    「ねぇ、有咲」

    「……なんだよ」

     その思考に従って先に仕掛けたのは沙綾だった。有咲はいつものようにぶっきらぼうに応える。

    「このまま蔵に行ってもいい?」

    「……私も特に用事ないし、別にいいけど?」

    「ん、ありがと。それじゃあ行こっか」

     慈しみに満ちた微笑みを浮かべる沙綾を見て、有咲は頬を朱に染めてそっぽを向く。

    (急に私ん家に来たいだなんて……本当に沙綾はしょうがねぇなぁ)

    (あんなに赤くなってそっぽ向いて……本当に有咲はしょうがないなぁ)

     それからそんなことを考えつつ、二人は蔵へ足を向けた。


    336: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:54:17.75 ID:LuPDnfxT0


     勘違いガールズin the蔵。

     自分のことが好きな女の子(勘違い)と密室で二人きり、何も起きない訳がなく……ということも今のところはなくて、いつものように有咲と沙綾はのんびり駄弁っていた。

     最初こそ沙綾を意識してはソワソワしていた有咲だけれど、蔵は彼女のホームグラウンド。つまり地の利は圧倒的に市ヶ谷軍にあるのだ。

     そう思うと鼻歌を歌うくらい余裕が出てきた。沙綾がどうしてもって言うなら何でも言うこと聞いてやってもいいけど? くらいの気持ちだった。

     だが有咲は知らない。甲子園駅から歩いてちょっとの球場、もしくは仙台駅から歩いてニ十分の球場を本拠地に抱えるプロ野球チームのように、時にホームはこれ以上ないくらいのアウェーになることもあると(2018年シーズン成績参考)。ホーム球場の爆破が最大の補強だとファンに毎年言われる球団もあるのだと。

    (やっぱり自分の家だとのびのびしてるなぁ有咲。ふふ、可愛い)

     沙綾の頭にある思惑はそんなもの。つまり有咲は泳がされているだけ。外ではツンツン、家ではのびのびというギャップを愛でられているだけなのだ。

     兵法三十六計の第四計、以逸待労である。

     ここは愛すべき我が空間だからと主導権を取ったつもりになって隙を見せるように仕向けられているだけである。実際の主導権は沙綾の手中にあった。


    337: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:54:52.43 ID:LuPDnfxT0


    「はー、やっぱドラムって私には絶対無理だわ」

     そうとは知らず絶対的優位に立っているつもりの有咲は、沙綾に勧められるまま見様見真似でドラムを叩いていた。ツッタンタタタン……なんて呑気にハイハットとスネアドラムをぺシペシしていた。

    「みんなそう言うんだよね。でもやってればすぐに叩けるようになるよ」

    「いやいや、手だけで精一杯だよ。これでバスドラムにハイハットの操作まで足でやるんだろ? 無理無理」

    「慣れだよ慣れ。慣れちゃえば簡単だって」

     そう言って笑う沙綾の顔を見て、『一回聞いただけっつってぶっつけ本番でスタービート叩ける沙綾が言っても説得力ねぇよ』と有咲は思う。至極真っ当な感想だった。慣れでそれが出来る人間はきっとヘソタイと呼ばれる人種だろう。

    (それにライブの時はドラムとキーボードは大抵後ろで隣同士に並ぶし……そん時だって余裕そうに私に笑いかけてくるし……)

     ステージライトに照らされてキラキラした沙綾の笑顔を脳裏に思い浮かべて、有咲は少しだけドギマギした。


    338: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:55:42.54 ID:LuPDnfxT0


    「有咲? ボーっとしてるけど、どうかした?」

     それを沙綾は逃さなかった。仕掛けるならここだ、と脳内の諸葛孔明が羽扇を掲げた。その指示に従ってさらに言葉を重ねる。

    「べっ、別に、なんでもねぇよ」

    「本当に? 顔赤いけど……熱とかは?」

    「大丈夫だって、ホント、全然そういうんじゃねーからっ」

    「そっか。でも心配だから……」

     沙綾はそっと有咲の額に右手を伸ばす。有咲は少しだけビクリとしたけれど、ゆったりとしたその手の動きと自分の部屋にいるという安心感から、特に抵抗はせずにそれを受け入れることにした。

    「んー……」

     思惑通りに動き続ける有咲の額に手を置いたまま、沙綾は掌で彼女の熱を感じ続ける。

    「……も、もういいだろ」

    「だーめ」

     流石に照れくさくなってきた有咲は沙綾の右手から逃れようとするけれど、優しさ八割イジワル二割の言葉に動きが止まった。そして愛しさ半分イジワル半分の沙綾の左手を後頭部に回されて、とうとう自分の意思で身動きが出来なくなってしまった。


    339: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:56:27.95 ID:LuPDnfxT0


    「…………」

    「…………」

     それから二人して黙り込む。脳内には色々な考えが浮かぶ。

     有咲の頭を抱きかかえるような形になった沙綾は、すぐ思い通りに掌の上で踊ってしまう彼女がおかしくて可愛くて仕方なかった。

    (いい様にされてまったく抵抗がないあたり相当私のこと好きだよねこれ)

     そして勘違いに拍車がかかった。

     逆に抱きかかえられた有咲は、間近で感じる沙綾のいい匂いと、額に当てられた手の感触の気持ちよさと後頭部をやわく撫でられる心地よさに気が気じゃなかった。

    (私の部屋に来たいって言いだしてこんなことするなんて相当私のこと好きだなこれ)

     だけど勘違いには拍車がかかった。

    (有咲、全然動こうとしないな。もっとこうしてて欲しいのかな? しょうがないなぁ)

    (沙綾、全然離れようとしねぇな。もっとこうしてたいのか? まったく仕方ねぇなぁ)

     だから二人してそんな思考になって、どちらも離れるタイミングを逸するのだった。


    340: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:57:10.79 ID:LuPDnfxT0


     そうしてどれくらい時間が経ったろうか。有咲も沙綾も「悪くないなこれ」と思い始めたころで、机の上に置かれた二人のスマートフォンが通知音を鳴らした。

     ハッと我に返る二人。

     サッと手を放した沙綾は、今まで自分が抱えていた温もりの心地よさを強く実感してちょっと寂しくなる。

     サッと身体を離された有咲は、今まで自分を包んでいた温もりがなくなったことにとても寂しくなる。

     けれどそんなことを顔に出すのは照れくさかったりするワケで、有咲はそれを誤魔化すように勢いに任せてスマホを手に取って画面をのぞき込む。するとメッセージアプリの通知が表示されていた。


    341: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:58:10.67 ID:LuPDnfxT0


    『オッちゃんゼロ式』

     通知をタップすると、そんなたえの一言と、何か草のようなものを食べているオッちゃんの写真が画面に広がる。何がゼロ式なんだ、と心の中でツッコミを入れていると、新しいメッセージがディスプレイに現れる。

    『アタック・オブ・ザ・キラー・チョココロネ』

     それはりみからメッセージで、その一言は自体は別によかった。りみ、ホラー映画好きだもんな……と有咲も水に流せた。

     だけど一緒に送られてきた、チョココロ寝袋に下半身を埋めて苦悶の表情で倒れている制服姿の牛込ゆりの画像はダメだ。どう見ても撮影場所が花女の生徒会室だし何やってんだ生徒会長……と、そうツッコミを入れずにはいられない。

    「ぷっ、ふ、ふ……くくっ……!」

     沙綾は沙綾でカタツムリみたいなゆりの画像がツボに入ってしまい、プルプル震えながら笑いを堪えていた。お世話になってる人だし尊敬してるし大切な親友の姉だから笑ってはいけないと思っているのだろう。

     だけどお世話になってる人だし尊敬してるし大切な親友の姉だからこそ、生徒会室でチョココロネに襲われているという下らない画像がそんなにツボに入ってしまうのだと沙綾は気付いていなかった。


    342: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:59:01.36 ID:LuPDnfxT0


     ともあれ、先ほどまでのかなりアレな空気もその和やかなグループトークによって中和された。

     沙綾は笑いを堪えながら返信をして、有咲はそんな沙綾を写真に収めてグループトークに送信して、それをりみのスマホで見たらしいゆりから沙綾宛に個人的なメッセージが飛んできて、トークを開くとチョココロ寝袋に入って満面の笑みでダブルピースする牛込生徒会長とかいう画像があってまた沙綾がプルプル震えだして……と、そんな感じで時間が過ぎていった。

     いつの間にか時計の短針は七の数字を指していて、変な熱の入ったグループトークもすっかり落ち着いて、有咲と沙綾の間には「そろそろお開きかな」という空気が流れる。

     けれどそういう時間になってから我が物顔で胸中に鎮座し始めるのが寂しさというやつで、さっきまでは鳴りを潜めていたくせにここぞという場面で別れを名残惜しくさせてくるのだから有咲はいつも困ってしまう。


    343: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 10:59:44.65 ID:LuPDnfxT0


    「あー……なんだ」

     だから彼女は、特に何を言おうと決めたワケじゃないけど、とりあえず口を開いた。

    「…………」

     しかし考えなしに口を開いて話を広げられるほど有咲はコミュニケーション能力が高くなかった。二の句を告げられずに呻くような声にならない声を吐き出す。

    「……なんだかお腹空いたね」

     その様子を見兼ねて沙綾も口を開く。三十七日振りの二人っきりの時間をあっさり終わらせるのはちょっともったいないな、という思いもあった。

    「そ、そうだな。……そうだ。折角だし、たまには晩飯でも食べてくか?」

     同じ気持ちな有咲も沙綾の言葉を聞いて、自宅での夕ご飯に誘ってみる。けれどなんだかその言葉が急に照れくさくなって、「ばーちゃん、最近すげーたくさんご飯作るんだよ。私一人じゃ食いきれねーくらいさ」と取ってつけた言い訳を早口で続けた。

    「そっか。それじゃあ、今日はご馳走になっちゃおうかな」

     沙綾はその言葉に頷く。有咲の顔が少し華やいだ。それを見て沙綾の顔も綻ぶ。


    344: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:00:14.14 ID:LuPDnfxT0


    「そんじゃ、ちょっとばーちゃんに言ってくるな」

    「ん、了解。私も家に電話しとく」

     有咲はパタパタと軽い足取りで階段を昇って行った。ぴょんぴょん跳ねるツインテールを見送ってから、沙綾も自宅へ電話をかけて、今日は晩御飯はいらない旨を母親に伝えた。

     そうして過ごした有咲と沙綾と有咲のおばあちゃんの三人での晩御飯もあっという間に終わって、有咲は特に用事もないけど「途中のコンビニまで……用があるんだよ」と言って家路を辿る沙綾の隣に並ぶ。そのコンビニに着くと、沙綾も沙綾で特に用事もないけど「私もちょっと買い物してこ」と有咲と並んで店内に入ることにした。

     二人の間にはまだまだ勘違いがあった。

    『口実つけてまで一緒にいたいだなんて有咲は本当に私のこと好きだなぁ』と、『用事もないだろうに一緒にコンビニに入るなんて沙綾は本当に私のこと好きだな』と。

    『しょうがないから付き合ってあげるか』と、『しょうがねーから付き合ってやるか』と。

     それらが勘違いだったと気付くのは、二週間後の休日のこととなる。


    345: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:01:06.91 ID:LuPDnfxT0


     その土曜日は朝から快晴だった。

     真っ白いふわふわな雲が青い空を悠々自適に泳ぎ、大空こそ開闢以来の安全な我が家であるかのように小鳥たちが羽を広げる。実に平和な休日の蒼穹だった。

     そんな空の下、有咲は駅前広場でひとりソワソワしていた。その原因はつい昨日のことである。

     昨日も昨日で、有咲の蔵には沙綾が遊びに来ていた。そして、沙綾が本格的に有咲にドラムの指導を行った。

     その際、沙綾の身体がめちゃくちゃ近かったこととか「こうやって叩くんだよ」と優しく手を握られたこととかそういう色々と単純明快複雑怪奇な代物が絡まり合って、ついつい思いっきりハイハットを叩いた拍子にドラムスティックが折れてしまったのだった。

     有咲はこの世の終わりのような顔をして沙綾に謝った。沙綾は「スティックなんて折れるもんだし、気にしないでいいよ」といつもの笑顔で言った。

     確かにドラムスティックは消耗品だとは知っている。けれど、それでも親友の、ましてや自分にただならぬ想いを寄せている人の物を壊してしまったことに間違いはなかった。有咲は罪悪感に擦りつぶされて、キラーチョココロネに食べられてしまいたい気持ちになってしまった。


    346: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:01:40.94 ID:LuPDnfxT0


     そんな様子の有咲を見ていられないのが根っからのお姉ちゃん肌な沙綾だった。

     スティックを折ってしまうことなんて珍しくもない。けれど、それでも親友の、ましてや自分にただならぬ想いを寄せている人が気にしてしまうというのなら、それをどうにかしたいという思いがあった。

    「うーん……じゃあさ、明日一緒に代わりのスティック買いに行ってくれない?」

     だから沙綾はそう言って、有咲はそれに食い気味に頷いた。以上がきっかけの顛末である。

     なので、待ち合わせ場所である駅前で、集合時間の三十分前から有咲はソワソワしながら沙綾の到着を待っているのだった。

     今回の件で悪いのは私だし、沙綾を待たせる訳にはいかない……そういう思いからの三十分前行動だったけれど、流石に早く来すぎたという思いがなくもない。

     チラリとロータリーに設けられた時計を見る。時刻は十時三十七分。まだあとニ十分ほど沙綾を待つことになる。やっぱり早すぎたな、と思いながら俯いた。


    347: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:02:36.21 ID:LuPDnfxT0


    「はぁ……」

    「どうしたの? そんなため息吐いて」

    「え……うわぁ!?」

     ふと聞き慣れた声が聞こえて、そちらへ視線を巡らす。するといつの間にか沙綾が隣に立っていて、有咲は驚いて変な声を上げてしまった。

    「え、な、沙綾……?」

    「おはよー。ごめんね、待たせちゃってたみたいで」

    「あ、う、ううん……おはよ」

     沙綾に首を振ってからもう一度時計を見る。時刻は十時三十七分のままだった。

    「沙綾……早くね?」

     だから有咲はそう尋ねた。

    「それを言うなら有咲だってそうでしょ」

    「いや、私はほら……沙綾のスティック折っちゃったの私だし、待たせる訳にもいかねーからさ……」

    「だからこんなに早くから待ってた……と」

    「ん、まぁ……」

    「やっぱりね。早く来ておいてよかったよ」

     どうやらそんな有咲の気持ちと行動は沙綾に筒抜けだったらしい。呆れたような、でも優しさに満ちた表情で紡ぎだされた言葉と、自分のことを分かっていてくれているということに胸がくすぐられた。沙綾に身も心もあずけたくなるような衝動に襲われた。

    「ちょっと早くなっちゃったけど、行こっか」

    「う、うん……」

     胸中に湧き出たその気持ちをどうにか押し止めつつ、有咲は頷いて、先導した沙綾の隣に並んだ。


    348: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:03:17.64 ID:LuPDnfxT0


     それから二人は江戸川楽器店に足を運んで、一通り店内をぐるっと見て回り、ちょうどアルバイト中だった鵜沢リィとゆりの奇行について少し話をしてから、目的であるドラムスティックの置かれたコーナーに足を踏み入れた。

    「りみりんのお願いはほぼ100%聞くゆり先輩……ね」

    「りみの様子からして妹想いな人だとは思ってたけど……」

     スティックを物色しつつ、最初に交わした言葉は普段は凛々しい生徒会長様のこと。この前りみから送られてきた例の画像も妹にお願いされて仕方なくやったことらしい……と先ほどリィから聞いたから、必然的に話題にあがってしまう。

    「……いやぜってー仕方なくじゃないだろ、あの迫真の表情と満面の笑みは……」

    「ふ、ふふ……そうだね……」

     呆れたように呟く有咲の隣で沙綾は思い出し笑いを堪えていた。一度ツボにハマるとなかなか抜けられない沙綾だった。


    349: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:04:15.17 ID:LuPDnfxT0


    「まぁそれは今はいいか。ほら、沙綾。流石に私がここは出すから好きなの選べよ」

    「え? いいよ、自分で払うって」

    「い、一応、折っちゃったのは私だからな。それにそんな高いもんじゃないって言ったのは沙綾だろ? これくらいは弁償させてくれ」

    「別にいいって」

    「私が気にすんだよ」

    「いやいや、買って貰っちゃったら逆に私が気にするよ」

    「遠慮されると私が気にする」

    「でも消耗品で安いって言ってもそこそこするやつだし」

    「そう言われたら尚更折っちまった私が悪いだろ」

     そこまで言葉を交わして『ああ、これ埒が明かなくなるやつだな……』と沙綾は悟る。


    350: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:04:53.92 ID:LuPDnfxT0


     沙綾が普段使うスティックは、メーカー希望小売り価格¥1,300(税抜き)。ここでは多少安くなっているとは言えども、おおよそ千円するものだ。

     金額にすれば確かに大したことはない。けれどもそれを親友に……それも他でもない有咲に出してもらうというのはどことなく居心地が悪くてきまりが悪い。ならば折衷案を出すのが最善だろう。

     そう思って、沙綾は「じゃあ、」と小さく前置きしてから言葉を続ける。

    「もうすぐお昼だし、お昼ご飯おごってくれないかな?」

    「ん、ああ……そうだな、そうしよう」

     有咲も有咲で『沙綾は絶対折れないだろうなぁ。どうやって説得しよう』と思っていたので、その提案は渡りに船だった。

    「決まりだね。それじゃあ私、これ買ってくるから少し待っててね」

    「りょーかい」

     頷いた有咲に見送られてスティックを手にした沙綾はレジへ向かう。内心には『まったく、有咲はこういう時ばっかり頑固でしょうがないなぁ』と嬉しさ十割の言葉が浮かぶ。

    「それに有咲に買って貰ったスティックなんて……絶対に消耗品として扱えないよ」

     と、口から漏れた呟きが胸中のどこかに引っかかったような気がして、沙綾は首を傾げるのだった。


    351: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:05:42.96 ID:LuPDnfxT0


     スティックを買い終わってから、二人はファーストフード店で早めの昼食をとることにした。

     肩を並べて歩き慣れた道を往く。時折沙綾は商店街の顔見知りの人とニ、三言世間話を交わし、そういう時の有咲はどことない居心地の悪さと何かモヤッとした感情が胸中に渦巻いた。

     そんな往路を辿りファーストフード店へ到着すると、レジカウンターで注文をして、店内の空いている席にサッと腰かけた。

    「混む前でよかったね」

    「そうだなー」

     沙綾の言葉に気の抜けた相づちを返しつつ、注文したハンバーガーやポテトをつまむ。

     その際、有咲はポテトを一本持って目の前に持ってきて、それをジッと凝視した。あまりに唐突な謎の行動に沙綾は首を傾げる。

    「……何やってるの?」

    「ん、いやほら……この前さ、香澄の奴、本当にフライドポテトで白米食ってたなって」

    「ああ……」

     言われて、四日前のお昼休みのことを彼女も思い出す。

     いつも通りに五人でお弁当を広げた中庭で、フライドポテトを白いご飯の上に乗せて「ポテト丼!」と何故かドヤ顔をしていた香澄。そこへ偶然通りかかった紗夜が「ポテト丼……そういうのもあるのね」と呟く……なんてことがあったのだった。


    352: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:06:32.53 ID:LuPDnfxT0


    「ポテトをおかずに白飯ってぜってー胸焼けするよな……」

    「そこはほら、香澄だし」

    「……まぁそうか。香澄だもんな」

    「うん」

    『香澄だから』で大抵のことを納得されるのは彼女たちの友情の篤さの成せる業か、はたまた香澄の日頃の行いのせいか、もしくはその両方か。余談ではあるが香澄の今日の予定は紗夜と一緒にポテト探訪の旅である。

     それはともかくとして、今日も今日とて有咲と沙綾は他愛のない会話を交わしながら、その合間に勘違いを重ねる。けれど今日は少しだけいつもと違って、その勘違いが胸のどこかに引っかかるような感覚を双方が覚えていた。

     どこがどう引っかかるのか、と聞かれれば二人とも首を傾げてしまうのだが、『沙綾ってもう確実に私のこと好きだよなぁ』とか『有咲ってもう絶対に私のこと好きだよね』とか思うと、胸がキュッとするとか、少し落ち着かなくなるとか、もっとくっついたりからかったり笑いかけたり笑わせたりしたくなるとか、そんな感じのものだ。

     ファーストフード店で昼ご飯を食べている最中も、そのあと特に目的もなくぶらぶらウィンドウショッピングしている時も、それからカラオケで仲良くデュエットしたりゲームセンターでお互い微妙に不慣れなプリクラを撮ったりした時も、やっぱり彼女たちは自分で思ったことに、正体の分からない何かが胸にひっかかり続けた。


    353: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:07:29.60 ID:LuPDnfxT0


     その得体のしれない、けれども決して悪くはないものの正体に気付いたのは、今日も今日とて沙綾がお邪魔した有咲の蔵でのことだった。

    「今日はたくさん遊んだねぇ」

    「ああ。一日中歩き回ってたからちょっと疲れたよ」

     いつもの席に座ってのんびりまったりとお茶をすする二人。時刻は午後六時を回ったところだった。

     昨日に引き続いての連日の蔵。彼女たちがここで二人っきりになるのは、ここ二週間で七回目だ。

     内緒にしているが、有咲はスマートフォンのカレンダーに、沙綾と自分の部屋で二人になった日になんとなく『さ』と打ち込んでいた。

     沙綾も内緒にしているが、自分の部屋のカレンダーに、有咲と二人になった日付になんとなく丸印を付けていた。

     そのカレンダーを見て各々が思うのは、『こんなに二人っきりになるだなんて、本当に自分は好かれてるんだなぁ』というようなこと。今まで重ね続けてきた勘違いの延長線上にある気持ちだった。

     今日で七回目の逢瀬。二日に一回のペースで二人っきりになって、今日は一日中一緒に遊んでいたが、それでもまだ彼女たちには話したいことがそれなりにあった。


    354: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:08:36.06 ID:LuPDnfxT0


    「…………」

    「…………」

     だけど有咲も沙綾も特に何も喋らない。静まり返った部屋の空気に、二人はただ身を任せていた。蔵に誰かと一緒にいてシンとすることが珍しくてちょっと不思議な気持ちだったけれど、それ以上にこの沈黙が心地よかった。

     一日遊びまわって疲れた身体に静寂が染み入る。夢と現をたゆたうように、彼女たちはそれぞれぼんやりと物思いにふける。

     有咲の心中にあったのは、まず安堵だった。

     昨日ドラムスティックを折っちまった時はどうなることかと思ったけど、無事に丸く収まってよかった。やっぱり沙綾は優しい。私が気にするだろうことも分かって、常に先回りしてくれた。普段だったらそれに「余計なお世話だっ」みたいに反発するけど……でも、沙綾にそうされるのは悪くないっていうか、むしろ嬉しい。今回は私が悪かったからっていうのを抜きにしても、沙綾になら私のことを見透かされても全然気にしないな。

     対する沙綾の心中にあったのは、幸福だった。

     昨日ドラムスティックを折った時はどうなることかと思ったけど、無事に収まってよかった。やっぱり有咲って優しいししっかりしてるから、こういう時はすごい頑なに筋を通そうとするんだよね。……スティック代どころか、お昼代だって払わなくてもいいのに。ただ一緒に買い物に行って、遊びに行くだけで十分すぎるのに。でも有咲がそうしたいなら望むようにしてあげたいし、それで有咲が笑っててくれるなら幸せだな。


    355: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:09:31.95 ID:LuPDnfxT0


     二人はそんな風に今日一日を振り返る。改めて自分の気持ちを見つめ直す。

     何ともない休日だった。最初はお詫びのための買い物だった。だけどすぐに楽しい遊びに変わった。お昼を食べ始めるころにはお詫びとかそういうのはすっかり抜け落ちていた。どこへ行くのも、何をするのもただただ純粋に楽しかった。何故ならそれは……

     と、そこまで思って、有咲は沙綾に顔を向けた。同時に沙綾も有咲へ顔を向けた。

     バッチリと目が合う。

     これで何百回目のことだろうか、と思って、本当に……、とまで考えて、有咲は沙綾へ微笑みかけた。沙綾は有咲の微笑みに心臓が跳ねた。

     そこでようやく二人は理解した。『ああ、勘違いだったんだな』と。


    356: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:10:09.91 ID:LuPDnfxT0


    (何度も何度も目が合うのは、)

    (目が合って笑いかけるのは、)

    (二人っきりになって嬉しがってるのは、)

    (少しでも一緒にいたいと思ってるのは、)

    (相手の為に何かをしたいって考えるのは、)

    (何でもないことが嬉しいって感じるのは、)

    (私が沙綾のことを好きだからだ)

    (私が有咲のことを好きだからだ)

     それは勘違いに勘違いを重ね、そこに最後の勘違いを一つ重ね、徹頭徹尾勘違いだったのにどうしてかたどり着いた正解だった。紛れもない本心だった。ただ純粋な「好き」の気持ちだった。


    357: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:10:59.43 ID:LuPDnfxT0


     恋は勘違いの積み重ね。世の中には往々にしてそんな言葉がまかり通ったりしている。勘違いが由来の恋であれば、もしかしたらこの「好き」はまやかしなのかもしれない。

     けれど世界には“嘘から出たまこと”という言葉もあるのだ。

     それならば、経緯はどうあれ彼女たちの間に生まれた「好き」だって紛れもない真実であるし、それは何ものにも侵されない、侵されてはいけない尊いものなのである。例えこの世界の半分に「ノー」と言われてもそんなの知ったこっちゃないのである。


    358: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:11:34.31 ID:LuPDnfxT0


    「……沙綾」

    「有咲……」

     だから、やっと二人が自覚した恋心とかそういう類の感情は彼女たちの間だけで共有されるべきものであって、やおら熱っぽい目で見つめ合い、徐々に近づいていく有咲と沙綾の間に語り手の存在する余地などない。ある訳がない。

     このあと二人が筆舌に尽くしがたいほどイチャつくのも、その関係をポピパのみんなに祝福されるのも、妹大好きゆり先輩がりみりん離れにとても苦労するのも、香澄と紗夜がポテト探訪の旅に幾度となく出立するのも、たえが花園ランドに帰国子女なちびっこ音楽プロデューサーを連れ去って常時つけてるイヤホンをウサミミ仕様に変えるのも、それはまた別のお話なのだ。


    359: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/10(日) 11:12:19.88 ID:LuPDnfxT0



     彼女たちの勘違いの話はここで終わりだ。最後に書き記せるのは、

    (まったく……相変わらず沙綾は私のことが大好きだな)

    (もう……本当に有咲は私のことが大好きなんだから)

    「まぁ私もそんな沙綾が大好きなんだけどな」

    「まぁ私もそんな有咲が大好きなんだけどね」

     と、このバカップルは末永く嘘から出たまことを積み重ね続けるということだけである。


     おわり


    361: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:31:40.24 ID:gN/n8PIA0


    氷川日菜&羽沢つぐみ「小競り合い」

    ※キャラ崩壊してます


    362: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:32:10.07 ID:gN/n8PIA0


    ――氷川家 紗夜の部屋――

    氷川日菜「…………」

    羽沢つぐみ「…………」


    363: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:32:41.44 ID:gN/n8PIA0


    日菜「おねーちゃん、なかなか帰ってこないね」

    つぐみ「そうですね。ロゼリアの練習が長引いてるんでしょうか」

    日菜「かもねー。……そういえば、つぐちゃん」

    つぐみ「はい、なんですか?」

    日菜「すっごく自然だったから何も言わなかったけど……どうしておねーちゃんの部屋にいるの?」

    つぐみ「え、紗夜さんのお誕生日だからですけど……」

    日菜「そっかー、じゃあ仕方ないね。部屋の中につぐちゃんいた時はちょっとびっくりしちゃったけど」

    つぐみ「あ、日菜先輩もお誕生日おめでとうございます」

    日菜「ん、ありがと」


    364: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:33:08.14 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「誕生日繋がりですけど……日菜先輩、パスパレの方はいいんですか?」

    日菜「何が?」

    つぐみ「イヴちゃん、今年もたくさんお祝いするんだーって気合入れてましたよ。お誕生日会開いてくれるんじゃないですか?」

    日菜「あー、それなら明日やるからヘーキだよ。今日はおねーちゃんの誕生日をお祝いさせてほしいってみんなに言ってあるから」

    つぐみ「なるほど」

    日菜「うん」


    365: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:33:34.41 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「…………」

    日菜「…………」


    366: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:34:13.18 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「紗夜さんって」

    日菜「うん」

    つぐみ「私のこと好きですよね」

    日菜「どうしたの? 頭の中に花粉でも入っちゃった?」

    つぐみ「いえ、なんとなく思っただけです」

    日菜「そっか。まーつぐちゃんがどう思おうと勝手だけど、おねーちゃんはあたしの方が大好きだからね」

    つぐみ「誕生日だからって言って良いことと悪いことがあると思いますよ」

    日菜「宣戦布告はつぐちゃんからだよね?」

    つぐみ「せ、宣戦布告なんてしてないですよ。事実を話しただけですから」

    日菜「やっぱり戦争するしかないみたいだね」

    つぐみ「そういうのは良くないと思います」

    日菜「つぐちゃんがそれ言うの?」

    つぐみ「いえ、紗夜さんが私のことを好きなのは疑いようない事実ですから」

    日菜「もうヤル気満々だよね? あたしは受けて立つよ?」

    つぐみ「勝敗は決まってますし、戦う気はありませんよ」

    日菜「そうなんだ」

    つぐみ「はい」


    367: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:34:38.86 ID:gN/n8PIA0


    日菜「…………」

    つぐみ「…………」


    368: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:35:23.68 ID:gN/n8PIA0


    日菜「話変わるけどさ」

    つぐみ「はい」

    日菜「おねーちゃんってさ、優しいんだ」

    つぐみ「はい」

    日菜「今年……あ、もう去年か。花女と一緒に天体観測したよね?」

    つぐみ「ええ。みんな楽しそうで私も嬉しかったですし、天文部が続けられてよかったですね」

    日菜「ありがと。でね? その時にこんな話したんだ。ふたご座はふたごだけど、それぞれに輝き方が違うって。だからあたしとおねーちゃんはそれぞれ自分らしく輝けばいいって」

    つぐみ「はい」

    日菜「だからそれぞれが違うからこそ助け合える……これって半分愛の告白だよね」

    つぐみ「違うんじゃないですか?」

    日菜「なんで?」

    つぐみ「多分ですけど、紗夜さんはそんなつもりで言ったんじゃないと思います」

    日菜「そうかなぁ。あれは照れ隠しだと思うけど」

    つぐみ「それは勘違いですね。間違いないです」

    日菜「つぐちゃんがイジワルする~……」

    つぐみ「すいません、そこは譲っちゃいけないって思ったので……」

    日菜「そっかぁ、じゃあ仕方ないね」


    369: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:35:54.79 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「…………」

    日菜「…………」


    370: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:36:57.77 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「紗夜さんって」

    日菜「うん」

    つぐみ「珈琲、好きですよね」

    日菜「うん」

    つぐみ「去年の話ですけど、紗夜さんがどれくらいウチに珈琲を飲みに来てくれたか知ってますか?」

    日菜「43回でしょ?」

    つぐみ「57回です」

    日菜「おねーちゃん、あたしの知らないとこでそんなに通ってたんだ」

    つぐみ「はい、たくさん来てくれました」

    日菜「それで、それがどうかしたの?」


    371: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:37:25.33 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「年に57回ってことは、最低でも毎週1回以上は珈琲を飲みに来てくれてるってことですよね?」

    日菜「そうだね」

    つぐみ「足しげく、習慣のように私のもとへ来てくれる……これって半分愛の告白ですよね」

    日菜「それは違うんじゃないかな?」

    つぐみ「どうしてですか?」

    日菜「おねーちゃんが好きなのは珈琲で、つぐちゃんが目的でつぐちゃん家のお店に行ってる訳じゃないよ」

    つぐみ「そうですかね。紗夜さんの照れ隠しだと思いますけど」

    日菜「それはただの勘違いだね。間違いなく」

    つぐみ「……そう、ですか……」

    日菜「ごめんね、ここはあたしも譲れないから」

    つぐみ「いえいえ、仕方ないことですから」

    日菜(……やっぱりおねーちゃんが絡むとつぐちゃんは強敵だ)

    つぐみ(流石日菜先輩……紗夜さんが絡むことにはすごく強い……)


    372: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:37:51.41 ID:gN/n8PIA0


    日菜「…………」

    つぐみ「…………」


    373: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:39:09.75 ID:gN/n8PIA0


    日菜「そういえばさ」

    つぐみ「はい」

    日菜「おねーちゃんになに用意したの?」

    つぐみ「誕生日プレゼントですか?」

    日菜「うん。ちなみにあたしはパスパレのみんながくれたプラネタリウムのチケットと、都内で有名な美味しいケーキ屋さんのケーキだよ」

    つぐみ「私はわんニャン王国の年間ペアパスポートと手作りケーキです」

    日菜「そうなんだ。でもおねーちゃん、去年……去年だっけ? あれ……?」

    つぐみ「去年でいいと思いますよ」

    日菜「そっか。それじゃあ去年、友希那ちゃんに同じようなの貰ってたよ」

    つぐみ「はい。日菜先輩と行ってとても楽しかったって言ってました」


    374: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:39:39.36 ID:gN/n8PIA0


    日菜「でしょ? それと同じものをあげるのってどうなのかなぁ?」

    つぐみ「違いますよ、日菜先輩。これは一度きりのチケットじゃなくて、今日から一年間使い放題のペアチケットです」

    日菜「へぇ~」

    つぐみ「こういうところは季節で催し物が変わりますし、何度行っても楽しいはずです。だから紗夜さん、きっと喜んでくれると思います」

    日菜「そっかぁ」

    つぐみ「それに義理堅い紗夜さんは、きっと私を一度目のフリーパスに誘ってくれると信じてます」

    日菜「つぐちゃん、もしかして羨ましかったの?」

    つぐみ「…………」フイ

    日菜「誰にも言わないよ?」

    つぐみ「……はい、実はちょっと……いえ、かなり……じゃなくて、すごく……」

    日菜「そっか」

    日菜(乙女だなぁつぐちゃんは)


    375: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:40:15.64 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「わ、私のことは置いておいて、日菜先輩はどうなんですか?」

    日菜「なにが?」

    つぐみ「パスパレのみなさんから貰ったプラネタリウムのチケットって言ってましたよね?」

    日菜「うん。みんながおねーちゃんと行ってきてって、さっきくれたんだ」

    つぐみ「…………」

    日菜「つぐちゃん?」

    つぐみ「いえ……なんでもないです……」

    日菜「ふーん?」

    つぐみ(貰いものをプレゼントするのは、なんて言おうとしたけど……パスパレのみなさんの気持ちも入ってるものだからやっぱりそんなこと言えないよ……)

    日菜(よく分かんないけど何かすごく真面目なこと考えてそう)

    つぐみ「……ケーキ、美味しそうですね。すごく豪華な箱に入ってますし」

    日菜「なんかすっごく有名なお店のやつで、朝から並ばないと買えないんだって。ウチのスタッフさんが事務所の伝手で話つけて用意してくれたんだ」

    つぐみ「そうなんですね……はぁ……」


    376: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:40:47.75 ID:gN/n8PIA0


    日菜「どしたの、急にため息吐いて?」

    つぐみ「その、なんだか自信がなくなってきて……。そうですよね、赤の他人の私なんかよりたった一人の大切な妹の日菜先輩からの豪華なプレゼントの方が嬉しいに決まってますよね……って思っちゃいまして……」

    日菜「そんなことないよー。おねーちゃん、基本的に物を貰うのは嫌がるっていうか、あんまり嬉しがらないんだ」

    つぐみ「…………」

    日菜「つぐちゃんのケーキ、手作りでしょ? そういう気持ちが入ってる物はおねーちゃんだって嬉しいって思うだろーし」

    つぐみ「そう……ですか……?」

    日菜「そーだよ、きっと! だから元気出して、つぐちゃん。つぐちゃんが元気ないと、あたしもおねーちゃんのことで張り合いがなくなっちゃうよ」

    つぐみ「……そう、ですね。やる前から諦めてたらダメですよね!」

    日菜「そーそー! 薫くんも言ってたよ。何もしなければ何も始まらないって!」

    つぐみ「分かりました! ありがとうございます、日菜先輩!」

    日菜「それでこそおねーちゃんのことが大好きなつぐちゃんだよ」

    つぐみ「はい! 大好きです!」


    377: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:41:28.06 ID:gN/n8PIA0


    ――氷川家 廊下――

    氷川紗夜「…………」

    <ダイスキナツグチャンダヨ

    <ハイ! ダイスキデス!

    紗夜(ロゼリアの練習から帰ってきたら、妹と、親しい友人が私の部屋に勝手に入って何かをしていた)

    紗夜(私のプライバシーはどこへ行ってしまったのだろうか)

    <マケマセンヨ、ヒナセンパイ!

    <アタシダッテマケナイヨ!

    紗夜(……だけどなんだかとても仲良さそうにしているし、あの2人に見られて困るようなものも置いていないし……いいのかしらね)

    紗夜「けど、入るタイミングを完全に逃したわね……」


    378: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:41:57.86 ID:gN/n8PIA0


    <ア、コノボードニカザッテアルノッテ...

    <シャシン、デスネ

    紗夜(日菜と羽沢さんがあんなに親しくしているとは知らなかったし、急に入っても邪魔になるだけよね)

    <...エ、コレッテ...

    <ソ、ソンナ...サヨサン...

    紗夜(だけど流石にギターは部屋に置きたい……どうすればいいのかしら)

    <...

    <...

    紗夜「あら? 急に静かになったわ。……入るなら今がいいわね。それから一応注意もしておかないと」

    ――ガチャ

    紗夜「ただいま。日菜、勝手に私の部屋に入らな……」

    日菜「っ!」キッ

    つぐみ「っ!」キッ

    紗夜「……えっ」

    紗夜(どうして私は2人にいきなり睨まれているのかしら……?)


    379: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:42:46.11 ID:gN/n8PIA0


    日菜「おねーちゃん……これ、どういうこと……?」

    紗夜「何の話? それよりも、私の部屋に勝手に……」

    つぐみ「紗夜さん……これ、嘘ですよね……?」

    紗夜「……はい? 羽沢さんもどうしたんですか?」

    日菜「とぼけないでよ! このボードに貼ってある写真……っていうか、正確にはプリクラ!」

    つぐみ「ロゼリアのみなさんとのツーショット写真もありますけど、これに関してだけはちゃんと話をして欲しいです……」

    紗夜「プリクラ……ああ、今井さんと撮った」

    日菜「っ!!」

    つぐみ「そ、そんな……紗夜さん、本当に……?」

    紗夜「どうしてそんなショックを受けた顔をしているの、あなたたちは?」


    380: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:43:44.00 ID:gN/n8PIA0


    日菜「どうして!? おねーちゃん、こーいうの絶対に撮らないじゃん!?」

    つぐみ「そ、そうですよ。何かの間違いですよね?」

    紗夜「どうしても何も、それは私から今井さんにお願いして撮ってもらったものよ」

    日菜「なっ……!?」

    つぐみ「そんな……!」

    紗夜「だからどうしてそんな衝撃的な告白をされたような顔を……」

    日菜「あたしたちにとっては十分衝撃的だよ!!」

    つぐみ「そうですよ! 少しは私たちの気持ちを考えてください!!」

    紗夜(何故私が怒られる立場なのかしら……)


    381: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:44:39.07 ID:gN/n8PIA0


    日菜「これ、どうしておねーちゃんの方からリサちーに頼んだの!?」

    つぐみ「返答次第ではいくら紗夜さんといえど……!」

    紗夜「別に深い理由はないわよ。というか、私に何をするつもりなんですか羽沢さんは」

    日菜「深い理由もなく!? じゃあ、リサちーの隣にある燐子ちゃんとのプリクラは!?」

    紗夜「それは……ええと、まず白金さんから相談されたのよ。人の多い場所に慣れたいから、少し付き合ってくれないかって」

    つぐみ「それとこれとにどういう関係が……はっ、まさか付き合ってってそういう……!?」

    紗夜「そのまさかが何のまさかは計り知れないけど、羽沢さんが考えていることではないと断言できるわ」

    紗夜「白金さんにはプリクラというものに付き合ってほしいと言われたのよ。そういうところに行ってみれば少しは人混みが苦手なのも克服できるかもしれないから……と」

    紗夜「仲間の相談は無下には出来ないわ。だから私は頷いたんだけど、私だってそういう場所には縁がなかったから、白金さんと一緒に行く前に今井さんに手ほどきを受けた。それが今井さんとのプリクラね」

    日菜「じゃ、じゃあ、おねーちゃんとリサちーと燐子ちゃんの3人で行けばよかったじゃん!? どうして両方ともツーショットなの!?」

    紗夜「今井さんと白金さんの予定が合わなかったのよ。幸い、私は2人の都合に合わせられたからそれぞれと行ったというだけ」


    382: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:45:11.58 ID:gN/n8PIA0


    つぐみ「そんな……こんなことって……」

    日菜「こんなの……あんまりだよ……」

    紗夜「……2人がそこまで落ち込んでいる理由が分からないんだけど……というか、そもそも私の部屋に勝手に――」

    日菜「だってだって!」

    紗夜(……話を最後まで聞きなさい、と言いたい。けれどこういう時は日菜に思うだけ喋らせた方が早いかしらね……)

    日菜「おねーちゃんの初めてがリサちーに盗られちゃったんだよ!?」

    紗夜「やっぱり全部喋らせるべきじゃなかったわ」

    つぐみ「紗夜さんの初めてが……うぅ……」

    紗夜「羽沢さんも何を言っているんですか? 私は日菜の相手だけで手一杯ですよ?」


    383: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:46:12.58 ID:gN/n8PIA0


    日菜「ああぁ……これであたしとプリクラを撮りに行ってもおねーちゃんに思われるんだ……」

    紗夜『へぇ、日菜はこうするのね。今井さんはもっと上手だったけれど……まぁ、人それぞれよね』

    日菜「って……」

    紗夜「…………」

    つぐみ「かといって……ちょっと拙くリードされる展開を期待しても……」

    紗夜『羽沢さんはこういうのに慣れていないのね。でも白金さんよりは教えやすいかしら……少し物足りないわね』

    つぐみ「って比較されて……」

    紗夜「…………」

    日菜「あたしはどうすればいいの、おねーちゃん!?」

    つぐみ「私はどうしたらいいんでしょうか、紗夜さん!?」

    紗夜「そっくりそのまま2人にその言葉を返すわよ」


    384: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:47:10.68 ID:gN/n8PIA0


    日菜「その言葉を……」

    つぐみ「返す……」

    紗夜「……ええ」

    日菜「…………」

    つぐみ「…………」

    紗夜「…………」

    紗夜(そんなに難しい顔をして考えるようなことだったかしら)

    日菜(『どうすればいいの』を返すってことは……?)

    つぐみ(『あなたのためなら何でもしてあげるわよ』ってこと……!?)

    日菜「……あは」

    つぐみ「……えへ」

    紗夜(……なんだろうか、何故だかとても嫌な予感がする)


    385: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:47:41.92 ID:gN/n8PIA0


    日菜「おねーちゃんの気持ちは分かったよ! ね、つぐちゃん!」

    つぐみ「はい! 順番なんて気にしてた私たちが間違ってました!」

    紗夜「…………」

    紗夜(どうしてだろうか、2人の言葉が私の中の何かにひっかかる)

    日菜「とりあえずおねーちゃん、今度プラネタリウム行こ!」

    紗夜「……まぁ、いいけど」

    つぐみ「紗夜さん、一緒にわんニャン王国に行きましょう!」

    紗夜「……ええ、いいですけど」

    日菜「まったくもー、おねーちゃんってば恥ずかしがりの言葉足らずなんだから~!」

    つぐみ「でもそういう優しくて照れ屋さんなところ、すごく素敵だと思います!」

    紗夜(……安易に頷かない方がよかったような気がしてならない)


    386: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:48:29.89 ID:gN/n8PIA0


    日菜「あ、そうだ!」

    つぐみ「そういえばすっかり言い忘れてましたね」

    紗夜「今度はどうしたのよ……」

    日菜「おねーちゃん、お誕生日おめでとう!」

    つぐみ「おめでとうございます、紗夜さん!」

    紗夜「……ええ、そうだったわね。ありがとう、日菜、羽沢さん。それと……日菜もおめでとう」

    日菜「ありがと!」

    つぐみ「これ、私たちからのプレゼントです!」

    紗夜(プラネタリウムのチケットとわんニャン王国の年間ペアチケット……)

    紗夜(特に何の変哲もない物だけど、どうしてこんなにも嫌な予感がするのだろうか)


    387: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/20(水) 22:49:18.49 ID:gN/n8PIA0


    紗夜「ええと、ありがとう?」

    日菜(おねーちゃんとプラネタリウム行って、スマイル遊園地にも行って、プリクラであたし色にして……えへへ、楽しみだなぁ~!)

    つぐみ(紗夜さんと月一回わんニャン王国デート……ふれあいコーナーでわんわんしてニャンニャンして……犬耳とか付けたら私もたくさん撫でてくれて……ふふ、楽しみだなぁ)

    紗夜(どうしてだろうか。何でもない言葉のはずなのに、何故かこう……身の危険を感じるというか、何か見えない欲望が私を取り巻いているような気が……)

    日菜「ケーキもあるよ! はい、あたしとつぐちゃんからのバースデーケーキ!」

    つぐみ「あ、私お茶淹れますね! こんなこともあろうかと色々家から持ってきてるので!」

    紗夜「……ええ」

    日菜「今年もよろしくね、おねーちゃん!」

    つぐみ「今年もよろしくお願いしますね、紗夜さん!」

    紗夜「そう、ね……よろしくお願いします」

    日菜「あはは!」

    つぐみ「えへへっ」

    紗夜(……まぁ、気にしたら負け……なのかしらね……?)


    後日、日菜ちゃんとつぐちゃんに色々と振り回されまくって、軽々しく頷いたことを後悔する紗夜さんでしたとさ。


    おわり


    390: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:36:55.33 ID:8BOSmMOw0


    白金燐子「夜光虫」


    391: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:37:22.59 ID:8BOSmMOw0


     スマートフォンの時計には午前二時の表示。それを確認してから車の運転席に乗り込んで、バッグとスマホを助手席に放る。クラッチを踏み込んで、プッシュスタートを押し込んだ。

     セルの回る音が二度してから、エンジンに火が灯る。遠慮がちな排気音が夜半の冷たい空気を震わせた。

    『1』の数字の辺りで微かに揺れるタコメーターを見つめながら、やっぱり寒いのは嫌いだ、とわたしは思う。

     季節は晩冬、二月の終わり。足元から身体の熱を奪っていく鋭い寒さも幾分和らいだとは言えども、夜中から明け方にかけては吐く息が真っ白に染め上げられる。手がかじかんでキーボードも思うように叩けないし、本当に寒いのは嫌いだ。

     それに、わたしにとって冬は別れの季節だ。

     一年前の今頃を思うと、今でもわたしの胸の中は色んな形がぐちゃぐちゃに混ざり合った気持ちで一杯になる。特に、温かな思い出が色濃く残る、この淡い青をしたスポーツハッチバックを運転している時は。

     それでもこの車に乗り続けているのだから、わたしもわたしでいつまでも未練がましい女だと思う。

     憂色のため息を吐き出す。それからシートベルトをして、わたしは家の車庫から車を出した。


    392: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:37:59.39 ID:8BOSmMOw0




     車の免許を取ったのは、二年前……大学一年生の春だった。

     いつか免許は取るだろうけど車を運転することは多分ないだろう。最初こそはそんな風に思っていた。その気持ちが変わったのは、あこちゃんと行ったゲームセンターでのことだった。

    「りんりん、NFOのアーケードバージョンが出るんだって! やりに行こ!」

     そんな誘い文句に頷いて、二人で一緒にそれをプレイした。それから「一度やってみたかったんだ」とあこちゃんが言っていた、レースゲームで一緒に遊んだ。

     それは群馬最速のお豆腐屋さんが主人公のゲームで、出てくる車の名前も全然分からなかったけど、それでもハンドルを握ってアクセルを踏み込むのが楽しかった。

     その時に初めて実際の車を動かしてみたいと思って、それからすぐに車の免許を取った。そして、「新しく車買うから、今あるやつは燐子の好きに使っていいぞ」と、お父さんが今まで乗っていた車を譲り受けることになった。


    393: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:38:29.71 ID:8BOSmMOw0


     淡い青色をしたスポーツハッチバック。かつて日本で一番売れていた車の名前を冠しているそれは、スリーペダル……いわゆるMT、マニュアルトランスミッションだった。

     教習所では一応マニュアルで免許を取っていたから、道路交通法上は乗れる車。だけど流石に最初は怖かった。

    「大丈夫だよ、今の技術はすごいから。この車はな、電子制御で発進のサポートとシフトチェンジ時の回転数を合わせてくれて……いやでもやっぱりそういうのは自分でやりたいっていうのもあるんだけどな? だけどやっぱりこういうのがあると楽だよ。だから大丈夫大丈夫」

     そんなことをお父さんは言っていたけど、免許を取りたてで、車の種類も未だによく分からないわたしには何を言っているのか理解できるはずもない。

     だから最初はお父さんに助手席に乗ってもらって運転していた。そうしてひと月も経つと、車の操作には慣れた。でもやっぱり公道はまだ少し怖かった。


    394: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:38:57.39 ID:8BOSmMOw0


     そんな時にわたしのドライブに付き合ってくれたのが、紗夜さん――今は氷川さんと呼ぶべきか――だった。

    「い、命の保証は出来ないけど……付き合ってください……」

    「そんなものに私を巻き込むのね……」

     氷川さんはそう言って呆れたような顔をしていたけれど、わたしが頼めばいつだって助手席に乗ってくれた。

     わたしは運転席から眺める氷川さんのその横顔が好きだった。

     ありがとうございます、やっぱり優しいですね。そう言うと、いつも照れたように「別に」と助手席の窓へ顔を向ける仕草が愛おしかった。

     けれど、彼女がこの車に乗ることはきっともうないのだろう。


    395: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:39:38.85 ID:8BOSmMOw0




     わたしは夜中の道路が好きだった。人も車も少ないそこをマイペースに走るのが好きだった。今日も今日とて、習慣になっている午前二時過ぎのドライブだ。

     国道を適当に北にのぼる。無心にクラッチを踏んでシフトを動かし、アクセルを踏み込む。窓の外を流れていく街灯や微かな家々の明かりを横目に、どこへ行くともなく、ただただ走り続ける。

     けれども赤信号に引っかかって手持ち無沙汰になると、どうしてもわたしの視線はがらんどうの助手席へ向いてしまう。

     そこにいるハズなんかないのに、それでももしかしたら、なんて愚かな期待を持ちながら、わたしの視線は左隣へたゆたう。だけどやっぱりそこには誰もいなくて、瞳には少し遠い助手席の窓の風景が映り込むだけ。

     かぶりを振って、努めてドライブのことだけを考えるようにする。

     いい加減今日の行き先を決めよう。そう思って、ナビのディスプレイをタッチした。

     その途端、いつかの冬の一日が脳裏に蘇る。


    396: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:40:25.42 ID:8BOSmMOw0


     あれは海に向かって鳥居が立つ神社に朝日を見に行った時のことだ。

     あの日もいつものように氷川さんをわたしが迎えに行って、今日みたいに夜中の二時に出発して、茨城の大洗を目指した。

     氷川さんは「こんな夜更けに出かけるなんて、あまり良いことだとは言えないわね」なんて言っていた。だけど助手席の横顔は少し楽しそうで、それがすごく可愛いと思った。

     夜中の道路は空いていたから、わたしたちは午前五時前に目的地に着いてしまって、空が明るみ始めるまで駐車場でなんともない会話を交わした。エンジンは切っていたからどんどん車内の気温は下がるけど、家から持ってきておいた毛布にくるまって日の出を待っていた。

     ……あのまま時間が止まってくれていたならどんなに幸せだったろうか。

     寒い寒いと震えながら笑っていたことも、海に向かう鳥居にかかる鮮やかな朝日も、車に戻るとフロントガラスが凍っていたことも、その氷が溶けるまで肩を寄せ合っていたことも、今でも手を伸ばせば届く距離にあったならどれだけ幸せだったろうか。


    397: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:41:05.61 ID:8BOSmMOw0


     ナビやシフトの操作。そのために忙しなく動くわたしの左手は、助手席の氷川さんの一番近くにあった。

     二人でナビと睨めっこしてはディスプレイに触れ、あるいは氷川さんがドリンクホルダーに手を伸ばした時にわたしがシフトを操作して、偶然重なる手と手。その時に感じられた、氷川さんの冷たかった右手の温もりが蘇ってしまう。

     だけど今のわたしは一人きり。寂れた冷たい街灯の下、夜の空気を震わせる車の中にそんな温もりなんてない。何度助手席を見たってそこはからっぽだ。

     考えないようにしていたのにまた氷川さんのことを考えてしまっている自分に自嘲とも落胆ともつかないため息を吐き出す。それから「今日は朝日でも見に行こう」と誰に聞かせるでもなく言葉にして、わたしは千葉に向かうことにした。


    398: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:41:56.75 ID:8BOSmMOw0




     北にのぼり続けた国道を、荒川を超えた先の交差点で右に曲がり環状七号線に入る。それからしばらく道沿いに走り続け、国道14号線、船橋という青看板が見える側道に入り、東京湾を沿って千葉を目指した。

     東京を抜けるまではトラックやタクシーもそれなりに走っていたけど、千葉駅を超えて16号線へ入るころにはほとんどわたし以外の車は見当たらなくなった。

     そのまま内房に沿って南下し続けて、木更津金田ICから東京湾アクアラインに乗る。

     ETCレーンを通り抜け、3速でアクセルを踏み込み、HUDの速度表示が時速80㎞になったところで6速にシフトを入れる。右足の力を緩め、ほとんど惰性で走るように速度を維持した。

     ナビのデジタル時計は午前五時だった。まだまだ朝日は遠くて、眼前に広がる西の空の低い場所には、少し欠けた丸い月が見える。


    399: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:42:43.56 ID:8BOSmMOw0


     今日は朝日を見ようなんて思い立ったけど、わたしは朝が嫌いだ。習慣になっている夜中のドライブでは特にそう思う。

     東から明るみ始める空。徐々に増えていく交通量。

     夜が追い立てられて、わたしから離れていく。それを必死に追いかけようとしたところで、増えていく車のせいで思うように走れない。夜がどんどん遠くへ行ってしまう。どんなに手を伸ばしたって、懸命に走ったって、届かない場所へ行ってしまう。

     だから朝が嫌いだ。わたしはきっといつまでも夜が好きなんだ。ずっとずっと、あの冷たい温もりに浸されていたんだ。

     そんな子供みたいなわがままと未練を引きずって、わたしが操る車は海上道路を走る。

     時おり助手席に目をやると、誰もいない窓の向こうには真っ暗な海が彼方まで広がっていて、少しだけ怖くなった。


    400: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:43:37.68 ID:8BOSmMOw0


     それを誤魔化すようにオーディオの音量を少し上げる。なんとはなしにつけていたFMラジオから、昔映画にされたらしい曲が流れてくる。意識してそれに耳を傾けて、歌詞を頭の中で咀嚼する。

     繰り返されていくゲーム。流れ落ちる赤い鼓動。心無きライオンがテレビの向こうで笑う。あんな風に子供のまんまで世界を動かせられるのなら、僕はどうして大人になりたいんだろう。

     そうしているうちに、道路の両脇に灯された光たちが次々と過ぎていく。明らかに速度違反を取られるスピードで走るトラックが、右車線を駆け抜けていった。

     遠くなるそのナンバーを見送りながら、わたしもあれくらい急げば、もがけば、いつかまた届くのだろうか……と少しだけ考えた。


    401: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:44:59.30 ID:8BOSmMOw0




     午前五時半前のパーキングエリアに人気は少なかった。二年くらい前に始まった改修工事も去年の春ごろにようやく終わって、東京湾のど真ん中に鎮座する五階建てのここには静寂が我が物顔でふんぞり返っている。

     わたしは車を降りると、パーキングエリアの中に入っているコンビニでカップのホットカフェラテを買った。それから四階の屋内休憩所の椅子に座って、東の方角をぼんやりと眺める。

     千葉方面に伸びる道路には白い灯りが煌々とさんざめいて、昔に遊んだ機械生命体とアンドロイドのゲームを思わせる。その仰々しさと機械的な外観が少し好きだった。

     そんな話を氷川さんに振ったら、彼女はなんと答えるだろうか。

    「何事にも限度があるし、好きなのは知ってるけどやりすぎはよくないわ」と、少し呆れたような口調でわたしのゲーム好きを咎めるだろうか。

    「白金さんが好きなゲームですか。少し興味があるわね」と、乗り気で話に付き合ってくれるだろうか。

    「私はここより、川崎の工場夜景の方がそれに近いと思うわよ」と、まさかの既プレイ済みでそんなことを言ってくるだろうか。


    402: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:46:09.56 ID:8BOSmMOw0


    「ねぇ、どうですか……紗夜さん……」

     小さく呟いて、また左へ顔を向けた。静まり返った、誰もいない空間が瞳に映る。海を一望できるこの休憩所にはわたしひとりしかいなくて、返事なんてある訳がなかった。

     その現実を目の当たりにして、自分の心の中にあったのは諦観や寂寥、自嘲ともつかない曖昧な気持ちだった。

     もうわたしの左隣には、愛おしい彼女の姿はない。一年前の冬に他でもないあの人から別れを告げられた瞬間から、ずっとそうだった。


    403: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:46:53.85 ID:8BOSmMOw0


     始まりはわたしから。終わりはあの人から。言葉にすれば簡潔明瞭で、一方通行の恋路が行き止まりにぶつかって途絶えたというだけのお話。世界中のそこかしこに溢れかえっている、ごく平凡なお話だ。

     そしてこのお話の中でのわたしは、さぞかし重たくて痛い女だろう。

     別れを告げられて、泣くでも縋るでもなくそれを受け入れて、一年経った今でも温かな思い出を捨てられずにいる。ただ彼女との日々を忘れないように何度も何度も繰り返しなぞり続けている。


    404: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:47:36.68 ID:8BOSmMOw0


     わたしは夜が好きだ。夜は見たくないものを包み隠してくれる。

     痛みも後悔も、鏡に映る醜いわたしも、素知らぬ顔で隠してくれる。そして綺麗な光と温もりを持った思い出だけを際立たせてくれるから、より鮮明になった紗夜さんの残滓をわたしに感じさせてくれる。

     こんなことをしていたって何も変わらない。今じゃ疎遠な最愛の人に再び相見えることもない。そんな現実を忘れさせてくれて、仄暗い灯りをわたしに与えてくれる。

     だけどその灯りは朝日を前にするとあっという間に溶けていってしまうのだ。

     朝は嫌いだ。夜の残滓がくれた幻を余すことなく照らし上げては蹴散らして、わたしがひとりぼっちなことをこれ以上ないくらいに思い知らせてくる。

     いつまでも朝がやって来なければいいのに。そうすれば……わたしはずっと夜と寄り添い合って生きいけるのにな。


    405: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:48:54.77 ID:8BOSmMOw0




     気が付いたら東の空が明るみ始めていた。

     知らぬうちにウトウトとしていたようだ。傍らに置いたカフェラテのカップに手をやると、半分ほど残っていた中身が随分冷えていた。

     少しため息を吐き出して、カップを持って立ち上がる。そして近くの水道に中身を捨てて、空になった容器もゴミ箱に捨てた。少し申し訳ない気分になったけれど、今は冷たいものを飲む気力がなかった。

     わたしは屋内休憩所を出て、エスカレーターで五階へ向かう。

     五階は展望デッキと直に繋がっていて、エスカレーターを上りきると、早朝の海風が身を切った。首を竦めて小さく独りごちる。ああ、やっぱり寒いのは大嫌いだ。

     微かに白くなる息を吐き出しながら展望デッキに出て、右手側の東の海に面している方へ歩いて行く。

     何ものにも邪魔されない視界の先の彼方には、太陽が僅かに顔を出していた。


    406: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:49:47.27 ID:8BOSmMOw0


     眩しいな、と呟きながら、展望デッキの最前列の手すりへと向かった。

     板張りの床には露が降りていた。手すりのすぐ後ろにはベンチがあったけど、恐らくそこも濡れているだろうから、わたしは手すりに寄りかかる。

     瞳を強く射してくる朝焼け。それを正面からただジッと見つめる。

     徐々に太陽がその姿を現す。海の向こうの半円がだんだん大きくなっていって、やがて円形に近付いていく。そしていつしか水平線と切り離され、ぷっくりとした橙色の陽光が揺れる海面を強く照らしだした。

     今日も夜が追い立てられた。そしてわたしが拒んだ朝がやってきた。

     燃える日輪の光に写るわたしはどんな色をしているんだろうか。きっと仄暗い灯りなんてとうに霞んで、影みたいな暗い色をしているんだろう。

    「……ああ、綺麗だなぁ」

     朝が嫌いだ。でも、やっぱりあの朝焼けは好きだ。綺麗で、キラキラしていて、温かいから。

     わたしもいつかはあんな光になれるだろうか。不意によぎったその問いに対して、きっと無理だろうな、と思った。


    407: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:50:53.62 ID:8BOSmMOw0


     朝焼けを眺めたあと、わたしは駐車場に戻って車に乗り込む。

     がらんどうの助手席が一番に目について、手にしていたスマートフォンとバッグを後部座席に放り込んだ。

     クラッチを踏み込んで、プッシュスタートを押し込む。すぐにエンジンがかかり、暖房が足元から噴き出してくる。

     車のフロントガラスは凍ってなんかいなくて、少しだけ曇っていた。エアコンの吹き出し口をデフロスターに切り替えると、すぐにそれもとれていった。

    「……帰ろう」

     わたしは呟いて、シートベルトを締める。サイドブレーキを下ろして、クラッチを踏んでシフトレバーを手にする。1速に入れてクラッチを繋ぐと、電子制御されたエンジンが少し回転数を上げた。

     FMラジオではパーソナリティが天気の話をしている。木曜の夜を超えたら今年も冬が終わるらしい。

     それくらいなら寒がりのわたしでもきっと我慢できそうだな。そう思いながら、朝焼けに照らされた二月の帰り道をひとりで辿った。


    408: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:52:23.38 ID:8BOSmMOw0




     冬が過ぎると、あっという間に桜の季節になっていた。

     冬は寒くて大嫌いだけど、春は暖かいから好きだった。特に桜の木を見ると、氷川さんとの始まりのことを思い出して少しだけ胸が温かかくなる。

     わたしたちの始まりもちょうど三月の終わり、桜の蕾が開きだしたころだ。

     花咲川に沿った道にある少し大きな公園。そこの小高い丘のようになっている場所に、一本だけあるちょっと背の低い桜の木。そこでわたしは、氷川さんに募る思いの丈を打ち明けた。

     それになんて思われるか、なんて返されるかが怖くてしょうがなかったけど、高校卒業という一つの節目を前に、わたしはなけなしの勇気を振り絞ったのだった。

     その答えは嬉しいものだったし、それからの一年間は幸せな日々が続いた。……だからこそ、去年の冬に別れてからのわたしは暗澹たる気持ちを影のように引きずって歩き続けているのだけど。


    409: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:53:16.41 ID:8BOSmMOw0


     けれど、もういい加減それも終わりにするべきだろう。

     いつまでもいつまでも、彼女の影を探して俯いたまま歩いているんじゃ、いつかきっと転んでしまう。もうわたしも前を見て進むべきなんだ。

     だから、始まりになったあの場所で、わたしは自分にケジメをつけようと思っていた。

     家を出て、今ではもう懐かしい花咲川女子学園に続く道を歩く。

     花咲川沿いの道にも桜がたくさん植えられていて、開きだした花弁を道行く人たちが見上げる。わたしはその中に紛れ、ただ目的の場所だけを目指して歩を進め続ける。

     やがて目的の公園に辿り着いた。

     この近辺では比較的大きな広場と滑り台が一番に目に付く。その脇を通り抜けて、小高い丘のようになっている場所を目指す。


    410: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:55:21.20 ID:8BOSmMOw0


     普段の運動不足が祟って少し息が上がりそうだったけど、新緑と桃色の花びらを鮮やかに照らすうらうらとした陽射しが気持ちよかった。

     やっぱり春は好きだ。温かくて、陽射しが気持ちよくて、またもう一度、新しくわたしを始められそうな予感を覚えさせてくれる。

     その新しいわたしの隣にはもう氷川さんの影も形もないのかもしれない。けれどそれでいいのかもしれない。前を向くということはきっとそういうことなんだと思う。

     でも、と少しだけ胸中で呟く。

    (それでも、またどこかで紗夜さんと出会えたなら……素敵だな)

     もしもそうなったら、その時は笑おう。疎遠になったこともとても近くなったことも関係なく笑おう。何の後腐れもなかったように、無邪気に笑おう。今日つけにきたケジメは、多分そういう類のケジメだ。

     そんな決心を抱いたところで、丘を登りきる。

     そこには二年前の今日と同じように背の低い桜の木があって、色づき始めた枝を春の風がそよそよと揺らしていた。


    411: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:55:53.91 ID:8BOSmMOw0


    参考にしました
    アンダーグラフ
    『君の日、二月、帰り道』
    『ユビサキから世界を』
    https://youtu.be/3HKT-LyK0ts



    りんりんの車
    トヨタ カローラスポーツ


    412: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:56:20.51 ID:8BOSmMOw0


    氷川紗夜「燐光」


    413: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:57:06.17 ID:8BOSmMOw0


     私には恋人がいた。その相手はかつて同じバンドでキーボードを担当していた白金燐子という女性で、高校を卒業する時に彼女から愛の告白をされた。

     目を瞑れば、今でもあの春の一幕を瞼の裏に鮮明に思い描ける。

     花咲川沿いの少し大きな公園の、小高い丘の上の、ちょっと背の低い桜の木の下。

     そこで、うつむき加減の顔を赤くさせた彼女から、静かな声をいつもより大きく震わせて、思いの丈を打ち明けられた。

     その告白を受けて、私に迷いがなかったと言えば嘘になるだろう。私と白金さんは女性同士だ。世間一般において、同性愛というのはまだまだ理解が及ばないものだという認識がある。


    414: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:57:48.19 ID:8BOSmMOw0


     けれど、白金さんの懸命な言葉を受けて、私はネガティブな印象を抱くことがなかったのも事実だった。

     生徒会長と風紀委員長という関係。白金さんと私は、花咲川女子学園では大抵一緒にいたし、学校が終わっても同じバンドのメンバーとして共に行動することが多かった。

     その時間は私にとってとても心地のいいものであったし、そんな彼女ともっと深い関係になるということを想像すると、温かな想いが胸中に広がった。

     だから私は一生懸命な白金さんの言葉に頷いた。こんな私で良ければ、と。そうして私と白金さんはいわゆる恋人同士と呼ばれる関係になったのだった。

     その温かな関係は、去年の冬に終わりを告げた。


    415: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:58:24.42 ID:8BOSmMOw0




    「寒いわね……」

     大学の講義が終わって、駅へと向かう道すがら、私は巻いているマフラーに首をすぼめて小さく呟く。

     今日はこの冬一番の寒さだと朝のニュースで言っていた。それを聞いて、私は今でも彼女のことを考えてしまうのだからどうしようもないと思ったことを思い出す。

     別れを告げたのは私からなのに、事あるごとに、私は白金さんのことを脳裏に思い浮かべてしまう。今日みたいに冷たいビル風が吹き抜ける日なんかには、それが顕著だ。

    「寒いの……本当に嫌いなんです……」と、静かな声が何をしていても頭によぎる。街中で見慣れた色と形の車を見かけるたびにそれを目で追って、そしていつまでも忘れられないナンバーとは違う数字をつけていることに気付いてため息を吐き出してしまう。

     こんなに面影を探してしまうなら別れ話なんてしなければよかったのに。追い出せそうにない思考を頭に浮かべたまま、私は雑踏に紛れて足を動かす。


    416: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 00:59:23.56 ID:8BOSmMOw0




     私の脳裏に今でも特に強く根を張っている記憶があった。それは白金さんが乗っている淡い青色の車のことだとか、彼女と見た朝焼けだとか、そういう温かい記憶なんかじゃなく、私から別れを告げた日の記憶だ。

    「もう、終わりにしませんか」

     そっけない私の言葉を聞いた白金さんは、一瞬でくしゃりと顔を歪ませて、それからまた何ともないような顔を必死に作ろうとしていた。そんな様子を見ていられずに、私は目を逸らした。

    「……はい、分かり……ました」

     震えた声が私の鼓膜を揺らす。大好きな彼女の小さな声が、その時だけは絶対に聞きたくない音となって私を襲った。

     けれど、放ってしまった言葉は取り消せない。冗談です、とも言える訳がない。私とて、それなりの覚悟を持って彼女に別れを切り出したのだから。


    417: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:00:01.38 ID:8BOSmMOw0


     私が二十歳になるひと月前にした別れ話は、さんざん悩んだ割にあっさりと終わった。私と彼女の関係も、ただの知人というものにあっけなく戻った。それだけの話。

     そう、ただそれだけの話のはずなのだ。それなのに、いつまでもいつまでも私の脳裏には白金さんの悲壮な表情と震えた声が張り付いている。

     自分の胸の深い場所まで潜れば、私の本当の気持ちというものが見えてくる。けれど、私はそれに蓋をして見て見ぬ振りを貫くことにした。

     何故ならこれは、この別れは、私たちに必要なものだったからだ。成人式を終えて、一つの節目として大人になった私たちには必要な別れだったんだ。

     私たちはいつまでも子供のままじゃいられない。好きなものを好きだと言うのはいいことだと思うけれど、それにだって限度がある。特に、世間様から認められないようなことは。

     だから白金さんをばっさりと振って、後腐れないように関係をなくす。彼女の傷付いた顔が私の胸を激しく切りつけたけど、これは必要な痛みなんだと自分に言い聞かせた。

     これでいいんだ、これが私たちのあるべき姿なんだ。


    418: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:00:51.48 ID:8BOSmMOw0


     ……じゃあ、それからの私の行動はなんだろう。

     寒いという言葉、冬という言葉を聞く度に、静かな声が脳裏をかすめる。

     淡い青色の車を見かける度に、それを目で追い続ける。

     誕生日でもないのに彼女からもらったペンダントを、ほこりの一つも付かないよう後生大事に部屋に飾ってある。

     考えれば考えるほどに自分が愚かしくなるから、その行動の原理にも蓋をしておくことにした。

     私たちがあの頃描いていた未来。いつかの冬の日に、朝日を待って彼女の車の中でずっと喋っていたこと。毛布に包まりながら、大学を卒業したら、就職したら、二人でああしようこうしよう。

     そんなものは、もう二度と訪れることはないのだ。


    419: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:01:33.25 ID:8BOSmMOw0




     季節は気付いたら移ろっているもので、三月初めの木曜日を超えてから、日ごとに気温は高くなっていった。

     私は寒いのも嫌いだけど、春もそこそこに苦手だった。

     春は始まりの季節、とはよく言うもので、忘れたくても忘れられないことが始まったこの季節を迎えると、自分の感情が上手に整理できなくなる。

     特に桜を見てしまうとダメだ。

     麗らかで柔らかい陽射しに映えるソメイヨシノは、かつての私たちの関係を如実にあらわす徒桜だ。せっかく綺麗に咲き誇ったのにすぐに散ってしまうその姿を自分に重ねると、胸がキュッとして泣きそうになる。私が見えないように蓋をしたものを、これでもかと目の前に突き付けてくる。


    420: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:02:14.50 ID:8BOSmMOw0


     ……かつてはとても親しかった彼女。

     けれど、私は彼女の名前を一度だって呼んだことはなかった。

     いつでも名字に「さん」付け。私は名前で呼ばれているのに、どうしても私から同じように呼び返すことが出来なかった。

     それには照れも含まれていたけれど、結局のところ、私は彼女へ踏み込むのが怖かっただけなんだろう。

     約一年間の交際の中で、意図的に手を繋いだこともない。寒い季節は肩と肩が触れるくらい身を寄せ合ったこともあったけれど、それ以上身体的に接触したことはなかった。

     偶然の接触ならあった。彼女の運転する車の助手席に乗っている時、私がナビに触れたりドリンクホルダーの飲み物を取ろうとして、ちょうど白金さんの左手と私の右手がぶつかるというようなことだ。

     その時の手の温かさだとか柔らかさだとか、照れたようにはにかむ白金さんの横顔だとか、妙に熱を持ってしまう私の頬だとか、そういうことを思い出すと何とも言えない気持ちが心中に去来する。


    421: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:02:47.50 ID:8BOSmMOw0


     いや、何とも言えないというのは私の臆病のせいか。

     私はきっと嬉しかったんだろう。けれど、それを認めてしまうと自分に歯止めが効かなくなるような気がした。

     これは世間一般では認められない関係だから、あまり踏み込んではいけない関係だから、と何重にも自制かけていたのだ。

     そもそもの話、そんな風に思うのなら最初から告白を断ればよかったのだ。そうすればよかったのだ。それならきっと白金さんだってそんなに傷付かなかったかもしれないし、私だってこんなに彼女のことを――


    422: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:03:17.77 ID:8BOSmMOw0


    「はぁ……」

     行き過ぎた思考をため息で無理矢理止める。それから思うのは、やっぱり春は苦手だ、ということ。

     今日は三月の終わり。二年前に、私が白金さんに告白をされた日だった。

     今日も今日とて空は快晴で、春の温かな陽射しが容赦なく私の部屋に差し込んできていた。その窓からの光に心全部を暴かれそうになるのだから嫌になる。

     もういっそ、全て白日の下に晒してしまおうか。

     ふと思い立ったその考えが妙にしっくりと自分の腑に落ちた。もしかしたらの話だけど、目を逸らし続けるから気になるのであって、いっそ思い出もかつて言えなかった言葉たちも太陽の光に晒してみれば、それですっきり忘れられるのかもしれない。

     そう思って、思索に耽っていた椅子から立ち上がり、私は部屋を出た。


    423: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:03:59.58 ID:8BOSmMOw0




     特に行き場所は決めていなかった。

     朗らかな陽光を一身に受けて、まだ若干の冷たさが残るそよ風に吹かれながら、私は花咲川に沿って歩を進める。

     川沿いに植えられた桜たちも徐々に蕾をほころばせていて、それを見上げる人たちがそこそこいたけど、私は桜には目もくれずに歩き続ける。

     そうしながら、私の中で燻る記憶たちを開き直りにも近い形で取り出して、胸の中でじっくりと眺めてみる。


    424: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:04:32.15 ID:8BOSmMOw0


     ある一つの記憶は桜色をしていた。

     花咲川沿いの少し大きな公園の、小高い丘の上の、ちょっと背の低い桜の木の下での思い出。あの時に私の胸中に一番に浮かんだ感情の名前は、喜びだった。


    425: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:05:07.17 ID:8BOSmMOw0


     ある一つの記憶は淡い青色をしていた。

    「い、命の保証は出来ないけど……付き合ってください……」と、私の大好きな静かな声が揺れる。免許を取って、父親に車を譲ってもらったけど、まだ一人で運転するのは怖いから……という言葉に続いた誘い文句だった。

     それに返した私の言葉は捻くれていたけど、その裏にあった気持ちは「彼女に信頼されているんだ」という嬉しさだった。


    426: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:05:33.28 ID:8BOSmMOw0


     ある一つの記憶は橙色をしていた。

     真冬の真夜中に淡い青色の車が迎えに来てくれて、もはや私だけの指定席になっている助手席に身を置いて、茨城の大洗に日の出を見に行ったこと。早く着きすぎて、二人で未来の話をしたこと。肩を寄せ合って、鳥居にかかる綺麗な橙色の朝焼けを見たこと。

     その時の私は幸せで、ものすごく怖くなった。


    427: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:06:07.21 ID:8BOSmMOw0


     ある一つの記憶は透き通った青色をしていた。

     まだ誕生日には早いですけど、去年の分です。そんな前置きとともに渡された、青水晶のペンダント。私は照れてしまって、とても優しく微笑む彼女の顔を直視することが出来なかった。

     そのペンダントは一度も身に着けることなく、今でも特別に大切な宝物として私の部屋に飾ってある。


    428: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:06:46.60 ID:8BOSmMOw0


     ある一つの記憶は灰色をしていた。

     別れを切り出した建て前は、世間では認められないことだから。けれど私の奥底にあった本当の気持ちはなんだったろうか。


    429: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:08:11.27 ID:8BOSmMOw0


     そうだ、私はただ怖かったのだ。

     白金さんとの日々はとても温かくて幸せで、ずっとこんな日々が続けばいいと、本当は心の底から願っていた。

     だけど、物事にはいつだって終わりがつきものだ。諸行無常、盛者必衰。どれだけ美しい花が咲けど、それはいつか枯れてしまうし、知らぬ間に踏みにじられてしまうかもしれない。

     それが怖くて怖くて仕方なかった。いつこの温もりが消えるとも分からないのが恐ろしかった。

     白金さんに愛想を尽かされたら、世間から誹りを受けたら、この関係はきっとすぐに霧散する。それは元々の関係に戻るというだけのことだけど、私はもう幸せを知ってしまっていた。この幸せが奪われることでどれだけ自分が傷付くのか、寒い思いをするのか知ってしまっていた。


    430: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:09:29.92 ID:8BOSmMOw0


     だから私は私自身の手で、その関係に終止符を打ったのだ。せめて傷が深くならないように、不意を打たれて死ぬほど惨めな思いをしないように、と。

     ああ、と小さく口から漏れた呟き。自分を貶すための言葉が種々様々に混ざり合っていた呟きだから、その色は工業廃水を垂れ流したドブ川の色に似ていた。

     なんてことはない。結局、私は自分が傷付きたくなかったのだ。その為に世界で一番大好きな人をみだりに傷付けたんだ。

     一枚ずつ剥がしていった建て前。蓋を外した本当の気持ち。それを今さら直視して思うことは、なんて嫌な人間だという自己嫌悪。

     一見筋の通ったような理由を重ねて、最愛の彼女を傷付けてでも守りたかったのは、私自身だったんだ。

     そのくせ白金さんの面影を探し続けているんだから、本当にどうしようもない。

     少し涙が浮かんできたのは花粉のせいにして、私は目元を一度拭う。それから始まりの公園に足を向けた。


    431: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:10:20.78 ID:8BOSmMOw0


     目的の公園に辿り着くと、この近辺では比較的大きな広場と滑り台が一番に目に付く。その脇を通り抜けて、小高い丘のようになっている場所を目指す。

     ここへ来た理由は、私自身に勇気と覚悟を持たせるため。今になってこんなことを思ったって遅すぎるのは分かっているけれど、それでも私は彼女に……今でも大好きなままの白金さんに、面と向かって謝りたかった。

     今まで自分本位な気持ちでいてごめんなさい。傷付くことを恐れて、あなたを傷付けてごめんなさい。

     これもただの自己満足だと思う。今では疎遠な関係の女に、今さらそんなことを言われたってきっと彼女は迷惑するだろう。だけど、これは私が白金さんに対してつけなければいけないケジメだ。


    432: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:11:00.41 ID:8BOSmMOw0


     そんな決心を抱いて、坂を登りきる。

     小高い丘には誰の姿もなくて、辺り一面新緑の木々に囲まれた中に、ポツンと一本だけ桜の木があった。あそこが始まりの場所だ。

     私はその傍に歩み寄って行って、幹に手を置く。桜はまだ半分ほどしか咲いていなかった。

     三月の終わり。かつて、白金さんに想いを告白された日と同じ日付。あの日もまだ桜は満開ではなかったことを思い出す。

    「…………」

     黙ったままその花弁を見上げる。そして、あの時に白金さんがどれだけ勇気を振り絞っていたかを想像する。


    433: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:12:00.53 ID:8BOSmMOw0


     彼女は引っ込み思案で、いつも遠慮をする。生徒会長になって初めてやった全校集会の挨拶は散々な出来で、それでもそんな自分を変えようとひたむきに努力をしていた。そんな白金さんがここで告白に臨んだ覚悟や勇気というのは、私では到底及ばないほどに強く大きいものだったろう。

     私も彼女のようになれるだろうか。名前の通り、夜のように暗く惨めな私でも、彼女のように凛とした光を持つことが出来るだろうか。

     いや、そうならないとダメだ。ここに来て、彼女の大きな勇気に触れたのはそのためだ。どんなに惨めな思いをしようと、詰られようと、一生癒えない傷を負おうと、今度は私が白金さんに告白をするんだ。

     建て前を全部脱ぎ捨てた気持ちで、今までのことの謝罪と感謝を伝えるんだ。

     そして、もしも彼女がまだ僅かな慈悲を私に抱いてくれているのなら、その時は……


    434: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/03/29(金) 01:13:12.20 ID:8BOSmMOw0


    (……燐子さん。今でも私は、あなたのことが大好きです)

     ……ようやく掴んで吐き出した自分の弱さの底の底にあるこの言葉を、いつかあなたに伝えられますように。

     春の風が吹き抜けた。五分咲きの桜の枝がそよそよと揺れる。それに紛れて、後ろから控えめな足音が聞こえた。きっと桜の見物客だろう。

     ケジメはもうつけた。この先のことは私の覚悟次第だ。

     木の幹から手を離す。見物の妨げになるだろうから、邪魔者はもう帰ろう。帰って、一年と少し振りに白金さんにメッセージを送ろう。

     そう思い、桜に背を向けて、私は一歩を踏み出した。


     おわり


    437: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:49:03.68 ID:kMuPU5cK0


    市ヶ谷有咲「いい加減にしろ」

    ※ >>29と同じ世界の話です


    438: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:49:38.75 ID:kMuPU5cK0


    ――有咲の蔵――

    山吹沙綾「…………」

    戸山香澄「…………」


    439: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:50:21.55 ID:kMuPU5cK0


    沙綾「……香澄、いい加減折れたら?」

    香澄「やだ。そっちこそ折れてよ」

    沙綾「それは無理」

    香澄「さーやの分からず屋」

    沙綾「香澄だけには言われたくない」

    香澄「ふん、知らないもん」

    沙綾「なんでこんなに頑固なのかなぁ」

    香澄「それこそさーやにだけは言われたくないよ」

    沙綾「はいはいそうですか」

    香澄「さーやのバカ」

    沙綾「言うに事欠いてバカ? バカって言う方がバカなんだよ?」

    香澄「知らないっ」


    440: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:50:58.17 ID:kMuPU5cK0


    沙綾「はぁー……」

    香澄「……なに、そのわざとらしいため息は?」

    沙綾「いいえ、別に?」

    香澄「別にじゃないでしょ」

    沙綾「はぁー、そう。そんなに気になるんだ。はぁー……」

    香澄「なんでそんなイジワルするの?」

    沙綾「別に? 私はイジワルしてるつもりなんてないよ?」

    香澄「イジワルだよ。どう考えても嫌がらせみたいな感じだもん」

    沙綾「香澄がそう思うならそうなんじゃない?」

    香澄「ほら! そう言うってことはやっぱりイジワルなんじゃん!!」

    沙綾「知らないよ。香澄がそう思うならって私は言っただけだし」

    香澄「うぅぅっ……!」

    沙綾「……ふんだ」


    441: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:51:41.76 ID:kMuPU5cK0


    香澄「ああもう、分かった!! それじゃあ白黒ハッキリさせようよ!!」

    沙綾「いいよ。こっちもいい加減、純みたいに拗ねた香澄の相手なんてしてられないし」

    香澄「またそうやって子供扱いする!!」

    沙綾「事実だし。私間違ったこと言ってないし」

    香澄「さーやの方が子供っぽいじゃん!」

    沙綾「そんなことありませーん」

    香澄「ちょっと妹と弟がいてお姉ちゃんオーラバリバリだからって調子に乗らないでよ!!」

    沙綾「香澄こそ、妹がいるくせに甘えたがりの妹オーラバリバリのくせに変なこと言わないで」


    442: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:52:36.67 ID:kMuPU5cK0


    香澄「あーもう怒った! 私、完全に怒ったからね!」

    沙綾「私はもうとっくに怒ってるけどね。香澄よりも断然早く怒ってるからね」

    香澄「でも怒りレベルはこっちの方が上だから!」

    沙綾「いやこっちの方が怒ってる時間長いから。私の方がレベル上だから。それなのに香澄に付き合ってあげてたからね?」

    香澄「さーやいつも何も言わないじゃん! 言ってくれなきゃ分かんないもんそんなの! そんなこと言うならちゃんと怒ってよ! 一緒に怒らせてよ!!」

    沙綾「言ってること無茶苦茶だからね。今回は香澄だって何も聞いてこなかったじゃん」

    香澄「だって当たり前のことだもん!!」

    沙綾「当たり前? はぁ、当たり前。へぇ、香澄は自分が当たり前だって思うことを平気で私に『当たり前』として押し付けるんだ? へぇ?」

    香澄「だからどうしてそんなイジワルな言い方するの!?」

    沙綾「事実を言っただけだし。イジワルじゃないし」


    443: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:53:30.54 ID:kMuPU5cK0


    香澄「もう本当の本当に怒ったからね!? 知らないよ!?」

    沙綾「私も知らない。朝ご飯はパンじゃなくて白米派の香澄なんて知らないよ」

    香澄「何言ってるの、さーや!? 白いご飯は日本の特産だよ!? 日本のソウルフードなんだよ!? それなのにさーやが『朝は断然パンだよね』なんて言うからこうなったんじゃん!!」

    沙綾「だって当たり前のことだし。時代は移ろうんだよ? 朝ご飯は白米なんていう固定観念に囚われてたら時間の流れに置いてかれるよ?」

    香澄「そんなことないもん!!」

    沙綾「そんなことありますからねー? 統計でも出てるからね? 今はパン派の方が多いんだよ? ほらほら、ここにそう書いてあるでしょ?」つスマホ

    香澄「そのデータ古いじゃん! 2012年のやつって書いてある!! そんなこと言うなら……ほらこれ!! ご飯派は『絶対にご飯がいい』っていう固定ファンが多い統計もあるから!!」つスマホ


    444: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:53:59.89 ID:kMuPU5cK0


    沙綾「やっぱり朝に白いご飯を食べる人は頑固な人が多いんだね。香澄みたいに」

    香澄「さーやも十分頑固だからね!!」

    沙綾「知らなーい」

    香澄「分かった分かりました!! さーやがそう言うならこっちにだって考えがあるもん!!」

    沙綾「つーん」

    香澄「そんなそっぽを向いてられるのも今のうちだからね!! ちょっと待ってて、絶対に逃げないでよ!?」

    沙綾「はいはい、絶対的な勝者のパン派は逃げるなんて臆病なことはしないから、早く行ってきたら?」

    香澄「ふんっ、そんなことすぐに言えなくさせるから!!」


    445: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:54:40.56 ID:kMuPU5cK0


    ―しばらくして―

    香澄「ただいまっ!!!」

    沙綾「おかえり。遅かったね、そのまま逃げ帰ったのかと思ったよ」

    香澄「さーや置いてひとりで帰るワケないじゃん!!」

    沙綾「知ってる」

    香澄「じゃあいちいちイジワルな言い方しないで! とにかく、コレ!!」つオニギリ

    沙綾「はぁ、そのおにぎりがどうかしたの?」

    香澄「食べて!」

    沙綾「はー、そういう強硬手段に出るんだ? 言葉じゃ勝てないから実力行使に出るんだ? そんな手にいちいち」

    香澄「今っ、有咲のおばあちゃんにご飯炊いてもらって、私が握ったやつだから!! 食べられないなら私が食べさせるよ!!」

    沙綾「背中の傷はパン派の恥だからね。正々堂々受けて立つよ」


    446: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:55:35.26 ID:kMuPU5cK0


    香澄「じゃあどうぞ! あーん!!」

    沙綾「はぁー、仕方ないなぁホント。はむっ……」

    香澄「どう!? 分かったでしょ!?」

    沙綾「……いや、こんなおにぎり1個で分かれば苦労はしないからね? きのことたけのこは戦争しないからね? 香澄が直に手で握ってくれたっていう温もりは感じるけど、それとこれとは話が別だからね?」

    香澄「そう言うと思ってまだあと3個用意してきてあるから!!」

    沙綾「はー、出た出た。まーたそういうことするんだね? はぁー本当にもう、はぁー……」

    香澄「さぁ食べて!!」

    沙綾「はいはい、言われなくても食べるから。はぁ……食べやすいようにひとつひとつが小さく握られててちゃんと海苔も巻いてあって私の好みの塩加減になってるとか、白米派はやることがいやらしいなぁホント。はむはむ……」

    香澄「お茶! ここに置いておくからね!!」

    沙綾「それはどーも。はむはむはむ……」


    447: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:56:12.26 ID:kMuPU5cK0


    香澄「どう!? これで分かったでしょう!?」

    沙綾「いいや、分からないよ。白米の良さなんてこれから毎日香澄がおにぎり作ってくれなきゃ絶対に理解できないね」

    香澄「いーよ、受けて立つよ!!」

    沙綾「はぁー、ホント好戦的で困るなぁ。ここまでされたら私も黙ってるワケにはいかないじゃん」

    香澄「なに!? まだ何か言いたいことがあるの!?」

    沙綾「別に? 目には目をってことだけど? ちょっと待っててもらえる? まぁ、負けるのが怖いなら逃げてもいいけど」

    香澄「さーやが待ってって言うなら死ぬまで待つに決まってるじゃん!!」

    沙綾「その言葉、後悔しないといいね。それじゃあちょっと行ってくるから」


    448: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:57:07.72 ID:kMuPU5cK0


    ―しばらくして―

    沙綾「ハァハァ……ちゃ、ちゃんと逃げないで……ハァ、待ってたね……」

    香澄「当たり前だよ! そっちこそ、あんまり遅いから事故にでもあったんじゃないかってちょっと不安になってたからね!!」

    沙綾「ハー、敵に塩を送ったつもりかな? 本当に卑怯だよね、香澄って……ハー、ハー」

    香澄「そんな息も絶え絶えに言われたって心配しかしないんだから!! お茶飲んでさーや!!」

    沙綾「言われなくたって……」ゴクゴク

    香澄「それで!? はっ、その手に持ってるのはまさか……!」

    沙綾「ぷは……そう、やまぶきベーカリーのパンだよ。それも私の手作りで焼きたての」


    449: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:57:44.10 ID:kMuPU5cK0


    香澄「うっわぁ、さーやって本当にそういうズルい手ばっかりいつも使ってくるよね!? どうせ息を切らせてたのだってパンが冷めないようにって全力疾走してきたんでしょ!?」

    沙綾「さぁ? 香澄がそう思うならそうなんじゃない?」

    香澄「出た出たお決まりのセリフ!! ホントさーやズルい!!」

    沙綾「いやいや、香澄には負けますからねー?」

    香澄「どーいう意味!?」

    沙綾「別に? それより、これを食べればいかにパンが白米より優れてるかって分かるから、覚悟が出来たらさっさと食べてもらっていいかな?」

    香澄「ふん、そんなこと言う人のパンなんて」

    沙綾「ああそうだ。私は香澄に強引に食べさせられたのに、香澄はそういう辱めを受けないのは不公平だよね。仕方ないから私が直々に食べさせてあげるよ」つパン

    香澄「覚悟とは! 暗闇の荒野に進むべき道を切り開くこと! 受けて立つよさーや!!」


    450: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:59:09.61 ID:kMuPU5cK0


    沙綾「威勢だけはいいね。それじゃあさっさと食べてくれるかな? はい、あーん」

    香澄「あーん!! もぐ……!」

    沙綾「分かったでしょ?」

    香澄「……全然、ぜーんぜん分からないからね! こんなことで分かるならイヌ派とネコ派も戦争しないからね! いつもさーやからフワッて香る甘くていい匂いがギュッと詰まってるけど、それとこれとは全然関係ないからね!!」

    沙綾「本当に香澄は分からず屋の頑固者だねー。まぁ、往生際が悪いのも想定内だし、まだまだたくさんパンはあるんだけど」

    香澄「出たっ、さーやお得意の私のことはなんでも分かってますよーってやつ!! そういうところがズルいよね! パンだって食べやすいサイズに切り分けられてるし、甘いものから塩っぽいやつまで飽きないようにバリエーションが無駄に豊富で食べる人のことをちゃんと考えてあるし!! 本当にズルい!! もぐもぐ……!」

    沙綾「牛乳はここに置いとくから。飲みたければ飲めば?」

    香澄「またそうやって! 私がパンと一緒に牛乳飲むのにハマってることまで把握してるし!! もぐもぐもぐ……!」


    451: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 05:59:36.42 ID:kMuPU5cK0


    沙綾「これで流石に香澄も分かったよね?」

    香澄「何にも分かんないよ! これから毎日さーやの手作りパン食べなきゃ何にも分かんないもんね!!」

    沙綾「いいよ。仕方ないから頑固で分からず屋の香澄が理解できるまで生涯付き合ってあげる」

    香澄「聞いたからね! その言葉絶対忘れないからね!!」

    沙綾「どうぞご自由に。私だってさっき香澄が言ったセリフ、何があっても絶対に忘れないから」


    452: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:00:02.42 ID:kMuPU5cK0


    香澄「あーもう!」

    沙綾「あーホント」

    香澄「さーや大好き!!」

    沙綾「香澄大好き」


    ……………………


    453: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:00:41.88 ID:kMuPU5cK0


    ――有咲の蔵 階段前――

    市ヶ谷有咲「…………」

    有咲「…………」

    有咲「……いや、なんだよこれ。あいつら本当にいい加減しろよ」

    有咲「はぁー……本当にもう……はぁぁぁぁ~……」

    有咲「……りみんとこ行こ……」


    おわり


    454: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:01:09.95 ID:kMuPU5cK0


    なんだかんだポピパが一番好きで、その中でも特に沙綾ちゃんが好きです。
    エイプリールフールの沙綾ちゃんの「元村娘の聖女」とかいう設定はとても妄想が捗ります。
    でも白米派の自分とは相容れないだろうなーと思いました。そんな話でした。


    455: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:02:53.26 ID:kMuPU5cK0


    大和麻弥「なんだろう、これ……」

    ※『パスパレのデートシミュレーション』と同じ世界の話です


    456: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:03:29.77 ID:kMuPU5cK0


    ――花音との同棲部屋――

    ――ガチャ

    松原花音「あ、おかえりなさい」

    花音「今日も1日お疲れ様。もうすぐご飯できるけど、お風呂とどっち先にする?」

    花音「……うん? ど、どうかしたの? すごく暗い顔になってるよ……?」

    花音「え? ……そっか。お仕事で辛いことがあったんだね……」

    花音「ううん、謝らないで。いいんだよ、私の前でくらい謝ることなんかしなくても」

    花音「……また謝って……大丈夫だよ。あなたのことを心配するのも、気を遣うのも、私は好きだから」


    457: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:03:57.03 ID:kMuPU5cK0


    花音「ほら、先にお風呂に入ってさっぱりしてきちゃお? ね?」

    花音「うん、いい子いい子……あ、ごめんね? 急に頭撫でたりして」

    花音「あ、あはは……昔の話なんだけど、バンドの中で先生の役をやったことがあって……」

    花音「なんだろうね。好きな人をね、子供みたいにあやすの……なんだか心が温かくなるから好きなんだ」

    花音「……あやしてほしいの?」

    花音「ううん、そんなに取り繕わなくて平気だよ。だって、嬉しいから」

    花音「うん、嬉しい。あなたが私を頼ってくれるのが嬉しいんだ」

    花音「えへへ、今夜はたくさん甘えていいからね?」

    花音「うん、うん……いい子いい子。大丈夫だよ、私に寄りかかっても。まっすぐ歩けるように支えてあげるから」

    花音「さ、それじゃあお風呂に行こっか?」


    458: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:04:33.72 ID:kMuPU5cK0


    ――浴室――

    花音「はーい、それじゃあシャワーかけるよ~?」

    花音「うん? どうかしたの?」

    花音「……恥ずかしい? ふふっ、今さら恥ずかしがっちゃダメですよ~?」

    花音「大丈夫だよ。私は服着てるし、ただあなたの頭と背中を洗うだけなんだから」

    花音「……そうそう。ちゃんと言うことが聞けるいい子ですね~」

    花音「お湯の温度は……うん、ちょうどいいかな。それじゃあ、いくよ~?」

    花音「まずは頭を流すからね? 目に入らないようにちゃんと瞑ってるんだよ? 大丈夫? 瞑れてる?」

    花音「……はーい、分かりました。流すよ~」

    ――シャァァ……


    459: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:05:03.55 ID:kMuPU5cK0


    花音「お湯加減は大丈夫? 熱かったり冷たかったりしないかな?」

    花音「ちょうどいい? うん、分かった。それじゃあこのまま続けるね」

    花音「まずはてっぺんから前髪の方を……っと。よいしょ……」

    花音「次は横の方……あ、耳に入らないように、ちゃんと耳も塞がなくちゃ」

    花音「え? ああ、あなたはそのままで大丈夫だよ。私が片手で塞いでシャワーしてあげるから」

    花音「はい、じゃあまず左耳から……ちょっと触るよ? 痛かったらすぐ言ってね?」

    花音「あんまり力を込めないで……そーっと……よし……よし……っと」

    花音「大丈夫? 水、耳に入らなかった?」

    花音「……そっか。良かった。それじゃあ次は反対側だね」

    花音「右耳もちょっとごめんね? うんしょっ……と……」

    花音「……はい、それじゃあ最後は後ろの方まで流して……よし、こんな感じで大丈夫かな」キュッ


    460: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:05:35.03 ID:kMuPU5cK0


    花音「それじゃあ、シャンプーしていくよ」

    花音「髪を傷めないように優しくしないとね。まずは髪の毛全体に馴染ませるように泡を立てて」シュワシュワ

    花音「……ん、こんな感じ、かな。じゃあ、しっかり洗っていくからね? 痛かったりしたらちゃんと言うんだよ?」

    花音「……うん、しっかりお返事が出来るいい子ですね~、えらいえらい。はーい、それじゃあゴシゴシしますよ~?」

    花音「え? 子供扱いしすぎ?」ゴシゴシ

    花音「ふふ、ごめんね。なんだか今日のあなたがすごく可愛くて……」ゴシゴシ

    花音「……別に嫌じゃないからいい? ふふ、そっか。ふふふ……」

    花音「……ううん、何でもないよ。やっぱり可愛いなぁって思って。あ、ごめんね? 手が止まってたね」


    461: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:06:21.90 ID:kMuPU5cK0


    花音「大丈夫。あなたは目を瞑って、何にも考えないでいいんだよ。私がちゃんと洗ってあげるからね。大丈夫だよー、そのままでいいんだよー……」ゴシゴシ

    花音「ごしごし、ごしごし……」ゴシゴシ

    花音「よいしょ……よいしょ……っと」ゴシゴシ

    花音「どこか痒いところはありませんか~?」

    花音「……耳の後ろ辺り? うん、分かったよ」

    花音「耳に泡が入らないようにして……優しく優しく……」コシュコシュ

    花音「撫でるように……よいしょ、よいしょ……」コシュコシュ

    花音「……もう大丈夫? うん、分かったよ。それじゃあ、シャンプーも流していくね?」キュッ、シャァァ……


    462: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:06:53.54 ID:kMuPU5cK0


    花音「ちゃんと目を瞑ってるんだよ~? お目々に泡が入ったら痛いからね~?」

    花音「また頭の上の方から……下の方に優しく流して……」

    花音「耳、また塞ぐね? うん、いい子いい子」

    花音「ふんふんふーん……♪」

    花音「あ、ごめんね? 鼻歌、気になっちゃった?」

    花音「うん、なんかちょっと楽しくて……つい……」

    花音「……もっと聴いてたい? そっか。うん、分かったよ」

    花音「ふんふんふーん……♪」シャァァ……


    463: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:07:53.32 ID:kMuPU5cK0


    花音「……よし、っと。流し終わったから、軽く拭いていくね?」

    花音「だーめ。髪を拭くまでがシャンプーなんだから、大人しく言うことを聞かなきゃだよ?」

    花音「……そう。ちゃんと言うことを聞けるいい子だね。大丈夫だよ、任せてね」

    花音「あんまり強くやり過ぎちゃうと髪が痛むから……優しく、優しく」コシコシ

    花音「髪、巻き込んだりしてない? 痛くない?」

    花音「……平気? そっか、よかった。それじゃあ、頭全体を撫でる様にして……」コシコシ

    花音「なでなで……なでなで~……」コシコシ

    花音「……こんな感じ、かな。うん」


    464: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:08:30.54 ID:kMuPU5cK0


    花音「どう? 少しはさっぱり出来た?」

    花音「……ん、そっか。それならよかった。えへへ」

    花音「それじゃあ次は背中だね。……あ、こーら。遠慮なんてしちゃダメですよ~?」

    花音「大丈夫。私に全部任せてね。痛いことなんて何もないよ。辛いことなんて何もないよ。だから……ね?」

    花音「……そうそう。素直ないい子だね。いい子いい子……」

    花音「さぁ、背中も流すよー?」シャァァ……


    ……………………


    465: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:09:17.13 ID:kMuPU5cK0


    ――ダイニング――

    ――ガチャ

    花音「あ、お風呂あがったんだね。さっぱり出来た?」

    花音「……そっか。よかった。さ、そうしたら一緒にご飯食べよ?」

    花音「ご飯を食べないと、頑張るための元気が出てこないからね。たくさん食べなきゃダメだよ?」

    花音「ほら、私の隣に座って?」

    花音「……え? どうして、って……あなたに食べさせるためだけど?」

    花音「照れくさいからそれはちょっと? もぅ、そんな遠慮をしちゃいけませんよー?」

    花音「はい、いい子だから……おいで?」

    花音「……そう。ちゃんと言うことが聞けたね。えらいえらい」


    466: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:10:19.29 ID:kMuPU5cK0


    花音「それじゃあ、何が食べたいかな?」

    花音「すごく疲れてそうだったから、今日はさっぱりしたものをたくさん用意したよ」

    花音「好きだもんね、さっぱりした食べ物。大丈夫、あなたのことなら私はなんでも知ってるからね?」

    花音「私の前では何にも気にしないでいいんだよ。あなたが望むことだって分かっちゃうんだから、遠慮する必要もないし、気を張る必要もないんだよ?」

    花音「……うん、それじゃあまずお豆腐だね」

    花音「もみじおろし、ちょっとかけるよね? うん、大丈夫。ちゃーんと分かってるからね~?」

    花音「それじゃ、はい。あーん」

    花音「……どうしたのかなぁ? お口あーん出来ないのかな? まだちょっと恥ずかしがり屋さんなのかな?」

    花音「大丈夫だよ。ここでなら誰もあなたのことを責めないんだよ。誰もあなたのことを傷付けないんだよ」

    花音「だから、ほら……あーん、出来るかな? 出来るよね? ……ね?」


    467: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:11:14.16 ID:kMuPU5cK0


    花音「……そう。いい子いい子」

    花音「はい、あーん……」

    花音「……おいしい? そっか、よかった。ふふっ」

    花音「ううん、何でもないよ。それじゃあ次は何がいいかな? お豆腐のハンバーグ? それとも大根の和風サラダ? それよりも身体が温まる卵としいたけのスープの方がいいかな?」

    花音「あ、急かしちゃってごめんね? ううん、今のは私が悪かったよ。ごめんね?」

    花音「ゆっくりでいいよ。あなたが食べたいもの、あなたがして欲しいこと、ちゃんと言えるまでずっと待っててあげるから」

    花音「時間とか、そういうのは何も気にしないでいいんだよ。私と一緒にいる時は、あなたの好きなペースでいていいんだよ。私はいつだってちゃんと隣にいるからね?」


    468: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:11:55.44 ID:kMuPU5cK0


    花音「…………」

    花音「……うん、スープだね。分かったよ。熱いから火傷しないように……」

    花音「ふー、ふー……」

    花音「……はい、あーん」

    花音「大丈夫? 熱くなかった?」

    花音「……ちょうどいい? そっか、ふふ。それじゃあ次は……しいたけとネギ、卵もしっかり掬って……」

    花音「ふー、ふー……」

    花音「はい、あーん」

    花音「……上手にあーんできたね。えらいえらい」

    花音「……次はハンバーグ? うん、分かったよ」

    花音「ううん、気にしないでいいんだよ。私が好きでやってることだから」

    花音「ここでなら、私になら、どんどんワガママを言っていいんだから。……ね?」


    ……………………


    469: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:12:41.53 ID:kMuPU5cK0


    ――寝室――

    花音「疲れた時は早く寝るのが一番だよね。温かいお風呂に入って、温かいご飯を食べて、温かいお布団に入って……」ゴソゴソ

    花音「……うん? どうかしたの?」

    花音「え? 何をって……添い寝、だけど?」

    花音「……こーら。さっきも言ったよね? 私には遠慮なんかしないでいいし、ワガママを言っていいんだよ?」

    花音「辛い時はね、疲れた時はね、人肌に触れるのが一番効果的だってテレビで言ってたよ」

    花音「だから添い寝だよ。嫌なことも辛いことも、今晩はぜーんぶ忘れちゃお?」

    花音「……それとも、私とじゃ……イヤ、かな?」

    花音「……そっか、心臓がどきどきして眠れなくなるくらい、嬉しいんだ。ふふ、そっかそっか。えへへ……」

    花音「ううん、何でもないよ。それじゃあ、お邪魔しまーす」ゴソゴソゴソ


    470: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:13:23.38 ID:kMuPU5cK0


    花音「……えへへ、温かいね」

    花音「今年の春はまだ朝と夜が冷え込むもんね。あなたはどう? 寒くない?」

    花音「……そっか、ちょうどいい温かさなんだ。よかった」

    花音「でも……もっとこっちに来ていいんだよ? 私に背を向けないで、ぎゅーって抱き着いてきてもいいんだよ?」

    花音「……そうすると本当に眠れなくなる? ふふ……大丈夫だよー。そうしたら、あなたが眠れるまで、眠くなるまで、ずっと背中をポンポンしたり、頭をなでなでしててあげるから」

    花音「ね? だから……こっちにおいで?」


    471: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:13:56.98 ID:kMuPU5cK0


    花音「……そうそう、いい子だね。ちゃんとこっちに向けたね。えらいえらい」ナデナデ

    花音「あれ? お顔がちょっと赤いね? ……それは熱いせい? そっか。あなたがそう言うならきっとそうなんだろうね」

    花音「ふふ、ごめんね? あなたがすごく可愛いからちょっとからかいたくなっちゃった」

    花音「うん、ごめんごめん。大丈夫だよ、あなたが嫌がることなんて何もしないから」ギュッ

    花音「大人しくギュってされたね。ちゃんと素直になれたね。いい子、いい子……」ナデナデ


    472: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:14:43.19 ID:kMuPU5cK0


    花音「毎日毎日、お疲れ様。大変だよね。色んなことがあるもんね。でも、あなたはとっても頑張ってるんだよね」

    花音「辛いことがあっても、嫌なことがあっても、ちゃんと頑張ってきたもんね。えらいえらい。大丈夫だよ。私はちゃんと、あなたがすっごく頑張ってること知ってるよ」

    花音「誰にも理解されないなんてことはないんだよ。私はちゃーんと知ってるんだよ。だから安心してね? あなたのことをちゃんと分かってる人はいるんだから」ナデナデ

    花音「んっ……急にギュってしてきたね?」

    花音「ううん、責めてなんかいないよ。謝らないで? ここにはあなたの嫌いなものはないんだから。好きなだけ私の胸の中で甘えていいんだよ」

    花音「……うん。大丈夫。大丈夫だよ。あなたが幸せな夢を見れるまで、私はずーっとずーっと、あなたのことをぎゅーってしてるからね」

    花音「それだけじゃ足りないなら髪も撫でるし……」ナデナデ

    花音「あなたが安心できるまで、背中をぽんぽんしててあげるから」ポンポン


    473: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:15:46.55 ID:kMuPU5cK0


    花音「どっちをしてて欲しい? ……どっちもしてて欲しいの? ふふ、甘えん坊さんですねー?」

    花音「ううん、いいんだよ。私は甘えん坊さんなあなたも、いつもすっごく頑張ってるあなたも、私を気遣ってくれる優しいあなたも、全部全部大好きなんだから」ナデナデ

    花音「何があったって、あなたを嫌いになるなんてことはないからね?」ポンポン

    花音「だから、私の前ではいいんだよ。無理をしないでいいんだ。カッコつけなくたっていいの。素直に甘えちゃっていいんだよ」ナデナデ

    花音「大丈夫だよ。いいんだよ。あなたは毎日とっても頑張ってるんだから。えらいえらい」ポンポン

    花音「もっともっとぎゅーってくっついていいんだよ。泣いたっていいんだよ。弱音を吐いたっていいんだよ」ナデナデ

    花音「嫌なことは全部、忘れちゃおうね。大丈夫だよ。私の前でなら、子供みたいにワガママを言ったっていいんだよ」ポンポン


    474: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:16:12.48 ID:kMuPU5cK0



    花音「大丈夫、大丈夫……」ナデナデ


    花音「いい子、いい子……」ポンポン


    475: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:17:15.37 ID:kMuPU5cK0


    花音「……もうおねむかな? いいよ、おねむなら寝ちゃおう」ナデナデ

    花音「大丈夫だよ。眠っても、私は傍にいるよ」ポンポン

    花音「大丈夫。ずっと、ずっと隣にいるから」ナデナデ

    花音「今晩は目いっぱい休んで、また明日から頑張ろ? ね?」ポンポン

    花音「また辛くなったら、疲れちゃったら、私がいるからね?」ナデナデ

    花音「うん。いい子いい子。えらいえらい」ポンポン

    花音「……うん、それじゃあ……おやすみなさい」ナデナデ

    花音「幸せな夢を見て、たくさん癒されてね」ポンポン

    花音「私はいつだってここにいるから……ね?」


    ――――――――――
    ―――――――
    ――――
    ……


    476: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:17:56.97 ID:kMuPU5cK0


    ――芸能事務所 倉庫――

    大和麻弥(始まりはなんでもないことでした)

    麻弥(予定されていたジブンの仕事が急遽延期になって、事務所にいてもやることがなかったんです)

    麻弥(パスパレのみなさんは他の仕事ですし、手持無沙汰だったんです)

    麻弥(だから、慌ただしく事務所の掃除をしていたスタッフさんに、軽い気持ちで言ったんです)

    麻弥「ジブン、やることないんで何か手伝いましょうか?」

    麻弥(……と)


    477: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:18:31.17 ID:kMuPU5cK0


    麻弥(最初こそ「アイドルにそんなことをさせる訳には……」と言っていたスタッフさんですが、猫の手も借りたいような状況だったらしく、一番簡単に終わる、事務所の倉庫の整理をお願いされました)

    麻弥(倉庫には昔使った舞台衣装や台本なんかが乱雑に置かれていて、それを種類別に整理整頓することがジブンのミッションでした)

    麻弥(こういうことは学校の演劇部でもやり慣れていますし、別に大した苦労もなく作業は終わりました)

    麻弥(けど、乱雑に積まれた台本の中に1冊だけ、やけに埃を被っていないものを見つけてしまったのが……多分、運の尽きだったんだと思います)


    478: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:19:20.08 ID:kMuPU5cK0


    麻弥「なんだろう、これ……」

    麻弥(表紙も背表紙にも何も書かれていない水色の台本。ジブンはなんとはなしに、それを開き、そして言葉を失いました)

    麻弥(そこには、ある特定の人物とデートしたりだとか、姉妹になったりだとか、とことん甘やかされたりだとか……そんなシチュエーションが非常に多岐に渡って書き込まれていました)

    麻弥(効果音の指定や演技指導まで事細かに但し書きがされていました)

    麻弥(……そして、この台本の主役となるだろう人物や、書き込まれた字、脇に書かれたおどろおどろしいウサギやハートの絵に、どこか見覚えや心当たりがありました)

    麻弥「まさか、そんな……」

    麻弥(これ以上見てはダメだ。そう理性がジブンに語りかけますが、しかし、怖いもの見たさという本能は本当に恐ろしいものです)

    麻弥(……何故なら、背後で倉庫の扉が開いた音にも、ジブンに忍び寄る足音にも気付かないくらい、その本を覗き込んでしまっていたのですから)


    479: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:19:50.12 ID:kMuPU5cK0


    ???「麻弥、ちゃん?」

    麻弥「ヒッ……!?」


    480: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:20:32.31 ID:kMuPU5cK0


    麻弥(氷のような温度の言葉が背中に突き刺さりました)

    麻弥(マズイ、逃げなければ。そう思ったけれど、ジブンの身体は先ほどの言葉によって身動きが出来ないほど固まってしまって、それが出来ませんでした)

    ???「その手にあるのは……そう。それを見てしまったのね。ふふ、仕方ない麻弥ちゃんね……ふふ、ふふふ……」

    麻弥(聞き覚えのある声でした。けど、脳が理解することを、推測することを拒みました。本能が、それ以上考えたら死ぬぞと警鐘を打ち鳴らしていました)

    ???「知られてしまった以上、ただで帰す訳にはいかないわね。……さぁ、こっちへいらっしゃい?」

    麻弥「ひっ、ひっ……!!」

    麻弥(ジブンの肩に手が置かれて、振り返るとそこには、悪魔の笑みがあって――)


    481: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:21:14.32 ID:kMuPU5cK0


    麻弥(――次に気が付いた時には、いつもの会議室の椅子に座っていました)

    麻弥(辺りを見回すと、千聖さんが何かの雑誌を読んでいる姿が目に入りました)

    白鷺千聖「あら? おはよう麻弥ちゃん」

    麻弥「え、あ、は、はい……おはようございます……?」

    麻弥(千聖さんはジブンの視線に気付くと、雑誌を閉じて穏やかな微笑みをこちらへ向けてきました。それに曖昧な挨拶を返します)


    482: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:21:49.56 ID:kMuPU5cK0


    千聖「麻弥ちゃん、さっきから椅子に座ったまま眠っていたわよ?」

    麻弥「えっ、そ、そうだったんですか?」

    千聖「ええ。私が来てから15分くらいしか経ってないけど……でも、うなされていたわ。もしかして疲れてるんじゃないかしら?」

    麻弥「あ……えーっと……」

    千聖「……それとも」

    麻弥(なんてことない千聖さんの言葉と笑顔。それが何故だか急にスッと熱を失って、ジブンの喉元に突き付けられた気がしました)


    483: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:22:22.93 ID:kMuPU5cK0



    千聖「なにか、怖い夢でも見ていたのかしらね……麻弥ちゃん?」


    484: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/04(木) 06:23:54.12 ID:kMuPU5cK0


    麻弥「い、い、いえ! た、多分昨日遅くまでライブの動画を見てたせいで疲れてたんだと思います!!」

    麻弥(理性と本能が同じことを伝えてきます。『何も思い出すな。何も考えるな』と。だからジブンは迷わずそれに従いました)

    千聖「……そう。駄目よ、麻弥ちゃん。好きなのは分かるけど、体調管理も仕事の一環なんだから」

    麻弥「は、はい、以後気をつけます!!」

    千聖「そんなに畏まらなくてもいいのに。おかしな麻弥ちゃんね、ふふ……」

    麻弥(千聖さんはそう言って笑いました。それは、いつもの笑顔と言葉でした)

    麻弥(だからジブンはジブンに言い聞かせました)

    麻弥(今日は事務所の倉庫の整理なんてしていない)

    麻弥(千聖さんの言う通り、仕事が延期になって手持無沙汰のジブンは、疲れから会議室でうたた寝してしまっていたんだ)

    麻弥(それ以上もそれ以下もないんだ……と)


    千聖「ふふふ……うふふふ……」



    おわり


    486: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:35:33.70 ID:5F36JuUh0


    氷川紗夜「ある夏の日の話」


    487: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:36:14.23 ID:5F36JuUh0


     高校三年生の夏は想像以上の忙しさだった。

     蝉の大合唱をBGMに照り付けられたアスファルトを踏みしめながら、私は人生で十八回目のこの夏の記憶を掘り起こす。

     まず第一に、受験勉強。

     私には明確な将来の目標がなかった。双子の妹である日菜のように、アイドルとして天下を取るだなんていう崇高な、ともすれば酔狂とも表現される夢というものがなかった。頭の内にあるのは、人並みの仕事に就いて人並みに幸せでいること。それだけだった。

     だから、担任の先生から勧められた国立大学を目指すことにして、日々勉学に勤しんでいる。


    488: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:36:43.31 ID:5F36JuUh0


     次に、ロゼリアのこと。

     私たちの音楽に言い訳はない。ある程度の考慮はするけれど、やるからには徹底的にやりきるのが私たちのやり方だ。ロゼリアというバンドが頂点を目指すと決めた以上、妥協は許さず、私たちの音をとことん追求している。

     高校最後の夏休みだってそれに変わりはない。気の置けない親友たちと共に、日々練習やライブに精力的に取り組んでいる。


    489: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:37:10.59 ID:5F36JuUh0


     それから、風紀委員の仕事。

     学年も一番上になって、私は風紀委員長になった。当然それだけ責任も仕事も増す。それと、生徒会長になった白金さんが困っていればそれを放ってはおけないから、生徒会の仕事も少し手伝うようになった。

     ただ、今は八月の半ば。夏休み期間中は特にやることもないので、現状ではこれに割く時間は少ない。


    490: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:37:38.32 ID:5F36JuUh0


     この三つが交互に入れ替わり、時には一緒になってやってくる夏の日々。確かに忙しいは忙しいけれど、それでも私は毎日が充実していると感じていた。この日常を楽しいと思っていた。

     けれど、往々にしてそういう時こそ自分自身の体調を気にするべきだという思いがある。

     弓の弦と一緒で、常に張りつめていたのであれば、いずれ緩みきって矢を放てなくなってしまう。もしくは引きちぎれて、使い物にならなくなってしまうかもしれない。

     大切なのはメリハリだ。やる時は全力で物事に取り組む。そして、休む時はしっかり休む。何事もそういう緩急が大切なのだと私は常日頃から思っている。

     ここ一週間は塾やスタジオに入り詰めで、ずっと肩に力を入れてきた。だから今日一日はしっかりと休み、また明日からの英気を養う日だと決めてある。であれば徹底的に気を休めるのが今日という日の正しい在り方だし、そのためにはまず落ち着ける場所に行くことが大切なのだ。

     そんな言い訳じみたことを頭に浮かべながら、私は茹だる炎天下の中、商店街に足を運んでいた。


    491: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:38:14.63 ID:5F36JuUh0




     もう目を瞑っていてもたどり着けるのではないか、というほどに歩き慣れた道を往き、商店街のアーチをくぐる。通りにはいつもよりも人が多く、左右の軒先を見渡してみると、お店の人や街行く人も、どこか活気に溢れているような気がした。

     それらの人々を横目にまっすぐ歩き、北沢精肉店のある十字路を超えるとすぐに目当ての場所が目に付いた。私は迷わずにそこへ向かいお店のドアを開く。

     カランコロン、とドアに付けられた鈴の音。それから、いつもの明るい「いらっしゃいませ」の声に出迎えられる。

    「あっ、紗夜さん。こんにちはっ」

    「ええ。こんにちは、羽沢さん」

     続いた挨拶がどことなく嬉しそうに聞こえたのは、きっと自分の自惚れと勉強疲れのせいだろう。そう思いながら、朗らかな笑顔を浮かべて出迎えてくれた羽沢さんに、私は会釈と挨拶を返した。


    492: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:38:58.23 ID:5F36JuUh0


    「ご案内しますね」

    「はい」

     エプロンをつけた羽沢さんは、私を先導してぱたぱたと軽い足取りで空いている席へ向かう。その姿をぼんやり眺めながら後に着いていくと、言葉にするのが少し難しい気持ちが胸中に訪れる。

     それは意識的に無視しつつ、「こちらへどうぞ」と案内された席へ腰を下ろす。そんな私を見て、羽沢さんはまたニコリと微笑んだ。

    「今日は塾もバンドもお休みなんですか?」

    「ええ。先週は毎日どちらかの予定が入っていましたけど、今日はお休みです」

    「そうなんですね。いつもお疲れさまです、紗夜さん」

    「いえ、羽沢さんこそ」

     軽く手を振って言葉を返すと、羽沢さんはどこか照れたようにはにかんだ。その表情を見て、肩に入っていた余計な力や身体の奥底に溜まっていた疲れというものがスッと抜けるような感覚がした。

    (……私はここへ何をしに来ているのかしらね)

     そんな軽い自嘲で自分の本心には目をやらないようにしつつ、メニューを手に取る。


    493: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:39:31.14 ID:5F36JuUh0


    「お決まりですか?」

    「そうね……」

     頼むものは実はもう決まっていた。けれど私は迷うような素振りをして、メニューの上に目を滑らせる。どうしてそんなことをするのか、という自問がまた頭をもたげるけれど、「ふむ……」なんてわざとらしい呟きでそれも押し殺すことにした。

    「すいませーん」

     と、そうしているうちに、二つ隣のテーブルから羽沢さんに声がかけられる。

    「あっ、はい。少々お待ちください。……ごめんなさい、他のお客さんに呼ばれちゃったので……」

    「私のことは気にしないで。ゆっくり考えていますから」

    「すいません。……お伺いしまーす!」

     ぺこりと頭を下げて、羽沢さんはパタパタと呼ばれた席へ向かう。その後ろ姿を見送りながら、本当に私は何をしているんだろうか、と呆れたように苦笑した。


    494: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:41:04.46 ID:5F36JuUh0




    「はい、ご注文の紅茶とチーズケーキ、お持ちしました」

    「ええ、ありがとう」

     私の元へ戻ってきた羽沢さんに注文を伝えて、それからフロアを忙しなく動き回る彼女の姿を目で追っていると、思ったよりもすぐに頼んだものが運ばれてきた。恭しくテーブルにカップの乗ったソーサーとお皿を置く羽沢さんにお礼を言ってから、私は改めて店内を見回す。

     お店の壁にかけられた時計は午後二時を少し回ったところ。この時間なら空いているだろうと思って来たのだが、どうやら今日はお客さんが多いようだ。

    「すいません、忙しい時間に」

    「い、いえいえ! いつもこの時間はそんなに忙しくないんですけど、その、偶然お客さんが重なっただけなので!」

     慌てたように手を振りながら、羽沢さんは言葉を続ける。

    「それに、ちょうど紗夜さんと入れ替わりでほとんどの方が帰ったので……今はもう暇ですから」


    495: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:41:58.58 ID:5F36JuUh0


    「そうですか」

     それは良かった、と返そうとして、その返答は色々な意味でどうかと思い口を閉ざす。けれどこれだけだと何か羽沢さんを邪険にしているようにも聞こえる気がしたので、私は急いで頭の中で続く言葉を探した。すぐに当たり障りのない話題を見つけたから、それを手早く言葉にする。

    「そういえば、今日はなんだか商店街が活気づいていますね」

    「あ、そうなんです。実は明後日にお祭りがあるんですよ」

    「お祭り……ああ、そういえば日菜が何か言っていたわね」

     商店街にほど近い、花咲川のとある神社で行われるお祭り。あたしはパスパレの仕事で行けないんだ~、というようなことをさして残念とも思っていないような様子で話していた、先月の日菜の姿を思い出す。

    「花火が綺麗……らしいわね」

    「はい。私も去年はアフターグロウのみんなと行ったんですけど、本当にすごく綺麗で……」

     羽沢さんは私の注文の品を乗せていた丸いトレーを胸に抱いて、どこかうっとりした様子で目を閉じる。きっとそのとても綺麗だった花火を脳裏に呼び起こしているのだろう。


    496: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:42:41.18 ID:5F36JuUh0


     そんな彼女の様子を眺めながら、私も頭の中に色とりどりの鮮やかな花火を思い描いてみる。

     人のあまりいない神社の境内の隅で、夜空に目を向ける。しばらくシンとした夏の夜の空気が漂うけれど、すぐに遠くから明るい光が打ちあがり、やがて轟音とともに大きな火の花が咲く。それをしみじみ眺めている私。そしてその隣には、目を輝かせた羽沢さんがいて――

     と、そこまで考えて気恥しくなったから、私は小さく咳ばらいをした。

     どうして花火を見上げるところを想像したのに羽沢さんのことまで鮮明に思い描いたのか。まったく、やっぱり私は勉強疲れでどうにかしているのかもしれない。

    「羽沢さんは今年もアフターグロウのみなさんと行くんですか?」

     誤魔化すように羽沢さんに言葉をかける。

    「……いえ、今年はみんな予定が入っちゃってるみたいで……私は何にもないんですけどね。でも一人で見に行くのもなぁって感じです」

     彼女は残念そうに肩を落としながら言葉を返してくれる。その顔には寂しげな表情が浮かんでいて、そういう顔を見てしまうと、私はどうしようもないくらいにどうしようもないことを考えてしまう癖があるのを最近少しだけ自覚した。


    497: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:43:30.81 ID:5F36JuUh0


    「それなら」

     そのどうしようもない思考は私の口をさっさと開かせてしまう。いけない、と思ってすぐに口を閉ざしたけど、言いかけた言葉はあまりにもはっきりと響きすぎてしまっていて、羽沢さんにはしっかり届いてしまっているようだった。きょとんと首を傾げられ、私は観念したように――あるいは赤裸々な望みを誤魔化すように、わざとらしく大きく息を吸って続きの言葉を吐き出す。

    「羽沢さんさえ良かったら、一緒に行きませんか?」

    「一緒にって……お祭りに、ですか?」

    「ええ。羽沢さんが嫌なら――」

    「い、いえ! そんなことないですっ!」

     やはり私とでは嫌だったろうか。不安になりながら続けた言葉が、大きな声に遮られる。


    498: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:44:00.44 ID:5F36JuUh0


     羽沢さんは「あっ」と片手で口を押えて、その頬を少し赤くさせた。それは思ったよりも大きな声が出たことを恥ずかしがっているのか、それとも何か別の理由で頬に朱がさしたのか……と、私はまたどうしようもないことを考えてしまった。

    「え、えっと、紗夜さんが一緒に行ってくれるなら……はい。私もお祭りに行きたいです」

     続けて放たれた言葉の真意を探ろうとして、すぐに止めた。それを考えたって仕方のないことだろう。

    「それでは、一緒に行きましょうか」

    「は、はいっ」

     私の言葉に羽沢さんは大きく頷く。まだその頬には朱の色が淡く残っていた。


    499: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:44:57.23 ID:5F36JuUh0




     お祭りの当日は、午後六時に羽沢珈琲店で待ち合わせだった。羽沢さんは夕方くらいまでお店の手伝いがあるし、私だって遊びに行く分いつも以上に勉強をしなければいけなかったから、ちょうどいい時間だと思っていた。そう、思っていた。

    「……思っていたのだけど……ね」

     しかし今の私の心境はどうだろうか。

     朝、目が覚めてからはよかった。羽沢さんとお祭りに行けるということが私にやる気を与えてくれて、いつも以上に集中して机に向かえていたと思う。けれど、時計の針が中天を指し、そこから段々右回りに落ちていくと、どんどん私は落ち着かなくなってしまっていた。

     今の時刻は午後三時前。数式を解く際も、英文を訳す際も、どうにも頭の中に何かがチラついてしまい、集中が出来なくなっている。


    500: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:45:24.04 ID:5F36JuUh0


     私はため息を吐き出して、持っていたシャープペンシルを勉強机の上に放る。そしてもういっそ開き直ってしまおうと、広げていた参考書を片付けた。

    (集中できない時に無理をしても効率が悪いわ。今日はもう辞めにしよう)

     そんな言い訳じみたことを頭の中で呟いて、部屋に用意しておいた浴衣へ目をやる。羽沢さんは浴衣を着ていくと言っていたから、私も急いで準備したものだ。

     ゆっくりとその深い紺色をした浴衣に近づいて手を触れる。綿麻生地の触り心地が妙にくすぐったくて、私は余計に落ち着かなくなってしまった。

     今の時刻は午後三時を少し過ぎたころ。羽沢珈琲店までは歩いてニ十分ほどだから、まだまだ準備をするには早すぎる。

     だというのに、気付けば私は浴衣を手に持って、洗面所へ向かっていた。


    501: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:46:22.29 ID:5F36JuUh0


     午後六時の商店街はいつもとまったく違う様相を呈している。

     至るところに提灯が下げられ、行き交う人々はほとんどが和を装い、夏の斜陽に長い影を作る。設けられたスピーカーからは賑やかなお囃子が流されて、それに合わせてご機嫌な足音を奏でる子供たちが駆けていった。

     その中を、紺色の浴衣を纏った私は、目的地へ向けて下駄をカランコロンと転がしながら歩く。

     やっぱり落ち着かない気分だった。それは普段は着ない浴衣を纏っているせいなのか、履き慣れない下駄を履いているせいなのか、珍しく頭の後ろで髪をお団子に結んだせいなのか、その全部のせいなのか。

     そよ風が吹き、私のうなじを撫でていく。ほどよく温い、夏の風だ。

     それにますます落ち着かない気分になる。そうしてそわそわしながら歩いていると、すぐに羽沢珈琲店が見えてきた。そして、その軒先に立つ浴衣の少女が目についた。

     淡い水色の浴衣。両手で持った白を基調とした花柄の巾着袋。そして、やや俯きがちで、どこかそわそわしているような表情。

     ああ、羽沢さんも私と同じなのかもしれないな。

     そう思うと私の胸中は喜びによく似た感情の色で塗りたくられる。けれどそれが正確には何色なのかということは気にしないようにして、私は足早に彼女へ歩み寄っていく。


    502: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:46:48.67 ID:5F36JuUh0


    「すいません。お待たせしました、羽沢さん」

    「あ、紗夜さん! いえいえ、こちらこそわざわざウチにまで来てもらっちゃって……」

     声をかけると、淡い水色の上に艶やかな笑顔がパッと花開く。それを見て、多分私も同じように笑った。

     それからお互いの浴衣姿を褒め合い、それに気恥しさとこそばゆさが混じった気持ちになりながら、私と羽沢さんは神社を目指す。

     日暮れて連れあう街に、蝉時雨が降りそそいでいた。

     ひぐらしの寂しげな声も、街ゆく人々の笑顔も、拳三つ分ほど離れて並ぶ羽沢さんも、全部がとても綺麗だな、なんて思いながら、私は羽沢さんと肩を並べて歩き続ける。


    503: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:48:03.66 ID:5F36JuUh0




     神社の参道は多くの人で混雑していた。

     境内へと続く参道の両脇には色々な屋台が幟を立てていて、それらから威勢のいい声が上がる。それが行き交う人々の喧騒と混ざり合う。なるほど、こういったことにあまり興味がない私ですら「花火が綺麗」だと知っているのだから、それほどこの花火大会は有名なんだろう。

     羽沢さんとはぐれないようにしなくては、と思い、すぐに浮かんだ選択肢が『手を繋ぐ』というものだった。私は慌てて頭を振る。

    「ど、どうかしたんですか?」

    「いいえ、なにも。予想以上に人が多くて少し驚いただけですよ」

     何を考えているんだ、と思いながら、私は羽沢さんに言葉を返す。

    「そうですね……ここの花火って結構有名みたいですから。去年も人がたくさんいて、みんなとはぐれないようにするのが大変でした」

    「私たちも気を付けましょう」

    「はいっ」

     そう言って、羽沢さんが拳一つ分、私との距離を縮める。それがまた私の中のおかしな感情を刺激してくるけど、努めて気にしないようにする。


    504: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:48:33.40 ID:5F36JuUh0


    「まずは……どうしましょう、紗夜さん」

    「そうね。色々な屋台が出ているし、少し見て回りましょうか」

    「分かりました」

     こくんと頷き、羽沢さんは笑顔を浮かべる。それを見て私も笑った。

     人混みをかき分けて、私たちは参道に連なる屋台を覗いて回る。

     屋台は食べ物を出しているところが多かった。かき氷に綿菓子、焼きそばにお好み焼き……それぞれの屋台に近付く度に、夕風に乗って、夏の匂いと種々様々の食べ物の匂いが運ばれてくる。

     少しお腹が減ってきたな、と思ったところで、「くぅ」という可愛らしい音が隣から聞こえてきた。羽沢さんを見ると、彼女は顔を赤らめながら、照れ笑いを浮かべていた。


    505: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:49:07.28 ID:5F36JuUh0


    「あ、あはは……その、お祭りで食べるかなって思って、お昼あんまり食べなかったので……」

    「……ええ、その気持ちは分かるわ。私もあまりお昼は食べなかったから。何か食べましょうか」

    「はい……」

     お腹の音が相当恥ずかしかったのか、赤い顔と肩を落とす羽沢さん。その様子を見て、胸中には若干の申し訳なさと大きな慈しみが混ざったような感情が沸き起こった。私はこみ上げてくる穏やかな笑い声を喉の奥に押し止めながら、「何か食べたいものはありますか?」と尋ねる。

    「えっと、その……たこ焼き、ですかね……」

     羽沢さんは近くの屋台をチラリと見やる。そこには「たこ焼き」と書かれた赤い幟が立っていた。確かにそこからはソースのいい匂いがふわりと漂ってきていて、それのせいで羽沢さんのお腹の虫は元気よく鳴いてしまったのだろう。


    506: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:49:56.16 ID:5F36JuUh0


    「分かりました。……ふふっ」

     なんだか今日の羽沢さんは一段と幼げだな……なんてことを考えていたら、とうとう押し殺しておいた笑い声が口から漏れてしまう。羽沢さんはそれを聞いて、勢いよく私の方へ赤くなった顔を向けてきた。

    「さ、紗夜さんっ」

    「ご、ごめんなさい……でも……ふふふ……」

     謝るけれど、一度口から出してしまうと止まらなかった。申し訳なさと慈しみ、それと何か自分自身では計り難い気持ちのこもった笑い声が喧騒に溶けていく。「もう……」と羽沢さんはちょっとだけ拗ねたように口を尖らせて、それがやっぱりとても可愛らしく思えてしまう。


    507: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:50:43.91 ID:5F36JuUh0


    「ふぅ……。すいません、羽沢さん。思わず笑ってしまって」

     そのいろんな感情が織り交ざった笑いもどうにか収まったころ、私は改めて羽沢さんに謝罪をする。

    「……別にいいですよ? 紗夜さんが楽しそうで私も嬉しいですから?」

    「……ふ、ふっ……」

     けれど、また拗ねたような口ぶりでそんなことを言われてしまい、私の口からはやっぱり先ほどと同じものが漏れてしまった。

    「紗夜さんっ!」

    「ごめんなさい……一度ツボに入るとどうしても……ふふふ……」

    「もう……くすっ」

    「羽沢さんだって笑ってるじゃないですか」

    「それは紗夜さんのせいですっ」

    「ふふ……確かにそうね。それでは、お詫びと言ってはなんですが、たこ焼きは奢りますよ」

     いつもよりもずっと子供っぽい羽沢さんの様子を見て、私は気付けばそんなことを言っていた。普段の姿とのギャップというものもあるのだろうけど、そういう姿を見ると、どうしても私は彼女を甘やかしたくなってしまうらしい。


    508: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:51:59.07 ID:5F36JuUh0


    「そ、それはちょっと悪いですよ」

    「いえ、笑ってしまったのは私ですから」

    「…………」

     羽沢さんは少し真面目な顔をして、何かを考えこむように口元へ手を当てる。

    「……分かりました。それじゃあ、こうしませんか? たこ焼きとか、分けられるものは一つだけ買って、二人だけ分け合う……っていう風に」

    「一つを分け合う……」

    「はい。あっ、も、もちろん紗夜さんが嫌じゃなければです!」

     慌てたように言葉が付け足される。私もその答えを考える振りをして、それっぽく右手を口元に持っていく。

     だけど、羽沢さんのその提案に対する答えはとっくに出ていた。彼女と同じものを食べることに抵抗はないし、私を気遣っての言葉だ。それを嬉しく思えど、嫌がって断る理由はない。

     ではどうして考える振りをしてまで口元を隠したのか、と問われれば……つまりそういうことだ。


    509: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:53:10.15 ID:5F36JuUh0


    「そうですね。羽沢さんの言う通りにしましょう」

     やおらに緩みそうな頬をどうにか抑えて、私は真面目くさってそう答える。

    「は、はいっ! ありがとうございます!」

     羽沢さんは飛び跳ねるようにお礼を返してくれる。それに「お礼を言うのは私の方よ」と言おうとして、ちょっと迷ってからやめた。

    「いいえ。その方が色々なものをたくさん食べられますからね」

     代わりに口から出た照れ隠しの言葉は、彼女にどう届いただろうか。

     また少し頬を赤くさせては拗ねたようにしながら、それでも楽しそうに「えへへ」と笑った羽沢さん。

     その笑顔の真意を推し量ろうとするより早く、私はたこ焼きの屋台へ足を向けた。


    510: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:54:36.86 ID:5F36JuUh0


     それから私たちは色々な屋台をめぐり、様々なものを二人で分け合った。たこ焼きのあとは焼きそばを、焼きそばのあとはかき氷を、という風に。

     個数で分かれているたこ焼きはともかくとして、焼きそばとかき氷はそうやって食べるものではないと思ったけど、お祭りの空気というものはそういう些末なことを気にさせなくする作用があるらしい。普段であれば照れくさくて出来ないことも平然とやれるし、そのときどきの自分の本心を探るようなこともしなかった。

     だから私は何も考えずに笑えていたし、羽沢さんもおそらく同じような思いで笑顔を浮かべていてくれたと思う。

     そうしているうちに夜の帳が街に下りる。東の方から幾分かの星が瞬く黒い空がやってくる。

     時計の針が指し示す時刻は午後八時前。もうそろそろ花火の打ち上がる時間だった。

     私は羽沢さんと連れ立って、相変わらず人の多い参道の端で、言葉も少なく夜空を見上げていた。


    511: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:55:33.35 ID:5F36JuUh0


     人の数は私たちがここへやって来た時からますます増えているように見受けられる。だけど、その喧騒はどこか落ち着きを持ったように思えた。

     時おり吹き抜ける夜風に鎮守の森がささめく。その音がやたらとはっきり聞こえるような気がした。夜空に浮かぶ月はどこか朧げで、もしかしたら明日は雨でも降るのかもしれない。

    「もうすぐですね……」

     隣に並ぶ羽沢さんが夜の空気を震わせる。その小さな声も朧げな形をしているのに、はっきりとした輪郭を持って私の耳を打った。

    「……ええ、そうね」

     その余韻を楽しむように、少し間を置いてから声を返す。羽沢さんにこの声はどう届いただろうか、と考えて、私と同じように届いていたら嬉しいな、なんて思ってしまう。


    512: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:56:15.35 ID:5F36JuUh0


    「…………」

    「…………」

     それきり無言で、私たちは夜空へ目を向ける。いつ上がるかという正確な時間は分からないけれど、やがて打ち上がる花火を待つ。

     二人で何もない夜空を見上げる時間。その長さがどれくらいのものだったかは曖昧だ。もしかしたら五分、十分とこのままでいたかもしれないし、あるいは三十秒にも満たなかったのかもしれない。でも、そんなことはきっとどうでもよかった。

     私は、この時間がただ嬉しかった。隣に羽沢さんがいて、同じ時間を、きっと同じ気持ちで共有しているだろうことが楽しかった。だから長さなんてどうでもいい。この時間に何ものにも代えられない価値があるというだけでいいんだ、と、いつもより大分素直にそう思っていた。

     そんなことを考えていると、夜空に一筋の光が伸びる。それは遠い空の高い場所までまっすぐ昇っていき、パッと弾けて、花を開かせた。遅れて、ドン、という轟音が私のお腹の底まで響く。それを皮切りにして、次々と光の筋が空へ昇っていった。


    513: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:57:10.35 ID:5F36JuUh0


     花咲川に花火が咲く。色鮮やかな火の花の数々を、地球が落とした暗幕の上に描いては消し、消しては描いていく。

     しばらくその光に圧倒されるよう見入っていたけれど、私はふと思い立ったように視線を落とす。

     参道にいる人々はみんな夜空を見つめていた。拳一つ分の距離を置いて隣に並ぶ羽沢さんも、うっとりと夜空を見つめていた。

     手を動かすだけで届く距離の横顔が、花火の光に淡く照らされている。それがなにかとても尊いものに見えてしまって、私は視線が動かせなくなる。

     身体を震わす轟音と、夏の緑の匂いに混じった僅かな硝煙の香り。

     人々の喧騒が別世界の出来事のように遠く感じられて、今この世界には、この一瞬だけを切り取った私と羽沢さん以外に誰も人がいないような錯覚をおぼえてしまう。


    514: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:58:22.22 ID:5F36JuUh0


     不意に羽沢さんも夜空から視線を落とす。そして、私の方へ顔を向けた。

     視線と視線がぶつかり合う。「どうしたんですか?」という風に、綺麗な光に彩られた顔を傾げられて、私は急に照れくさくなってしまった。「なんでもありませんよ」と言葉にしないで首を振り、再び夜空に視線を戻す。

     どこまでも広がる黒い空。そこに爆ぜる色とりどりの光の花たちはやっぱりとても綺麗で、感嘆のため息を吐き出す。

     叶うのならば、ずっとこのままでいたい。

     普段であれば、目を逸らして見ない振りをする気持ち。だけど、これをすんなりと受け入れてしまおうと思えるくらいに花火たちは煌びやかだった。

     だから、この一瞬を切り取った世界を、羽沢さんとの距離を、私はきっとずっと忘れることがないだろうと思った。


    515: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 18:59:15.71 ID:5F36JuUh0




     物事の終わりというものには常に寂しさが付き纏うもので、特に賑やかで楽しい時間が終わったあとは殊更強くそう感じてしまう。

     花火はもう打ち上がり終わって、参道に並んだ屋台も全部が片付けに入っていた。あれほどごった返していた人ごみも気が付けば散り散りになっていて、惚けたように花火の余韻を噛みしめていた私と羽沢さんだけが、この風景から浮き彫りにされたような感覚がする。

     夜空に静寂が訪れてから、私は何も言葉にしなかった。

     この時間を終わらせてしまうのが名残惜しい。何かを話してしまえば、今日という時間が終わり、もう二度と手の届かないものになってしまうような気がしてしまっていた。

     羽沢さんはどうなんだろうと思い、視線を隣に並ぶ彼女へ向ける。すると、同時に私の方へ顔を向けた羽沢さんと目が合う。

     しばらく無言で見つめ合って、それからどちらともなく吹き出した。

     歓楽極まりて哀情多し、とはこのことだろう。楽しかった思い出があるからこそ、終わる時にこんなにも寂しい気持ちになるのだ。ならばこの寂寥は決して悪いものではない。

     それにこの時間が終わったとして、羽沢さんと私の関係が今日ここで途絶える訳でもないのだ。


    516: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:00:03.18 ID:5F36JuUh0


    「帰りましょうか」

    「……はい」

     ふぅ、と小さく息を吐いてから、羽沢さんにそう声をかける。彼女は何かを噛みしめるように頷いた。それにまた私は何とも言い難い気持ちになったけれど、今はそんなことは気にしない。

    「羽沢さん」だからその気持ちに少しだけ従って、私は言葉を続ける。「一応、私の方が先輩なので……家まで送りますね」

    「…………」

     羽沢さんはそれを聞いて、何かを考える様に少し俯いてから顔を上げて、私の顔を真正面から見つめる。その顔には、お祭りを楽しんでいた時のような、いつもよりあどけない表情が浮かんでいた。

    「……紗夜さんが遠回りになっちゃいますけど……お願いします」

     そして思っていたよりずっとすんなりと羽沢さんは頷く。それにどうしてか少し嬉しくなりながら、私は羽沢さんと並んで歩きだす。


    517: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:00:39.05 ID:5F36JuUh0


     拳一つ分ほどの距離で連れ合う帰り道。そこに響くのは虫たちの声ばかりで、相変わらず言葉は少なかった。

     だけど、会話を交わすよりもずっと雄弁に、私たちは何かを語り合っているような気持ちでいたと思う。羽沢さんはどうか分からないけれど、少なくとも私はそうだった。

     浴衣を褒め合ったことも、屋台でいろんなものを一緒に食べたことも、並んで花火を見上げたことも、それらの余韻も……全てを言葉に頼らずに共有出来ていることが、この上なく嬉しい。

     カランコロン、カランコロンと、二人で下駄を鳴らす帰り道。今の私たちが発するのは、きっとこの音だけでいいんだろう。

     そうして静謐な気持ちを抱いて辿る家路は、往路よりもずっとずっと短い。私たちはあっという間に羽沢珈琲店に着いてしまった。


    518: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:02:06.21 ID:5F36JuUh0


    「すいません、わざわざ送ってもらっちゃって」

    「いいえ。年長者として当たり前のことです」

     軒先で向かい合って、そんな言葉を交わし合う。それからまた、私たちの間に静寂が訪れた。

     次に放つ言葉は「さようなら」だろう。それが分かっているからこそ、私は別れの寂しさを胸中で燻らせてしまい、口を開けなくなってしまう。

     羽沢さんはどうだろうか、と彼女の様子をうかがえば、少し顔を俯かせて、時おり私のことを上目遣いで見やっていた。

     もしかしたら羽沢さんも私と同じ気持ちなのかもしれない。ある種の傲慢ともとれる思考が頭に浮かび、私は自身に向けて呆れたように小さなため息を吐き出した。

    「今日はありがとうございました」

     このままでは埒が明かないな、と思って、口を開く。だけど出てきた言葉は少しでも「さようなら」を遠ざけるためのもので、未練がましい自分をもう一度胸中で自嘲する。


    519: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:02:53.26 ID:5F36JuUh0


    「いえいえ……私の方こそ、今日は誘ってくれてありがとうございました」

    「ええ、どういたしまして」

     パタパタと手を振った羽沢さんの顔を見ないよう、少しだけ俯く。彼女の顔を見てしまうときっといつまでも別れを切り出せないだろうから、そのまま「それでは、」と口にしてから顔を上げた。

    「私はここで」

    「あっ……」

     そしてそれだけ言って踵を返そうとしたけれど、羽沢さんが何かを言いかけて、私の身体は中途半端に横を向いたところで止まってしまう。

    「……どうかしましたか?」

    「あ……えっと……な、なんでもないです、えへへ……」

     尋ねてみたけど、羽沢さんはもごもごと口を動かしてから、柔らかくはにかんだ。困ったことに、そんな顔を見せられてしまうと胸が温かくなって、余計に別れ難くなる。だけどこのままでは夜が明けるまでずっとこうしていてしまうだろう。


    520: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:03:20.29 ID:5F36JuUh0


    「そうですか。……それでは、羽沢さん。また今度」

     私は後ろ髪を引く誘惑を断ち切って、けれども若干の未練を残した言葉を吐き出す。

    「はいっ、また今度。帰り道……気を付けてくださいね、紗夜さん」

    「ええ、ありがとう」

     もう一度羽沢さんに軽く頭を下げて、今度こそ私は背を向けて歩きだす。羽沢珈琲店から離れていく。


    521: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:03:56.71 ID:5F36JuUh0


     商店街の夜道には、まるで私の行く先を示すように盆提灯たちがぶら下がっていた。

     お祭りから取り残された彼らが朱色の影絵を作る。それを視界に収めながら、胸中には静かな満足感と、どこかノスタルジック気持ちがあった。

     その二つの感情をおもむろに混ぜ合わせて、私はいつもよりずっと素直に考える。羽沢さんと交わし合った「また今度」。その「また今度」の中で、いつか私と彼女の関係が変わるといいな……なんて。

     そう思ってからすぐ、どうしようもないことをどうしようもないくらいに考えてしまう捻くれ者の私は、自嘲の織り交ざったため息を夜空に吐き出した。

     関係が変わる。それを怖がっているのは私じゃないか。赤裸々な気持ちに蓋をして、いつまでも向き合うことをしないのは、他でもない私だ。


    522: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/16(火) 19:04:24.82 ID:5F36JuUh0


    「でも、いつか……」

     その先は言葉にしない。心にも思わない。だけど、いつか……とだけ、もう一度胸中で繰り返した。

     夏の夜風が頬を撫でていく。その風にはもう硝煙の燻るような香りはないけれど、まだ蒸した緑の匂いがあった。


     おわり


    525: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:28:32.48 ID:GzIRVoN90


    コンビニエンス・ファストフード


    526: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:30:36.12 ID:GzIRVoN90


     ありさーやの場合



     控えめな雨音が窓から忍び込んでくる自分の部屋。ベッドを背もたれにして、畳の上に腰を下ろす私と、同じように畳の上に座って僅かに身体を預けてくる右隣の沙綾。

     特に何をするでもなく、私たちはぼんやりとしていた。

     沙綾が身じろぎをすると、柔らかいポニーテールがふわりと揺れて、時たま私の首筋をくすぐった。それがちょっと気持ちいいな、と思うくらいで、特筆することは他に何もない。

    「有咲」

    「んー?」

    「……呼んでみただけ」

    「んー……」

     たまに交わす言葉もそんなことばかり。中身なんてものはこれっぽっちも存在していない。


    527: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:31:12.34 ID:GzIRVoN90


     チラリと時計を見やると、短針が『4』の数字を指していた。気が付けば一時間近く私と沙綾はこんな時間を過ごしていたらしい。これを無駄に時間を消費したと捉えるべきか、贅沢に時間を消費したと捉えるべきか。

    「あー……」

     なんて、考えるまでもないか。

    「どうしたの、有咲?」

    「いや、なんでもー」

     だるんだるんと過ぎていく時間に釣られて緩んだ口から、自分でも間抜けだなぁと思わざるを得ない伸びた声が漏れる。それを聞いて、沙綾は「そっか」と言い、おかしそうにちょっと笑った。私も何だか幸せになったから「へへ」なんて笑った。


    528: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:32:09.44 ID:GzIRVoN90


     蔵ではなく、自分の部屋の方に沙綾を招き入れるのは今に始まったことじゃなかった。

     いつそうなったのか、どうやってそうなったのか……なんてのは別のお話だけど、私と沙綾は、友達と呼ぶにはいささか踏み込み過ぎた関係になっていた。だからこうして自分の部屋に沙綾とふたりきりでいるのは何もおかしくないことで、むしろ当たり前というか、そうあるべきというか……まぁそんな感じのこと。

    (それにしても……)

     自身の中に浮かんだ言葉。『友達と呼ぶにはいささか踏み込み過ぎた関係』なんていう響き。それがなんだかものすごく滑稽に聞こえた。まぁでも、うん、そう、そうだよな、こういう表現でも間違ってはいないよな……と誰にするでもない言い訳を頭に浮かべる。

     私たちの関係を端的に表現する言葉はいくらでも思い付く。沙綾はそれを面と向かってまっすぐに言ってくれるけれど、私は未だに照れがある。ただそれだけの話だ。

     そしてそんな私を沙綾はいつも楽しそうにからかってくるし、私も私で沙綾にからかわれるのは……ここだけの話、大好きだから、それはそれでいいんだろうと思う。


    529: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:33:05.27 ID:GzIRVoN90


    「んー……ふわぁ」

     沙綾が伸びをして眠たげな声を上げた。その拍子にふわっと甘いパンの香りが広がる。それが鼻腔をついて、私は頭にもたげた言葉を何の考えもなしに取り出す。

    「やっぱり沙綾ってパンの匂いがするよなぁ……」

    「んー、そうだねー」

     何でもないように間延びした声が返ってくる。それに対してちょっとモヤッとした日の記憶が頭に蘇り、私の口からは「あー」とも「うー」ともつかない妙ちくりんな声が漏れた。

    「どうしたの、変な声だして?」

    「いや……」

     きょとんとした顔がこちらへ向けられる。それになんて返したものかと迷ってしまい、視線を天井、畳、時計と順に巡らす。それからチラリと沙綾に視線を送ると、綺麗な青い瞳が不思議そうに私を覗き込んでいた。

     その目で見つめられてしまうと隠し事が何も出来ないから是非ともやめて欲しいけどやめて欲しくない、なんてことを言ったら沙綾はなんて思うかなー……と少し現実逃避じみたことを考えてから、私は観念したように正直な言葉を吐き出す。


    530: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:34:22.55 ID:GzIRVoN90


    「ほら、モカちゃん……」

    「モカ?」

    「うん。モカちゃんともたまに遊んだりとかするんだけどさ……その、同じ匂いっていうか……まぁ、パンの匂いがしてさ……」

    「……ああ」

     沙綾は合点がいったように頷いて、けれどその顔に私の大好きなイタズラな笑みを浮かべて、しらばっくれた言葉を続ける。

    「そりゃあ、モカはウチの常連さんだからね」

    「…………」

     私は私でそんな沙綾に恨めしく抗議の目を向ける。『私の言いたいことが分かってるくせに、どうしてそんな風な言葉をいつも投げてくるのか』とか、そんな気持ちを込めて。

    「どうしたの、有咲?」

     だけどやっぱり沙綾は白々しい笑顔を浮かべて、楽しそうにそんなことを聞いてくるのだから本当にアレだと思う。そして何より、こうすると沙綾が喜ぶということも、こうされると私が喜ぶということもしっかり理解している自分自身が本当にアレだと思う。


    531: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:36:17.13 ID:GzIRVoN90


    「分かってるくせに……」

     だから私はいじけた声を出して、沙綾の肩にコテンと頭を預ける。

     こういう時は張り合わず、さっさと甘えてしまうのが結果的に一番疲れないしモヤモヤしないということを、最近私は発見した。沙綾にはどうやっても敵わないなぁということも学習した。いや、だからと言って全面降伏はちょっと悔しいから少しは抵抗するんだけど。それにさっさと甘えるのも別に私が常に沙綾に甘えたいと思ってるとかそういうんじゃなくて――

    「ふふ、ごめんね? どうしてもさ、有咲が可愛くて……ついからかいたくなっちゃうんだ」

    「……ん」

     ――とか考えるけど、沙綾の柔らかな手が私の髪を梳くと、そんな些細なことはいつもどうでもよくなってしまう。


    532: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:38:06.64 ID:GzIRVoN90


     甘い甘いパンの匂い。あったかい体温。私よりも背丈のある沙綾に身を預けて、イジワルなくせにめちゃくちゃ優しい掌が、私の頭を撫でる。

     ああ、無理無理。無理だって。肩肘張ろうとしても、身体の奥底から力がどんどん抜けていっちゃうもん。こんなの素直になるしかねーじゃん。

    「いつもの有咲も好きだけど、素直な有咲もとっても可愛くて好きだよ」

    「……うん」

     されるがままに、私は沙綾に身を任せる。柔らかい手が私の頭を、髪を、背中を通り過ぎるたびに、一枚ずつ理性の鎧をはぎ取っていく。気持ちのいい、陽だまりのような温みが心を溶かして、ただ純粋な願いを口から出していってしまう。

    「さあや……」

     我ながら随分と甘えた声だなぁ、と残り僅かな理性が考えた。

    「ん……いいよ」

     その理性も、沙綾を見つめて、それだけで私のことを全部分かってくれる青い瞳が頷くだけで、さっさとどこかへ行ってしまうのだ。


    533: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:39:03.76 ID:GzIRVoN90


     こうなってしまっては仕方ない。今日はもう沙綾に抵抗しようという気力が起きないであろうことは、これまでの経験から痛いほど分かっている。

     だから私は瞼を閉じた。『私の理性は何も見ていないよ』と、『沙綾になら何をされてもいいよ』と、『でも、するならやっぱりとびっきり優しくしてほしいな』と、愛しい恋人へ向けて、情けなくなるくらいに白旗を振り回す。

     暗い視界にシトシトと雨の滴る音。それから私の髪を弄んでいた手がスルリと左頬にまで動いていって、甘い甘いパンの香りがふわりと揺れた。

     その一瞬後に、唇に柔い感触。目と鼻先以上に近い、沙綾の艶やかな息遣い。

     それは私の脳まで一直線に快楽信号を届けていって、すぐに沙綾のことだけしか考えられなくなる。口に感じる沙綾の感触とか、耳に感じる沙綾の息遣いとか、鼻に感じる沙綾の匂いとか……それら全部が、みっともなく白旗を上げた私を支配する。唯一目は閉じているけれど、暗い瞼の裏にだって沙綾が私に口づけている姿が浮かぶから、きっと五感全部を沙綾に奪われているんだ。そう思うと、もう堪らなくなってしまう。


    534: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:39:51.72 ID:GzIRVoN90


    「さあやぁ……」

    「ふふ……蕩けた有咲も可愛い」

     だから沙綾が唇を離す僅かな時間すら、長いお預けを食らっているような気持ちになる。

     私は目を瞑ったまま右手を伸ばす。それはすぐに沙綾の左手に絡めとられて、『今さら嫌だって言っても逃がさないよ?』と、ギュッと握られた。私も『逃げる気は毛頭ないから、早くしてほしい』と、その手を握り返した。

     それからまたすぐに、柔らかい唇の感触が私を支配せしめんと侵攻してきた。今度の攻め方は、一気呵成に本丸を落とさんとする一大攻勢のようだ。

     それを為すすべもなく受け入れるふやけた私の心は、『ああ、やっぱり素直に甘えさせてくれる沙綾が大好きだなぁ』なんてことをただ思い続けるのだった。


    535: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:41:06.25 ID:GzIRVoN90


     蘭モカの場合



     羽丘女子学園の屋上から見る夕景もとうに見慣れたもので、その光景について回る思い出も気付けば数え切れないくらいの量になっていた。フェンスにもたれて眺める夕陽も、みんなで他愛のないことを話す黄昏も、数ある思い出の一ページ。

     それなら今この瞬間、塔屋に背を預けて座り、落陽をぼんやり眺めるのも、いつも通りの日常のひとかけら。なんでもなくて、ありふれていて、数年を経た未来にとってはきっとかけがえのない思い出のひとつになるんだろう。

    「……蘭~、もしかして話、聞いてない?」

     そんな物思いに耽るあたしの右耳に、聞き慣れた間延びしている声。そちらへ視線を送れば、あたしと同じように塔屋の壁を背もたれにして座り、パンについての蘊蓄を好き勝手に話し続けていたモカが唇を尖らせていた。

    「イースト菌がどうだとか、ってところまでは聞いてたよ」

     あたしはそれに応える。「も~、全然最初の方じゃんそれ~」と不服そうに言って、モカはまたパンに関しての雑学を話し始めた。


    536: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:41:53.23 ID:GzIRVoN90


     それもやっぱり右から左に聞き流しながら、みんなは今ごろ忙しいのかな、と考える。

     今は放課後で、巴とひまりはそれぞれ部活。つぐみは生徒会。そしてあたしたちは何も予定がなかった。

     今日は天気がいいし春の温さが心地よかったから、あたしとモカがこうやって屋上で夕景を眺めるのは何もおかしなことじゃない。

     そう、おかしなことじゃないんだけど、どうしてか今日はモカのパンについての蘊蓄話――あたしは勝手にパン口上って呼ぶことにしてるけど――がやたらと長い。

    「……というわけで、今日のパンさんはー、メロンパンとグリッシーニ~」

     まぁ、モカだしそういう日もあるか……そう思ってまた夕間暮れに思い耽っていると、長々としたパン口上の末に、膝の上に抱いた袋を指さすモカ。それを横目に見て、やっと終わったか、なんて思いながらあたしは言葉を返す。

    「グリッシーニ?」

    「そう、グリッシーニ~」

     メロンパンは分かるけど、グリッシーニってどんなだろう。そう首を傾げていると、モカが袋から細長い棒状のパン……のようなものを取り出した。

    「それ、パンなの? なんかスティックのお菓子を大きくしたようにしか見えないけど」

    「あーあー、この違いが分からないなんて……蘭もまだまだだね~」

    「はぁ……それは悪かったね」

     呆れたようため息交じりの声を返す。けど、何が違うのかが少しだけ気になったから、あとでちょっと調べてみよう。調子に乗るだろうからモカには絶対に言わないけど。


    537: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:42:25.85 ID:GzIRVoN90


    「それじゃあ蘭ー、はい」

     モカはグリッシーニを袋の中に戻して、今度はメロンパンを取り出す。そして一口サイズにちぎって、それをあたしに手渡してきた。

    「……なに? 食べさせろってこと?」

     一緒に食べよう、という意味かと普通は思うけど、相手はモカだ。そんな当たり前が通用する訳ない。

    「ご明察~」モカはそれを聞いて嬉しそうに笑った。やっぱりか。「さぁさぁ蘭さんや、あ~ん」

     私の答えなんか待たずに口を開ける。まるで親鳥からのエサを待つひな鳥だな、なんて思いながら、あたしはまたため息を吐き出した。


    538: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:43:18.11 ID:GzIRVoN90


    「……あーん」

     それから逡巡を一瞬、だけど逆らったところで面倒な駄々をこねられるだけだというのは分かっていた。それにひな鳥みたいなモカが少し可愛かったから、文句も本音も口から漏らさずに、あたしはパンを差し出した。

     モカはやっぱり嬉しそうに眼を細めて、眼前に突き出されたメロンパンを頬張る。そして幸せそうにもぐもぐと咀嚼する。そんな幼馴染の姿を見て、あたしはフッと笑みを漏らした。

    「おかえしだよ~。はい、蘭」

     それを飲み下すと、またメロンパンを一口サイズにちぎったモカが、その欠片をあたしに向けて差し出してくる。少しだけ照れくさかったけれど、それはそれでまぁ悪くはないかな、という気持ちだった。

     あたしは「はいはい」とぶっきらぼうに言って、口を開く。そこにモカがメロンパンを放り込む。胸焼けするんじゃないかってくらいに甘ったるい味がしたけど……まぁ、たまにはいいか。


    539: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:44:10.19 ID:GzIRVoN90


     モカがメロンパンをちぎって渡してきて、それをあたしがモカに差し出す。次は「はい、あーん」という言葉と一緒にあたしに差し出してくる。

     黄昏色に染まる屋上で、塔屋に背を預けてそんなやりとりを繰り返しているうちに、メロンパンはあっさりとあたしたちの胃袋に収まった。本当にどうかと思うおふざけだったけれど、終わってみれば意外と楽しんでいたことに気付いて、また少し照れくさくなる。

     そんなあたしの隣で、モカは袋からグリッシーニを取り出し、それを半分に折って口にくわえる。真っ二つにした時に『ポキ』なんて軽い音がしたし、やっぱりそれはパンじゃなくてスティック菓子なんじゃないか……と言おうとしてやめた。


    540: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:44:47.45 ID:GzIRVoN90


     あたしはモカから視線を外して、沈みゆく夕陽を見つめる。

     何かをしていても、何もしていなくても、陽は沈む。いつ終わるともしれないけれど、また今日が終わっていく。赤く燃える太陽が地平線の彼方、稜線の向こう側の世界へ朝を届けにいって、あたしとモカが過ごした何でもない今日を思い出に変えていく。

     それに一抹の寂しさを覚えてしまう。

     いつでも会える幼馴染がいる。その中でもとりわけ大切な人が隣にいて、下らないことでふざけあった先ほどのこと。その時間、その一瞬は、人生でもう二度と訪れることはない。通り過ぎたばかりの今でも既に数ある輝かしい記憶の一つになりかけているし、分け合ったメロンパンを消化しきるころにはもう手の届かない思い出だ。

     そう考えてしまうとどうにもセンチメンタルな気分になる。これも春っていう季節のせいなのかな。


    541: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:45:46.49 ID:GzIRVoN90


    「蘭~」

     間延びした声。いつも通りの響きがあたしを呼ぶ。少し野暮ったい気持ちで首をめぐらせると、まるでタバコみたいにグリッシーニをくわえたモカが、「ん」と口を突き出してきた。

    「…………」

    「ん~?」

    「……いや、なに?」

    「んー……」

     何をしたいのか掴み損ねて尋ねるけれど、モカは変わらずくわえたグリッシーニを突き出すだけだった。あたしはそんなモカの姿を見て、少し吹き出した。

    「まさかとは思うけど、これ、あたしも食べろって?」

    「んー」

     どうやらそのまさかだったようだ。モカはニコリと笑って頷いた。


    542: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:46:45.94 ID:GzIRVoN90


    「まったく……これじゃあやっぱりパンじゃなくてお菓子じゃん」

    「んーん、ふぁんふぁよ~」

     そこは譲れないらしく、何故かキリっとした表情で曖昧な否定の言葉を貰った。あたしはそれにまた少し笑いそうになって、取り繕うように少し俯いた。

    「んーんー……」

    「……はいはい、分かったよ。やればいいんでしょ」

     けれど、どう取り繕ったってモカにはあたしのことはほとんど筒抜けだろう。あたしにはモカのことがほとんど筒抜けなのと一緒だ。

     あたしが夕陽に面倒くさいアンニュイを重ねたことはモカに筒抜け。モカがそんなあたしを笑わせようとしたことも、あたしには筒抜け。

     あたしが照れ隠しとか、そういうニュアンスで俯いたことも筒抜け。モカが実はこういうことをやってみたかったという気持ちも筒抜け。

     どうして分かるのかと聞かれれば、あたしとモカがそういう関係だからというだけの話。

    「んー」

     嬉しそうな響きの声。モカのそういう声を聞くのをあたしは好きで、あたしのそういう声を聞くのをモカも好き。だからまぁ……恥ずかしいは恥ずかしいけど、ちょっとくらいなら付き合ってあげたって全然構いはしない。


    543: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:47:22.57 ID:GzIRVoN90


    「あ、む……」

     差し出されたグリッシーニをくわえる。おおよそ15センチ先、茜色に染まるモカの顔。

     自分の顔もきっと赤いだろうな、と思いながら一口パンをかじると、ビスケットのような食感が口の中に広がった。やっぱりこれそういうお菓子だ、と思っていると、モカも同じくパンをかじる。

     距離が縮まって、おおよそ10センチ弱。あと二口ほどこのまま食べたら口づけてしまうだろう。だから、あたしはもう一度噛み進めたら口を離そうと思った。

     サクリ、とモカがもう一口分あたしに近付く。

     あたしもそれにならって一口モカに近付いて――

     サクサクサク。

     ――口を離そうと思った瞬間、一気に三口、モカがグリッシーニを噛み進めた。というか、全部食べた。


    544: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:48:11.32 ID:GzIRVoN90


    「っ!?」

    「ん……」

     距離がなくなって、間にあったグリッシーニはモカの口の中。

     焦ってとにかく文句とか何かを言おうとした唇、モカとの距離がゼロセンチ。

     思考回路がショートして、今の状況が分からなくなって、あたしは口を離すことも言葉を吐き出すことも出来なくなった。

    「……ふはぁ」

     そのままどれくらい時間が経ったのか全く分からなかったけど、呼吸を止めていたらしいモカが顔を離す。それから大仰に息を吐き出して、あたしはようやく我に返った。


    545: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:49:05.73 ID:GzIRVoN90


    「も、もも、も、もかっ……!?」

     けれど未だにモカの感触が残った唇は全然まともに動いてくれなくて、やたらと舌が空回るだけ。

    「……んへへ」

     それをどうにか落ち着けて、とにかく文句の一つでも言わなくちゃ……と思った矢先、モカのふやけたはにかみ顔が目に付いて、「ああもうっ」とあたしは胸中で毒づいた。

     これはどういうつもりなのか、事故で済ますつもりなのか故意なのか、責任を取るつもりはあるのかただのおふざけで済ますつもりなのかとか、聞きたいことは山ほどあるけど、モカとあたしは全部筒抜けの関係な訳であって、夕陽よりも朱が差したモカの頬を見ればそれには及ばないというかなんというか……とにかく。

     ――あ、モカの唇、柔らかくて気持ちいい。

     なんて思ってしまったことだけはどうにか隠し通せないだろうか、と考えながら、あたしは次にモカにかける言葉を探すのだった。


    546: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:50:43.32 ID:GzIRVoN90


    ちさイヴの場合




    「では、白鷺さん。本日はよろしくお願いいたします」

    「はい、こちらこそ」

     事務所の応接室。そこそこ上質な素材で出来た、それなりにふかふかのソファー。そこに机を挟んで向かい合って座る私と某アイドル雑誌のライターさん。

    「お忙しい中、貴重なお時間を頂き……」だとかそんなテンプレートの挨拶を丁寧な言葉でかけられて、私もいつも通り丁寧に頭を下げる。今まで何度となくこなしている、雑誌のインタビューを受ける仕事だった。

     机の上に置かれたICレコーダーが赤いランプを点滅させている。それを見つめながら、今はこういう録音もスマートフォンで済ます人が多いな、なんて思う。黒い長方形のレコーダーはところどころ色が褪せていて、きっと使い込まれたものなんだろう。対面に視線を移すと、三十代後半の女性ライターは、黒縁の眼鏡の奥に柔和な目を湛えていた。


    547: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:52:05.95 ID:GzIRVoN90


    「それでは早速なんですが……」という柔らかく丁寧な響き。次々と繰り出されてくる質問。きっと場数を踏んで慣れているのだろう。時間が限られているということをキチンと知っていて、失礼にならないように、彼女は私から出来るだけ面白い話を聞き出そうとしている。

    「ええ、はい。そうですね……」

     私は逐一丁寧にそれに答える。私も私で、それなりにこういう仕事はこなしていた。だから相手が慣れている人物だとやりやすい。

     だけどあまりに慣れ過ぎていると、立て板に水を流すような話術に、ついうっかり隠しておくべき本心なんかも喋ってしまうことが稀にあった。それだけは少し気をつけないといけない。

    「では、白鷺さん本人のことではなく、パステルパレットのメンバーに対する印象はどうですか?」

    「印象ですか。そうですね……」

     早速気をつけるべき質問が飛んできて、私はみんなの印象を考えこむ振りをする。そうして、脳裏に真っ先に思い浮かんだイヴちゃんの屈託ない笑顔をどうにか消そうと試みる。


    548: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:53:06.07 ID:GzIRVoN90


     ……第一印象はとても綺麗な女の子。フィンランド人と日本人のハーフの子で、背もスラリと高く、スタイルも良くて、まさにモデルさんという格好いい女の子。

     けど、その印象はすぐに霧散した。

     あの子は、侍とか武士道とかそういう古風な日本文化が好きな、無邪気で可愛い女の子だ。パステルパレットを踏み台としか思っていなかった昔の冷たい私にさえ懐いて、しょっちゅう抱き着いてきたり手をとったりしてきて……まるで人懐っこい大型犬のようだった。


    549: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:53:42.02 ID:GzIRVoN90


     私よりも身長が10センチくらい高いけど、どうしてかそんな気がしない。家で飼っている犬と彼女を知らないうちに重ねてしまっているのだろうか。それはそれで非常に失礼なことだけど、イヴちゃんにそう言ったら「わんわん! えへへ、チサトさん、撫でてください!」なんて乗り気で言ってくれそうだな、と思ってしまう。

     そんな純粋で無邪気な彼女だからこそ、私はどうしても放っておけなくて世話を焼きたくなる。暇さえあれば思わず彼女を構いたくなるし、あの子のわがままであれば可能な限り聞いてあげたくなる。

     そうすると、きっとイヴちゃんはぱぁっと朗らかな笑みを浮かべるだろう。そんな顔を見てしまうとまた私は彼女の頭を撫でたい衝動に駆られたりなんだりしてしまって、だからこそ――


    550: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:54:11.82 ID:GzIRVoN90



    「こう言っては語弊があるかもしれないですけど、みんな個性豊かな動物さんみたいですよ」と、イヴちゃんの笑顔を頭から消そうとしたら余計に浮かんできてしまったので、私は強引に思考を切って言葉を吐き出す。

    「動物さん、ですか?」

    「はい。これは日菜ちゃんのお姉さんが言っていたことなんですけど、私たちはワンちゃんみたいに見えるらしくて」

     首を傾げたライターさんに、私は日菜ちゃんから伝え聞いた、紗夜ちゃんが抱いている私たちの印象を、ある程度オブラートに包んで話す。


    551: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:54:45.61 ID:GzIRVoN90


     彩ちゃんは小さくて可愛い小型犬。ちょっと臆病なところがあるけど元気一杯で、みんなに愛されるワンちゃん。

     麻弥ちゃんはしっかりしてる大型犬。言いつけはしっかり守るし、何かあればみんなを助けてくれるお利口なワンちゃん。

     日菜ちゃんだけは自由気ままな猫。気分次第であっちへフラフラこっちへフラフラ。誰もその舵をとれないけれど、そういう気まぐれなところが魅力な猫ちゃん。

     そしてイヴちゃんは……


    552: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:56:47.82 ID:GzIRVoN90



     ……イヴちゃんはいつも、感情表現がストレートだ。

     生まれも育ちもフィンランドという環境がそうさせるのか、はたまた彼女が生まれ持った元来の性格なのか、百面相の彩ちゃんとはまた違った純真さがある。

     嬉しいこと、楽しいことがあれば「チサトさん!」と元気な声を上げて、もしも彼女に犬の尻尾がついていればそれをブンブンと千切れんばかりの勢いで振っているだろうことを鮮明に連想させる笑顔を浮かべて、私にハグしてくる。

     悲しいことがあれば「チサトさん……」とシュンとしながら、もしも彼女に犬耳がついていればそれをペタンと折っているだろうことを容易に想像させるほど肩を落として、私になんでも相談しにきてくれる。

     寂しい時には「……チサトさん」とどこか潤んだような瞳でこちらを見つめてきて、甘えん坊の表情を顔に覗かせる。だからこそ私の理性のタガというものはあっさりと緩んでしまい――


    553: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:57:29.78 ID:GzIRVoN90



     慌てて首を振った。仕事中だというのに私は何を考えているのだろうか。

    「あの、どうかされましたか?」

    「……いえ」

     ライターさんから心配そうな声が届けられる。それになんて言おうか少し考えてから、「今度のドラマの役のことを少し考えてしまって……すみません」と笑顔で謝った。

    「あ、そうでしたか。今度のドラマというと、月9の――」

    「はい。そのドラマの役で、この役は――」

     頭を振ったおかげか、頭の中一杯に広がっていたイヴちゃんの笑顔はどうにか隅っこの方に行ってくれた。これでもう大丈夫だろう。パスパレのみんなのことから女優の仕事のことに質問が変わり、矢継ぎ早の質問に最適であろう答えを返していく。


    554: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:58:20.91 ID:GzIRVoN90


     そうしながら、自分自身に向けて胸中で呆れたように呟く。

     まったく、仕事中に全然関係のないことを考えてしまうなんて、私はどうしてしまったのかしらね。そもそもの話、どうしてイヴちゃんのことをこんなにも頭に呼び起こしてしまうのか。

     確かにあの子はとても人懐っこくて、無邪気で、何事にも一生懸命で、顔だって妖精みたいに整っていて可愛いし、スタイルだって抜群で、髪の毛もちょっと妬いてしまうくらいにサラサラで、非の打ちどころがない女の子だ。

     そんな子に懐かれて悪い気がする訳がないというのは確かにそうだけど、だからといって限度がある。これじゃあまるで四六時中私がイヴちゃんのことを考えているみたいじゃない。そんなことはないわ。仮にそうだとしても、それは一時のことだろう。そう、だってこれは一昨日の件が原因で……


    555: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:59:22.19 ID:GzIRVoN90



     ……彩ちゃんはオフでバイト、日菜ちゃんと麻弥ちゃんはバラエティ番組のロケがあって、事務所の会議室には私とイヴちゃんだけ。いつも騒がしい声が反響するこの部屋も、ふたりきりだと音が少ない。どこかシンとした空気だった。

     そんななか、イヴちゃんはいつものように、私が座るソファの隣に腰を落としていた。私も私でそれを何も気にすることなく、ファッション雑誌に目を落としていた。

     イヴちゃんは手持ち無沙汰なのか、雑誌を読む私をじーっと見つめている。私はそんなイヴちゃんを横目で確認すると、無意識のうちに右手を彼女の頭に伸ばし、絹のように柔らかい髪を梳いていた。

    「えへへ……」なんて気持ちよさそうに目を細めるイヴちゃんを見て、私も力の抜けた笑みを浮かべる。それからまた雑誌に視線を戻すけど、ちょんちょんと服の袖を引かれる。

    「どうかしたの?」とイヴちゃんに顔を向けると目の前に妖精みたいに整った顔があった。

    「チサトさん」という甘い声が私をくすぐって、そして目が瞑られる。その顔はどんどん私に近付いてきて、だけどそれを避けようという気は微塵もない訳で、私も目を――


    556: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 13:59:51.62 ID:GzIRVoN90



    「ごほんっ」

     思った以上に大きくなった咳払いが応接室に響いた。対面に座るライターさんが目を丸くしている。

    「ごめんなさい、歌の練習をしすぎて喉が少し」

     心配されるより早く、そんなことを言って右手を口元に持っていく。色々と本当にアウトなことを誤魔化すための方便と行動だったけど、人差し指と中指が唇に触れて、イヴちゃんの感触がありありとそこに蘇ってしまった。

     ……ああ、本当に私は何を考えているんだろうか。

     気付かないうちに脳裏に思い描いていた一昨日の出来事をどうにか頭から消そうとするけれど、そう意識すればするほど強く鮮明にイヴちゃんが私の頭の中で笑顔を咲かせる。


    557: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:01:08.78 ID:GzIRVoN90


     どうしたらいいのか、とは思う。仕事中だというのにこんなことでは、そのうち大きなミスをおかすだろうことは想像に難くない。

     けど同時に消したくない私がいるのもまた事実であって、もちろん私だってイヴちゃんのことは好き……そう、色んな意味で大好きではあるけれど、いまいち素直になりきれないというか照れがあるというか……いや違う、今考えなきゃいけないことはそうじゃなくて……。

    「女優とアイドルの両立は大変ですね。しかもパステルパレットはバンドですし、音楽もやらなくてはいけませんもんね」

    「え、ええ……すみません、折角こちらまで足を運んで頂いたのに上の空で……」

    「いえいえ」

     こんがらがった思考はひとまず放っておいて、私は気遣いの言葉に謝罪を返す。ライターさんはその言葉を聞いて、柔和な瞳を細めて笑った。もしかして私の考えていることが漏れ伝わってしまったのだろうか、と少しだけ心配になる。

    「白鷺さんは多忙な身であると思いますけど、何か支えとなっていることはありますか?」

    「支え……ですか」

     そんな訳ないか、と思う。すると安心した気持ちと、どこか悔しいというかもどかしいというか、自分でも推し量ることが出来ない感情の胸中に渦巻く。そこに新しい質問が飛んできて、私の頭の中のイヴちゃんがまたぱぁーっと笑顔を輝かせた。


    558: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:01:38.69 ID:GzIRVoN90


    「……そうですね。無邪気に私を頼ってくれたり、甘えてきたり、気遣ってくれる人が傍にいますので……その存在が、これ以上ないほど私の支えになっています」

     私の口からはそんな言葉が出てくる。偽りのない本心だけど、はたしてこれはみんなに……いや、イヴちゃんにどういう形で届くのだろうか。

     私の中の推し量ることが出来ない感情。その正体はきっと、イヴちゃんをみんなに認めてもらいたいという気持ち。そして、本当は私とイヴちゃんはこんなにも仲が良いんだと、お互いに特別な存在であるんだと喧伝したい衝動。

     けれど私は素直でまっすぐな人間ではなく、どちらかといえば狡猾で打算的な人間だ。こんな面倒くさい方法で、回りくどい言葉で、あの子に、あわよくば世間の人々に、この気持ちがさりげなく伝わればいいと思っているんだ。

     イヴちゃんにいつも助けてもらってるということと、そんなあなたが大好きだっていうことを。


    559: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:02:13.00 ID:GzIRVoN90


    「あ、もしかして恋人ですか?」

     ライターさんがからかうように、明るい声を放った。冗談で言っているのであろうことはどこか優し気で悪戯な笑みを見れば明白だったから、私も微笑みを浮かべる。

    「ふふ、ご想像にお任せしますね」

     そうして返した言葉。これは臆病で打算的な私が吐き出させたものか、素直な恋する乙女の私が形作らせたものなのか。

     その判断はつかなかったけど、きっと今の私は今日一番の笑顔を浮かべているだろうな、と思った。


    560: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:03:28.60 ID:GzIRVoN90


    かのここの場合




    「花音、キスしましょう!」なんてこころちゃんが言うから、私の口からは今日も「ふえぇ……」なんていう情けない声が漏れてしまった。

     でも、それは仕方のないことだと思う。

     穏やかな春の休日の昼下がり。天井が高すぎて、上を見上げると目が回りそうなこころちゃんのお屋敷の一室には、窓から麗らかな陽光が差し込んできている。

     その光に当たりながらふたりで和んでいたと思ったら、唐突にこころちゃんが「そうだ!」と立ち上がってそんな刺激的な言葉をくれたのだから、びっくりしちゃうのは仕方がない……はず。

     でもよく考えてみると、こころちゃんが唐突じゃなかったことの方が珍しいのかな。むしろ言いたいこととかしたいことを言外に匂わせてから、しっかり段階を踏んで私にお願いしてくる方がびっくりしてしまうかもしれない。


    561: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:05:16.90 ID:GzIRVoN90


     例えば、そう。私がこころちゃんに告白された……告白って言っていいのかどうかはちょっと悩むけど、とにかく、告白された時。

    「あなたと一緒にいると、他のみんなと一緒にいる時よりもすっごくぽかぽかして楽しい気持ちになるの! 大好きよ、花音!」

     なんてあまりにもこころちゃんらしい言葉を貰って、その時も確かにびっくりしたはびっくりしたけど、こころちゃんの言う大好きはきっと親愛の情の大好きだろうな、とは思っていた。

    「だから結婚を前提にお付き合いしましょう!」

    「え……? ……えっ!?」

     そう、そんな風に思っていたから、続けられた言葉にとてもびっくりしたのをよく覚えている。普通に嬉しいって思っちゃったのもよく覚えている。でもなんて答えたらいいのか分からなくて、こくん、と頷いたらこころちゃんがすごく嬉しそうな顔をして抱き着いてきたのもよく覚えている。

     あれ、でもこれ、しっかり段階は踏んでるけど……どちらかというと意外性の方に分けられるような……。


    562: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:05:58.47 ID:GzIRVoN90


    「花音? どうかしたの?」

    「あ、え、ええと……」

     と、あまりの衝撃にふた月ほど前のこころちゃんとの馴れ初めに迷い込んだ意識が現在に帰ってくる。私はなんて返そうか迷ってちょっと俯いてから、今日も爛々と輝いている瞳に向き合う。

    「その、急にどうしたの?」

    「なにが?」

    「えと、突然……その、き、きす、したいって……」

    「そのことね! ひまりが貸してくれた少女漫画っていう本に描いてあったのよ! 大好きで大切な人とキスすると、心がとーってもあったかくなって幸せになれるって!」

     だからキスしましょう、花音! と、いつも通り照れとかそういう感情が一切ない返事がきて、私の口からはまた「ふえぇ」と出かかってしまう。だけどどうにかそれを飲み込む。その代わりに、『思えばこのふた月、恋人らしいことなんてこれっぽっちもなかったなぁ……』なんて、また意識がこれまでのことの回想に向けられる。


    563: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:06:47.15 ID:GzIRVoN90


     こころちゃんが大好きだって言ってくれて、結婚を前提にお付き合いをするようになってからも、私たちに大きく変わったことはなかった。

     いつものようにバンドの練習をしたり、ライブをしたり、みんなで遊びに行ったり……その中で、ふたりきりでお昼ご飯を食べたり、おでかけしたりする時間が以前より五倍くらいに増えただけ。

     気付けば起きている時間の半分くらいはこころちゃんと一緒にいるようになってはいるけど、その時間はデートとか逢引きとかって言うのにはいつも通りすぎていたと思う。

     手を繋いで街を歩いたり、こころちゃんが嬉しそうに抱き着いてきたりすることはあるけど、それはお付き合いを始める前から変わらないこと。確かにいつでも天真爛漫なこころちゃんをこれまで以上に可愛いとは常々思うようになったけど、それだって前々から思っていたことだし、そんなに大きく変わってはいない。


    564: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:08:04.51 ID:GzIRVoN90


     けど『キス』は流石に今までしたことがない、特別に踏み込んだ行為だ。

     だから私はびっくりして怯んでしまった。

     こころちゃんのことはもちろん前から好きだし、お付き合いをするようになってからはもっと大好きになったし、こんな私でもこころちゃんよりはお姉さんなんだから、こころちゃんを支えられるように、こころちゃんが喜んでくれるように、こころちゃんがいつまでも純真な笑顔を浮かべていられるように、こころちゃんがもっともっと私を好きだって思ってくれるように、しっかりしなくちゃいけないな……と、私なりの決意は抱いていたのに。

     やっぱり私はダメだな、と思いかけて、いや、とすぐに首を振る。ここでダメだって思って落ち込むだけじゃ、本当にダメになっちゃう。


    565: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:09:04.49 ID:GzIRVoN90


     きゅっと胸の前で両手を握って、私は自分を奮い立たせる。そして意識を現実のこころちゃんに戻して、いつもの天使のように可愛い顔と真正面に向かい合って、言葉を投げる。

    「……わ、分かった……キス、しよう、こころちゃん……!」

    「ええ!」

     こころちゃんは私の言葉を聞いて、平常時の三割増しくらい笑顔を輝かせる。その眩しさに網膜を焼かれて脳裏にこころちゃんという存在をいつも以上に強く刻み込まれたような感覚がして少し幸せになったけど、今からこれじゃあ先が思いやられるから、私は一度深呼吸をした。

    「えと、それじゃあ私からするから……」

    「分かったわ!」

     こころちゃんはコクンと頷いて、大人しく気を付けして私を待ち構える。その姿に一歩近づいて、両肩に手を置いた。

    「…………」

    「…………」

     顔を近づけると、やっぱりキラキラした笑顔が私を射抜いてくる。今日のキラキラ笑顔は「これから起こることが楽しみなワクワク系」に分類されるもの。やっぱり可愛いなぁ、と思いつつ、私はこころちゃんにひとつお願いをする。


    566: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:10:16.22 ID:GzIRVoN90


    「あの……目は閉じてて欲しいな……」

    「どうして?」

    「え、えっと……キスってそういうものだから、かな……?」

    「そうなのね! 分かったわ!」

     こころちゃんは素直に頷く。

     前からもそうだったけど、お付き合いをするようになってからますます私の言葉を疑うことがなくなったように思える。すぐにバレる嘘を吐いてもこころちゃんは「花音が言うならそうに違いないわ!」と信じちゃうだろうし、そしてそれが弦巻財閥で叶えられる嘘だと全部まことにされてしまうから、自分の言動には気をつけないといけない。

     そんなことを考えているうちに、こころちゃんがスッと瞼を落とす。無防備な顔を私だけに見せてくれる。

     笑顔が天使のように可愛いというのはもちろんだけど、こうして大人しい表情を間近で見つめると、睫毛の長さや整った鼻筋にちょっとドキドキする。いけない、私の方がお姉さんなんだからちゃんとこころちゃんをリードしなきゃ……と自分に喝を入れた。


    567: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:10:42.51 ID:GzIRVoN90


     それからこころちゃんの唇を見つめて、私は顔を近づけていく。

     鼻と鼻が触れ合いそうな距離で、私も目を瞑る。唇の場所は目に焼き付けたからきっと間違えないはずだ、大丈夫、大丈夫……。

     そう思いながら、息を止めて、そーっとそーっと顔を近づけていって――

     ちゅっ。

     ――と、唇に柔らかい感触が伝わった。


    568: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:11:28.96 ID:GzIRVoN90


     軽く触れ合っただけのオママゴトみたいなキスだったと思う。

     けれどどうしたことだろう、私の心臓はバクバクと16拍子を刻み始める。いけない、これじゃあツインペダルじゃないとバスドラムが間に合わない、間に合わないよぉ……と情けない思考が頭にもたげる。

     内から胸を叩き続ける怒涛のビートに急かされるように、私はパッとこころちゃんの唇から離れる。顔が熱い。身体全体が熱い。ただ唇を合わせるだけの行為がどうしてこんなにも身体を震わせるのだろうか。

     両肩に手を置いたままこころちゃんの顔を見つめていたら、すぅっと瞼が持ち上がる。天使のような顔に装飾されたふたつの黄金の宝石は、いつもの爛々とした光を引っ込めて、穏やかな水面に注ぐ木漏れ日のような光を湛えていた。私は少し心配になってしまう。


    569: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:12:13.47 ID:GzIRVoN90


    「……こころちゃん? ちょっとボーっとしてるけど、大丈夫……?」

    「……大丈夫よ、花音……」

     その水面はやっぱり凪いだままで、まるで海月がたゆたうような頼りのない響きが返ってきたから、もっと心配になってしまった。

     どうしよう、何か間違えちゃったかな……そう思っていると、静かな湖面に果実が緩やかに投げ入れられるように、こころちゃんからぽつりと言葉が紡ぎだされる。

    「でも……なんだかふわふわしてて、ぽわぽわーってしてて、でもぎゅーんっていう感じがあって……落ち着かないの……」

    「…………」

     出会った時からの記憶を掘り起こしても、絶対に見たことがないいじらしい表情。それを俯かせて、私の胸の辺りを見て放たれた、こちらも今まで聞いたことがないたどたどしい口調の言葉。


    570: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:12:52.39 ID:GzIRVoN90


     驚天動地って、きっとこういうことを言うんだろうな。こんなにしおらしいこころちゃんを見たのは初めてで、とても、とってもびっくりしちゃって……

    「こころちゃん」

    「……なに、花音?」

    「もう一回してみよっか」

     ……私は、自分の中で何かのスイッチが入ったことを強く自覚した。

    「もう一回?」

    「そう、もう一回……ううん、もう一回じゃなくて、もう何回も。そうすればきっとこころちゃんの気持ちももっとちゃんと分かると思うから」

     顔を近づける。こころちゃんはちょっとだけびっくりしたように、目をキュッと瞑った。その様子を間近で見て、私は胸がキュンとした。


    571: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:13:37.82 ID:GzIRVoN90


     天真爛漫なこころちゃん。

     いつだって明るくて自信満々で、まっすぐ前を見て進み続けるこころちゃん。

     この世に遣わされた天使のように可愛くて愛しくてずっと笑ってて欲しいなと心の底から思っているこころちゃん。

     そのこころちゃんが、未知の感覚に対してちょっとしおらしくなっている。

     それが……こう言っちゃうととっても危ない人に聞こえるけど……堪らなく、可愛い。どうしようもないくらいいじらしく思えて、今すぐにこころちゃんの身体をぎゅっと抱きしめて、何度も唇を奪ってしまいたい。そんな衝動に駆られる。でもそれは流石にダメかな……?

    (……ううん、ダメじゃない、よね)

     自問自答。そんな思考を否定して、その衝動を肯定した。


    572: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:14:22.22 ID:GzIRVoN90


     そう、ダメじゃない。だって私はお姉さんなんだから、しっかりこころちゃんをリードする立場にいて当たり前なんだ。こころちゃんがよく分からない感情に苛まれて落ち着かないなら、それが分かるようになるまで何回も何回もキスをして助けてあげなくちゃ。不安にならないように優しく、何度も唇を重ね合わさなくちゃ。

    「ん……」

    「……っ」

     出来るだけ優しく、もう一度唇を重ね合わせる。こころちゃんの肩がぴくりと跳ねる。大丈夫だよ、怖くないよ……と、私は両肩に置いた手をこころちゃんの背中に回して、そっと抱きしめた。

     この胸を焦がす衝動の名前はなんだろうな。ちょっと考えたけど、あんまりよく分からなかったから母性本能だと思うことにした。

     母性による本能的な行動なら全然悪いことじゃないよね? 普通に良いことだよね?

    「こころちゃん……大好きだよ」

    「ん、うん……」

     だから私は、しおらしく頷くこころちゃんに愛を囁きながら、何度も繰り返しキスをするのだった。


    573: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:16:08.93 ID:GzIRVoN90


    さよつぐの場合




     愛されるより愛したい、というのは男性アイドルデュオの昔の歌だ。

     子供のころにお父さんが口ずさんでいるのを聞いたり、テレビで流れているのを聞いたりするたびに、私はいつも疑問だった。

     愛だ恋だっていうのは幼い私には分からなかったけど――いや、高校生になった今でも十全に理解が及んでいるとは言えないけれど――、与えるよりも与えられる方が嬉しいんじゃないだろうかというのは昔からずっと思っていた。

     だって愛することは簡単だ。好きだと口にすればいいだけだから。相手がどうとかじゃなくて、自分がそう思うだけで完結するじゃないか。

     逆に愛されることは難しい。自分だけのことではないから、誰かとの間にある気持ちだから、自分がどれだけ頑張ったって報われないことがあるだろう。

     私はずっと思っていた。愛されるより愛したい。そんなのはただの言葉遊びだし、聞こえのいい戯言だろうと。

     その気持ちが変わることはなかった。ギターを始めて音楽に深く没頭していくようになってからも私は人に認められたいという気持ちの方が大きかったし、耳にする音楽だって愛されたいと歌うものが多かった。

     だから思っていたのだ。

     世の中には様々な人がいるから、もちろん私と違う思想の人がいて当たり前であるし、それにとやかく言うつもりもなければ私の気持ちにどうこう言われる筋合いもない。こんな取るに足らない屁理屈じみた気持ちは私の中だけで処理すればいいものだ……と。

     確かに私はそう思っていたのだ。


    574: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:16:56.41 ID:GzIRVoN90



     つぐみさんの部屋の壁時計は、午後五時前を指していた。

     窓から斜陽の濃い色をした光が差し込む。それに半身を照らされながらソファーに座って、私は彼女の部屋でひとり、ぼんやりと佇んでいた。つぐみさんのバイトが終わるまでここで待ってて欲しいと言われたからだ。

     なんとはなしに室内を見回すと、私が持ち込んだお気に入りのクッションや緊急時の着替えとか、自分の私物がちらほらと目に映る。この部屋に入るようになった当初は全然落ち着かなかったけれど、半分自分の部屋のようになっている今となっては、ともすれば我が家よりも落ち着く空間だ。

     本棚の上に置かれた、寄り添い合いながら座るクマとキツネのぬいぐるみに視線を定めつつ、愛するとはこういうことなんだろうな、と思う。


    575: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:17:51.94 ID:GzIRVoN90


     自分の部屋というのは、きっと世界中のどこよりもプライベートな空間だ。そのスペースに『踏み入ってもいいですよ』、『ここまで入ってきてもいいんですよ』と受け入れられている。私を置く場所を作ってくれている。それだけ心を許されているんだ……と、こうして実感すると私は満たされた気持ちになる。

     当たり前だけど、私が招かれるように、私の部屋につぐみさんを招くこともある。そこにもつぐみさんの私物がいくつも置いてあるし、どこか殺風景だった自分の部屋だってそのおかげでどこか華やいだように感じられる。

     それに、彼女には内緒にしているけれど、ひどく寂しい気持ちになった夜なんかは、つぐみさんが置いていったちょっと大きな犬のぬいぐるみを抱きしめたりもしている。絵面的にどうかと思う行動だけど、そうすると心が温まるというか、どこか安心するのだから仕方ない。


    576: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:19:02.77 ID:GzIRVoN90


     ともあれ、愛するというのはそういうことなんだろう。

     こうやってプライベートな空間を共有できて、心を委ねてもいいと思える人間がいる。それはかくも幸せなことだ。

     もしかしたらの話だけど、これは一種の承認欲求なのかもしれない。

     人を愛するということ。私が彼女を愛するということ。

     そうやって私は私という存在の中につぐみさんの場所を作って、それを拠り所にして自分自身の輪郭を明確に保っているのかもしれない。

     だとするならばこの気持ちも自分本位のもので、世間一般では独善的な愛と呼ばれるのだろう。

     そう後ろ指さされるのであれば、私はもっともっと彼女を愛そうと思う。世間体だとか、承認欲求だとか、独り善がりだとか……そんな面倒なものを考える隙間がなくなるまで、彼女のことを想い、愛そうと強く思う。


    577: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:19:58.97 ID:GzIRVoN90


     最初からハッピーエンドの映画なんて三分あれば終わる、というのも子供のころに聞いたラブソング。

     その歌の通りだろう。高校生の私が『愛』というものを真に理解するのは難しいけれど、それはなんとなく感覚で理解できる。

     誰もに理解されて祝福されるように、何の障害もすれ違いもないように、初めからそこに完全な形であるのなら、悩むことなんてない。不安に震えることも、ひどく寂しい夜をひとりで乗り越えることもない。

     だけど、そんな風に愛が当たり前に完全な形であったのなら、こんなにも胸が高鳴ることも温かくなることもきっとないのだから。


    578: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:20:31.00 ID:GzIRVoN90


     そう思ったところで、部屋のドアが開く。視線をそちらへやれば、「ごめんなさい、お待たせしました」と少し息を切らせたつぐみさんの姿があった。

    「いいえ」私はフッと軽く息を吐き出して応える。「つぐみさんを待つ時間はいつもとても楽しいので、気にしないでください」

     それを聞くと、彼女は照れたようにはにかんだ。胸が温かくなって、私も笑顔を浮かべた。そして今まで考えていたことがどこか遠くに霞んで消えていく。

     小難しく考えていた愛がどうだとかなんだとか、そんな面倒なこと。それがつぐみさんの顔を見るだけでこんなにあっさりと霧散するのだから滑稽だ。

     それでも私はまた何度も見えない不安に襲われて、何度も同じことを考えるのだろう。だけど、目に見えない不確かな愛の形を確かめる方法を、私はもう知っている。


    579: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:21:21.71 ID:GzIRVoN90


     ソファーの隣につぐみさんが腰かける。ふわりと珈琲の匂いが薫って、少し幸せな気持ちになった。

    「つぐみさん」

     その気持ちのまま、私は囁くように彼女に呼びかける。つぐみさんは私に顔をめぐらせて、少し首を傾げた。その瞳をじっと見つめると、すぐに彼女は私の望みを分かってくれる。

    「いいですよ」

     頬を赤らめながら、つぐみさんは頷く。そしてその瞳がすっと閉じられる。

     私は隣り合って向かい合う彼女の肩に手を回して優しく抱き寄せる。それから、世界で一番大切な人の唇へ、自分の唇を重ね合わせた。

     愛だ恋だなんていう、形の見えない面倒で難しいものたち。きっとその実態は、言葉をああだこうだとこねくり回しても掴めないのだろう。

     けれど、こうやって触れ合って、口づけ合えば、簡単にここにあることが分かる。その形を確かめることが出来る。

     キスがこんなにも心地いいのは、きっとそのせいだ。


    580: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:22:09.75 ID:GzIRVoN90


    「……はぁ」

     唇を離して軽く息を吐き出す。私の心はこれ以上ないくらいに満たされて、つぐみさんはどうだろうか、と彼女の様子を窺えば、彼女も熱に浮かされたように蕩けた顔をしているからもっと満たされた気持ちになる。

     心の栄養補給とはこのことだろう。唇を重ねるだけで、寂しさも悲しみもなくなって、嬉しさと幸せとを倍にしてくれる。キスは便利な心のファストフードだ。

     けれど、そう表現するとどこか健康に悪い気がする。食べるに越したことはないけれど、食べ過ぎては却って身体に悪いというか、なんというか。

    「紗夜さん……」

    「ええ」

     そんな思考も、つぐみさんの熱を帯びた声を聞けばすぐに霧散する。

     ……大丈夫、私はその辺りの線引きはしっかり出来ているつもりだし、ファストフードも大好きであるし、つぐみさんのことも愛して愛してやまない。

    「んっ……」

     だから、彼女からの「おかわり」を拒む理由なんて何ひとつとして私の中には存在していないのだ。甘えるように瞳を閉じるつぐみさんの唇に、もう一度自分の唇を重ね合わせた。


    581: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:22:40.04 ID:GzIRVoN90



     つぐみさんが求めてくれるなら、その全てを叶えたい。そして彼女に幸せになってもらいたい。そう思って幸福を感じるのは、私が彼女を愛しているから。

     愛されるより愛したい。

     ただの言葉遊びかもしれないけれど、聞こえのいい戯言かもしれないけれど、今の私はその言葉に心の底から共感できる。


    582: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:23:32.05 ID:GzIRVoN90


    リサゆきの場合




     選択肢を間違えたなぁ、というのは、最近のアタシの悩みの種だった。


    583: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:24:07.36 ID:GzIRVoN90



     アタシには誰よりも大切な幼馴染の友希那がいて、友希那も友希那でアタシを大切だって思ってくれていて、それで幼馴染っていう関係が冬の終わりに恋人っていうこそばゆい響きの関係に変わって……と、そこまではいい。アタシは昔から友希那が大好きだし、友希那もアタシのことを好きだって言ってくれるなら、まったくこれっぽっちも問題はない。

     じゃあ何の選択肢を間違えてしまったのかっていうと、それは付き合い始めてからのこと。

     綺麗な星座の下で……なんていうほどロマンチックでもないけれど、とにかく澄んだ夜空に星がそれなりにキラキラしていた日に、アタシは友希那とキスをした。それはいわゆるファーストキスというやつで、甘酸っぱいだとかそんな風な味だって言われるもので、友希那に唇を奪われたアタシは「これが友希那のキスの味……」とかちょっと危ないことを考えていたような気がするけど、それもひとまず問題ではない。


    584: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:25:23.26 ID:GzIRVoN90


     問題はその後のこと。

     アタシたちも気付けば高校三年生で、受験戦争という荒波が唸る海に航路をとらなくちゃいけない時期になっていた。

     だけど友希那は相変わらずだった。

    「勉強……そうね、勉強は大切よね」

     アタシが大学受験のことをそれとなく話題に出すと、そんなことを言って明後日の方向や猫のいる方へ視線を逸らす。まともに話を聞く気がない時特有の行動だった。

     そんな友希那のことが心配になるのは当たり前で、『将来音楽で食べていくつもりなのは知っているけど、それでも大学はしっかり通って卒業してほしい』と、友希那のお義母さんが言っていたこともあるし、アタシはどうにか友希那をやる気にさせようと必死に考えた。

     その結果、そっぽを向く友希那に対して、アタシの口からはこんな言葉が出た。

    「分かった、それじゃあ友希那が勉強を頑張る度に、その、き、キス……するよ」

     未だにキスという単語を口にするのが照れくさいのは置いておいて、友希那はその言葉に反応した。興味を示した。

    「……本気なの、リサ?」

    「ほ、本気っ、本気だよ!」

    「そう……そこまで本気なら、分かったわ。私も本気を見せてあげる」

     友希那はどうしてか得意気に頷いてくれて、よかった、これで少しは勉強にも向き合ってくれそうだな、なんて呑気に思っていた。


    585: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:26:17.27 ID:GzIRVoN90



     それが春先のことで、アタシが間違えたと思った選択肢のこと。

     本気を見せる、と言った友希那は……すごかった。

     友希那の成績は学年の平均よりやや下。それは元々音楽に全身全霊を打ち込んでいて、勉強に労力を割いていなかったせいだとは知っていた。だからやる気を出せば平均を上回ることくらいは簡単だろう、と思っていた。

     その推測はいい意味で甘かった。アタシは友希那の集中力を舐めていたのだ。

    「本気を見せてあげる」と言われた日から、メッセージを送ったり電話をかけても、なかなか応答がないことが多くなった。

     そしてニ、三時間後にやっときた返事には決まって「ごめんなさい、ちょっと勉強をしていたわ」という枕言葉。それに続いて「今日は4時間頑張ったから、キス権一回分ね」という返詞。「うん、分かったよー」と、内心ドキドキしながらのアタシの返信。

     そんなことが何十回か重なった。


    586: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:27:18.90 ID:GzIRVoN90


     そうしてるうちに一学期の中間試験が終わり、返ってきた友希那の答案用紙を見せてもらうと、そこに書き込まれていた点数はどれもこれもが80を下らなかった。

     あっという間にアタシの成績を追い抜いていった……というのは別によくて、一番問題なのはそのあとのこと。

    「思ったより出来なかったわね。やっぱりもっと集中しないといけないわ」

    「え」

    「それと、今日まででキス権が三十八回あるから、それも消化するわね。使わないと溜まっていく一方だもの」

    「え」

    「とりあえず一回いいかしら。……いえ、聞くのはおかしいわね。リサが私にくれたキス権だもの。キスするわよ、リサ」

    「え!?」

     そう言って、誰もいない放課後の教室で、友希那は有無を言わさずアタシの唇を奪うのだった。


    587: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:28:28.33 ID:GzIRVoN90



     これが間違えた選択肢の上に乗っかってる問題であり悩みの種だ。それから何度となく、アタシは友希那にキスをされることになる。

     別にキスされるのが嫌な訳じゃない。ちょっと強引にされるのもそれはそれで好きだし、友希那のことは大好きだし。

     ただ、それでも場所は選んで欲しいと思うのはワガママじゃないはず。

     アタシの部屋とか友希那の部屋なら、本当、いつだってウェルカムだけど、放課後の教室とか練習前のスタジオとか、果てには人気の少ない通学路とかは本当に――いや、それはそれでドキドキしちゃうアタシがいるのも事実ではあるけど――やめてほしい。

    「これはリサから言い出したことよ?」

     それとなく友希那にそう伝えたら『何を言ってるの?』という顔をされた。確かにそうだなぁ、と思ってしまうあたり、アタシは押しに弱いのかもしれない。

     けど、友希那のお義父さんとお義母さんには「リサちゃんのおかげで友希那も真面目に勉強するようになったよ。ありがとう」と感謝された。湊家とアタシの関係が変わらず良好なのは、いずれ嫁ぐ身としては願ったり叶ったりだからそれはそれで嬉しかった。


    588: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:29:15.36 ID:GzIRVoN90


     それはそれとして、友希那が勉強にも頑張ってくれるようになってくれたのは当初の目論見通りだったけど、流石にこれほどまでキスを求められるとは思っていなかったから、アタシは色々と困ってしまうのだ。

    「はぁ~……」

    「どうしたの、リサ? そんなに大きなため息を吐いて」

     だというのに、アタシがため息を吐けば、友希那はそんな風に首を傾げて聞いてくるのだからちょっと参ってしまう。こんなにアタシをドギマギさせてるくせに無自覚だなんて……本当にもう、しょうがない友希那だ。


    589: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:29:57.00 ID:GzIRVoN90


    「なんでもないよ」

    「そう? 困ったことがあるなら何でも相談して頂戴ね。リサにはいつも助けられてばかりなんだから、たまには私にもあなたのことを助けさせて」

    「……うん」

     そしてさらに無自覚でそんな言葉を投げてくるんだから友希那はしょうがない。本当にしょうがない。そんなにアタシをキュンキュンさせて嬉しくさせて、本当にどうしたいのだろうか。

    「それはそれとして、キス権使うわね。……んっ」

    「んん……」

     さらに『今日は優しくしてほしいなぁ』とか思ってると本当に優しくしてくれるから……友希那はしょうがなさすぎでしょうがないと心の底から思う。式は教会にするか神前にするか、そろそろ考えておかないと。


    590: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:31:39.59 ID:GzIRVoN90



     間違えた選択の上に乗っかる日々も、気付けば過ぎているもの。

     ところ構わず友希那とキスを繰り返しているうちに、いつの間にかキス権がなくなってきたらしい。梅雨を超えて初夏の風が吹き抜けるあたりには、友希那がキス権を使う頻度が減っていった。

     それは間違いなくいいことではあると思うのだけど、ほぼ毎日キスを繰り返していたらそれに慣れてしまったというのもまた実情で、言葉にはしないけど、なんだか唇がさびしいと感じることが多かった。

     そんなある七月の日のこと。


    591: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:32:44.61 ID:GzIRVoN90


    「そういえば八月にフェスがあるの。ロゼリアでそのフェスのオーディションに挑戦しようと思うけど、リサはどう思う?」

     いつも通りアタシの部屋でベッドに座って作曲に勤しんでいた友希那が、ふと思い出したように、隣でベースを弄っていたアタシに尋ねてくる。

    「どう思う、って言われてもなぁ。アタシは賛成だけど、まずはみんなの予定から聞かないと。紗夜と燐子も夏は受験勉強とかで忙しいかもだし」

    「なるほど、分かったわ。リサは賛成ね。ふふふ……賛成なのね」

     やたらと引っかかる言い方だったから、アタシは首を傾げながら友希那の顔を見る。

     愛しい恋人の顔。いつも張り付いているクールな表情が崩れ、そこには薄っすらと微笑みが浮かんでいた。見ようによっては良い表情だと思うけど、アタシには分かる。これは何か良くないことを考えている時の顔だ。


    592: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:33:40.81 ID:GzIRVoN90


    「そうしたら、今作っているこの曲も早く完成させなくちゃいけないわね」

    「……そう、だね」

     何を企んでいるのかな、と思いながら、慎重に言葉を返す。友希那はそんなアタシを見て、やっぱり変わらない微笑みを浮かべている。

    「この曲、ベースが主体の曲なのよね。結構フレーズもリズムも激しくて、ソロもあるんだけど……リサ、大丈夫?」

    「うーん、聞いてみないとなんとも言えないけど……」

    「もし頑張ってくれるなら……ご褒美にキス権をあげるけど、どうかしら?」

    「…………」

     ああ、そういうことか。

     友希那の企みを理解して、まず一番に思ったのは『キス権に理由をつける友希那かわいい』で、次に思ったのは『ご褒美にキスしたいのは友希那じゃないの?』で、最後に思ったのは『いや、ご褒美にキスって響きは確かに素敵だけど』ということ。

     それにしても、ご褒美にキス権……かぁ。アタシがベース頑張って、それで……


    593: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:34:21.67 ID:GzIRVoN90


     友希那、アタシこんなに頑張ったんだよ。ほら見てみて、難しいソロパートも完璧に弾けるようになったよ。

     リサは頑張り屋さんね。そんなに頑張ってくれたなら……ご褒美をあげないといけないわね。

     い、いやいや、アタシは別にキスがしたくて頑張ったわけじゃないって。ロゼリアのためだし、友希那が頑張って作ってくれた曲をちゃんと表げ、ん――

     ――んっ、ふふ。ごめんなさい、私のためにって言ってくれるリサがとても可愛くて、つい。

     …………。

     まだ……足りないのね? 仕方のないリサ。こっちへいらっしゃい……


    594: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/04/30(火) 14:35:58.78 ID:GzIRVoN90


    「うん、アタシがんばる」

     脳裏に一瞬のうちに描かれた『ご褒美のキス』というシチュエーションが、気付けばアタシの口を動かしていた。

    「それでこそリサね。……そうだ、ただキス権っていうだけだと私のと同じだし……そうね、キス権が二十個たまったら、何でも言うことをひとつ聞くわ」

    「オッケー、超がんばる」

     自分の内側で、かつてないほど炎が猛々しく燃え盛っているのを強く実感する。些細なことはその炎の嵐に全て飲み込まれていく。選択肢を間違えたなぁという悩みの種もその火焔の中に放り込まれてあっという間に燃え尽きた。

     それと同時に、「ああ、友希那もアタシに言われた時、こんな気持ちだったんだなぁ」と、最愛の恋人のことをまたひとつ理解出来てアタシは幸せだった。

    (何でも言うことを聞く……何でも……えへへ)

     そして何でも言うことを聞いてくれる友希那の姿を想像してもっと幸せになるのだった。

     
     おわり


    597: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:52:04.96 ID:h6AWmXvL0


    山吹沙綾「誕生日、ペペロンチーノにやさしくされた」


    598: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:52:31.26 ID:h6AWmXvL0


    山吹沙綾(高校を卒業してから、気付けば二年が経っていた)

    沙綾(花粉の季節もゴールデンウィークも気付けば過ぎていて、今年も今年でもう五月が半分以上が終わったある日)

    沙綾(勤めているいる某パン会社から一人暮らしの小平駅近くのアパートへ帰る道すがら)

    沙綾(春の風、というには少し温い夜風を浴びながら、ふと気づく)

    沙綾(そうだ、今日は私の誕生日だった)

    沙綾(そう思って手にしたスマートフォンには、一時間前くらいにみんなからのお祝いのメッセージが届いていた。それに逐一返事を返す)

    沙綾(「おめでとう!」「ありがとう」「またみんなで集まりたいね!」「休みの予定はこんな感じだよ」……なんて)

    沙綾(高校の友は一生の友、とはよく聞く言葉で、その例に漏れず私が花咲川女子学園で得た親友たちとは今でも深いつながりがある)

    沙綾(みんなは大学生で、私は社会人という立場だけど、それでも青春を共にしたという事実が変わるわけでもなくなるわけでもない)

    沙綾(みんなとこうして繋がっているんだ、と思うと、社会の荒波に揉まれ、知らず知らずに強張っていた肩からすっと力が抜けるような感覚をおぼえる)

    沙綾(私は少しだけ軽くなった足取りで家路を辿った)


    599: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:53:18.30 ID:h6AWmXvL0


    ――沙綾のアパート――

    沙綾(……そして、玄関のドアを開けて、ダイニングキッチンに足を踏み入れて、私は硬直することになる)

    沙綾(キッチンとくっついたダイニング。そこに置かれた小さなテーブル)

    沙綾(その上に、明らかに出来立てほやほやのペペロンチーノが置かれていたからだ)

    沙綾「…………」

    沙綾(なにこれ、空き巣? 空き巣の新しい形なの?)

    「こんばんは、沙綾さん」

    沙綾「えっ!?」

    沙綾(不意に名前を呼ばれる。びっくりしてきょろきょろ室内を見回すけど、誰の姿も見えない)


    600: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:54:13.16 ID:h6AWmXvL0


    沙綾「だ、誰? 誰かいるの……?」

    「私です」

    沙綾「私って……まさか……?」チラ

    「そうです。あなたの目の前にいるペペロンチーノです」

    沙綾「……えぇ」

    沙綾(唖然として言葉を失う私を意に介さず、目の前のペペロンチーノは続ける)

    「私の名前はチーノ。ペペロンチーノのチーノです。気軽にチーノちゃんとでも呼んでください」

    沙綾「え、あ、はぁ……」

    チーノ「今日……お誕生日ですよね? 待っていましたよ、あなたが帰ってくるのを」

    沙綾「…………」

    沙綾(まずいと思った)

    沙綾(どうやら私は、気付かないうちに相当疲れをため込んでいたようだ)

    沙綾(もう二十歳を超えて、高校生の頃みたいに無理は効かない身体になったんだ)

    沙綾(きっとそうだ、そうに違いない。ああ、こういう日は早くお風呂に入って寝よう……)フラフラ


    601: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:55:12.89 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「あ、お風呂ですか? 沸かしてあるのでゆっくり温まってきてくださいね」

    沙綾「え」

    チーノ「大丈夫です、ちゃんと浴槽も綺麗に洗っておきましたから」

    沙綾「あ、はい……え、いやどうやって……?」

    チーノ「お部屋の片付けも簡単にしておきましたよ。捨てようと思ったものは部屋の隅にまとめてあります。曜日ごとに分別してあるので、忘れずに捨ててくださいね」

    沙綾「いや……どうやって……」

    チーノ「さぁさぁ、何も心配せずに早くお風呂に入ってきてください。今日の入浴剤はヤングビーナスβですよ」

    沙綾「買ったおぼえのない入浴剤が勝手に使われてるし……」

    沙綾(ダメだ、考えれば考えるほど分からない。このペペロンチーノがどうやってお風呂と部屋を掃除したのか、勝手に知らない入浴剤を使っているのかとか……)

    沙綾(……いや、真面目に考えちゃダメだ。きっとこれは夢だ)

    沙綾(そうだよ、夢に違いないよ。やだなぁホント、夢の中でこんなマジになっちゃって……さっさとお風呂に入って寝よ……)フラフラ

    チーノ「ごゆっくりどうぞ」


    ……………………


    602: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:55:52.12 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「ヤングビーナスβは別府温泉の湯の花エキスを配合した入浴剤で、温泉由来の成分が温浴効果を高め血行を促進し、新陳代謝を促します。弱アルカリ性のまろやかな湯質で、敏感肌の方、乾燥肌の方にもおすすめです」

    沙綾「…………」

    沙綾(湯船に浸かってぼんやりとしてから再びダイニングキッチンに足を運ぶと、やっぱりペペロンチーノはほかほかと湯気を上げながらテーブルに鎮座していた。そして聞いてもいない入浴剤の説明を饒舌にしてきた)

    チーノ「βの特徴としましては、無香料・微着色という点が挙げられます。入浴剤と言えば香りで気分をゆったりさせるものですけども、このヤングビーナスβはあえて香料を用いず、温浴効果を際立たせることを重要視しています」

    沙綾(そっかー……夢じゃないのかー……)

    チーノ「微着色というのは、ビタミン色素によってほんのりとお湯の色が変わるということです。これなら浴槽の洗浄も比較的楽ですし、淡い山吹色のお湯に浸かることは精神的にも――」

    沙綾「ねぇ、えぇと、チーノちゃん……?」


    603: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:56:26.28 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「はい、なんでしょうか」

    沙綾「君はペペロンチーノ……なんだよね?」

    チーノ「イエス、ペペロンチーノ」

    沙綾「えーっと、その、どうして喋れるの?」

    チーノ「むしろどうしてペペロンチーノが喋れないのかと。そういう常識を疑うべきです」

    沙綾「えぇ……」

    沙綾(当たり前みたいな風に言い切られた……)

    チーノ「ふんふんふーん♪」

    沙綾(鼻歌まで歌ってる……いや、もうこの際それはあんまりよくないけどいいや)


    604: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:57:23.73 ID:h6AWmXvL0


    沙綾「それで、どうして君はここにいるの?」

    チーノ「よくぞ聞いてくれましたっ」

    沙綾(うわぁ、待ってましたと言わんばかりの嬉々とした声……)

    チーノ「私がここにいる理由。それは沙綾さんの助けになりたかったからです」

    沙綾「助けに?」

    チーノ「はい。私は沙綾さんにご購入いただいてから、ずっと戸棚の中であなたのことを見ていました」

    沙綾「購入……?」

    チーノ「覚えてませんか? 一週間前、スーパーの割引コーナーにいた私のことを」

    沙綾「……あー」

    沙綾(そういえば先週の日曜日にペペロンチーノのパスタソースが安かったから買ったような気がする)


    605: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:58:15.14 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「あの日のことは今でも鮮明に思い出せます」

    沙綾「はぁ」

    チーノ「あの割引コーナーは食材の墓場です。打ち立てられた【大特価!】の赤札は、さながら現代の飽食を象徴した墓標です」

    沙綾「…………」

    チーノ「その地獄から私を救い出してくれたのがあなたです、沙綾さん」

    沙綾「ああ、うん……」

    チーノ「あなたは毎日忙しそうにしていました。朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってきて……休みの日は家事に追われて……」

    沙綾「いや、そんな言うほどでもないけどなぁ」

    チーノ「だから私は決めたんです。大変そうな沙綾さんを癒してあげよう! と。そう強く思っているうちに、こうなっていました」

    沙綾「因果関係がこれっぽっちも分からないよ」

    チーノ「アレです、付喪神みたいなものです」

    沙綾「……そっか」

    沙綾(付喪神がつくほど売れ残ってたのかな……賞味期限の偽装とかされてないよね……)

    沙綾(いや、ていうかそんなことよりもペペロンチーノが喋ったりする方がよっぽどおかしいか……)


    606: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:59:07.74 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「なので沙綾さん。存分に癒されてくださいね」

    沙綾「……気持ちは嬉しけど、もうこれ以上は平気だよ」

    チーノ「何を言ってるんですか、メインはこれからですよ」

    沙綾「え」

    チーノ「さぁ、食べてください」

    沙綾「食べてって……君を?」

    チーノ「はい。食べ物ですから」

    沙綾「…………」

    沙綾(いや、こんな喋ったりする得体のしれないものなんか食べたくないんだけど……)


    607: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 20:59:57.81 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「沙綾さん? どうかしましたか?」

    沙綾「えっと、気持ちだけでお腹いっぱい……かな」

    チーノ「何を言ってるんですか。沙綾さんはペペロンチーノが大好物じゃないですか」

    沙綾「好きは好きだけど、流石にちょっと……」

    チーノ「じれったいですね……そっちがその気なら……」フワリ

    沙綾「え……えっ?」

    沙綾(パスタ麺が宙に浮いた……?)

    チーノ「私が食べさせてあげますから、沙綾さん。お口を開けてください」

    沙綾「ちょ……!」

    沙綾(ひゅん、とどこからともなくフォークが飛んできて、ペペロンチーノに刺さる。そしてくるくる巻かれる。それからそれが私の口元へ迫ってくる)

    沙綾(なにこれ……?)


    608: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:00:33.46 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「食べ物は食べられてこその食べ物なんです。それが私たちのレゾンテートルなんです。知り合いのところてんさんも言っていました。『売れ残るとスーパーで肩身が狭い』って」

    沙綾「そ、そう言われても……」

    チーノ「ペペロンチーノ、好きって言ったじゃないですか」

    沙綾「好きは好きだよ? でも、流石に君は食べ辛いっていうか――」

    チーノ「好きなら問題ありませんよね。はい、あーん」

    沙綾「いや、しないよ……?」

    チーノ「どうしてですか」

    沙綾「……正直に言うと、得体の知れないペペロンチーノは食べたくない……かな」

    チーノ「…………」

    沙綾「…………」

    沙綾(ちょっと言い過ぎちゃったかな……)


    609: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:01:08.61 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「……仕方ありませんね」

    沙綾「あ、よかった。大人しく引き下がって――」

    チーノ「無理矢理食べさせましょう」

    沙綾「くれてない!」

    チーノ「はぁっ!」

    沙綾「きゃっ!? ……え、あれ……か、身体が動かせない……!?」

    チーノ「見えない麺で拘束させて頂きました。付喪神ですから、この程度造作もありません」

    沙綾「なにそれ!?」

    チーノ「ついでに肩と背中をマッサージしてあげます」モミモミ


    610: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:02:02.00 ID:h6AWmXvL0


    沙綾「チ、チーノちゃん! そんなワケ分かんない力でマッサージしないで!」

    チーノ「うるさいですね……」モミモミ

    沙綾「あ、あぁ~……肩こりと背中の張りが楽になってく……」

    チーノ「はい、今日のお仕事は終わりですよ。お疲れさまでした」モミモミモミモミ

    沙綾「うぅ……」

    チーノ「こんなにがっちがちに肩がこるまで一生懸命頑張ってしまう沙綾さんを見過ごせません。やはり私が癒してあげないと……」

    沙綾「いや、もう十分に癒されたから……」

    チーノ「ダメです。まだ足りてません。さぁ、お風呂で温まって、凝り固まった肩と背中をほぐしたら、次は美味しいご飯の時間ですよ」サッ

    沙綾「だからペペロンチーノは……好きだけど、それは……」


    611: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:03:03.86 ID:h6AWmXvL0


    チーノ「上手にブレーキを踏めない沙綾さんのために、私があなたの中にいます。胃の中でしっかりもたれてあげますから」

    沙綾「いやそれは本当にゴメンなんだけど」

    チーノ「私のベーコンを噛まないで飲んでください」

    沙綾「いやいや、そのベーコンの厚さはヤバすぎでしょ? ベーコンステーキって呼ばれるやつだよねそれ?」

    チーノ「ニンニクとオリーブオイルに絡めて、風味もばっちりです。美味しいですよ」

    沙綾「美味しそうは美味しそうだけど……ちょ、近い、そんなグイグイしないで!」

    チーノ「あーんしてください。あーん」グググ

    沙綾(あ……これ食べないと多分ダメなやつだ……ペペロンチーノに窒息させられるやつだ……)


    612: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:04:48.96 ID:h6AWmXvL0


    沙綾「うぅ……あんまり食べたくないけど……あ、あーん」

    チーノ「それでこそ沙綾さんですね。それっ」

    沙綾「あむ、むぐ……あ、美味しい」

    チーノ「でしょう?」

    沙綾「う、うん……」

    チーノ「ふふ……お誕生日おめでとうございます、沙綾さん」

    沙綾「えーっと、ありがと」

    チーノ「さぁ、さめる前に食べきってくださいね」グイグイ

    沙綾「わ、分かったからそんなにフォークを押しつけてこないでってば」

    沙綾(けど……本当に美味しいは美味しいし……まぁいいのかな……)

    チーノ「ああ、沙綾さんの中に私が入ってます……ひとつになってます……」

    沙綾「……いややっぱ食べづらいよ……」



    ――――――――――
    ―――――――
    ――――
    ……


    613: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:05:20.59 ID:h6AWmXvL0


    ――山吹家 沙綾の部屋――

    ――ピピピピピ...

    沙綾「……はっ」

    ――ピピピピピ...

    沙綾「…………」ムクッ、カチャ

    沙綾「…………」

    沙綾「ああ、やっぱり夢だった……」

    沙綾「ここ私の部屋だし……自分の家だし……今は高校二年生だし……」


    614: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/05/26(日) 21:06:42.39 ID:h6AWmXvL0


    沙綾「なんであんな変な夢見たんだろ。誕生日は先週だったのに――あ」

    沙綾(枕元のスマートフォンに目をやって、昨日の夜にモカから送られてきた動画を思い出す)

    青葉モカ『沙綾にぴったりの歌見つけたから、弾き語りした動画送るね~』

    沙綾(とか、そんな感じのこと言って、おかしな歌詞の歌をやたらと切ない調子の弾き語りで披露してくれた)

    沙綾「絶対あれのせいだ……なんか本当に胃もたれしてる感じがする……」

    沙綾(恨みがましくスマートフォンを見つめる)

    沙綾(誕生日をまた祝ってくれたのは嬉しいけど……もう少し、何かこう、他になかったのかな……)

    沙綾(胸のあたりには、夢の中で厚切りベーコンステーキを本当に噛まないで飲み込まされた感触が残っているような気がした)

    沙綾(もうしばらく……ペペロンチーノは食べたくない……)



    おわり


    616: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:47:23.66 ID:cA6JenPS0


    まりなさんと新人スタッフくん

    ※独自設定要素があります。

     スタッフくんを始めとしたCiRCLE従業員に勝手なキャラ付けをしています。


    617: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:48:43.30 ID:cA6JenPS0



    ☆新年会について



    ――CiRCLE・事務室――

    スタッフ「おはようございます」

    月島まりな「あ、おはよー」

    オーナー「おはよう」

    スタッフ「……どうしたんですか? 2人してテレビにかじりついて」

    まりな「あーそれはね……」

    オーナー「私から説明しよう。月島くんはそっちを頼む」

    まりな「はーい」

    オーナー「ほら、この前、よくウチを使ってくれるバンドの子たちが新年会を開いただろう?」

    スタッフ「ええ。僕が他のライブハウスにヘルプに出てた時……でしたかね」

    オーナー「うむ、その時だ。私もその日は用事があって彼女たちの様子を見れなかったんだが、月島くんが新年会のステージを動画にしてくれていてな」


    618: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:49:18.98 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「ああ、それを今ここで見ようと」

    オーナー「そういうことだ。そうだ、君もせっかくだし、一緒に見ようじゃないか」

    スタッフ「いいんですか? あと30分もしたら開店ですよ?」

    オーナー「なに、全部を見る訳じゃないさ。ただ、月島くん曰く、彼女たちのかくし芸大会は必見だということでね。ひとまずそこだけを見ようということさ」

    スタッフ「分かりました。そういうことでしたら、僕もご一緒させていただきます」

    まりな「ここをこうして……よし、っと! お待たせ、準備できたよ」

    オーナー「うむ、苦しゅうない」

    スタッフ「ありがとうございます、まりなさん」

    まりな「いえいえ~。それじゃあ早速……再生~」ポチ


    619: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:49:59.02 ID:cA6JenPS0



    テレビ『… … …』

    戸山香澄『――よ始まりました、お正月かくし芸大会! 司会は私、Poppin'Partyのギターボーカル戸山香澄と――』

    丸山彩『まんまるお山に彩りを! Pastel*Palettes、ふわふわピンク担当の丸山彩でお送りしまーす!』

    香澄『拍手―――!』

    『ワァー、パチパチ...』


    620: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:50:28.58 ID:cA6JenPS0



    スタッフ「司会はあの2人なのか……大丈夫なのかな」

    まりな(有咲ちゃんと同じこと言ってる)

    オーナー「元気があっていいじゃないか」

    スタッフ「いや……でもなんかもう、ずっと『始まったね』『始まりましたね』しか言ってないですよ、あの子たち」

    オーナー「はっはっは、学生なんだからそんなものだろう。初々しくて可愛いじゃないか」

    まりな「そうそう、気にしない気にしない。ほら、もうすぐ一番手のあこちゃんたちが始まるよ」

    オーナー「ああ、あこくん。それに巴くんに……」

    スタッフ「はぐみちゃんと今井さんの……ヒップホップダンスか」


    621: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:50:54.75 ID:cA6JenPS0



    宇田川あこ『ミュージックスタートっ!』

    『~♪』セカイノッビノビトレジャー


    622: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:51:21.63 ID:cA6JenPS0



    スタッフ「おお、かなり本格的なダンスだ」

    オーナー「うむ。みんな笑顔が輝いていていい。流れる汗も煌めいていて美しい」

    まりな「この4人は学校でもダンス部所属ですからね。生で見るともっと迫力がありますよ」

    スタッフ「すごいなぁ。こんなステップ踏んだら絶対に転ぶぞ、僕」

    まりな「これに友希那ちゃんと燐子ちゃんも誘われてたんだって」

    スタッフ「……いや、あの2人にも絶対に無理ですよね、これ」

    オーナー「ステージではクールなロゼリアが情熱的なダンス……それもまた見てみたいものだ」

    まりな「まだまだ続きますからね、彼女たちの勇姿を見てあげてください」


    623: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:51:50.57 ID:cA6JenPS0



    若宮イヴ『この手裏剣を投げて、宙に浮かぶ風船を割ってみせます! 題して“手裏剣風船割り”です!』

    イヴ『実は、この日のために鍛錬を重ね、身につけました! ブシドーの精神です!』


    624: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:52:20.40 ID:cA6JenPS0



    スタッフ「ブシドー……? 忍びの道とかじゃなく? ブシドーってなんだっけ……」

    オーナー「ははは、細かいことを気にすると白髪が増えるぞ」

    スタッフ「…………」ソッ

    まりな「どうしたの、自分の髪の毛触って?」

    スタッフ「いえ……迷信だよなぁって思いまして……」

    まりな(あ、気にしてるんだ、若白髪があるの)

    オーナー(少ない男手として彼には何かと苦労かけてるからな……悪いことを言ってしまっただろうか)


    625: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:52:48.26 ID:cA6JenPS0



    イヴ『えぇいっ、ブシド―――――!』パァン


    626: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:53:26.34 ID:cA6JenPS0



    スタッフ「……流石ブシドー、ニンジャのワザもこなせる。すごいぞブシドー、すごすぎるぞブシドー。こまけぇこたぁいいんだよの精神だ、ブシドー」

    まりな(自分に言い聞かせるように言ってる……)

    オーナー(あとでフォローしておこう)

    オーナー「さて、若宮くんの見事なブシドーも終わったことだし、次は誰の出番かな」

    まりな「次は確か……あっ」

    スタッフ「どうしたんですか、まりなさ――あ、いや、そんな細かいことは気にしないぞ、僕は。次は花園さんか。わー楽しみだなぁー」

    オーナー「うむうむ。一風変わった花園くんのことだ。きっと度肝を抜くようなことをやってくれるはずだ」

    まりな(……うん、まぁ、確かに度肝を抜かれる……かな)


    627: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:53:54.88 ID:cA6JenPS0



    彩『えっと、たえちゃんのかくし芸は……“うさぎのモノマネ”だよね?』

    花園たえ『はい! うさぎがニンジンを食べているところのモノマネをします』


    628: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:54:27.31 ID:cA6JenPS0



    スタッフ「うさぎのモノマネ……?」

    オーナー「ほう、犬や猫は見るが、うさぎとは……」

    まりな「…………」


    629: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:54:53.70 ID:cA6JenPS0



    たえ『それじゃあ、いくね。口元に注目だよ』

    たえ『…………』モグモグ


    630: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:55:29.49 ID:cA6JenPS0



    スタッフ(座り込んで……)

    オーナー(前歯で何かを食むような仕草をしている……)

    まりな「…………」


    631: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:55:55.63 ID:cA6JenPS0



    たえ『…………』モグモグ


    632: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:56:26.33 ID:cA6JenPS0



    スタッフ(えっ、これだけ? いや、そんなまさか、な……)

    オーナー(ここからどう持っていくのか……花園くんの手腕の見せどころだな……)

    まりな「…………」


    633: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:56:53.27 ID:cA6JenPS0



    たえ『…………』モグモグモグ


    634: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:57:26.06 ID:cA6JenPS0



    スタッフ(う、うそだろ……ずっと同じ動きだぞ……?)ゴクリ

    オーナー(まさか……このまま押し通すのか……)ゴクリ

    まりな「…………」


    635: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:58:41.37 ID:cA6JenPS0



    たえ『…………』モグモグモグモグ


    636: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:59:14.96 ID:cA6JenPS0



    スタッフ(すごい勢いで空気が凍っていく……のに、)

    オーナー(まったく動じていない……なんという精神力なんだ、花園くん……)

    まりな「…………」


    637: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 20:59:41.11 ID:cA6JenPS0



    たえ『……はい、終了。どうだった? 似てた?』

    市ヶ谷有咲『似てた! 似てたから! も~早く戻ってこいって!』


    638: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:00:12.58 ID:cA6JenPS0



    スタッフ(うわぁ、市ヶ谷ちゃんの方が必死になってる……)

    オーナー(うぅむ、なんと評すればいいのだろうか、これは……)

    まりな「…………」


    たえ『えー、続きまして――』

    有咲『まだやんのかっ!?』スタッフ「まだやるの!?」

    まりな(わ、綺麗に有咲ちゃんと声がハモった)

    オーナー(花園たえ……彼女の器は計り知れないな……)


    ……………………


    639: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:00:47.27 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(それからもかくし芸大会は続いた)

    スタッフ(青葉さんの“目隠し利きパン”、氷川姉妹の“テーブルクロス引き”、弦巻さんと奥沢さんの“ジャグリング”、それからまりなさんのギター演奏)

    スタッフ(腕もかなりなまっちゃってる、なんて言ってたけど、果たしてそうだろうか)

    スタッフ(まりなさん、仕事の休憩時間なんかにはたまにアコースティックギターを抱えてギターをかき鳴らしてるし)

    スタッフ(そのことをまりなさんに言ったら、)

    まりな「いや、ほら……ね? 私の前のこころちゃんと美咲ちゃんが……あまりにもプロだったでしょ? だからほら、少しでもハードルを下げないとって思ってさ……」

    スタッフ(とのお言葉を貰った。気持ちは分からなくもなかったので僕は軽く頷いておいた)

    スタッフ(でも、すごい上手なんだから謙遜なんてしなくてもいいのに)


    640: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:01:15.44 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(そんなことを思っているうちに、最後のかくし芸、戸山さんと丸山さんのマジックが始まった)

    スタッフ(この2人でマジックなんて大丈夫なんだろうか、と思っていたのは会場のみんなも一緒だったようで、次第に彼女たちに対する応援が大きくなっていった)

    スタッフ(マジックってこういうものだっけ、という疑問が頭にもたげたけど、僕は気にしないことにした)

    スタッフ(今日から僕は細かいことは気にしない人間になると心に誓ったからだ。別に若白髪とか全然関係ないし気にもしていないけど、やっぱり男たるもの少しぐらい大らかな、そう、花園さんのかくし芸くらいの大らかさが必要なんだ)

    スタッフ(そう思っているうちに、2人のマジックも無事に……彼女たちらしいという意味で、無事に終わった)

    スタッフ(録画はまだまだ続いていたけど、かくし芸大会はそこで終わりのようだった。まりなさんがテレビに繋いだレコーダーを取り外して僕たちの方を振り返った)


    641: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:01:46.60 ID:cA6JenPS0


    まりな「かくし芸大会は以上です。どうでした?」

    オーナー「いやぁ、よかったよ。やっぱり若さっていうのは財産だねぇ。彼女たちがこうしてウチを盛り上げてくれると助かるよ」

    スタッフ「ですね。僕もあんまりあの子たちと直接関わることはないですけど、彼女らの姿を見てると元気を貰えますよ」

    まりな「ふふ、それならよかった。みんなにも伝えておくね」

    オーナー「うむ。これからもCiRCLEを贔屓にしてもらうために、今後も彼女たちの要望は出来るだけ聞き入れるようにしよう」

    スタッフ「はい。……あれ」

    まりな「どうしたの?」

    スタッフ「あ、いや、そういえば結構時間経ってたなぁって思いまして……っ!!」チラ

    まりな「あ、そういえば……っ!?」チラ


    642: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:02:16.72 ID:cA6JenPS0


    オーナー「楽しい時間というのは過ぎるのが早いものだからね。私も若い頃は」

    スタッフ「いやっ、言ってる場合じゃないですって!! もうオープンの時間、10分も過ぎてるじゃないですか!!」

    まりな「と、とりあえずお店開けなくちゃ! えぇと今日は朝一の予約は……!」

    スタッフ「昨日、ロゼリアの子たちが予約入れてきませんでしたっけ!?」

    まりな「入ってた! 練習終わりに入れてった!!」

    スタッフ「うわぁまずい、絶対に外で待ってるよ! と、とりあえず表口開けてきます!」

    まりな「ロゼリア、Bスタジオだよね!? 準備は出来てるから鍵だけ持ってくる!!」

    オーナー「はっはっは、元気なことはいいこと――」

    スタッフ「呑気なこと言ってないでオーナーも手伝ってください!!」

    まりな「受付カウンターの準備しててください!!」

    オーナー「……うむ」

    スタッフ「あー絶対これ怒られる! 湊さんの氷のように冷え切った瞳が目に浮かぶ!」ドタドタ

    まりな「それから紗夜ちゃんにグサッと心に刺さること言われる! そのあとリサちゃんにフォローされて余計にいたたまれなくなるやつ!」バタバタ

    オーナー「……うむ、これもウチらしくていいんじゃないかな」


    643: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:02:45.65 ID:cA6JenPS0



    ☆スタッフくんの口調について



    ――CiRCLE――

    スタッフ「はい、スタジオのご予約ですね。日時はお決まりでしょうか?」

    「えぇっと、今度の日曜日の……」

    スタッフ「ええ、その日でしたらこの時間からこの時間、それとここの時間も空いてます」

    「それじゃあここのところで……」

    スタッフ「はい、承りました。もしご都合が悪くなりましたら、特にキャンセル料は頂きませんので、早めにご連絡ください。お電話でもご来店でも、どちらでも対応できますから」

    「分かりました! ありがとうございます!」

    スタッフ「いえいえ、こちらこそ。それでは日曜日の午後3時からで、お待ちしていますね」


    644: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:03:27.05 ID:cA6JenPS0


    ―少し離れたところ―

    ポニ子(CiRCLEを日頃ご利用いただいております皆さま方、どうもこんにちは)

    ポニ子(いつもカウンターでまりなさんの隣にいる、ポニーテールがチャームポイントのポニ子でございます)

    ポニ子(ポニ子というのはもちろん本名じゃありません。わたしはいっつもポニーテールだから、気付いたらみんなからポニ子とかポニちゃんとか呼ばれるようになり、今ではもう完全にそれが定着した次第でございます)

    ポニ子(そんなわたしですが、少し気になっていることがあって、スタッフさんのことをなんとなく観察している真っ最中です)


    645: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:04:28.94 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「…………」ジー

    まりな「どうしたの、ポニちゃん?」

    ポニ子「え?」

    まりな「なんだかずっとスタッフくんのこと見てたけど……」

    ポニ子「別になんでもないですよ?」

    まりな「なんでもない、って割にはすごい凝視してたよ? あ、もしかして若白髪があるのが気になる? でもそれは口にしないであげてね?」

    ポニ子「いえいえ、それは気にならないんで……」

    まりな「あれ、そうなの? じゃあ他になにか気になることがあるんだ?」

    ポニ子「まぁその、気になるって言ってもそんな大層なことじゃないんですけどね」

    まりな「ふーん? 私でよかったら話くらい聞くよ?」

    ポニ子「ええ、それじゃあまぁ……暇ですし、少し相手をお願いいたします」

    まりな「ん、任せて。これでも結構長いこと一緒に働いてるからね。あの子のことで分かんないことなんて多分そんなにないよ」

    ポニ子「ええ、ええ、それは心強いことです。それじゃあ早速なんですけど……」

    まりな「うん」

    ポニ子「スタッフさん、人によって口調変えますよね……って思ってたんです」

    まりな「……あー、そうだね」


    646: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:05:05.04 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「お客さま方にはもちろん敬語。それはいいんですけど……ほら、よく来てくれるガールズバンドの子たちだと、結構変えてるじゃないですか」

    まりな「だねぇ。基本はみんな名字にさん付けして丁寧に話すことが多いけど、例外の女の子もいるね」

    ポニ子「でしょう? あ、でも氷川さんたちと、あと宇田川さんたちは分かるんですよ」

    まりな「姉妹だもんね。『紗夜さん』、『日菜さん』、『巴さん』、『あこちゃん』って呼んでるね」

    ポニ子「ええ、堅苦しいくらいに徹底してさん付けで。まぁ宇田川妹さんは分かります。幼いですし、ちゃん付けっていうのは」

    まりな「そうだね。あの子たちの中じゃ一番年下だし、みんなからも可愛がられてるもんね」

    ポニ子「それと同じ理由で、北沢さんもなんとなく分かります」


    647: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:05:43.19 ID:cA6JenPS0


    まりな「ああ、はぐみちゃん」

    ポニ子「はい。あの子も幼げですし、ちゃん付けで呼ぶのは分からないでもないです」

    まりな「最初は北沢さんって呼んでたんだよ。でも、確か親戚の女の子に似てるから下の名前にちゃん付けで呼ぶようになったんだ」

    ポニ子「そうなんですか?」

    まりな「うん。ここの近くに親戚の家があって、そこに住んでる歳の離れたいとこに似てるんだー、みたいなこと言ってた」

    ポニ子「はー、そんな理由があったんですか」

    まりな「今は疎遠になっちゃったって言ってたけど、昔はよく一緒に遊んであげてて、そのせいではぐみちゃんははぐみちゃん呼びじゃないとなんか落ち着かない……らしいよ」

    ポニ子「あの人って意外とめんどくさい性格してますよね」

    まりな「あはは……でもそういう生真面目なところも彼の長所だってオーナーが言ってたから。私もそう思うし、信頼できるからさ」


    648: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:06:21.37 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「へぇー……」

    まりな「……なんだか意味深な顔になってない、ポニ子ちゃん?」

    ポニ子「いえ、べつに。気のせいですよ。それより、北沢さんのことはある程度分かってたのでいいんですよ。でも最も大きな謎は別にあるんです」

    まりな「最も大きな謎?」

    ポニ子「はい。本当、前々からずーっと気になってたんですけど……なんで市ヶ谷さんだけ『市ヶ谷ちゃん』呼びなんですか?」

    まりな「あー、それね」

    ポニ子「名字にさん付けが基本、幼げな子は名前にちゃん付けが基本、じゃあなんで市ヶ谷さんだけ名字にちゃん付けなんだろう……っていうのが、バイトの暇な時の定番の考えごとなんですよ」

    まりな「んー、それは話すと長くなるけど」

    ポニ子「はい」

    まりな「簡単に言うとね、『あいつだけ僕にタメ口&呼び捨てだから』って感じ」


    649: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:07:15.30 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「……はぁ……?」

    まりな「有咲ちゃんとスタッフくんが話してるところ、見たことあるよね?」

    ポニ子「ええ、そりゃあ。市ヶ谷さんもスタッフさんも、ずいぶん砕けた……っていうかいがみ合ってるのかってレベルですよね。あの2人が他人を指して『お前』呼びするのなんて珍しいですし」

    まりな「でしょ? だから、市ヶ谷ちゃんって呼んでるの」

    ポニ子「……因果関係がイマイチ分からないのですが」

    まりな「まぁ……色々あるんだよ」

    ポニ子「色々、ですか」

    まりな「うん」


    650: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:07:41.28 ID:cA6JenPS0


    ポニ子(……あんまり深く踏み入っちゃいけないことなんだろうか)

    まりな(疎遠になった親戚の子とよく一緒に遊んでたのが有咲ちゃんらしくて、昔から面識のある幼馴染ってだけだけど)

    ポニ子(もしかして、超絶仲悪い……とか?)

    まりな(有咲ちゃん相手だと本当に遠慮しないからなぁ。有咲ちゃんも有咲ちゃんでツンデレちゃんだから結構当たり強いし)

    ポニ子(確かにスタッフさんは生真面目だし……高校生に呼び捨てタメ口されたら、虫も殺せないヘタレでもちょっと怒るのかな……)

    まりな(『うっせー! 有咲ちゃんなんて呼ぶなぁー!』って言われた時、『昔は「おにーさん、おにーさん」って呼んできてあんなに懐いてたのに……』とかぼやいてたなぁ)

    ポニ子(うぅん……聞かない方がよかったかも……)

    まりな(でも端から見てるとケンカするほど仲がいいっていう兄妹にしか見えないし、微笑ましいけどね)


    651: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:08:11.64 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「あれ、でも……」

    まりな「うん?」

    ポニ子「弦巻さんもそうじゃないですか?」

    まりな「こころちゃんかぁ。こころちゃんはほら、誰にでもそうだし……なんていうか、あの子なら気にならないじゃない?」

    ポニ子「あー……はい、そうですね」

    まりな「でしょ? でも有咲ちゃんだと、私には敬語を使うのにスタッフくんにはすごくフレンドリーだからさ」

    ポニ子「市ヶ谷さん、わたしの方が年上っていうのもありますけど、いつも丁寧に接してくれますね。確かにCiRCLEの従業員の中で、砕けた口調で話すのはスタッフさんだけですね」

    まりな「だから市ヶ谷ちゃんって呼び方なんだよ」

    ポニ子「そうなんですね……腑に落ちたような落ちないような……」

    まりな「あ、噂をすれば……」

    ポニ子「……市ヶ谷さんですね」


    652: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:08:42.66 ID:cA6JenPS0



    スタッフ「あ、いらっしゃい、市ヶ谷ちゃん」

    有咲「げっ」

    スタッフ「いや『げっ』ってなんだよ、『げっ』って」

    有咲「別に。まりなさんじゃねーの、今日の受付は」

    スタッフ「まりなさんなら、ほら、さっきからあそこでポニ子ちゃんと一緒に仕事サボってるよ」

    有咲「サボってって……ああ、ホントだ。なんか2人して椅子に座ってこっち見てる」

    スタッフ「ま、平日のこの時間は暇だからいいんだけどさ。市ヶ谷ちゃんはポピパのみんなとスタジオだっけ?」

    有咲「ああうん。たまにはスタジオで練習したいっておたえが言い出してな」

    スタッフ「ふぅん。Cスタジオもう用意してあるし、先に入ってる?」

    有咲「は? いいの?」

    スタッフ「いいよ。どうせ今日はガラガラだったし、全員揃ってから利用開始にするし」


    653: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:09:09.71 ID:cA6JenPS0


    有咲「ん、じゃあお言葉に甘えて」

    スタッフ「…………」

    有咲「……なんだよ?」

    スタッフ「いーや、別に。ただ、昔はもっと可愛げがあったのになぁって思って」

    有咲「はぁっ? なんだよそれ」

    スタッフ「はぁー……昔の市ヶ谷ちゃんだったら『ありがと、おにーさん』って笑顔で言ってくれただろうなぁ……」

    有咲「いつの話してんだよ……ったく」

    スタッフ「はい、それじゃあこれ、スタジオの鍵。ポピパのみんなが来たらもうスタジオに入ってるって言っとくよ」

    有咲「ん。……その、ありがと」

    スタッフ「え? なになに? よく聞こえなかった。ちょっともう一回言ってくんない?」

    有咲「う、うるせー! 絶対聞こえてただろ!」

    スタッフ「まったく、お礼もちゃんと言えない子に育つなんて……お兄ちゃんは悲しいよ」

    有咲「誰がお兄ちゃんだっつーの! 私は一人っ子だ!」

    スタッフ「えー、だって昔はあんなに……」

    有咲「だからいつの話だよ! さっさと鍵寄越せ!」

    スタッフ「はーい」

    有咲「たっくもう、たまにお礼を言えばこうなんだから……」


    654: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:09:41.34 ID:cA6JenPS0



    ポニ子「……仲良さそうですね」

    まりな「うん、普通に仲良しだよ」

    ポニ子「まりなさんが色々あるって言うから、てっきり超絶仲が悪いのかと思いましたよ」

    まりな「あはは、まさか。ここに来てくれる子はみんないい子たちだし、スタッフくんも真面目だからね」

    ポニ子「そうですよね。仲が悪かったらこんなにウチを贔屓にしてくれませんよね」

    まりな「うん。『和!』だね」サークリングノポーズ

    ポニ子(でも、色々あったの色々って何なんだろうなぁ……)

    まりな「……あの、ポニちゃん? 流石に無反応だとお姉さん悲しいなぁって思うんだけど……?」サークリングノポーズ


    655: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:10:18.87 ID:cA6JenPS0



    ☆いつも一緒にいますね



    ――ショッピングモール――

    スタッフ「えぇっと、必要なものは今の雑貨屋で全部……ですね」

    まりな「うん、そうみたいだね。ごめんね、買い出しに付き合ってもらっちゃって」

    スタッフ「いえいえ、どうせヒマしてましたし」

    まりな「そう言ってくれると助かるよ。あ、そうだ。そうしたらこの後――」

    「おーい!」

    スタッフ「ん?」

    まりな「うん?」

    上原ひまり「やっぱりまりなさんたちだ! どうも、こんにちはっ」

    有咲「どうもー」


    656: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:11:07.28 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「ああ、上原さんに市ヶ谷ちゃん」

    まりな「奇遇だね。2人とも、お買い物?」

    ひまり「はい、ウィンドウショッピングです! 雑貨屋に新しい商品が入ったってつぐが言ってたんで、有咲と一緒に見に来たんですよ!」

    まりな「そうなんだ。ふふ、仲良しさんだね」

    ひまり「ふっふっふ、有咲と私はもうマブダチですよ、マ・ブ・ダ・チ!」

    有咲「マ、マブダチって……どんな言葉選びだよそれ……」

    スタッフ「……ふっ」

    スタッフ(照れてやんの)

    有咲「ああ? なんですか、その意味深な笑いは?」

    スタッフ「いや別に?」

    有咲「別に、じゃねーだろ明らかに……」

    スタッフ「そう睨まないでくれたまえ、市ヶ谷ちゃん。ほらスマイルスマイル。笑ってた方が可愛いぞー」

    有咲「うるせー!」


    657: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:11:36.78 ID:cA6JenPS0


    ひまり「…………」

    まりな「どうしたの、ひまりちゃん」

    ひまり「あ、いえ……前から思ってたんですけど、有咲とスタッフさんって仲いいですよね」

    有咲「いやいや仲良くねーって、こんなやつとは」

    スタッフ「ひどい言われようだ。昔の市ヶ谷ちゃんは――」

    有咲「ややこしくなるから黙ってろ」

    まりな「あー、そうだね。色々あるみたいだから、あの2人には」

    ひまり「色々……いろいろ……?」

    ひまり(なんだろう、色々って。……ま、まさか、実は裏ではこっそりお付き合いしてるとか……?)

    ひまり(禁断の歳の差カップル……そんなことになってたとしたら……うきゃー!)


    658: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:12:05.84 ID:cA6JenPS0


    有咲「いや、ひまりちゃんの考えてることはねーから」

    ひまり「えっ」

    スタッフ「うん。残念ながら、上原さんの考えてることは見当違いだよ」

    ひまり「え、え!? なんで2人とも、私の考えてることが分かるの!?」

    まりな「あー……なんていうか、顔を見ればすぐに分かっちゃったよ、ひまりちゃん」

    ひまり「えー! まりなさんまで!? うぅ、私ってそんなに分かりやすいかなぁ……」

    まりな「まぁまぁ。それがひまりちゃんの良いところだと思うよ」

    スタッフ「うんうん。本当、上原さんのそういう素直なところは素晴らしい」

    有咲「こっち見ながら言うな」

    ひまり「そ、そうですか? えへへ……」

    スタッフ(その切り替えの早さも良いところだよなぁ)

    まりな(表情がころころ変わって可愛いなぁ)

    有咲(私が言うのもなんだけど、チョロいなひまりちゃん……)


    659: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:12:48.38 ID:cA6JenPS0


    ひまり「それで、まりなさんたちはどうしたんですか?」

    まりな「私たちもひまりちゃんたちと一緒だよ。CiRCLEで使う備品が切れかけててね、買い物に来てたんだ」

    有咲「へー。結構たくさん買ったんですね」

    まりな「うん。なんだかんだ必要な物って多くてね……。でも、ひまりちゃんや有咲ちゃんたちに気持ちよく使ってもらいたいからさ。これくらいへっちゃらだよ」

    ひまり「いつもありがとうございます!」

    有咲「う……すいません、ポピパはウチばっかであんまスタジオは使えてませんけど……ありがとうございます」

    まりな「どういたしまして。これからもウチをご贔屓にしてくれたら嬉しいな……なーんて、ちょっと恩着せがましいかな」

    ひまり「そんなことありませんよっ。これからもバンバン使いますからね!」

    有咲「私たちもライブの時にはお世話になります」

    まりな「あはは、ありがとね」


    660: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:13:19.46 ID:cA6JenPS0


    ひまり「もうお買い物は終わったんですか?」

    まりな「うん。だからこれから戻るところなんだ」

    有咲「そうなんですね。そしたらどんどんコイツをこき使ってやってください」

    スタッフ「おーおー随分な言い草だな市ヶ谷ちゃん。言っておくけど僕は今日非番だからね? 善意100%でまりなさんのお手伝いしてるからね?」

    まりな「うん……ごめんね、本当に。せっかくのお休みなのに手伝って貰って……」

    スタッフ「いえいえ。今日は本当に予定もありませんでしたし、まりなさんは気にしないでくださいよ」

    有咲「そういえば、2人っていつも一緒にいますよね」

    有咲(……つかこいつ、まりなさんに変な下心とか持ってんじゃねーだろうな)ジトー

    スタッフ(あ、『こいつ下心持ってんじゃねーだろうな』とか思ってるな。余計なお世話だ)

    有咲(ぜってー今『余計なお世話だ』って思ってるな)


    661: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:14:03.22 ID:cA6JenPS0


    まりな「え、そうかな?」

    ひまり「確かに言われてみれば……いつCiRCLEに行っても大体一緒だし……商店街とかでもいつも並んで歩いてるような……」

    まりな「まぁウチは人手も少ないし、なんだかんだで一緒にいることは多いかなぁ」

    スタッフ「ですねぇ。気付けば大抵一緒にいますね」

    ひまり(そうですよそうですよ……確かにまりなさんとスタッフさんっていっつも一緒にいますよ)

    ひまり(これは……アレだね、いわゆるひとつのオフィスラブ!)

    ひまり(みんなに優しいお姉さんとお兄さん、だけど夕暮れに染まったCiRCLEにふたりっきりになるとその柔和な仮面が取れて、そこにあるのはひとりの男と女なんて……わきゃー!)


    662: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:14:30.05 ID:cA6JenPS0


    まりな「いや、あの、ひまりちゃん?」

    スタッフ「逞しい妄想をしてるところ申し訳ないけど……別にそういうことはないからね?」

    ひまり「え、え!? もしかしてまた!?」

    有咲「うん……顔に全部出てた」

    ひまり「うっそー!? ご、ごめんなさい! 2人で変なこと考えちゃって……!」

    まりな「う、ううん。ひまりちゃんくらいの女の子ならみんなそういうことに興味はあるだろうし……ね?」

    スタッフ「そうだよ。気にしないで」

    有咲(……あれ、そういやひまりちゃん、私とあいつで妄想したことは謝ってなくね? いや別にいいんだけどさ)


    663: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:14:58.49 ID:cA6JenPS0


    まりな「確かに私たちってよく一緒にいるなーって思うしね」

    スタッフ「ええ。シフトも大体一緒ですし、お昼休みも必然的にほとんど一緒ですし」

    まりな「買い出しとか外回りなんかもほとんど一緒だもん」

    スタッフ「たまにご飯食べたり飲んで帰ることもありますし」

    まりな「休みの日はこうでもしないと会わないけどね」

    スタッフ「ええ。だから気にしないで平気だよ、上原さん」

    ひまり「うぅぅ……やっぱり2人とも優しい……」

    有咲(いや……普通に考えて一緒にいすぎだろ……)


    664: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:15:28.51 ID:cA6JenPS0


    まりな「あっと、つい話し込んじゃったね。私たちはそろそろCiRCLEに戻るよ。ポニちゃんに店番任せちゃってるし」

    スタッフ「そうですね。それじゃあ上原さん、市ヶ谷ちゃん。またCiRCLEで」

    ひまり「はい! お仕事頑張って下さいね!」

    まりな「うん、ありがとね」

    有咲「えと……また今度」

    スタッフ「はしゃぎすぎて上原さんに迷惑かけるなよー」

    有咲「うっせー! さっさと行け!」

    まりな「それじゃあね」

    ひまり「はーい!」ブンブン


    665: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:15:58.50 ID:cA6JenPS0


    まりな「さてと、それじゃあ戻ろっか」

    スタッフ「ええ」

    まりな「それにしても……ふふ」

    スタッフ「どうかしましたか?」

    まりな「ううん、大したことじゃないんだけど……やっぱり有咲ちゃんにはお兄ちゃんするんだなーって」

    スタッフ「あー……はい。つい昔の癖で」

    まりな「ふふ、お兄ちゃんしてるキミってなんだか新鮮だな」

    スタッフ「やめてくださいよ、恥ずかしいじゃないですか。それより、さっき何か言いかけてませんでしたか?」

    まりな「さっき? えーっと……ああ、そうそう。お休みの日に手伝って貰っちゃって何もしないのも悪いからさ、あとでご飯でも食べに行かない? ごちそうするよ」

    スタッフ「あ、本当ですか? ありがとうございます、お言葉に甘えちゃいます」

    まりな「ふふふ、今日はお姉さんが奢っちゃうぞー、なーんて」

    スタッフ「なんですかそのテンションは?」

    まりな「キミが有咲ちゃんを構う時の真似だよ」

    スタッフ「え、うそ、僕そんな風なんですか、市ヶ谷ちゃん構ってる時」

    まりな「大体こんな感じ」

    スタッフ「いやいや絶対嘘ですよ、それは盛ってますよ」

    まりな「えー? じゃあCiRCLEでポニちゃんにも聞いてみなよ。絶対こんな感じだって言うから――……」

    スタッフ「いいですよ。ポニ子ちゃんなら絶対気だるげな顔して『似てません』って言いますからね――……」


    666: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:16:24.72 ID:cA6JenPS0



    有咲「…………」

    有咲「……いや、絶対あの2人、付き合ってるだろ……」

    ひまり「どしたの、有咲?」

    有咲「なんでも。案外ひまりちゃんって鋭いのかなぁーって」

    ひまり「え、そう? ふっふっふ……やはり名探偵ひまりちゃんにかかればこの世に解けない謎なんて……」

    有咲「それは調子に乗りすぎ」


    667: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:17:11.61 ID:cA6JenPS0



    ☆聞き上手なスタッフくん



    ――CiRCLE――

    白金燐子「……はい、そういう訳がありまして……」

    スタッフ「そうなんだ。じゃあやっぱり環境的にはコスト低めの方が動きやすいんだね」

    燐子「ええ……一概にこれ、と決めつけるのはよくありませんけど……そういう感じです……」

    スタッフ「僕は中コストばっかりだったからあんまりそういうの気にしたことなかったな」

    燐子「一度やってみると……案外使いやすいですよ……」

    スタッフ「うん、今度試してみるよ」

    燐子「はい……。あ、もうこんな時間……」

    スタッフ「あ、本当だ」

    燐子「お話、聞いてくれてありがとうございました……。それでは、また……」

    スタッフ「うん。気をつけてね」

    燐子「はい……失礼します……」ペコリ

    スタッフ「はーい」


    668: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:18:06.24 ID:cA6JenPS0


    まりな「お疲れさまー。私が受付するから休憩に入って大丈夫だよ」

    スタッフ「あ、お疲れさまです。分かりました」

    まりな「あれ、あの後ろ姿は燐子ちゃん?」

    スタッフ「ええ。待ち合わせに少し時間があったみたいなんで、ちょっと話をしてました」

    まりな「そうなんだ」

    スタッフ「やっぱり女の子って話好きですよね。白金さんも無口なようで、よく話を聞かせてくれますし」

    まりな「そうだね。ついつい話しこんじゃうこと、結構あるなぁ。みんな仲良しで、聞いてて楽しい話ばっかりだし」

    スタッフ「仲良きことは美しき哉、ってやつですね」

    まりな「うん。……そういえば、キミもキミで聞き上手だよね」

    スタッフ「え、そうですか?」

    まりな「そうだと思うよ。なんだろうね、雰囲気かな? キミっていつでも話聞いてくれそうで、喋りやすいんだ」

    スタッフ「……それって、みんなに僕がいつも暇そうにしてるって思われてません?」

    まりな「いやいや、そんなことないよ。流石に忙しい時はみんな世間話をしてこないでしょ?」

    スタッフ「まぁ……そうですね。手の空いてる時だけですかね」


    669: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:18:38.77 ID:cA6JenPS0


    まりな「でしょ? それだけキミは親しみやすいんだと思うよ」

    スタッフ「そうですかね。そんな自覚はありませんけど」

    まりな「その自覚がないからいいんじゃないかな」

    スタッフ「そういうもんですか」

    まりな「そういうもんなのです。……あ、ごめんね、休憩に入るのにまた話しこんじゃうところだった」

    スタッフ「いえ、気にしないでください。まりなさんと話すの、僕は好きですから」

    まりな「あー……」

    スタッフ「……? なんだか何か言いたげな顔になってますよ?」

    まりな「うん、キミはやっぱり聞き上手だよ。いや、聞き上手っていうか、話させ上手?」

    スタッフ「なんですかそれ」

    まりな「思わずお話したくなるタイプの人ってことだよ」

    スタッフ「よく分かりませんが……」

    まりな「それでいいと思う。キミはそのままのキミでいて欲しいな」

    スタッフ「はぁ」

    まりな「さ、休憩入ってきちゃって」

    スタッフ「分かりました」


    670: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:19:15.48 ID:cA6JenPS0


    ――CiRCLE・事務室――

    ――ガチャ

    スタッフ「お疲れさまです……って、誰もいないか」

    ポニ子「いますよ」

    スタッフ「わっ」

    ポニ子「なんですか、『わっ』って」

    スタッフ「ああいや、ごめんごめん。そういえば17時からバイト入ってたね」

    ポニ子「はい。大学から直行してきたんですけど、ちょっと早く着きすぎたんで時間つぶし中です。スタッフさんは休憩ですか?」

    スタッフ「うん、そう」

    ポニ子「そうですかそうですか。お邪魔ならわたしはどこかへ放浪しますけど」

    スタッフ「いやいや、そんなお気遣いはいらないって。ポニ子ちゃんも暇なら話にでも付き合ってよ。飲み物くらいなら奢るからさ」

    ポニ子「ええ、分かりました。わたしは今、アップルジュースの気分です」

    スタッフ「ん、了解。ちょっと自販機で買ってくる」

    ポニ子「ありがとうございます。ごちそうになります」


    671: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:19:44.84 ID:cA6JenPS0


    ―しばらくして―

    スタッフ「ポニ子ちゃんって甘いもの好きだよね」

    ポニ子「ええ、ええ。女子の身体の半分は甘いもので出来てるんですよ」

    スタッフ「甘いものは別腹的なやつか」

    ポニ子「むしろ甘いものが本命で、その他が別腹です。ケーキが主菜、ご飯は副菜です」

    スタッフ「女の子ってすごいな。僕がケーキを主菜に食べたら、甘すぎて胸焼けしちゃうよ」

    ポニ子「それはスタッフさんが歳だからじゃ」

    スタッフ「ポニ子ちゃん?」

    ポニ子「すみません、思わず本音が」

    スタッフ「そっか、それならいい――いやよくないよね?」

    ポニ子「失敬」


    672: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:20:13.75 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「はぁ……僕、まだそんな歳じゃないのに……」

    ポニ子「いくつでしたっけ?」

    スタッフ「まりなさんの2つ下」

    ポニ子「ほうほう、つまりそれはわたしにまりなさんの年齢を尋ねろと仰るのですね?」

    スタッフ「他意はございません」

    ポニ子「気にしてると余計老け込みますよ」

    スタッフ「いや、それは迷信……あ、でも……」ソッ

    ポニ子(あ、髪の毛触ってる。確か若白髪は気にしてるっぽいことまりなさんが言ってたし、話変えよう)


    673: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:21:07.79 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「そういえば、スタッフさんと市ヶ谷さんって仲良しですよね」

    スタッフ「仲良し……いや、仲が悪い訳じゃないけど、仲良しってほどじゃないよ」

    ポニ子「そうですか? わたしが知っている限りだと、あんなに砕けた言葉で話すのは市ヶ谷さんくらいしか思いつきませんけど」

    スタッフ「あー、まぁ、昔の癖でね。あの子とは幼馴染……うーん、幼馴染ってほど馴染んでないけど、昔からの知り合いだからさ」

    ポニ子「そうだったんですね。だから他の人に比べてあんなに遠慮がないと」

    スタッフ「そんなに市ヶ谷ちゃん相手だと違うかな、僕」

    ポニ子「違いますね。この前まりなさんがやった『対市ヶ谷さんのスタッフさん』のモノマネ、激似でした」

    スタッフ「マジか、僕って他人から見るとあんな風なんだ……」

    ポニ子「はい。妹に構ってもらいたい兄貴って感じがします」

    スタッフ「うわー、仕事場の女の子にそんなこと思われてるなんて確実にヤバい人じゃん……今度から自重しよう……」

    ポニ子「いいんじゃないですか、そんな自嘲も自重もしなくても。その方がスタッフさんらしくて親しみやすいですよ、たぶん」

    スタッフ「たぶんって……まぁ、あんまり市ヶ谷ちゃんにウザいって思わせるのも悪いし、少し接し方は考えてみるよ」

    ポニ子「そうですか」


    674: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:21:50.25 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「あ、親しみやすいって言えば、さっきさ」

    ポニ子「はい」

    スタッフ「まりなさんに僕が聞き上手……っていうか、話させ上手だって言われたんだけど、そういう節ってあるのかな」

    ポニ子「話させ上手……あー、分からないでもない……ですかね。そういうところもありますよ」

    スタッフ「そうなの?」

    ポニ子「はい。なんでしょうね、スタッフさん、何しても怒んなさそうって空気がありますから」

    スタッフ「それって僕が舐められてるってことじゃ……」

    ポニ子「いえいえ、違いますよ。親しまれているのです」

    スタッフ「違いが分からないのですが」

    ポニ子「あれですよ、あれ。親しみには気遣いも含まれてますから。ちゃんとTPOをみんな弁えてます。その上で、暇そうにしてるなら話を聞いてもらおうって思ってるんですよ、きっと」


    675: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:22:21.02 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「あー」

    ポニ子「心当たりがあるでしょう? 大抵いつも暇そうな顔してますし」

    スタッフ「うん……うん?」

    ポニ子「何でもないです。つい口が滑りました」

    スタッフ「えぇ……僕、普通に真面目に仕事してるのに……」

    ポニ子「まぁその、そういうことですよ。こう、ついうっかり口を滑らせてしまう程度に、みなさんから親しまれてるってことですよ」

    ポニ子「オーナーもよく言ってるじゃないですか。仲良きことは美しき哉って」

    スタッフ「うーん……それならいいのかな」

    ポニ子「はい。良き哉良き哉」


    676: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:22:57.48 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「あ、もう休憩終わりだ」

    ポニ子「わたしもそろそろいい時間ですね」

    スタッフ「それじゃあ、今日も一日よろしくお願いします」

    ポニ子「よろしくお願いします」

    スタッフ「僕は先に行ってるね」

    ポニ子「はーい」

    ――ガチャ、バタン

    ポニ子「…………」

    ポニ子「多分、スタッフさんを本気で話させ上手って思ってるのはまりなさんだけだと思いますよ。まりなさんには市ヶ谷さんとは違うベクトルで遠慮がありませんし」

    ポニ子「……って言っていいのか迷ったなぁ」


    677: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:23:35.59 ID:cA6JenPS0



    ☆やきもち



    ――CiRCLE――

    山吹沙綾「こんにちはー」

    まりな「あ、こんにちは、沙綾ちゃん。今日もポピパのみんなでスタジオだっけ」

    沙綾「はい。やっぱり環境が変わるといい刺激があって。それで、ちょっと早く着いちゃったんで、ここで待たせてもらってもいいですか?」

    まりな「もちろんいいよ」

    沙綾「ありがとうございます。……あ、そうだ、そういえば」

    まりな「どうしたの?」

    沙綾「前にスタジオ借りた時、スタッフさんが融通を利かせてくれたみたいで……ありがとうございました」

    まりな「あー、ううん、いいよいいよ。みんなは常連さんだし、その日は暇だったし、気にしないで」

    沙綾「それでもありがとうございました」

    まりな「はい、どういたしまして」


    678: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:24:56.75 ID:cA6JenPS0


    沙綾「それにしても、スタッフさんって有咲には随分甘いっていうのか、優しいっていうのか……気にかけてますよね」

    まりな「そうだね。歳の離れた妹みたいな感じで、ついつい構いたくなるんだと思うよ」

    沙綾「へぇ……。いつも丁寧なスタッフさんが有咲だけそう思うって、なんだかちょっと意外だなぁ」

    まりな「一応、みんなはお客さんだからね。基本的に真面目だけど、あの子もあの子でちょっとお茶目なところがあるんだ」

    沙綾「そうなんですね」

    まりな「あんまりみんなにはそういうところを見せないかもしれないけどね。本当に生真面目っていうか、そういう性格してるからさ」ニコニコ

    沙綾(毎度のことだけど、スタッフさんのこと話す時のまりなさんってすごいニコニコするなぁ)


    679: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:25:27.97 ID:cA6JenPS0


    まりな「CiRCLEの従業員に接するみたいにみんなにも接してあげればいいのに……なんてちょっと思うのになー。せっかくみんなが親しんでくれてるんだし」

    沙綾「確かにそうですね。まりなさんもそうですけど、スタッフさんも話しやすくて良い人ですし」

    まりな「でしょ? あの子、大抵のことは笑って許してくれそうな柔らかい雰囲気があるもんね。何だかこっちの方から思わず踏み込みたくなっちゃうよ」

    沙綾「ええ、すごく親しみやすいですよね。私も自分の部屋にスタッフさん上げたことありますし」

    まりな「……はい?」

    沙綾「え?」

    まりな「あ、ううん……なんでもないよ?」

    沙綾(今一瞬すごい顔したような……)


    680: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:25:58.39 ID:cA6JenPS0


    まりな「えーっと……沙綾ちゃん?」

    沙綾「は、はい?」

    まりな「なんて言うんだろうな、えぇと……さ。こう……ほら、ね? 流石にあの子が何かしたってワケじゃないっていうのは分かってるんだけど、その状況を詳しく教えてもらってもいいかな?」

    沙綾「ええ、いいですけど……」

    まりな「うん、それじゃあお願い」

    沙綾(今まで一度も見たことないくらい真面目な顔になってる……)


    681: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:26:26.22 ID:cA6JenPS0


    沙綾「えぇっと、私がお店にいる時に、スタッフさんが買い物に来てくれたんですよ」

    まりな「うん」

    沙綾「それで、その時店先で妹の紗南がスタッフさんにぶつかっちゃって」

    まりな「うん」

    沙綾「…………」

    沙綾(いや、圧が……なんかプレッシャーがすごい……!)


    682: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:26:51.41 ID:cA6JenPS0


    まりな「続けて?」

    沙綾「あ、はい、えぇと……転んで泣き出しちゃった紗南にキャンディーくれて……あやしてくれたんです」

    まりな「優しい」

    沙綾「……ええ、そうですね。で、まぁ、そのまま帰ってもらうのも悪かったので、私の部屋に上がってもらってお茶――じゃなくて、コーヒーをご馳走した……って感じです」

    まりな「それだけ?」

    沙綾「ええ。あ、あと帰り際にチョココロネをあげました」

    まりな「そっか」

    沙綾「はい」

    まりな「……よかった、何も起きてない」

    沙綾「え?」

    まりな「ううん、なんでも」

    沙綾「は、はぁ……」


    683: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:27:21.93 ID:cA6JenPS0


    まりな「けど、良くないなぁ、まったく。女の子の部屋に軽々しく上がるのはちょっといただけないよ」

    沙綾「えぇと、それはウチの母さんが結構強引に上げちゃった感じだったんで……」

    まりな「だとしても、だよ。そこをきっちり断るのが大人ってものなんだから」

    沙綾「……なんか、なんていうか、ごめんなさい」

    まりな「沙綾ちゃんが謝ることなんてひとつもないよ。これは完全にスタッフくんの過失なんだから」

    沙綾「…………」

    まりな「あの子には私からちゃんと尋も――言いつけておくから、沙綾ちゃんは気にしないでね」

    沙綾「……はい」


    684: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:27:47.70 ID:cA6JenPS0


    香澄「こんにちはー!」

    まりな「あ、ポピパのみんな来たみたいだよ」

    沙綾「ええ、そうですね」

    まりな「はい、じゃあこれ、スタジオの鍵」

    沙綾「ありがとうございます」

    まりな「じゃあ、今日も練習頑張ってね」

    沙綾「はい……」


    685: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:28:17.57 ID:cA6JenPS0


    ――スタジオ内――

    沙綾「…………」

    有咲「沙綾、どうかしたのか?」

    沙綾「え?」

    有咲「いや、なんかさっきから上の空だったからさ。悩みがあるなら話くらい聞くぞ」

    沙綾「あーうん、ありがと。特に大したことでもないんだけどさ……」

    有咲「うん」

    沙綾「まりなさんって、スタッフさんのこと好きだよなぁーって」

    有咲「あー……端から見たらどう考えても付き合ってるな、あの2人は」

    沙綾「だよね……。ああ、スタッフさんに申し訳ないことしたな……まさかあんなことになるなんて……」

    沙綾「尋問って言いかけてたけど、このあと大丈夫かな……」

    有咲「まりなさんはともかく、アイツにならどれだけ迷惑かけてもヘーキだ。私が許すからどんどんやってやれ」

    沙綾「そう言ってくれると少しだけ気が楽になるよ……」


    686: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:29:03.07 ID:cA6JenPS0



    ☆なんかしたっけ?



    ――CiRCLE・事務室――

    スタッフ「はぁ……」

    スタッフ「…………」

    スタッフ「はぁ~……」

    ポニ子「さっきからどうしたんですか」

    スタッフ「え? あ、あれ、ポニ子ちゃん? いつからそこに……」

    ポニ子「スタッフさんが浮かない顔でここに入って来た時からずーっといましたよ」

    スタッフ「あ、マジで……? ごめん、考えごとしてて気が付かなかったよ」

    ポニ子「いいえ、お気になさらず。それよりも珍しいですね。スタッフさんがそんな深刻な顔してるのって」

    スタッフ「え、そう?」

    ポニ子「はい。気付いていないかもしれませんけど、眉間に深い皺がよって、迷子の犬のような困り果てた顔になってますよ。まぁ、ちょっとだけ似合ってますけど」

    スタッフ「…………」

    ポニ子(ツッコミがない……余程重大な悩みごとがあるんだろうか)

    ポニ子(スタッフさんにはなんだかんだお世話になってるし、ここは話だけでも聞こう)


    687: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:30:10.92 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「……話すことで楽になることもありますよ?」

    スタッフ「え……」

    ポニ子「たかが一介の学生に出来ることなんて大層なものではありませんけど、わたしにだって話を聞くことは出来ます」

    スタッフ「…………」

    ポニ子「悩みの種は自分の中にある時は見えませんけど、言葉にして吐き出して、それを客観的に眺めてみれば意外とちっぽけだったってこともあります」

    ポニ子「もしも話せることであれば、話してみてくださいよ。たまにはわたしだって聞き役くらいはしますから」

    スタッフ「ん……そう、だね」

    ポニ子「…………」

    スタッフ「……うん、ひとりで考えてても仕方ないし……ごめんね、少し話に付き合ってもらうよ」

    ポニ子「ええ。わたしのことは壁だと思って、存分に吐き出してみてください」


    688: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:30:41.80 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「ありがとう。それで……あのさ、最近ちょっと気になってることがあってさ」

    ポニ子「はい」

    スタッフ「その、さ。ポニ子ちゃんさ……」

    ポニ子「はい」

    スタッフ「……まりなさんと2人の時って、どんな感じ……?」

    ポニ子「……はい? どんな感じ、とは?」

    スタッフ「あ、いや、えーっとさ……あの、アレなんだよ、アレ」

    ポニ子「……?」

    スタッフ「……最近、まりなさんが僕に冷たいっていうか、当たりが強い……んだよね」

    ポニ子「…………」

    スタッフ「あっ、いやっ、違うんだよ? 別にまりなさんがそっけなくて寂しいとか悲しいとか……いや、それもなくはないんだけど、そうじゃなくてさ? ほら、アレじゃん? こうさ、仕事を円滑に進めるためにはコミュニケーションが大事じゃない?」

    ポニ子「……ソウデスネ」

    ポニ子(あー、その話かぁ……この前まりなさんからもされたなぁ……)

    ポニ子(真面目な話じゃなかったかぁー……)


    689: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:31:12.28 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「だから、ポニ子ちゃんと一緒の時はどうなのかなぁーって思った次第でござった訳なんですよ。特に、本当に他意はないんですよ」

    ポニ子「ええ、まりなさんがわたしと一緒にいる時ですか。特に変わりはありませんよ」

    スタッフ「え、そうなの」

    ポニ子「はい。いつも通り、お茶目で優しいお姉さんです」

    スタッフ「え、それじゃあそっけなくされてるの僕だけ……?」

    ポニ子「じゃないですかね」

    スタッフ「マジか。……マジかぁー……」ドヨーン

    ポニ子(おおぅ、さっきよりもヒドく落ち込んでいる……)

    ポニ子(うーん、ただの痴話げんかとはいえ、流石にこれを放っておくとマズイような気がするし、一度話を聞くと決めた以上はしっかりその役目を果たさなくては)


    690: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:32:01.12 ID:cA6JenPS0


    ポニ子「ああでも、まりなさん、スタッフさんの話もしてましたよ」

    スタッフ「ど、どんな話?」

    ポニ子「山吹さん、いるじゃないですか」

    スタッフ「山吹さんって……ポピパの?」

    ポニ子「はい、ポピパの。なんでもスタッフさん、山吹さんの部屋に上がったことがあるそうじゃないですか」

    スタッフ「部屋に上がった……あれかな、紗南ちゃんが転んだ時のことかな……」

    ポニ子「詳しくは聞かなかったんですけど、恐らくその話でしょうね」

    スタッフ「それが一体……?」

    ポニ子「超絶簡潔にかいつまんで話すと、いい大人がいくら誘われたからってそうホイホイと女の子の部屋に上がる? という問題提起でした」

    ポニ子(本当は『やっぱり年下の女の子の方が……』とか、『私だってまだ……』とか、そういう類の話のような雰囲気でしたけど)


    691: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:32:46.67 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「…………」

    ポニ子「やっぱりここは社会の先輩として、ひとりの“女”として、しっかりと注意しなくちゃいけないだろう、とも言っていました」

    ポニ子(本当は『注意しなくちゃいけないよね……』と言った後、『でもどんな顔して言えばいいんだろう……』とか『プライベートにまで口出しするのはちょっと行き過ぎかな……』とか小声で言ってましたけど)

    スタッフ「…………」

    ポニ子「ただ、まりなさんって優しい性格してるじゃないですか。わたしも怒られたことなんてありませんし、スタッフさんもほとんどないんじゃないですか?」

    スタッフ「……うん、叱られたことは2回だけあるけど、怒られたことはない……かな」

    ポニ子(それは同じものなのでは? ……って言いたいけど我慢しよう)

    ポニ子「だから仕事以外のことでスタッフさんに怒るっていうことが難しくて、どうしたらいいか分からなくて、そっけなく当たってるんじゃないですかね」

    ポニ子(これは本当の話。『どうしたらいいと思う、ポニちゃん……』なんて珍しく弱気な声で言われた話)


    692: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:33:21.65 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「……そうか……」

    ポニ子「まりなさんも悪気がある訳じゃないですし、ましてやスタッフさんのことを嫌ってる訳でもありません」

    ポニ子(むしろその逆過ぎてどうしたらいいのか悩んでるんだろうし)

    ポニ子「ただあなたのことが心配で心配で仕方ないだけなのです。なので、スタッフさん。そんなまりなさんの気持ちをしっかり汲むのが“大人の男”ってやつじゃあないでしょうか」

    スタッフ「……うん、その通りだ」

    ポニ子「ですよね。それならもうあなたのやるべきことは分かっているはずです」

    ポニ子(まりなさんの気持ちが分かったなら、とっとと面と向かってお互いに『好きだ』とでも言って来ればいいのです)

    スタッフ「ああ、ありがとうポニ子ちゃん。僕、ちゃんとまりなさんに言ってくるよ」

    ポニ子「はい」

    ポニ子(ふぅ、これでようやく2人からそれぞれの視点で同じノロケを聞かされることもなくなるでしょう)


    693: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:34:01.13 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「僕はやましいことを何もしてないし、これからは流されず、ちゃんと丁重にお断りするって……!」

    ポニ子「……はい?」

    スタッフ「ウチのメイン客層はガールズバンドだし、男手も少ない職場なんだ。それなのに僕に女の子に対してだらしない一面があるんじゃないかって思わせたら、心配になって当たり前だ」

    ポニ子「いや、あの」

    スタッフ「そんな簡単なことに配慮できない僕が浅はかだった。すぐに言って謝ってくる!」ダッ

    ――ガチャ、バタン

    ポニ子「……行っちゃった」

    ポニ子「…………」

    ポニ子「はぁー……本当、生真面目というか……いや、もうただのアホですよ。朴念仁ですよ」

    ポニ子(話をぼかさないでもっと核心に迫ればよかっただろうか……)

    ポニ子(けどそれはまりなさんに申し訳ないと思うし……ああもう、なんにせよ……)

    ポニ子「とっとと付き合えばいいのに、あの2人……」


    694: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:35:07.43 ID:cA6JenPS0



    ☆お疲れさまでしたの会



    ――居酒屋――

    まりな「それじゃあ、今年度もお疲れさまでしたー」

    スタッフ「お疲れさまでした。乾杯」

    まりな「かんぱーい」

    スタッフ(チン、と軽くビールの入った中ジョッキを合わせる僕とまりなさん)

    スタッフ(毎年恒例、2人だけのささやかな年度末のお疲れさま会である)

    まりな「はぁ~……今年度は色んなことがあったねぇ……」

    スタッフ「そうですねぇ……」

    スタッフ(ジョッキを傾けて、ビールに喉を鳴らす。それから大きく息を吐き出したまりなさんに僕も頷いた)

    まりな「ガルパの子たちがウチをたくさん使ってくれたからかな、何だか例年以上に忙しかったね」

    スタッフ「はい。嬉しい悲鳴ってやつですね」


    695: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:35:49.29 ID:cA6JenPS0


    まりな「うん。みんな可愛くていい子だしねー……キミが女の子の部屋に上がるくらい」

    スタッフ「あー、その件に関しましてはー、えー、再発防止に努めていましてー……」

    まりな「ふふ、冗談だよ。変な気があった訳じゃないのは分かってるし、私もちょっと気にし過ぎちゃったかなって思ったから」

    スタッフ「いえいえ、僕のことを考えてくれてのことでしたから。いつもありがとうございます」

    まりな「そうやって改まって言われちゃうと少し照れちゃうよ。さ、明日は休みだし、今日はのんびり飲もうよ」

    スタッフ「はい」

    スタッフ(頷いて、笑い合う。いつも通りのゆったりとしたお疲れさま会)


    696: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:36:30.15 ID:cA6JenPS0


    ―しばらくして―

    スタッフ(……だった、んだけど)

    まりな「はぁー……お酒美味しい」

    スタッフ「まりなさん、少し飲み過ぎじゃないですか……?」

    まりな「そんなことないですー、これくらい普通ですー」

    スタッフ「いやでもさっきから杯が止まってないっていうか……」

    まりな「なによぅ、私だってたまには羽目を外したいのに、キミはダメだーって言うのー?」

    スタッフ「そういう訳じゃないですけど」

    まりな「じゃあいーじゃなーい。さぁさぁ、キミも飲みなさい」

    スタッフ「……ええ、はい」グビ

    スタッフ(なんだろうか、今日は随分と飲むペースが速い。通常の3倍くらいの速さだ)

    スタッフ(しかも絡み酒なんて……2年に1回あるかどうかの珍しさだ。やっぱり忙しかったし、色々とストレスやら何やらも溜まってるんだろうか)


    697: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:37:03.65 ID:cA6JenPS0


    まりな「…………」グビグビグビ

    まりな「……はぁーっ」

    スタッフ「あの、まりなさん?」

    まりな「んー? なぁにー?」

    スタッフ「いえ、その……もう少しゆっくり飲んだ方が……」

    まりな「だいじょぶだいじょぶー。これくらいへーきへーきー」

    スタッフ「そうですか……」

    スタッフ(……いや絶対大丈夫じゃない。こんな子供っぽいまりなさんなんて初めて見たぞ、僕)

    まりな「たーのしいなー、いつもたーのしいなー♪」

    スタッフ(あー……今日は僕は控えめにしておこう……。まりなさんが潰れちゃったら介抱しないといけないし……)


    698: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:37:34.54 ID:cA6JenPS0


    ―またもうしばらくして―

    まりな「最近さ……本当に、ほんとーに多くてさ……もうね、どうかと思うんだ」

    スタッフ「はぁ」

    まりな「なんだろうね、本当……結婚式の招待状とかさ、まぁ、それはね? 別にさぁ、友達をお祝いするのはさ、楽しいし、なんだか私も嬉しい気持ちになるんだよ?」

    スタッフ「そうですね」

    まりな「けどさぁ、なーんで母さんに『○○ちゃんはもう結婚してるのにー』だとか『××ちゃんには子供がいてー』なんて言われなくっちゃいけないんだろうねー」

    スタッフ「それはほら……やっぱり、早く孫の顔が見たいからですよ」

    まりな「はぁ~……孫、孫ねぇ……。孫どころか恋人すらいないって、今の私……はぁぁ~……」

    スタッフ「その、元気出してくださいよ。そのうち良い人と出会えますって」

    まりな「そうだねぇ……。あこちゃんとはぐみちゃん、孫にするならどっちがいいかなぁ」

    スタッフ「待ってください、あの子たちに何をするつもりですか?」


    699: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:38:16.04 ID:cA6JenPS0


    まりな「これが私の娘です! って連れてったら、母さんもしつこく言ってこないかなぁーって」

    スタッフ「いやいや、まりなさんにあの大きさの娘がいたら色々と大変でしょう?」

    まりな「あ、りみちゃんもいいかも」

    スタッフ「一度離れましょう、孫がどうとかそういう話から。ほら、まりなさん、ちょっと水飲んでください、水」

    まりな「チョココロネ♪」

    スタッフ「牛込さんの真似はあとで見ますから」

    まりな「ちょこちょこ、ころね~、ちゅこころね~♪」

    スタッフ「ちょこころねの歌もあとで聞きますから。呂律まわってないですよ、まりなさん」


    700: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:38:48.43 ID:cA6JenPS0


    ―さらにもうしばらくして―

    まりな「ねぇねぇー、ホントのところ、キミはどう思うのかなぁー?」

    スタッフ「どうもこうも、その件に関しては断り切れなかった僕が悪かったって話で……」

    まりな「えぇー? とかなんとか言っちゃってー、本当は嬉しかったんじゃないですかー?」

    スタッフ「嬉しいって……いや、信頼されてるというか、親しまれてるっていう部分では嬉しいには嬉しいですけど」

    まりな「ほらぁー、ほらほらぁー! やーっぱり嬉しいんじゃーん! はぁぁ~、そうだよねぇ、花の女子高生だもんね~」

    まりな「沙綾ちゃん可愛いもんね~、そりゃあお部屋に上がったらはっぴーらっきーすまいるいぇーいだよね~!」

    スタッフ「そういう話じゃないですよ、まりなさん」

    まりな「はー、やっぱり若さかー、若さには勝てないのかー……」

    スタッフ「何の話ですか。ちょ、もうお酒飲むのやめてくださいっ」


    701: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:39:40.99 ID:cA6JenPS0


    まりな「あーあー、有咲ちゃんにもすーっっごく優しいしー? 若いっていいなぁー……」

    スタッフ「市ヶ谷ちゃんに優しくした覚えはそんなにないですよ」

    まりな「むーじーかーくっ! 出た出たそーいうの! 『はぁ? 別にアイツになんか優しくしてねーし。あれが俺のデフォルトだし』とかいうやつ! はー、ホント、もう、ホント!」

    スタッフ「ホントってなんですかホントって……」

    まりな「スタッフくんさぁー、そういうの良くないよー、ホントよくないよー」

    スタッフ「いや、だからその話はもう終わったことで……」

    まりな「終わってないですー! 私の中ではまだ未消化なんですー!」

    スタッフ「えぇ……」

    まりな「そりゃあね、思うよ、私も。なーんでウチを使う女の子はみんなあんなにかわいいの? って。天使か、アイドルか、って。あ、彩ちゃんたちは本物のアイドルだった」

    スタッフ「…………」

    まりな「いやー、でもさー、限度があるよねぇ? あんなにかわいいのにみんなめちゃくちゃいい子って、これは大変なことですよ。ねぇ?」

    スタッフ(……まずい。この問い、きっとなんて答えてもダメなやつだ)


    702: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:40:20.21 ID:cA6JenPS0


    まりな「聞いてるー?」

    スタッフ「ええ、聞いてます聞いてます。えーっと、そうですね。みんな優しくていい子で、姪とかにいたらさぞかし可愛がったと思いますよ」

    まりな「有咲ちゃんみたいに?」

    スタッフ「や、あいつはまた別なんで」

    まりな「あーあー、まーた有咲ちゃんだけ特別扱いしてる……ずるいなぁ、ずるいなぁー……」

    スタッフ「何がですか」

    まりな「いーよねー、スタッフくんにただひとりだけ特別にされててー。遠慮なし、気兼ねなし、節操なしの意気地なし……」

    スタッフ「それ半分悪口ですよ?」

    まりな「はぁー……」

    スタッフ「……まりなさん?」

    まりな「んにゅ……」

    スタッフ「ああ……とうとう潰れた……」


    703: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:41:00.46 ID:cA6JenPS0


    まりな「…………」

    スタッフ「まりなさーん、大丈夫ですかー?」

    まりな「んー」

    スタッフ「まりなさーん?」

    まりな「んー……」

    スタッフ「ダメだこりゃ……はぁ、仕方ないか。すいませーん! お会計お願いしまーす!」

    店員「はーい、お会計ですね」

    スタッフ「ええ、お願いします」

    スタッフ(……まりなさんがこんなにお酒に酔ったところ、初めて見たなぁ)


    ……………………


    704: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:42:49.34 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(先にタクシーを呼んでから会計を済ませて、まりなさんを支えながら、店の外でタクシーを待つ)

    スタッフ(タクシーが来て、車に乗り込んでから、まりなさんが一人暮らししている賃貸マンションの住所を伝える)

    スタッフ(後部座席でホッと一息つく僕。それに寄りかかる、珍しくお酒に飲まれたまりなさん)

    スタッフ(なんだかなぁ、なんだろうなぁ……なんて思ってるうちに、タクシーがまりなさんのマンションに到着した……までは、別に問題はなかった)

    スタッフ「……どうしてこうなった」

    まりな「んー……」

    スタッフ(『月島』という表札のかかった部屋の扉の前で立ち尽くす僕。そんな僕から一向に離れないまりなさん)

    スタッフ(おかしいなぁー、なんかおかしいよなぁー、この状況)

    スタッフ(本当はまりなさんだけここで降ろして僕は僕のアパートに帰るつもりだったのになぁ……僕が離れようとするとあんなにぐずるなんて思いもよらなかったよ……)

    スタッフ(けどこんな状態のまりなさんを放っておく訳にもいかないし……)

    スタッフ(軽々しく女性の部屋には上がらない、という約束も……玄関までならセーフ。先っちょセーフ理論だ)


    705: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:43:32.25 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「まりなさーん、家に着きましたよー? 鍵、出せますかー?」

    まりな「ん……」つ鍵

    スタッフ「はいはい、ありがとうございます。ちょーっとすいません、借りますね」カチャ

    スタッフ「はい、開きましたよ。上がってください」

    まりな「ん~」

    スタッフ(……よし、ここまでくればもう大丈夫だろう)

    スタッフ「それじゃあまりなさん、僕はここで」

    まりな「んー」ヒシッ

    スタッフ「……あの、そんなにしがみつかれると帰れないんですけど」

    まりな「んー、んー」フルフル

    スタッフ「まりなさーん、お願いだから正気に戻ってくださーい。ほら、今のあなたの行動、それは非常にマズいやつですよー?」

    まりな「んー……」ヒシッ

    スタッフ「……ダメだこりゃ」

    スタッフ(どうしたものか、とは思うけれど、どうしようもない)

    スタッフ(これは腹を括るしかない……んだろう、きっと)

    スタッフ「分かりました、分かりましたよ。部屋の中まで送ります。そしたら帰りますからね?」

    まりな「ん」

    スタッフ「それじゃあ、えっと……お邪魔します」


    ……………………


    706: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:45:18.51 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(正直、見通しが甘かったのかもしれない)

    スタッフ(こんな形でまりなさんの家に上がることになるとは思いもよらなかったし、僕自身もアルコールが残っているせいで些か楽観的な思考でいたことは否めなかった)

    スタッフ(いや、でも仮に僕が素面だったとしても、まさかこんなことになるだなんてことは予想だにしなかったかもしれない)

    まりな「すー……すー……」

    スタッフ(1DKの間取り。およそ10帖の寝室。そのベッドに横になって寝息をたてるまりなさん)

    スタッフ(僕はといえば、まりなさんが眠るベッドを背もたれにして座っていた)

    スタッフ(スタンドに立てかけられたギターや、友達と撮ったのだろう写真が貼ってあるコルクボード。大きな木製のラックには几帳面にCDが収められていて、そのすぐそばに高級そうなスピーカーが鎮座している、とても綺麗に片づけられた寝室)

    スタッフ(実にまりなさんらしいな、と思うと非常に落ち着かない気持ちになって、今すぐにでもこの部屋を出て行かないと何か間違いをおかしそうな気がしてならない)

    スタッフ(だけど僕は動けなかった。何故なら、ちらりと視線をベッドにやれば、そこには僕の右手を両手でキュッと握りしめたまま、一向に離そうとしないまりなさんが眠っているからである)

    スタッフ(本当に……どうしてこうなった……)


    707: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:45:52.63 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(落ち着かない気持ちのまま視線を右往左往させる。……あ、いや、こんなに女の人の部屋を観察するのも失礼な話か)

    スタッフ(そう思って、僕は目の前の壁を凝視した)

    スタッフ(それから頭に思い浮かべるのは、やたらと羽目を外した今日のまりなさんのこと)

    スタッフ(やっぱり疲れているのだろうか……って、そりゃそうか。オーナーに次いでまりなさんが実質店長みたいなものだし、僕の与り知らない気苦労や悩みだって多くあるのだろう……とか、そんなことよりも)

    スタッフ「……あー、嬉しいんだよなぁー……」

    スタッフ(普段はしっかりして、誰にでも優しい素敵なお姉さん。そんな人が、自分の前でだけお酒に酔っ払って、子供みたいに駄々をこねる姿を見せてくれた)

    スタッフ(それが嬉しい。頼られてるみたいで、信頼されてるみたいで、とても嬉しいのだ)

    スタッフ(本当にどうかと思うけれど、こうしてまりなさんに甘えられることが――いや、この状況を甘えられると厳密に言うのかは分からないけど――嬉しくて仕方ない)

    スタッフ「あと普通にかわいい」

    スタッフ(口から漏れた呟きに返事はない。穏やかな寝息が微かに聞こえてくるだけだった)


    708: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:47:01.58 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(この部屋に入った当初こそ、『据え膳ってなんだよ、美味しいの? いや、そりゃ美味しいか……』とかいう考えが頭の中で躍っていた)

    スタッフ(けれども、酔いと一緒に段々と冷めてきた頭には、この信頼を裏切りたくないという気持ちが大きくあった)

    スタッフ(だから僕も目を閉じた。ベッドに背をもたれさせて、右手から伝わるまりなさんの鼓動に耳を傾け――ん? 鼓動?)

    スタッフ(瞼を開き、ちらりとベッドの上に視線を向ける。するとそこには、僕の右手をぎゅーっと胸に抱いたまりなさんがいた)

    スタッフ(だからと言ってどうこうするつもりも何もないけど、うん、本当に、これっぽっちも……あ、でもこれっぽっちもっていうとまるでまりなさんに女性的な魅力がないように聞こえちゃうからそれはそれでちょっと違うんだけど、とにかくアレだよアレ)

    スタッフ「……おやすみなさい」

    スタッフ(幾分か早くなった自分の鼓動を誤魔化すように、僕はもう一度、さっきよりもずっと強く目を瞑る)

    スタッフ(今の僕の願いはただひとつ。一刻も早く睡魔がやってきますように、ということだけだった)


    709: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:47:52.48 ID:cA6JenPS0



    ☆あさちゅんてきなやつ



    ――チュンチュン...


    まりな「ん……んん……?」

    まりな「あれ……あさ……」ムクリ

    まりな「…………」

    まりな「……あたまいたい」ズキズキ

    まりな「あれー、昨日……居酒屋にいて……それからどうしたんだっけ……」

    まりな「なんか幸せな夢みてたような……」

    まりな「……うん? なんか左手があったかいな」チラ

    スタッフ「ぐー……」

    まりな「…………」

    まりな「え」

    スタッフ「Zzz……」

    まりな「…………」

    まりな「えっ!?」


    710: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:48:42.70 ID:cA6JenPS0


    まりな「え、いや、え、えっ!? なんでスタッフくんが私の部屋に……!?」

    まりな「あれ、え!? ちょ、いや、なに、これどういう状況だっけ!?」

    スタッフ「う、んん……?」パチリ

    まりな「あっ」

    スタッフ「んー……あ、おはようございます」

    まりな「あ、う、うん、おはよう……?」

    スタッフ「ああ、やっぱり座ったまま寝てたから身体が痛いな……」

    まりな「え、ちょ、なんでそんな落ち着いてるのかなキミは!?」

    スタッフ「はい? 何がでしょうか?」

    まりな「いや、これ、この状況っ! な、何がどうなってるのか……」

    スタッフ「あー……それはですね」

    まりな「う、うん」

    スタッフ「話すと長くなるので超絶簡潔に言うと、酔いつぶれたまりなさんが僕を離してくれなかったんです」

    まりな「えっ」

    スタッフ「いや、その、だからと言って部屋に上がったことは本当に申し訳ないと思っていますけど、でもですね、流石に酩酊状態のまりなさんを放っておくことも出来ませんでしたし……」

    まりな「え、えー……」

    まりな(スタッフくんに甘える夢見てたような気がしたけど、夢じゃなかったんだ……)

    スタッフ(うわー、まりなさん顔真っ赤になってる……)


    711: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:49:20.63 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「あ、あの、大丈夫ですよ? その、何もしてませんから。僕、ここで寝てただけですから」

    まりな「あ、う、うん……キミがそういうことする人じゃないのは分かってるから……」

    まりな(でもそれはそれで少し残念なような……って、何を考えてるの私はっ)

    スタッフ(あ、ポニ子ちゃんに『スタッフさんってヘタレですよね』って言われたこと、なんか思い出した)

    まりな「えーっと、その……昨日の記憶が曖昧なんだけど、迷惑かけちゃってごめんね……?」

    スタッフ「いえ、気にしないでください。頼りにされてる感じがして、嬉しかったですから」

    まりな「…………」

    まりな(いけない、いけないよキミ、そういうセリフを言われるとちょっとアレだよ、アレがああなってこうなっちゃうよ、ホント……)


    712: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:49:58.07 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「時間は……朝の7時ですか。これならもう電車も動いてますし、僕はそろそろ帰りますね」

    まりな「あ、ま、待って!」

    スタッフ「はい?」

    まりな「えっと、あのね? 流石にこれだけ面倒をかけて、そのまま帰ってもらうって訳にはいかないからさ……その、せめて朝ご飯とかくらいは食べてって欲しいなって……」

    スタッフ「あー……」

    まりな「ダメ、かな」

    スタッフ「……いえ。では、お言葉に甘えます」

    まりな「そ、そっか、よかった」

    スタッフ「ところで、あの、まりなさん」

    まりな「うん、なに?」

    スタッフ「そろそろ手を放していただけると……」

    まりな「え? あ、ああ! ご、ごめんね、ずっと握ったままだったね!」パッ

    スタッフ「いえいえ……」

    まりな(もしかして私、昨日からずっとスタッフくんの手を握ってたのかな……)

    スタッフ(イカン、なんか離されたら離されたで昨日のアレが鮮明に頭に思い浮かぶ……)


    ……………………


    713: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:51:24.55 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(まりなさんのお言葉に甘えることにして、朝食を頂くことになった)

    スタッフ(まりなさんは『先にシャワーも使っていいよ』と言ってくれていたけれど、流石にそこは女性優先だろう)

    スタッフ(僕は『着替えがないんで……ちょっと外で買ってきますから、後でいいですよ』と言い、まりなさんの家の鍵を預かってから、近くのコンビニを目指すこととなった)

    スタッフ(しかし、なんだろう。まりなさんの家の鍵を持ちながら外を出歩くというこの行動)

    スタッフ(まるで同棲だな、なんて思ってしまうと気恥しい気持ちがとめどなく溢れてくる)

    スタッフ(僕はそれを誤魔化すようなわざとらしい足取りで、近くのコンビニを目指していた……けど、コンビニより先にワ〇クマンを見つけた)

    スタッフ(〇ークマン。馴染みのない人には作業着なんかが売ってある、土木作業員さんたち専用のお店だと思われることだろう)

    スタッフ(しかし、ワー〇マンはそれだけじゃない)

    スタッフ(アウトドアにぴったりな服も置いてあって、それがしかも非常にコストパフォーマンスに優れているのだ。バイク乗りや釣り人たちなんかの間では有名な話である)

    スタッフ(それだけじゃなく、普通の無地のシャツやスポーツ用のジャージなんかも揃っているし、靴やバッグだって置いてある。しかもほとんどの店舗は朝の7時から営業だったりするのだ)

    スタッフ(渡りに船とはこのことだろう。僕はそのワ〇クマンに立ち寄って、サクッと着替えを調達するのだった)


    ……………………


    714: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:51:57.46 ID:cA6JenPS0


    まりな「簡単なものしか作れなくてごめんね?」

    スタッフ「いえいえ、とんでもないです」

    スタッフ(ダイニングキッチンのテーブルの上には、2人分の白いご飯とお味噌汁、それからベーコンエッグが置かれていた)

    スタッフ(『急だったし、ありあわせの物しかなくて……』なんてまりなさんは言っていたけど、朝は大抵コンビニ飯の僕からすれば大変素晴らしい朝ご飯である)

    スタッフ(それにシャワーを借りてさっぱりしてから、ダイニングキッチンの椅子に座って、台所に向かうまりなさんの背中をぼんやりと見ていたら……こう、なんとも言えない感情が胸中に芽生えた)

    スタッフ(正直それだけでもうお腹いっぱいレベルの幸福感があった)

    スタッフ「いただきます」

    まりな「はい、召し上がれ。私も食べるけどね」

    スタッフ(箸を手にして、料理を口に運ぶ。何の変哲もないベーコンエッグだけど、しかしどうしてか、今まで食べた中で一番美味しいような気がしてしまう僕だった)


    715: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:52:27.73 ID:cA6JenPS0


    まりな「……ところで、あのさ」

    スタッフ「はい、なんでしょう」

    まりな「その……昨日、私……何か変なこととか言ってなかった?」

    スタッフ「変なこと、ですか?」

    まりな「うん……。あのね、居酒屋でお酒を飲んでたところまでは私もしっかり覚えてるんだ。だけど、その後のことがすっぽり記憶から抜け落ちてるっていうか、なんていうか……」

    スタッフ「あー……いや、変なことは何も言ってないですよ。居酒屋で潰れちゃってからは」

    まりな「そ、そっか……」

    スタッフ「はい」

    スタッフ(本当、ただ子供みたいにぐずって僕を離してくれなかっただけで……とは思うだけで口にしない)


    716: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:53:05.68 ID:cA6JenPS0


    まりな「……よかった」

    スタッフ「けど、まりなさん」

    まりな「は、はいっ?」

    スタッフ「その……何か大変なこととかあれば、遠慮せずに言ってくださいね?」

    まりな「え?」

    スタッフ「まりなさん、いつも泣き言も言わないで頑張ってますし……頼りないですけど、僕だって愚痴を聞いたり、昨日みたいに一緒にお酒を飲むことは出来ますから」

    まりな「…………」

    スタッフ「……って、ごめんなさい。なんか生意気言いました」

    まりな「う、ううん……」

    スタッフ「まぁ、その、なんていうか、アレです。まりなさんみたいな綺麗な人に頼られると男は嬉しくなっちゃうものなんです。そういうことですから」

    スタッフ(……いや、なんか気恥しくて口が回ったけど、どういうことだよ。余計気恥しいこと言ってんじゃん、僕)

    まりな「……うん、ありがとね」ニコリ

    スタッフ(……まぁ、いっか)


    ……………………


    717: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:53:38.22 ID:cA6JenPS0


    ―朝食後―

    まりな「ふんふーん♪」カチャカチャ

    スタッフ「…………」

    スタッフ(ご飯をごちそうになって、片付けを手伝おうとしたら、「大丈夫だから、キミは座ってゆっくりしてて」なんて言われてしまった)

    スタッフ(だからぼんやりと、鼻歌交じりに食器を洗うまりなさんの後ろ姿を眺めている訳だけど……)

    まりな「In the name of BanG_Dream~♪」カチャカチャ

    スタッフ(ご機嫌だなぁ。僕もなんだかまりなさんの家に慣れてきちゃったし)

    スタッフ(……あー、なんだろう。やっぱり、なんかいいなぁー……)


    718: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:54:17.87 ID:cA6JenPS0


    まりな「よし、洗い物おしまい……っと」

    スタッフ「すいません、ごちそうになったのに手伝いもしないで」

    まりな「いいんだよ、気にしないで。私がやりたくてやってることなんだからさ」

    まりな「それにほら、昨日はすっごく迷惑をかけちゃったし、これくらいじゃ全然足りてないよ」

    スタッフ「そうですか? もう十分返して貰ってると思いますけど」

    まりな「ううん、まだまだ全然」

    スタッフ「そうですかね……」

    スタッフ(昨日のことを思えば……うーん、大変は大変だけど、役得っていう感じがものすごくしてるけど……まりなさんがそう言うならそうなのかな)

    まりな「そうなんですよー。あ、コーヒー飲む? インスタントだけど」

    スタッフ「はい、頂きます」

    まりな「はーい」

    スタッフ(僕からの返事を聞いて、手際よくまりなさんはインスタントコーヒーをふたつ用意して、テーブルの上に置く)

    スタッフ(僕のカップの横にはスティックシュガーとフレッシュも追加で出される。伊達にいつも一緒に仕事はしていない。僕がブラックコーヒーを飲めないことも承知していてくれている)


    719: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:54:52.34 ID:cA6JenPS0


    まりな「はー……」ジー

    スタッフ「……? どうかしましたか、まりなさん?」

    まりな「あ、ごめんね、ジッと見つめちゃって」

    スタッフ「いえいえ。あっ、もしかして変なとこにご飯粒でもついてましたか?」

    まりな「ううん、そうじゃなくて……なんだか不思議だなぁって」

    スタッフ「不思議……ですか?」

    まりな「うん。お休みの日なのに、キミと一緒に……私の家にいるっていうのが」

    スタッフ「あー……そうですね。お互い家の住所は知ってますけど、こうして上がったのは初めてですし」

    まりな「だね。それと、そういうカッコって見たことないなーって」

    スタッフ「そういうカッコ?」

    まりな「キミって仕事中じゃなくても、いつも襟付きのきっちりしてる服着てるでしょ? だから、そういうロングTシャツとジーンズってカッコがなんか新鮮だなって」

    スタッフ「そうですねぇ……確かに、こういう格好は家の中じゃないとしないですかね」

    まりな「でしょ? ふふ、なんだか得した気分だよ」

    スタッフ(たおやかな笑みを浮かべてそんなことを言われると、僕はちょっとドギマギしてしまうんですが)


    720: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:55:33.11 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「ま、まぁ今日は緊急事態だったんで。まりなさんの家の近くにワー〇マンがあって良かったですよ、あそこならリーズナブルに着替えが揃いますから」

    まりな「〇ークマン……あ、そういえばコンビニ行く途中にあったね……って、そういえばっ!」

    スタッフ「は、はい? どうしました?」

    まりな「キミ、その着替えってさっき買って来たんだよね!?」

    スタッフ「ええ、まぁ……」

    まりな「うわぁ、全然考えてなかった! ご、ごめんね、私のせいで変な出費を……ああっ!!」

    スタッフ「こ、今度はなんでしょうか?」


    721: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:56:07.27 ID:cA6JenPS0


    まりな「ていうかアレだよね!? 昨日の居酒屋とタクシー! 私、お金出した記憶がまったくない!!」

    スタッフ「あ、ああ……別に大した額でもありませんし――」

    まりな「ダメだって! 私が潰れたせいでキミに迷惑かけたのに、さらにお金までって! それは大人として、先輩としてアウトだよ! ちょ、りょ、領収証見せて!!」

    スタッフ「あー……捨てちゃいました」

    まりな「えー! なんでこういう時ばっかり! じゃ、じゃあとりあえず諭吉さんで……!」サッ

    スタッフ「ちょ、まりなさん! 流石にそこまでかかってないです! その諭吉さんはお財布に戻してください!」

    まりな「で、でも……」

    スタッフ「わ、分かりました! えーっと、それじゃあ、その……」

    スタッフ(そこで頭にもたげた提案。それを口にするのがちょっと照れくさくて、僕は言い淀む)


    722: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:56:36.32 ID:cA6JenPS0


    まりな「…………」

    スタッフ(だけど、焦ったような顔でこっちを見ながら諭吉さんに指をかけられてると、なんか僕がめちゃくちゃ悪いことしてるような気分になるから、もうさっさと腹を括ることにした)

    スタッフ「こ、今度……また昨日みたいな飲み会か……それか、一緒の休みの日に、どこか遊びに行きましょう。その時にご飯を奢ってもらえれば……ちょうどトントン、ですよ」

    スタッフ(完全な誘い文句である。ああ、なんだろう、すごく気恥しいし照れくさいよ)

    スタッフ(けど、きっとこれが一番後腐れないし、僕としてもとても楽しみになるからしょうがない。しょうがないんだ)

    まりな「……それでいいの?」

    スタッフ「……それがいいんです」

    スタッフ「ほら、さっきも言ったじゃないですか。まりなさん、色々大変でしょうし……僕でよければ、いつだって付き合いますから」

    まりな「付き……?」

    スタッフ「ご、ご飯とか、お酒とか、そういうのにっ!」

    スタッフ(続けた言葉があまりにもアレだったから、僕は慌てて言い訳を付け足す)

    スタッフ(まりなさんはそんな僕をちょっとだけ恨めしそうな目で見た後、すぐにいつもの笑顔を浮かべてくれた)


    723: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:57:19.05 ID:cA6JenPS0


    まりな「ありがとう。やっぱりキミって……優しいね」

    スタッフ「それは気のせいですよ、気のせい。ははは……」

    まりな「そんなことないのになー」

    スタッフ「そんなことないことないですよー?」

    まりな「ふふ、じゃあそういうことにしておこう」

    スタッフ「はい、そういうことにしといてください」

    まりな「……それじゃあ、お言葉に甘えて今度、遊びに行った時にでも」

    まりな「あ、そうだ。次はキミの部屋にお邪魔しようかな」

    スタッフ「え、それマジの提案ですか」

    まりな「半分くらい。……だめ?」


    724: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:58:03.56 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「え、えーっと、事前に……大体一週間前くらいに言ってくれれば……僕の部屋もギリギリ誰かに見せられるくらい片付けられると思います……」

    まりな「もー、普段からキチンと片付けないとダメだよ?」

    スタッフ「いや、はい。ごもっともでございます」

    まりな「ふふ……」

    スタッフ「あ、あはは……」

    スタッフ(気が付いたらさっきの慌ただしい空気もなくなって、僕とまりなさんの間にはいつもの心地いい空気が流れていた)

    スタッフ(あー、うん。本当……なんていうか、すごく居心地がいいんだけど……)

    まりな「……ちょっとだけ残念だなぁ」

    スタッフ(まりなさんがぽそりと呟いた。その言葉は僕の気持ちと妙にリンクしていたけど、僕は何も言わずにいることにしました、とさ)


    725: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:58:55.36 ID:cA6JenPS0



    ☆祭りのあとの……



    ――CiRCLE――

    スタッフ「……ゴールデンウィークって、誰が最初に考えたんでしょうね」

    まりな「さぁ……誰だろうねぇ……」

    スタッフ「今年は長かったですね……」

    まりな「うん……死ぬほどキツかったね……」

    スタッフ「誰ですかね、10連休に合わせて10日連続でスペシャルライブ開催とか言い出したのは……」

    まりな「オーナー……」

    スタッフ「そのオーナー様はどこへ行かれたんでしょうかね……」

    まりな「頑張り過ぎて……2日目の夜にぎっくり腰になって病院だよ……」

    スタッフ「…………」

    まりな「…………」

    スタッフ&まりな「はぁー……」


    726: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 21:59:25.71 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(5月7日の火曜日。10連休が明けた久方ぶりの平日のお昼時)

    スタッフ(『本日休業』の札がかかった、がらんとしたCiRCLEのロビーに2人分のため息が響いた)

    スタッフ「歳も歳なのにはしゃぎすぎなんですよ、あの人は……」

    まりな「大変だったねぇ、オーナーがいないとこ埋めるの……」

    スタッフ「ええ、ホント。まさかゴールデンウィークの9割をここで過ごすことになるとは思ってませんでした」

    まりな「だね……。でも、無事にライブも終わったんだし、今日頑張れば明日から連休だよ」

    スタッフ「……ですね。今日は後片付けと清掃だけですし、2人しかいないのはちょっと大変ですけど、のんびりやりましょうか」

    まりな「うん」


    ……………………


    727: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:00:55.55 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(飾りつけをしたライブステージやラウンジの片付け、それと楽屋や各スタジオ、ロビーやらカフェテラスやらの清掃が今日の僕とまりなさんの仕事だった)

    スタッフ(連勤続きの2人だけで、その全部を清掃するには些か広すぎるCiRCLE)

    スタッフ(だけどお店は特別休業日だし、僕もまりなさんもお昼から出勤だったから、連勤続きとはいえ体力も比較的ある方だ。大変は大変だけどそこまで気の遠くなる作業でもない)

    スタッフ(それに時おりまりなさんと他愛ない会話を交わしながらのんびりと行う後片付けは思った以上に楽しかったし、お祭りが終わったあとの余韻を存分に噛みしめられる時間はそれなりにいいものだと思えた)

    スタッフ(そんなこんなで時間は緩やかに過ぎていき、ライブステージとラウンジの片付け、それと楽屋の掃除が終わった16時ちょっと前)

    スタッフ(僕とまりなさんは入り口の扉を開けて換気をしつつ、ロビーの椅子に腰かけておやつタイムに入っていた)


    728: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:02:06.79 ID:cA6JenPS0


    まりな「はー、今年のゴールデンウィークは大変だったねー」

    スタッフ「ええ、本当。けど、お客さんも、出演してくれたバンドの人たちも楽しそうでよかったですよ」

    まりな「だね。頑張った甲斐があったよ」

    スタッフ「なんだか不思議ですね。昨日まであんなに賑やかだったのに、今はシーンとしてて……」

    まりな「お祭りが終わったあとの切なさだね」

    スタッフ「はい。こういうの、嫌いじゃないですけどね」

    まりな「うん、私も」

    スタッフ「しっかし、のんびりやってましたけど、案外早く作業が進みましたね」

    まりな「ねー。清掃以外に気を遣わなくていいと楽だね」

    スタッフ「この分なら19時前には……あー、いや、もう少しかかるか……」

    まりな「残りは各スタジオの清掃と、ここの清掃と……うーん、そうだね。もうちょっとかかるかな」


    729: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:02:50.70 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「まぁ、明日はお休みですし、続きものんびりやりましょうか」

    まりな「そうだね。あ、終わったらまたどこか寄ってく?」

    スタッフ「いいですね。今度はゴールデンウィークお疲れさまでしたの会ですね」

    まりな「…………」

    スタッフ「まりなさん? どうしました?」

    まりな「……今日は飲み過ぎないようにしないと、って」

    スタッフ「ああ……。別に僕は気にしませんよ?」

    まりな「わ、私が気にするの! ほら、ね? 流石にそう何度もスタッフくんの手を煩わせるのもね? 一応私の方が先輩だし?」

    スタッフ「いやいや、いつも頼りにさせてもらってますから。こういう時くらい僕に面倒を見させてくださいよ」

    まりな「……またそういうこと言う……それずるくないかなぁ……」

    スタッフ「はい?」

    まりな「なんでもないよ。ぜーんぜん、なんでもない」

    スタッフ「はぁ」


    730: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:03:20.39 ID:cA6JenPS0


    まりな「さ、早く仕事を終わらせちゃお?」

    スタッフ「そうですね」

    まりな「それじゃあ、私がスタジオの方をやるから、スタッフくんはロビーの方をお願いしていい?」

    スタッフ「分かりました。……あ」

    スタッフ(と、どうでもいいことが頭にもたげて変な声が出た)

    まりな「うん? どうかした?」

    スタッフ「あー、いや、えーっと……」

    まりな「何か提案? あ、それとも悩みごととか?」

    スタッフ「悩みごと……ああ、まぁ、その類のことなのかなぁ」

    まりな「なになに? 私が手伝えることならなんでも手伝うよ」

    スタッフ「いえ、確かにこれはまりなさんにしか解決できないことですけど、別に大したことじゃないので……」

    まりな「もー、水臭いなぁ! そんなこと言いっこなしだよ!」

    スタッフ(まりなさんにしか解決できないこと、という言葉が何か琴線に触れたのか、先ほどよりも声を弾ませる。顔にも笑顔が浮かんでいる。お姉さんしたいオーラが目に見える)

    スタッフ(あー、はい、そういう反応されると僕も素直になってしまいます)


    731: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:03:50.51 ID:cA6JenPS0


    スタッフ「えっと、それじゃあ」

    まりな「うん、どうしたの?」

    スタッフ「……名前」

    まりな「名前?」

    スタッフ「……まりなさんには、僕のこと、名前で呼んで欲しいなー……なんて」

    スタッフ(そう、それはCiRCLEではもう当たり前になっていたこと)

    スタッフ(ポニ子ちゃんはポニ子ちゃんだし、オーナーはオーナーだし、僕はスタッフくんだとかスタッフさんだ)

    スタッフ(それはそれでいい。みんな親しみを込めて呼んでくれる、愛称みたいなものだから)

    スタッフ(けれども、こう、分かるでしょう? その、名前で呼ばれたい人がいるっていう気持ちが僕にもあるのですよ、これがまた)


    732: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:04:17.99 ID:cA6JenPS0


    まりな「…………」

    スタッフ(まりなさんの様子を窺えば、そこにはキョトンとした顔。それから僕の言葉の真意に気付いたのか、少し頬が赤くなっていった)

    スタッフ(やべぇ、今ここでうっかり口にすることじゃなかったかもしれない)

    まりな「……うん、いいよ」

    スタッフ(しかしどうだろうか、まりなさんは頷いてくれた)

    スタッフ(そして小さく息を吸う。それから、艶やかな唇が動いて――)


    733: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:04:43.89 ID:cA6JenPS0



    ひまり「こんにちは――!!」


    734: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:05:22.31 ID:cA6JenPS0



    スタッフ(――という元気なその声に、僕の名前はかき消された)

    まりな「ひっ、ひまりちゃんっ?」

    スタッフ「え、ど、どうしたのっ?」

    スタッフ(僕とまりなさんが揃って、変に上擦った声を出す。それを意に介さず、上原さんは返事をする)

    ひまり「聞きましたよ、ポニさんから! CiRCLEの片付けを2人だけでやらないといけないって!」

    ひまり「ふっふーん、まりなさんとスタッフさんにはいつもお世話になってますからね! 私の方で人を集めて、お手伝いに参りました!!」

    まりな「あ、そ、そうなんだ、ありがとね」

    スタッフ「う、うん、助かるよ、ホント……ホント」

    スタッフ(先ほどまでの空気は元気な声に蹴散らされた。それに少しホッとしたというか、やっぱり残念だなぁなんて思ったりだとか……)


    735: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:06:09.24 ID:cA6JenPS0


    ひまり「……あれ? 2人とも、なんだか距離が近いような……それに見つめ合ってたし……」

    まりな「えっ!?」

    スタッフ「い、いや、そんなことは……!」

    ひまり「あれ、あれあれあれ? も、もしかして私……お邪魔でした!?」

    ひまり「ご、ご、ごめんなさい! さぁどうぞっ、続けてください! 私のことはミッシェルの銅像だとでも思って!!」

    まりな「ちょ、な、何か勘違いしてない!?」

    スタッフ「そっ、そうそう! 上原さんが考えてるようなことはなにも……ないよ?」

    ひまり「いえ、いーんです! 名探偵ひまりちゃんにはバッチリ分かってますからっ! さぁさぁ、続きをどうぞ!!」


    736: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:07:00.17 ID:cA6JenPS0


    美竹蘭「……ひまり、入り口で何やってんの?」

    香澄「こんにちはー!」

    有咲「おーっす。しょうがねーから手伝いに来てやったぞ」

    スタッフ(と、開け放しておいた入り口から、次々と見慣れた顔が入ってきた)

    スタッフ(美竹さん、戸山さん、市ヶ谷ちゃん……の後ろにも、まだ何人か続いてくる)

    ひまり「私はひまりではありません……そう、今の私は愛を見守るキューピッド的なやつなのです……!」

    青葉モカ「あらら、ひーちゃんがまたバグってる」

    沙綾「お仕事、お疲れさまです。差し入れのパン持ってきたんで、よかったらどうぞ」

    まりな「あ、えーっと、ありがとね」


    737: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:07:40.14 ID:cA6JenPS0


    北沢はぐみ「わーい、お掃除お掃除ー!」

    弦巻こころ「みーんなで、お世話になっているCiRCLEをピカピカにしましょう!」

    瀬田薫「ああ、こころ。ニーチェもこう言ってるからね、『音楽なしには生は誤謬となろう』……と。つまり、そういうことだね」

    イヴ「はい! 日頃のオンギに報いずはブシの恥です! 精一杯、お手伝い致します!」

    氷川日菜「おねーちゃん、来れないんだ。残念だな~」

    燐子「はい……。どうしても外せない……風紀委員の仕事があって……」


    738: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:08:26.56 ID:cA6JenPS0


    スタッフ(青葉さん、山吹さん、はぐみちゃん、弦巻さん、瀬田さん、若宮さん、日菜さん、白金さん……で全員みたいだ)

    スタッフ「…………」

    スタッフ「あれ、ツッコミ担当が少ないような……?」

    まりな「キミも同じこと思ったんだ……」

    スタッフ「ええ……」

    まりな「……まぁ、きっと大丈夫だよ」

    スタッフ「そ、そうですよね」

    スタッフ(日菜さんが暴走したら紗夜さんか白鷺さんがいないと止められないかもだけど)

    まりな(美咲ちゃんか花音ちゃんがいないと、こころちゃんたちがテンション上がっちゃったら止められないかもしれないけど)


    739: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:08:59.83 ID:cA6JenPS0


    香澄「まりなさん! スタッフさん! まず何からお手伝いしましょうかっ?」

    まりな「あ、えーっと、そうだね……そうしたら、みんなにはロビー全般と、あとカフェテラスの掃除をお願いしちゃっていいかな?」

    香澄「はーい!」

    有咲「道具とかはどこにあんの?」

    スタッフ「掃除用具は……この人数分は用意してないから、ちょっと倉庫に取りに行かなくちゃな」

    沙綾「この広さをこの人数で掃除するなら、まずは役割分担からしないとね」

    モカ「はーい、じゃあモカちゃんは床をモップ掛けするよ。コンビニで慣れてるしー」

    イヴ「では、私はカフェテリアのテーブルと椅子を綺麗にしますね! 羽沢珈琲店で慣れてますから!」

    まりな「わー、頼もしいなぁ」


    740: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:11:04.48 ID:cA6JenPS0


    こころ「そうだわ! ただ綺麗にするだけじゃなくて、せっかくだから窓をミッシェルの模様にしましょう!」

    はぐみ「可愛くていいね! あっ、そうしたら隣にマリーの絵も描こうよ!」

    薫「ああ……! 2人とも、なんて儚いアイデアなんだ……!」

    日菜「あはは、それ面白そう! あたしも手伝っちゃうよ!」

    スタッフ「……わー、あの4人に任せるの超不安……」

    燐子「あ、あの……わたし、氷川さんから日菜さんのことは一任されてるので……が、頑張ります……!」

    有咲「私も奥沢さんから言われてんだよなぁ、『三バカのこと、頼んだよ』って……。いや私には荷が重すぎるって」

    スタッフ「あー……無理はしないでね、白金さん」

    燐子「は、はい……」

    有咲「……私は?」

    スタッフ「……戸山さんは山吹さんが見ててくれるし、市ヶ谷ちゃんならきっと出来るよ」

    有咲「ふざけんな! 無理だっつーの!」


    741: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:12:17.76 ID:cA6JenPS0


    ひまり「ああ……私の軽はずみな行動のせいで……! まりなさんとスタッフさんのラヴ空間を侵食してしまった……!!」

    蘭「さっきから何言ってんの……ほら、落ち込んでないで、ひまりもどこをやるか決めなよ」

    ワイワイガヤガヤ...

    まりな「一気に賑やかになったね」

    スタッフ「ですね。けど……この方がCiRCLEらしくていいと思いますよ」

    まりな「ふふ、そうだね。せっかくみんなが手伝ってくれるんだし、早く終わらせちゃおっか」

    スタッフ「はい。とりあえず、掃除用具取りに行ってきますね」

    まりな「あ、私も一緒に行くよ」

    スタッフ「分かりました」


    742: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:13:17.75 ID:cA6JenPS0


    まりな「それじゃあみんな、私とスタッフくんで道具を取ってくるから……悪いけど、お手伝いをお願いします」

    『はーい!』

    スタッフ「じゃ、行きましょうか」

    まりな「うん。……あ、その前に」

    スタッフ「はい? どうかしま――」

    スタッフ(言いかけた僕の耳元に顔を寄せて、まりなさんがぽそりと、悪戯っぽくささめく)

    スタッフ(喧騒にかき消されそうなその響きは……自分では聞き慣れているというか、生まれた時からずっと一緒だった響き)

    スタッフ(まぁ、そう、つまるところ僕の名前な訳で)

    まりな「これからも頼りにしてるよ♪」

    スタッフ「……全身全霊を込めて頑張ります」

    スタッフ(そんなことをされてしまうと、これ以上ないほど単純な僕の心はやる気に満ち溢れてしまうのでした……とさ)


    743: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/11(火) 22:13:54.46 ID:cA6JenPS0



    ひまり「ああっ!! いまっ、絶対いまコソコソッと何かしてた!!」

    ひまり「あーもうっ! 私が『手伝いに行こう!』なんて言ったせいで!! ホントもうっ!! なんてことをしたの、昨日の私ぃ!!」

    蘭「だから何言ってんの。早く場所、決めてってば」

    モカ「ひーちゃんてば、今日も絶好調で空回ってますなぁ」


    おわり


    745: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:53:22.99 ID:PEIHZeOO0


    花園たえ「しあわせ光線銃」


    746: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:54:13.83 ID:PEIHZeOO0


    ――有咲の蔵――

    市ヶ谷有咲「……は? なんだって?」

    花園たえ「しあわせ光線銃だよ、有咲」

    有咲「しあわせ光線銃って……ただのおもちゃだろ、それ」

    たえ「昨日ね、こころがくれたんだ」

    有咲「はぁ、弦巻さんが。なんなんだよ、そのしあわせ光線銃って」

    たえ「私もよく知らないんだけど、人に向けて撃つと、その人がしあわせになるんだって」

    有咲「へー。なんかハロハピっぽいおもちゃだな」

    たえ「うん。美咲も言ってた。『燐子先輩ですら頭ハロハピになる』とか『湊さんですらポンコツ感マシマシになる』とか。だから私はこれをぽんこつ光線銃って呼ぶことにしたんだ」

    有咲「なんだそれ!? かなりやべー銃じゃねーかよ!?」


    747: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:54:53.49 ID:PEIHZeOO0


    たえ「大丈夫だよ、効果は24時間で切れるってこころが言ってたから」チャキ

    有咲「ちょ、ま、待てって! どうして銃口をこっちに向けんだ!?」

    たえ「お母さんもね、撃たれた感じは全然しないって言ってた」

    有咲「母親を撃つなよ!」

    たえ「じゃあいくよ~」カチ

    有咲「こなくていいっ、ちょ、お前いま引き金ひいたろ……!?」

    たえ「どう?」

    有咲「どうって……あれ、本当に撃ったのか?」

    たえ「うん」

    有咲「……いや、別に何も感じないけど」

    たえ「お母さんもそう言ってた。私も自分に向けて撃ったけど同じだったよ」

    有咲「自分に撃ったのかよ……」

    たえ「何も感じなかったから7回くらい撃っちゃった」


    748: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:55:30.97 ID:PEIHZeOO0


    有咲「そんなに撃っちゃったのか!? ……まぁ、でも、確かに私も何も感じないし……そうだよな。よくよく考えたらそんな素敵な銃がある訳ないもんな」

    たえ「やっぱりそうなのかなぁ。これで沙綾を狙い撃とうと思ったのに」

    有咲「なんで沙綾?」

    たえ「頑張り屋さんの沙綾にはしあわせになってもらいたい。それに、いつもしっかりしてる沙綾がドジっ子になったところ、見てみたくない?」

    有咲「見たいか見たくないかで言えば……見たい」

    たえ「でしょ? お母さんも私も全然変わらなかったから、有咲で試そうと思ったんだけど……」

    有咲「おいおい、人を実験に使うんじゃねーよ」

    たえ「有咲、なんだかんだいつもしっかりしてるからさ。ポピパで沙綾の次に効果がありそうだなーって思ったんだ」

    有咲「え、そ、そうか? まぁそれならしょーがねーな」

    たえ「うん、しょうがないしょうがない」

    有咲「しょーがねーしょーがねー」

    たえ「あはは」

    有咲「ははは」


    749: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:56:09.83 ID:PEIHZeOO0


    たえ「でもせっかくだから沙綾にも撃とうと思う」

    有咲「だなー。せっかくだもんな」

    たえ「うん。明日の学校が楽しみだ」

    有咲「あれ……でもおたえ、お前別のクラスじゃね?」

    たえ「あ……そういえば……」

    有咲「それだとあんまり見れなくね、沙綾がぽんこつになっても」

    たえ「……ぐす」


    750: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:56:36.73 ID:PEIHZeOO0


    有咲「わ、わーわー! な、泣くなよ、ごめんな、私が悪かった!」

    たえ「ううん……2年生になってクラス別なの忘れてた私のせいだから……」メソメソ

    有咲「よ、よーし、じゃあこうしよう! 今から沙綾んとこ行こう!」

    たえ「沙綾のとこに?」

    有咲「そう! ほら、今日やまぶきベーカリーの手伝いしてるって言ってたろっ? だから一緒に沙綾を撃ちに行こう! な!」

    たえ「うん……そうだね、そうしよう。ありがと、有咲」

    有咲「いいっていいって。やっぱりみんな笑顔でいるのが一番だからな」

    たえ「だね。沙綾を笑顔にするのが私たちの使命だ」

    有咲「相変わらずおたえはいいこと言うなぁ。それじゃあ早速行くか!」

    たえ「うんっ!」


    ……………………


    751: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:57:27.44 ID:PEIHZeOO0


    ―― やまぶきベーカリー ――

    ――カランコロン

    山吹沙綾「いらっしゃいませ……って、なんだ、有咲におたえ」

    有咲「よう」

    たえ「遊びに来たよ」

    沙綾「あはは、さては冷やかしかな?」

    有咲「違う違う、ちゃんとパンも買ってくって」

    たえ「うん。真の目的は別にあるんだけどね」

    沙綾「真の目的って?」

    有咲「それはあれだ、沙綾を笑顔にさせることだ」

    たえ「そうそう。しあわせ光線改めぽんこつ光線だよ」


    752: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:57:56.95 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「おたえはともかく、有咲までそんなこと言うなんて珍しいね?」

    有咲「そうか? 私はいつも通りだけど」

    たえ「私はちょっとテンション高めだよっ」

    沙綾「あー、うん、確かにちょっとテンション高めかも」

    有咲「ところで今日のおすすめは?」

    沙綾「クリームデニッシュが焼きたてで、あと今日はハムカツサンドが美味しいって父さんが言ってたかな」

    たえ「分かった。ありがと、沙綾。お礼にこれをあげる」スッ

    沙綾「え、なにそれ? おもちゃの銃?」

    たえ「しあわせ光線銃だよ。撃たれるとしあわせになるんだ」

    沙綾「へぇ。なんかハロハピっぽいね、それ」

    たえ「!! すごい、何も言ってないのにこころから貰ったものだって分かった」

    有咲「流石沙綾だな。ハンパねぇ」

    沙綾(今日、本当に2人ともテンション高いなぁ)


    753: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:58:39.61 ID:PEIHZeOO0


    たえ「それじゃあいくよ。えい」カチ

    沙綾「……え、いま撃ったの?」

    たえ「うん。どう、沙綾?」

    沙綾「どう、って言われても……特に何も感じないかなぁ」

    有咲「うーん、沙綾もそうなのか」

    たえ「……やっぱりこれ、しあわせ光線銃じゃなくてぽんこつ光線銃だ」

    沙綾「でもなんか、童心に帰る……って言うほど私たちも大人じゃないけどさ、こういうのってごっこ遊びみたいで楽しいよね」

    有咲「それな」

    たえ「分かる」

    沙綾「小さなころはよくおままごととかしてたなぁ」

    有咲「私も今よりかはアクティブだったから、そういうので遊んだなぁ」

    たえ「……ぐす」


    754: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 07:59:19.85 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「え、お、おたえ!?」

    有咲「ど、どうしたんだ!?」

    たえ「私……友達ってポピパのみんなが初めてだったから……そういうのしたことないなって……」

    たえ「レイがいるにはいたけど……音楽教室で話したりするだけだったし……すぐに引っ越しちゃったし……」

    有咲「え、ちょ、えーっと、気にすんなって! な! ほら、そんなことがなくたって私たちは友達だしさ!」

    沙綾「そ、そうそう! ほ、ほら、笑って笑って! 私、おたえの笑顔って好きだなぁ!」

    たえ「うん……ごめんね、2人とも……」メソメソ

    有咲(さ、沙綾! これなんとかならないか!? おたえが悲しんでるとすごく辛いんだけど!!)ヒソヒソ

    沙綾(そ、そう言われても……! ええっと、紗南がぐずった時と同じ接し方でいいのかな……!?)ヒソヒソ

    有咲(あ、そ、そうだ! 沙綾、ちょっと……)

    沙綾(……な、なるほど、分かった!)


    755: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:00:03.33 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「あー、ご、ごほん。ねぇ、おたえ?」

    たえ「……なぁに、沙綾」

    沙綾「あれさ、おたえさえ良かったら……今からウチで働いてみない?」

    たえ「働く?」

    沙綾「ほら、リアルパン屋さんごっこだよ。有咲と私とおたえで、一緒にさ」

    有咲「そ、そうそう。ほら、みんなでお揃いのエプロン着けてさ、きっと楽しいぞ?」

    たえ「…………」

    沙綾「おたえ……?」

    有咲「や、やっぱりダメか……?」

    たえ「……それ、すごく楽しそう」

    沙綾「おたえ……!」

    有咲「信じてたぞ……!」

    たえ「リアルパン屋さんごっこ、やろう!」

    有咲「ああ!」

    沙綾「善は急げ、だね。ちょっと予備のエプロン持ってくる!」


    ……………………


    756: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:00:44.39 ID:PEIHZeOO0


    ――夜 有咲の部屋――

    沙綾「なんかごめんね、なし崩しに……」

    有咲「いいっていいって、気にすんなよ」

    たえ「わーい、お泊りだー。嬉しいなー」

    沙綾「おたえはいつも通りだね」

    有咲「な。でも沙綾だってそれくらい素直でいいんだよ。私だってみんなとこうしてるの楽しいんだし」

    たえ「そうそう。楽しいことは楽しいって言うのが一番だよ。言葉にしなくちゃ何にも伝わらないんだから」

    有咲「相変わらずおたえは良いこと言うよな」

    沙綾「確かにその通りだね。何でもない日にお泊り会ってすごくワクワクするなぁっ」

    たえ「いえーい」ハイタッチ

    沙綾「いえーい!」ハイタッチ

    有咲「いえーいっ」ハイタッチ


    757: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:01:14.96 ID:PEIHZeOO0


    有咲「さってと、まだ夜の7時だし、何すっか」

    たえ「あ、私アレやりたい」

    沙綾「アレ?」

    たえ「アレ。みんなでワイワイテレビゲームやったり、漫画読書会したりするやつ」

    有咲「あーはいはい、泊まりの定番のやつだな」

    沙綾「純が友達のとこ泊まり行くとそうなるって言ってたなぁ」

    たえ「だめ?」

    有咲「ダメな理由がない」

    沙綾「右に同じく」

    たえ「えへへ、ありがと」

    有咲「よーし、そしたらちょっと待ってろ。昔やってたゲームとか漫画とかが押し入れに……あったあった」


    758: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:01:56.62 ID:PEIHZeOO0


    たえ「わー、コントローラーが見たことない形してる」

    沙綾「『巾』の字みたいだね」

    有咲「やっぱ泊りのゲーム大会つったらこれだろ、ニンテ〇ドウ64」

    たえ「そうなの?」

    有咲「そうなの。え、ていうかこれ以外にあるのかってレベルだと思うけど。2人とも、知らないのか?」

    沙綾「なんか子供の頃に見たことあるようなないような?」

    たえ「面白い形してるね、このコントローラー」

    有咲「そうか……じゃあ2人はきっとセガ〇ターン派だったんだな」

    沙綾「それも聞いたことないなぁ」

    たえ「あ、私CMは知ってるよ。この前、平成のおもしろコマーシャルを振り返る番組でやってた」

    有咲「せー〇たー三四郎ー、せー〇たー三四郎ー♪」

    たえ「せ〇さたーんしろー♪」

    沙綾「わぁ、全然分かんないや」


    759: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:02:46.59 ID:PEIHZeOO0


    有咲「まぁゲーム機の名前やらCMやらはどうでもいいんだよ。大事なのはみんなで遊べて、みんなが笑顔になれることだからな」

    たえ「有咲、良いこと言うね」

    沙綾「今日の有咲は名言botだね」

    有咲「よせよ、照れちまうだろ? さ、それよりなんのゲームやるか。初代大乱闘? それとも007になりきるか? はたまた世界一有名な配管工のパーティーゲームか?」

    たえ「うーんと……」

    沙綾「簡単なのがいいな」

    有咲「簡単なのだとこのマ〇オパーティだな」

    たえ「じゃあそれにしよう」

    沙綾「わー、楽しみだなぁ」

    有咲「オッケー。俗に言う友情破壊ゲーだけど、まあ私たちの間の強固な仲を崩せるほどのもんじゃないだろ」


    760: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:03:28.68 ID:PEIHZeOO0


    たえ「有咲、コントローラー4つも持ってるんだ」

    有咲「最大4人まで同時に遊べるからな。昔父さんが妙に張り切って買って来たんだよ」

    沙綾「同時に4人まで……」

    たえ「ポピパのみんなでやったら1人あぶれちゃう……」

    有咲「そんな悲しい顔すんなよ、2人とも……」

    沙綾「もしそうなったら私が遠慮して……」

    たえ「ダメだよ、沙綾はいつもそうやって自分を後回しにするんだから」

    有咲「そーだそーだ。悪いが沙綾が遠慮するのは私も断固拒否だ」

    たえ「だからここは私が……あ、でもみんなが楽しそうにゲームやってて、私だけ蚊帳の外だと……ぐす」


    761: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:04:01.58 ID:PEIHZeOO0


    有咲「わ、な、泣くなおたえ! 大丈夫、大丈夫だから!」

    沙綾「そ、そうだよ! ほら、笑って!」

    たえ「うん……大丈夫、私はひとりでも頑張れる……」メソメソ

    有咲「あー、ほら、アレだよ! 短い対戦ゲームでさ、負けた人が交代って遊び方も楽しいんだぞ! 横から茶々いれたりしてさ! そういうのがやっぱ醍醐味だろ!?」

    たえ「……あ、そうかも」

    有咲「な? みんなのプレイを横から見つつ、色々口出しするのって楽しいだろ?」

    たえ「うん!」

    沙綾「確かにそうだね。そういうのもなんだか楽しそうだし、今度はみんなでお泊り会だね!」

    有咲「ああ! ウチならいつだってオッケーだからな!」


    ……………………


    762: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:04:57.22 ID:PEIHZeOO0


    ――翌日 花咲川女子学園・中庭――

    有咲「……って感じで、おたえと沙綾は昨日ウチに泊っていったんだよ」

    戸山香澄「えー! いいなぁー!」

    牛込りみ「すごく楽しそうだね」

    たえ「うん、楽しかった」

    沙綾「白熱したね、スターの奪い合い」

    有咲「もうアレだ、テ〇サの使用は淑女協定により禁止だ」

    香澄「有咲たちだけずるい! 私もお泊り会したいー!」

    有咲「別に香澄もりみも、いつでも来ていいぞ」

    りみ「え、いいの?」

    有咲「ああ」

    香澄「じゃあ今日行く!」

    有咲「ウェルカム!」

    香澄「やったーっ!」


    763: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:05:35.80 ID:PEIHZeOO0


    りみ「……なんだか今日の有咲ちゃん、いつもよりも素直っていうか明るいっていうか……」

    沙綾「そうかな? いつもあんな感じだったと思うけど」

    たえ「うん。リアルパン屋さんごっこの時もずっとニコニコしてたし」

    りみ「リアルパン屋さんごっこ?」

    沙綾「昨日ウチでね、おたえと有咲にお店手伝って貰ったんだ」

    たえ「お揃いのエプロン着れて楽しかった。賄いのパンも美味しかったなぁ」

    りみ「わぁ、いいなぁ。私も沙綾ちゃんのところで働いてみたいな」

    沙綾「りみりんならいつでもウェルカムだよ」

    りみ「本当? じゃあ今度お邪魔するね」


    764: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:06:34.96 ID:PEIHZeOO0


    たえ「あ、そうだ」

    香澄「おたえ? どうかした?」

    たえ「てってれてっててーててー♪ ぽんこつ光線銃~♪」スチャ

    香澄「わぁ、おもちゃの銃だ」

    りみ「どうしたの、それ?」

    たえ「こころに貰ったんだ。撃たれるとしあわせになれる、ぽんこつ光線銃だよ」

    りみ「撃たれるとしあわせに……?」

    有咲「効果なかったけどなーそれ」

    沙綾「うん。撃たれた気、全然しなかったし」

    たえ「だから私はこれをぽんこつ光線銃と呼ぶようになった。せっかくだから香澄とりみにも撃ってあげるよ」

    りみ「え、私、撃たれちゃうの?」

    有咲「あー、平気だよりみ。それ本当にただのおもちゃだから」

    沙綾「そうそう。だけどさ、こういうのってなんか楽しい気持ちになるよ」


    765: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:07:25.02 ID:PEIHZeOO0


    たえ「えい」カチャ、カチャカチャカチャ

    香澄「きゃーっ、うーたーれーたー!」

    りみ「きゃ……あれ? 今、本当に撃ったの?」

    たえ「うん」

    沙綾「さりげに私と有咲まで撃ったね」

    有咲「まったく、おたえはしょうがねーなぁー」

    たえ「どう?」

    香澄「うーん、特になにも変わんないや!」

    りみ「いつも通り……だね」キメ顔

    有咲「お、蘭ちゃんのモノマネ」

    りみ「えへへ、上手になったでしょ?」

    有咲「うまいうまい」


    766: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:08:24.80 ID:PEIHZeOO0


    たえ「あ、有咲、お弁当のからあげちょっとちょうだい」

    有咲「ただではやれねーな」

    たえ「そっか……じゃあ仕方ない」ガシ

    沙綾「うん? どうしたの、おたえ。急に私の肩を抱いて……」

    たえ「沙綾が惜しければ、からあげをこちらへ渡して」スチャ

    有咲「なっ、卑怯だぞおたえ!」

    香澄「おたえ! 正気に戻ってぇー!」

    りみ「その光線銃を捨てて投降してくださいっ」

    たえ「それは出来ない。私が沙綾を開放する条件はからあげのみ」

    沙綾「み、みんな……私のことはいいから……早く逃げて……!」

    有咲「くそっ、どうすればいいんだ……!」


    767: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:09:22.10 ID:PEIHZeOO0


    香澄「ここは私のミートボールで……!」つミートボール

    たえ「いただきまーす。あむ……美味しい。でもからあげがないと沙綾は解放しない」

    りみ「そんな……このままじゃあ沙綾ちゃんが撃たれてまう! そんなことになったら!」

    たえ「しあわせ光線銃だからね。きっとしあわせになっちゃうよ」

    沙綾「くっ……おたえ、どうして!」

    たえ「前々からずっと思ってた。沙綾にはしあわせになってもらいたいって」

    有咲「だからってお前!」

    たえ「ふふ、大丈夫だよ。沙綾は責任を持って、私がしあわせにするから」

    有咲「くそ、背に腹は変えらんねー。ここはからあげを差し出すしかない……!」

    りみ「やけど有咲ちゃん、それは朝からずーっと楽しみにしとったって言うたやない!」

    有咲「いいんだ。それで沙綾が助かるなら……安いもんだ」

    香澄「あ、有咲……」

    沙綾「……ごめん、ごめんね、有咲……」

    たえ「それでいいんだよ。さあ、からあげをこっちに」


    768: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:09:58.02 ID:PEIHZeOO0


    有咲「くれてやるよ、こんちくしょう。そら、あーん」つカラアゲ

    たえ「あー……」

    沙綾「させない! あむっ」

    たえ「……え」

    沙綾「からあげのせいでこんなことになるなら、私がからあげを食べちゃえばいいんだよ」

    沙綾「これでもう争う必要なんてないはずだよ。からあげ美味しかったし」

    たえ「…………」

    有咲「おたえ?」

    りみ「どないしたん?」

    たえ「からあげ……ぐす」


    769: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:10:26.77 ID:PEIHZeOO0


    香澄「わ、わぁー! 泣かないでおたえ! 私の卵焼きもあげるから!」

    沙綾「ご、ごめんね、そこまで食べたかったなんて思わなかったから! ほら、私のハムカツもあげるよ!」

    有咲「またばーちゃんに言って作ってもらうから! 今日のところはこのハンバーグで、な!?」

    りみ「え、えっと、私のお弁当にはお肉ないから……デザートのチョココロネあげるね!」

    たえ「うん……みんな、ごめんね。ありがとう……」

    有咲「いいっていいって! 気にすんなよ」


    770: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:10:53.28 ID:PEIHZeOO0


    香澄「あ!」

    りみ「どうしたの、香澄ちゃん」

    香澄「なんか急にドロケイやりたくなった!」

    沙綾「あー、人質ごっこしたもんね」

    たえ「それじゃあ放課後、公園でやろう」

    有咲「おう!」

    りみ「うんっ」

    香澄「わーい!」

    沙綾「了解。って、ヤバっ! 昼休みあと10分しかない!」

    香澄「急いでお弁当食べちゃお!」


    ……………………


    771: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:11:35.63 ID:PEIHZeOO0


    ――夜 有咲の部屋――

    沙綾「はぁー、あんなに走ったの久しぶりだったなぁ」

    有咲「なー。白熱したなぁ、ドロケイ」

    沙綾「いつの間にか公園にいた小学生たちも参加してたしね」

    有咲「その後のロックんとこの銭湯も気持ちよかったな」

    沙綾「うん。有咲のおばあちゃんのご飯も美味しかったよ」

    有咲「で、その反動がアレか」

    たえ「2日連続お泊り~」ゴロゴロ

    香澄「みんなでお泊り~」ゴロゴロ

    りみ「食後のチョココロネ~」モグモグ

    沙綾「布団の上で超くつろいでるね」

    有咲「ったくもう……おい、お前ら!」


    772: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:12:23.01 ID:PEIHZeOO0


    香澄「はーいー?」ゴロゴロ

    たえ「なーにー?」ゴロゴロ

    りみ「チョココロネおいしい」モグモグ

    有咲「私も混ぜろー」

    香澄「へい、かもーん」

    たえ「今なら私と香澄の間にご招待」

    有咲「お邪魔しまーす」

    沙綾「私もー」

    りみ「ごちそうさまでした。あ、私も」

    沙綾「りみりーん、食べた後すぐに横になったらダメだよー」ゴロゴロ

    有咲「そーだそーだー。牛になっちまうぞー」ゴロゴロ

    りみ「大丈夫やー、ウチの名字牛込やしー」ゴロゴロ

    たえ「私はうさぎになりたーい」ゴロゴロ

    香澄「じゃあ私は星になるー」ゴロゴロ


    773: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:12:57.91 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「…………」

    有咲「…………」

    りみ「…………」

    たえ「…………」

    香澄「……ぷっ、ふ、ふふふ……!」

    沙綾「ちょっと香澄ー、ふふ、なんで急に笑うのさー」

    有咲「そういう沙綾も笑ってるぞー、くくっ」

    たえ「わっはっは~」

    りみ「あはっ、もー、みんな笑っとるやんけー」

    香澄「いやー、なんだろうねこの空気」

    沙綾「分かんない。謎。めっちゃ謎」

    りみ「けどこの謎の空気最高やー」

    有咲「それなー」

    たえ「分かるー」


    774: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:13:24.02 ID:PEIHZeOO0


    香澄「有咲たちがゲームで遊んでたーって聞いて私もやってみたかったけど……今はずーっとこうしてたーい」

    りみ「めっちゃ分かる~」

    沙綾「こういうのもいいんじゃないかなぁー」

    たえ「うん、いいと思うー」

    有咲「だなー。ゲームやら漫画なんかはいつだってウチに来てくれればいいかんなー」

    香澄「やったーっ。じゃあ今日は思う存分ゴロゴロしよーっと」


    775: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:14:08.31 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「あー……ふふっ」

    りみ「沙綾ちゃん、どうしたん?」

    沙綾「んー、なんかドロケイの牢屋の攻防のこと思い出した」

    香澄「牢屋の攻防……ああ、おたえが捕まえた人全員解放した時の」

    有咲「あれ反則だろ、折角私と沙綾でほとんど全員捕まえたのに」

    りみ「まさかあの小学生の子が内通してたなんて思いもよらんかったわぁ」

    たえ「あの子はオッちゃんを散歩させてる時によく会う子だからね。今度ウチでうさぎと遊ばない? って言ったらすぐに頷いてくれたんだ」

    有咲「卑劣な手を使いやがって」

    たえ「騙される方が悪いんだよー有咲ー」


    776: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:14:39.00 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「まぁその後すぐに私と有咲でおたえを捕まえたけどね」

    有咲「泥棒を全員脱獄させるなんて前代未聞の大悪党だからな。沙綾のシュシュで両手を拘束するのもやむなし」

    りみ「囚われのお姫様みたいやったねぇ」

    香澄「おたえを助けなくちゃ! って救出しに行ったけど、全員捕まっちゃったね」

    たえ「私を人質にするなんて酷い警察だ」

    有咲「お前ら泥棒の蛮行でどれだけの市民が怯え、涙を流し暮らしているか、想像したことがあるかぁー」

    沙綾「庶民は愛するものを失う恐怖で夜も眠れないー」

    りみ「正論やめーやー」


    777: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:15:17.64 ID:PEIHZeOO0


    香澄「ふわぁ~……」

    たえ「……ふあぁ……」

    有咲「でかいあくびだなぁ」

    香澄「あはは、なんかすごく眠くて」

    たえ「昼間、あんなに走り回ってたからしょうがない」

    りみ「確かに……時間はまだ夜の9時過ぎやけど、眠いなぁ」

    有咲「もう寝ちまうかぁ」

    沙綾「そうだね。いい子はもう眠る時間だよ」

    香澄「んー……」

    りみ「香澄ちゃん、もう半分夢の中におるみたい」

    有咲「よーし、そんじゃ電気消すぞー」

    たえ「はーい」

    沙綾「はーい」

    りみ「はーい」

    香澄「んー」


    778: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:16:00.17 ID:PEIHZeOO0


    有咲「よっこらせ」カチッ

    たえ「真っ暗だー……」

    りみ「んー……えへへ」ゴソゴソ

    沙綾「どしたのりみりん?」

    りみ「お風呂上りのお布団の感触、好きなんよ」

    有咲「分かりみに溢れる」

    りみ「柔らかくてスベスベな感触が心地いいわぁー」

    沙綾「分かる分かる。気持ちいいよねぇ……」

    りみ「うん……」

    たえ「……すー、すー……」

    香澄「くー……」

    有咲「香澄とおたえは寝るの早いなぁー」


    779: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:16:46.72 ID:PEIHZeOO0


    りみ「私も眠い……」

    沙綾「私も……。でも、こういう時ってなんか……寝るのもったいないって思っちゃうよね」

    有咲「あー、それな。そう思うほど眠くなるやつ」

    沙綾「それそれ」

    りみ「んー……むにゃ」

    沙綾「りみりんももう夢の世界かな」

    有咲「沙綾もさっさと寝ちまえよ」

    沙綾「うん。でもやっぱなんか、ね。楽しかった一日って終わらせたくないよねって」

    有咲「まぁな。けど、いつだってみんなと遊べるし、ウチだっていつでも提供するし……まぁ、終わりと始まりで物語は進むってやつだよ。今日が終われば、また楽しい一日が始まるんだよ」

    沙綾「流石名言bot」

    有咲「よせやい」

    沙綾「ふふ、でもそうだよね。あー……なんか安心したら超眠いや」

    有咲「それなー……」


    780: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:17:30.73 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「有咲も寝ちゃいなよー……」

    有咲「いや、なんかここまで来たら……アレだよ、アレ」

    沙綾「……どうやら同じ気持ちみたいだね……」

    有咲「やっぱりか……」

    沙綾「もう勝負は……始まってるんだ……」

    有咲「ああ……」

    沙綾「先に……」

    有咲「寝た方が負け……」

    沙綾「一騎打ちだね……」

    有咲「へへ……私はホームだからな……地の利がある……」

    沙綾「どうかな……自分の家の方が安心して寝ちゃうんじゃないかな……」

    有咲「なんの……」


    781: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:18:15.11 ID:PEIHZeOO0


    沙綾「……ねーんねーん……ころーりーやー……おころーりーやー……」

    有咲「ちょー……子守歌は反則……だろ……」

    沙綾「ぼうやーはー……よいこーだー……ねんねーしーなー……」

    有咲「…………」

    沙綾「……また勝ってしまった……敗北がしりたい……」

    有咲「ね……ねてねーし……」

    沙綾「むりせずに……寝ちゃいなよ……」

    有咲「むりしてねー……だいじょうぶだよ……パンはパンでも、それはパンナコッタだから……」

    沙綾「ちがうよー……フライパンじゃないといけなかったんだよー……」

    有咲「…………」

    沙綾「…………」


    782: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:19:40.60 ID:PEIHZeOO0


    有咲「……ぐぅ」

    沙綾「……すー」

    香澄「zzz……」

    りみ「むにゃむにゃ……」

    たえ「んー……えへ……しあわせ」


    それから約18時間後、おたえ以外のしあわせ光線が解けていつものポピパに戻るのでしたとさ


    おわり


    783: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:20:46.10 ID:PEIHZeOO0


    後日談てきなやつ


    ――チュチュのスタジオ――

    レイヤ「ドロケイがやりたい」

    マスキング「……は? いきなりどうしたんだよ」

    レイヤ「花ちゃんたちがすごく楽しそうにやってるのを見かけて、私もやりたくなったんだ」

    マスキング「花園たちが?」

    レイヤ「うん。公園でね、子供たちも混ぜて本気でドロケイしてた。そんなの見たら……ね?」

    マスキング「『ね?』じゃねーよ。『マスキなら分かるでしょう?』って感じの信頼置くのやめてくれ」

    レイヤ「マスキなら分かってくれると思ったのに……」

    マスキング「……いや、まぁ、お前の言いたいことは分からないでもないけどな。でも流石に高校生にもなって全力でドロケイは……な? それに2人じゃできねーだろ?」


    784: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:21:37.74 ID:PEIHZeOO0


    レイヤ「チュチュとパレオも誘うよ」

    マスキング「パレオはともかくチュチュは絶対に無理だろ。今だってほら……」

    チュチュ「……うーん、なんか違うのよね……もっとこう……」

    マスキング「超真面目に作曲に没頭してるぞ、あいつ。流石に公園で遊ぼうなんて言っても頷かな――」

    パレオ「その心配はありませんよっ、マスキさん!」ドアバァン

    マスキング「うぉっ」

    レイヤ「おはよう、パレオ」

    パレオ「おはようございます♪」

    マスキング「お前、もう少し静かに入って来いよ。びっくりしちまうだろ」

    パレオ「すみません、楽しそうなお話が聞こえてきたのでつい……てへ☆」

    マスキング「あざとく誤魔化すな。そんで……えーっと、なんか心配ないとかなんとか言ってなかったか?」

    パレオ「はい! ご安心ください!」

    マスキング「……アタシはそれに不安しか感じねーんだけど」


    785: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:22:38.37 ID:PEIHZeOO0


    レイヤ「パレオがチュチュを説得してくれるの?」

    パレオ「厳密に言うと違います。でも、必ずチュチュ様は頷いてくださるでしょう!」

    マスキング「どうしてだよ」

    パレオ「その秘密は……これです! とある知り合いの方から譲り受けた、この『しあわせ光線銃2』のおかげです!」

    マスキング「なんだそのおもちゃの銃は……?」

    パレオ「百聞は一見にしかず。では、チュチュ様~!」

    チュチュ「……ん? ああ、全員揃ったのね。それじゃあ早速、今日も練習を始めましょう」

    パレオ「えい♪」カチャ

    マスキング「何のためらいもなく撃ちやがった」


    786: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:23:27.06 ID:PEIHZeOO0


    パレオ「今です、レイヤさん!」

    レイヤ「うん、分かった。ねぇチュチュ。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」

    チュチュ「なによ?」

    レイヤ「今日、みんなで公園に行って、ドロケイやらない? 花ちゃんたちが楽しそうに遊んでるのを見てさ、私もやりたいって思ったんだ」

    チュチュ「……はぁーっ? どーして私がPoppin'Partyと同じことしないといけないのよ!」

    マスキング「……まぁ、そういう反応になるよな。効果ないみたいだぞ、パレ――」

    チュチュ「公園で遊ぶのは賛成だけど、やるなら別のことにしましょう!」

    マスキング「え」


    787: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:24:00.72 ID:PEIHZeOO0


    レイヤ「別のこと……じゃあ、缶けりとか?」

    チュチュ「What? なに、そのカンケリって?

    パレオ「鬼ごっこの一種ですよ、チュチュ様。鬼役の人は缶を蹴られないように逃げる人たちを全員捕まえて、逃げる人たちは鬼に見つからないように缶を蹴るっていう遊びです」

    チュチュ「……なるほど」

    レイヤ「私は缶けり以外でもいいけど」

    チュチュ「いいえ、いいじゃない。戦略性のある遊びは好きだもの」

    パレオ「決まりですね♪ それじゃあ早速行きましょうっ」

    チュチュ「そうだわ! ただやるだけじゃつまらないし、ここでPoppin'Partyとの因縁にもケリをつけてやるわ!」

    レイヤ「缶けりだけに?」

    チュチュ「Yes! カンケリだけに! あとであいつらも誘って真剣勝負するわよ!」

    マスキング「えぇ……」


    788: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:24:42.00 ID:PEIHZeOO0


    パレオ「マスキさんは不服ですか?」

    マスキング「いや、不服っていうか、チュチュの変わりようが恐ろしいっていうか、その銃なんなんだよっていうか……」

    パレオ「まぁまぁ、細かいことは言いっこなしです♪」

    レイヤ「あ、でもチュチュ」

    チュチュ「なによ? ハナゾノ相手だと戦えないって言うの?」

    レイヤ「花ちゃんたちと真剣勝負するのは私も大賛成だよ。だけどさ、ほら、私たち4人だから……」

    チュチュ「……確かにそうね。正々堂々戦うんだから、頭数は合わせないといけないわ。それに気を遣わせてあっちがひとりだけ見るだけになんてなったら……それは悲しいことだもの」

    レイヤ「でしょ?」

    チュチュ「どこかにいい人材はいないかしら」

    レイヤ「私は伝手がないかなぁ」

    パレオ「私もあんまり……ですねぇ」

    チュチュ「仕方ないわね。それじゃあマスキング、頼んだわよ」

    マスキング「……え、あ、ああ……」

    マスキング(ここでアタシにお鉢が回ってくるのか……どうすっかなぁ)


    789: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:25:30.43 ID:PEIHZeOO0


    パレオ「信じてますよ、マスキさん!」

    レイヤ「マスキはやれば出来る子だからね」

    マスキング「変な信頼置くの本当にやめろ。……あーでも、花園たちと遊ぶんだよな?」

    チュチュ「No! これは遊びじゃないわ、Poppin'Partyとの真剣勝負なのよ!」

    マスキング「お、おう。それじゃあウチで働いてる朝日でも連れてくるわ。あいつなら『ポピパ』って言えばきっと何も聞かずに頷くだろうから」

    チュチュ「それでこそよ! 賞賛に値するわ、マスキング!」

    パレオ「わー♪」パチパチパチパチ

    レイヤ「流石だね、マスキ」

    マスキング(褒められてるけどあんまり嬉しくねぇ……)


    790: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/06/22(土) 08:26:12.42 ID:PEIHZeOO0


    チュチュ「Strike while the iron is hot! さぁ、早速行くわよ!」

    レイヤ「挑戦状叩きつけ 奪い返すまでさ~♪」

    パレオ「勝利の旗を振れ~♪」

    マスキング「……まぁいっか」


    このあと行われたポピパ対RASの真剣勝負は夕陽が沈むまで続き、そのあとはみんなで仲良く旭湯に行きましたとさ


    おわり


    792: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:06:23.61 ID:2GWOm34Z0


    氷川紗夜「しあわせ光線銃」


    793: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:06:57.58 ID:2GWOm34Z0


    ――花咲川女子学園 生徒会室――

    氷川紗夜「……はぁ。どうしようかしらね、これ」

    ――ガラ

    白金燐子「失礼します……。あ、氷川さん……こんにちは」

    紗夜「ああ、白金さん。こんにちは」

    燐子「……? どうしたんですか……その、机の上のおもちゃの銃は……」

    紗夜「これは昼休みに、弦巻さんが校内に持ち込んでいたから没収したのよ。けど……」

    燐子「けど……?」

    弦巻こころ『あら? 紗夜、このしあわせ光線銃が欲しいのね? いいわよ、たくさんあるしひとつあげるわね!』

    紗夜「……と言われたのよ」

    燐子「しあわせ光線銃……ですか……?」

    紗夜「ええ。そういうおもちゃが発売されているのかしらね」

    燐子「そんな名前のものは……聞いたことがない、ですね……」

    紗夜「そう……。はぁ……放課後には返すつもりだったのだけど、恐らく弦巻さんは受け取らないでしょうし……本当にどうしようかしら」


    794: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:07:45.65 ID:2GWOm34Z0


    燐子「せっかくだし……貰っておけばいいんじゃないでしょうか……」

    紗夜「そうは言っても使用用途が一切不明ですし……あっても仕方ないわよ」

    燐子「……そうですね……」ヒョイ

    紗夜「白金さん、そのおもちゃに興味がありますか?」

    燐子「少し……こういうのを見るとちょっと持ってみたくなるんです……」

    紗夜「ゲームの影響かしら」

    燐子「かもしれないです……。なかなかディティールも凝ってて、よく出来てますね……」

    燐子「引き金を引くと……何か出るのかな……えい」カチ


    795: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:08:42.19 ID:2GWOm34Z0


    紗夜「……何も出ないわね。というか、何が出るのか分からないのに自分の掌に銃口を向けるのはどうかとも思うけれど……」

    燐子「……つい好奇心に負けて」

    紗夜「まぁ、何事もなくてよかった。やっぱりただのおもちゃでしたか」

    燐子「ですね。わたしはこういうの、好きですけど」

    紗夜「……?」

    紗夜(なんだかいつもより、少しハキハキと喋っているような……)

    燐子「氷川さん? どうかしました?」

    紗夜「いえ、なにも」

    燐子「あ、もう結構いい時間ですね。そろそろCiRCLEに行きましょうか」

    紗夜「……そうね」


    796: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:09:29.49 ID:2GWOm34Z0


    ――CiRCLE スタジオ――

    燐子「~♪」ポロンポロン~♪

    今井リサ「なんだか今日の燐子はご機嫌だねぇ」

    宇田川あこ「鼻歌歌いながら弾いててすっごく楽しそう!」

    紗夜「…………」

    湊友希那「紗夜? なんだか難しい顔をしているけど……何か気になることでもあるのかしら?」

    紗夜「……いえ」

    友希那「そう」

    紗夜(あの銃を手にしてから白金さんの様子がおかしい、なんて言ってもしょうがないでしょうし……)

    あこ「りんりん、何か良いことでもあったの?」

    燐子「ううん、そういう訳じゃないんだ。でもなんだろう、今なら何でも出来るような気がしててね」

    燐子「元気があれば何でも出来るってよく聞くけど、その言葉の意味がよく分かったなって気持ちなんだ」

    リサ「へぇ~」

    紗夜(根拠不明の全能感に気持ちの高揚……もしそれが先ほどの銃のせいだとしたら……)

    紗夜「あの銃、相当危ないものなのでは……」

    あこ「紗夜さん? 何か言いましたか?」

    紗夜「いえ……」


    797: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:10:11.10 ID:2GWOm34Z0


    リサ「燐子にしては珍しい心境の変化だね。でも良いことだと思うなぁ」

    燐子「はい。笑顔でいれば大抵のことは乗り切れますし、何事も前向きに捉えるのが大事ですよね」

    リサ「おー、なんだかこころみたいなこと言ってる」

    紗夜(確かに言動が弦巻さんに近いものになっているわね)

    紗夜(もしかしてあの銃、撃たれた人の頭をハローハッピーワールドにする代物なのではないかしら……)

    あこ「あれ? りんりん、鞄から何か出てるよ?」

    燐子「あ、それはね、弦巻さんが氷川さんにプレゼントしたしあわせ光線銃だよ」

    あこ「しあわせ光線銃?」

    燐子「うん。撃たれた人がしあわせになるおもちゃなんだって」

    リサ「わー、それもすっごいハロハピっぽいおもちゃだねぇ」

    あこ「へ~。りんりん、あこも持ってみていい?」

    燐子「うん、いいよ」

    あこ「わーい! ありがと、りんりん!」スチャ


    798: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:11:06.47 ID:2GWOm34Z0


    あこ「おお、けっこう本格的だ!」

    友希那「そうね。最近のおもちゃは良く出来ているのね」

    燐子「はい、凝った作りものが多いですね。その分お値段もなかなかしますけど」

    あこ「なんだかテンション上がっちゃうなぁ。ふっふっふ……我は流離の傭兵ガンマン、獲物は逃がさない! 狙い撃つぞー!」カチ

    紗夜「あっ」

    リサ「ん? どうかした?」

    紗夜「……なんでも」

    紗夜(今、確実に引き金を引いたわね。射線上には……湊さんが掠ってそうだけど)

    あこ「流石に何も出てこないかぁ~」

    燐子「うん。おもちゃだから」

    あこ「でもこういうのってテンション上がるよね!」

    燐子「分かる」

    友希那「…………」

    紗夜(どうなるのかしら……)

    リサ(なんだか今日は紗夜も様子が変だなぁ)


    799: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:12:07.21 ID:2GWOm34Z0


    友希那「……あこ。楽しいのは分かるけれど、今は練習中なのよ。そろそろ練習に戻りましょう」

    あこ「はーい」

    紗夜(……よかった、なんともない)

    リサ「そだね。さて、次はどの曲やろっか?」

    燐子「はい」

    友希那「燐子、何か意見があるのね?」

    燐子「はい。たまには、他のバンドのカバーをやってみたいです」

    友希那「他のバンドのカバー……」

    リサ「カバーって、アタシたちもたまにやってない?」

    燐子「いえ、メジャーなバンドのカバーではなくて、ガルパのバンドのカバーです」

    あこ「ポピパとかアフターグロウとかの?」

    燐子「うん」

    リサ「うーん、そんな急に言われても……」

    紗夜「試みとしては面白いかもしれないけれど、それよりも自分たちの音楽を磨く方が大切だと私は思うわ」


    800: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:13:36.72 ID:2GWOm34Z0


    友希那「……いえ、やってみましょう」

    紗夜「湊さん?」

    友希那「何事も挑戦よ。私たちの音楽には私たちの色があるのは間違いないけれど、その色ばかりを突き詰めていては、それが澄んでいくのか濁っていくのか分からなくなってしまうかもしれない」

    友希那「たまには他のバンドの色を奏でて、自分たちの立っている場所を、奏でている音を、多角的に確かめることもきっと大切なことよ」

    友希那「燐子もそう言いたかったのよね?」

    燐子「はい」

    紗夜「……湊さんがそう言うのでしたら」

    リサ「マジかぁ……けど、アタシそんな弾けないよ」

    あこ「あこはおねーちゃんたちの曲だったらちょっとは叩けるかなぁ」

    紗夜「……パステルパレット以外でしたら、なんとか」


    801: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:15:12.82 ID:2GWOm34Z0


    友希那「パステルパレットの曲にしましょう」

    紗夜「皆の話を聞いていましたか? パステルパレットは一番に候補から外れますよ?」

    友希那「そこを敢えてやる。それが挑戦というものよ」

    紗夜「…………」

    友希那「紗夜の言いたいことも分かるわ。確かに私たちにはしゅわりん☆もA to Zも荷が重いかもしれない」

    紗夜(そういうこと言っている訳ではないのですが)

    友希那「だから、ルミナスを歌おうと思うの」

    友希那「もちろん突発的な提案だから、楽器は弾けなくても当たり前。それなら私が歌うところを見て、気になったことや気付いたことを言ってくれればそれでいいわ」

    リサ「え、友希那が歌ってるところを見てるだけでいいの?」

    友希那「ええ。なんならコールを入れてくれても構わないわよ」

    リサ「んー、そっか。それならアタシでも大丈夫だね」スッ

    紗夜(その言葉は分かる)

    紗夜(けど、どうして今井さんはさも当然のようにバッグからペンライトを取り出したのかしら。普段持ち歩いているのかしら。これが分からない)


    802: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:16:10.45 ID:2GWOm34Z0


    あこ「じゃああこもリサ姉と一緒に友希那さんの歌を聞きますね!」

    リサ「あこもペンライトいる? いっぱいあるから使っていいよ」

    あこ「いるいるー!」

    燐子「それじゃあわたしは伴奏しますね。簡単にでしたら弾けますから」

    友希那「ええ。お願いするわ、燐子」

    燐子「任せてください」

    あこ「わー、リサ姉のペンライト、光らせると友希那さんの名前が浮かぶんだ」

    リサ「うん。筒の中の柄はハンドメイドなんだ~。法被も持って来ればよかったよ」

    友希那「照明は少し絞った方がいいかしら」

    燐子「そうですね。せっかくなので雰囲気出しましょう」

    紗夜(いま気付いたけれど、現状ツッコミが私しかいない。だけどツッコミきれないからもう黙っていよう)


    803: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:16:38.42 ID:2GWOm34Z0


    友希那「……よし、こんなものね。それじゃあ……」

    リサ「友希那ー!」ブンブン

    あこ「友希那さーん、りんりーん」ブンブン

    紗夜「…………」

    友希那「声援、ありがとう。早速だけど聞いてもらうわよ。『もういちど ルミナス』」

    リサ「きゃーっ!」

    あこ「わーっ」

    燐子「…………」~♪

    紗夜(簡単に、という割にはほとんど原曲のまま弾いてるじゃないですか、白金さん……)


    804: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:17:33.67 ID:2GWOm34Z0


    友希那「すれ違う温度 心がすり切れて痛い」

    友希那「諦めて楽になれるのかな… きもちラビリンス」

    紗夜(それはまさしく今の私の状況なのですが。想像以上にノリノリで振り付けを決めている湊さんにまったく着いていけないのですが)

    友希那「遠くまで響く熱い想い」

    友希那「繋ぐ」

    リサ「きーみーとー!」

    友希那「らしく」

    リサ&あこ「翔ーけーてー!」

    友希那「も一度…」

    友希那&燐子「ルミナス」

    リサ「Fuuu――!!」

    あこ「友希那さんもりんりんもカッコいー!」

    紗夜「……はぁ」


    805: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:19:04.79 ID:2GWOm34Z0


    ―歌い終わって―

    友希那「聞いてくれてありがとう」

    リサ「友希那ーっ! 最高だよ――!!」

    あこ「りんりーん!」

    燐子「ありがとう、あこちゃん」ニコリ

    友希那「ひとつ、ワガママを言ってもいいかしら」

    リサ「なーにーっ!?」

    あこ「なーにー?」

    紗夜(今の今井さん、日菜がよく言う『パスパレのライブですごく気合入ったお客さん』の様子にそっくりね……)

    紗夜(宇田川さんがその真似をしてるけど……止めないと教育上よろしくない気がしてならないわ)


    806: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:20:53.16 ID:2GWOm34Z0


    友希那「今の私はアイドル。だから、アイドルらしいことをやってみたいのよ。という訳で……」

    リサ「おー!?」

    あこ「おー?」

    友希那「私の掛け声の後に、続いて『友希那』って言ってくれないかしら」

    リサ「いいよーっ!!」

    あこ「いいよーっ」

    友希那「ありがと」

    友希那「それじゃあ……ロゼリアのボーカルは?」

    リサ「友希那――!!」

    あこ「友希那さーん!」

    友希那「クールでカッコいいアイドルは?」

    リサ「友希那――!!」

    あこ「友希那さーんっ!」

    友希那「頂点に狂い咲くのは?」

    リサ「友希那――!!」

    あこ「友希那さーん!!」

    友希那「あなたの推しは?」

    リサ「友希那――っ!!」

    あこ「友希那さ――ん!!」

    友希那「ありがとう」

    リサ「Fuuu――!!」

    あこ「ふぅ――!」

    紗夜(なんなのかしらね、この流れは……)


    807: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:21:25.21 ID:2GWOm34Z0


    友希那「最後に……練習は?」

    リサ&あこ&燐子「本番のように!」

    紗夜「ちょ、」

    友希那「本番は?」

    リサ&あこ&燐子「練習のように!」

    友希那「ふふ……流石ね、あなたたち」

    紗夜「私の知らないところで何か打ち合わせでもしているんですか……?」

    友希那「いいえ。でも、こう言えばきっとみんなはそう答えてくれると信じていたのよ」

    リサ「これがキズナってやつだね!」

    あこ「紗夜さんといえばこれだよね!」

    燐子「氷川さんの名言ですから」

    紗夜「…………」


    808: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:21:52.76 ID:2GWOm34Z0


    紗夜(……顔が熱い……妙に気恥しい……これからはそれを言うのは控えよう……)

    友希那「それにしても、やってみると意外と楽しいわね」

    あこ「はい! リサ姉の真似してたらあこも楽しくなっちゃいました!」

    リサ「あこは将来有望だね☆」

    燐子「たまにはいいですね、こういうの」

    紗夜(私はあまり良くないのだけど……というか、恐らくあの銃のせいの白金さんと湊さん……それと宇田川さんもそういう性格だからまだいいけれど……)

    紗夜(今井さん……しらふよね……?)


    ……………………


    809: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:22:25.54 ID:2GWOm34Z0


    ――翌日早朝 公園――

    紗夜「……あの、湊さん。もう一度言ってもらってもいいですか」

    友希那「ええ、いいわよ。今日あなたたちをここに呼んだのは、缶けりをするためよ」

    紗夜「聞き間違いじゃなかったのね……」

    リサ「あー、だから動きやすい格好で公園に集合なのかぁー」

    あこ「わぁー、缶けりするの1ヵ月ぶりだなぁー」

    燐子「結構最近なんだね、あこちゃん」

    あこ「うん! おねーちゃんとモカちん、それにひーちゃんと、ろっかにあすかでやったんだ!」

    紗夜「どうして急に缶けりなんて……」

    友希那「楽しそうだからよ」キッパリ

    紗夜「……そう、ですか」

    紗夜(そう断言されてしまうと何も言えないわ……)

    紗夜(湊さんと白金さん、まだあの銃の効力が解けてないみたいね……)


    810: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:23:03.20 ID:2GWOm34Z0


    友希那「ルールは……説明するまでもないわよね?」

    リサ「ダイジョーブだよ~」

    燐子「はい、わたしも大丈夫です」

    あこ「ばっちぐーですよ!」

    紗夜「……不承不承ながら」

    友希那「よろしい。それじゃあ最初の鬼決めね。じゃんけんしましょう」

    リサ「はーい」

    あこ「じゃあじゃあ、音頭はあこが取りますよ!」

    友希那「ええ、お願いするわね」

    あこ「はい! それじゃあ、じゃーんけーん……ぽん!」

    友希那<パー
    リサ<パー
    燐子<パー
    あこ<パー
    紗夜<グー

    友希那「決まりね」

    紗夜「……やっぱり何か打ち合わせしていませんか?」

    友希那「偶然よ」


    811: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:23:37.52 ID:2GWOm34Z0


    リサ「缶けりなんて久しぶりだな~」

    あこ「あ、缶の周りに線ひきますね」

    燐子「この輪の中に長時間いちゃダメだよってやつだね」

    紗夜「はぁ……どうしてこんな……」

    友希那「紗夜」

    紗夜「なんでしょうか」

    友希那「ロゼリアは何事にも全力よ。あなたもロゼリアの一員であるのだから、この缶けりに全力を尽くしなさい」

    紗夜(普段なら頷けるけれど、内容が内容だから……うーん……)

    友希那「……それともあれかしら。自信がないのかしら」

    紗夜「はい?」


    812: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:25:10.49 ID:2GWOm34Z0


    友希那「紗夜が鬼としてみんなを捕まえる自信がこれっぽっちもないのなら、最初の鬼を変わってあげてもいいわよ」

    紗夜「…………」

    友希那「そうよね。誰も捕まえられず、ずっと鬼をやってるんじゃつまらないものね。仕方ないわ。そういう気配りもリーダーとしての責務だもの」

    紗夜「随分と安っぽい挑発を投げかけるんですね」

    友希那「挑発? ふふ、違うわよ。リーダーとして、そして友人としての気遣いよ。別に、あなたを焚きつけようだなんて気持ちはちょっとくらいしかないわよ」

    友希那「みんなが楽しんで笑顔になれることが、この缶けりの目的だもの。紗夜だけがずっと、ずーっと鬼だなんて、見過ごせないわ」

    紗夜「……そうですか」

    友希那「さ、それじゃあ最初の鬼は私が」

    紗夜「結構です」

    友希那「あら、いいの?」

    紗夜「そういう気遣いはいりません。やるからには全力……それが私たちの流儀だと言ったのは湊さんです」

    紗夜「絶対に、一度で、全員を捕まえて見せますから」

    友希那「そう。それは楽しみね」

    紗夜(我ながらどうかと思う。高校三年生にもなって、缶けりに全力だなんて)

    紗夜(だけど……あそこまで言われて『はいそうですか』と引き下がれるほど私は大人でもないようだ)

    紗夜(もうああだこうだと考えるのはやめだ。見得を切った以上、絶対に一度で全員を捕まえる……!)


    813: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:26:03.87 ID:2GWOm34Z0


    あこ「こんな感じかな」

    リサ「これだとちょっと大きすぎない?」

    あこ「そうかなぁ」

    燐子「氷川さん、どう思いますか?」

    紗夜「それで構わないわ。どんな大きさであろうと、関係ない。私は私の全力を尽くすだけだから」

    リサ「おー」

    燐子「氷川さんが赤く燃えている……」

    友希那「それじゃあ始めましょうか」

    あこ「あ、あこが最初の蹴りやりたいです!」

    友希那「いいわよ。紗夜が困惑するくらい思いっきりかっ飛ばしなさい」

    紗夜「望むところよ。遠慮はいらないわ、宇田川さん。全力で蹴りなさい」

    あこ「はーい! それじゃあ……我が右足に宿りし闇の力よ……えーっと、なんかこう、すごい力で……えいやー!!」カーン


    ……………………


    814: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:26:46.60 ID:2GWOm34Z0


    紗夜「……サークルの中央に缶を置いて……と。これでいいわね」

    紗夜(宇田川さんが蹴り飛ばした缶を取りに行く間にも、各々がどの辺りへ駆けていくかは目で追っていた)

    紗夜(白金さんと宇田川さんは公園の入り口の方へ、湊さんと今井さんはその真逆の方へ)

    紗夜(挟み撃ちするつもりかしらね。昨日から異様に息があっていたし、その上でスマホで連絡を取り合って仕掛けてくるかもしれないわ)

    紗夜(だとするならば、まずは敵方の頭数を減らすのが得策。一番与しやすい相手は……)

    奥沢美咲「はぁ……はぁ……あーっ、見つけた……」

    紗夜「おや……奥沢さん」

    美咲「どうも、紗夜先輩……はぁ、はぁ……」

    紗夜「こんにちは」


    815: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:27:34.89 ID:2GWOm34Z0


    美咲「すいません、いきなりなんですが……昨日こころが変な銃を渡しませんでしたか?」

    紗夜「ええ。没収したら、そのままあげると言われたわね」

    美咲「あーやっぱり……ごめんなさい、あの銃、実はかなりヤバいものでして……」

    紗夜「知っているわ。だからこそこうなったんだから」

    美咲「えっ!? ま、まさか使っちゃったんですか!?」

    紗夜「白金さんと湊さんが餌食になったわ」

    美咲「うわー、マジかぁー……あの、それで――」

    紗夜「でも、今はそんなことは関係ない」

    美咲「は、はい?」

    紗夜「今ここにあるのは、ただ純然たる勝負のみ。私が勝つか、湊さんたちが勝つか……ふたつにひとつよ」

    美咲(うわぁ、なんだか今日の紗夜先輩、めちゃくちゃ燃えてる……)


    816: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:28:24.54 ID:2GWOm34Z0


    ―友希那サイド―

    燐子<<知ってるか? エースは3つに分けられる。強さを求める奴。プライドに生きる奴。戦況を読める奴。この3つだ>>

    リサ<<急にどしたの、燐子?>>

    燐子<<今日のわたしは片羽の妖精……TACネームは“ピクシー”です>>

    あこ<<わー、カッコイイ! りんりん、あこもあだ名みたいなの欲しい!>>

    燐子<<あこちゃんに似合いそうなの……うーん、そうしたら“ブレイズ”とか?>>

    あこ<<おーっ、響きが強そう!>>

    友希那<<私にもそういう二つ名みたいなものが欲しいわね>>

    燐子<<友希那さんは“オメガ11”ですね>>

    友希那<<カッコいい響きね>>

    燐子<<はい。一部界隈で大人気です>>


    817: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:28:55.82 ID:2GWOm34Z0


    リサ<<おーい、作戦会議じゃないのー?>>

    燐子<<あ、ごめんなさい。つい>>

    友希那<<じゃあ、どうやって紗夜を攻め落とそうかしら>>

    あこ<<みんなで一斉にドーン! っていうのはどうですか?>>

    リサ<<うーん……悪くはないけど紗夜なら落ち着いて対処しそうだよねぇ>>

    燐子<<そうですね。わたし相手なら一斉突撃も有効ですけど、氷川さんは動じずにみんなを捕まえるでしょう>>

    あこ<<そっかぁー>>

    友希那<<となると、紗夜の隙を作ってそこを突くしかないわね>>

    リサ<<隙、作れるかな?>>

    燐子<<“トリガー”の言う通り、それもなかなか難しいでしょうね>>

    友希那<<じゃあこういうのはどうかしら>>

    リサ<<……ん? トリガーってもしかしてアタシのこと?>>


    818: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2019/07/10(水) 05:31:09.10 ID:2GWOm34Z0